クリスマス撤廃運動

荒下冬地

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クリスマス撤廃運動

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 その日は,本当に暑い日だった。スイカは溶けて血液のように赤い汁と黒い粒々の種のみとなり,アリの行列はアスファルトからの熱に耐えきれなくてこんがりと焼け死んだ。政府はこの暑さが人体に影響を及ぼすと判断した為,昨日から「外出禁止命令」を出した。
 そしてその時,僕は政府の命令に従って,クーラーの付いた家の中で新聞を読んでいた。世間は年に数回しかないこの外出禁止命令に息巻いていた。高名な誰それ先生に話を伺うコーナーだったり,世界熱中症協会の会長の発言から注意事項を抜粋したコラムだったり,とにかく一面昨今の暑さについてしか書かれてはいなかった。



 新聞の見開きが暑さに関してしか書かれていなかったせいで,段々一面が真っ赤に染まり始めたんじゃないかと僕が疑い始めた頃,家のチャイムがピンポーンと鳴った。誰だ?こんな暑い日に。
 僕が耐熱防護服を着て玄関を開けると,そこには同じ防護服を着た小太りの男が立っていた。全身がサンタクロースと同じような,赤と白の目がちかちかする防護服だ。
「どうも,こんな暑い日にお伺いしてわざわざ申し訳ございません」
 僕はそこではっとした。まさか,まさかとは思うが。
「ワタクシ,世界サンタクロース協会の者でございます」
「やっぱり」と僕は絶望に打ちひしがれてそう言った。きっとプレゼント配りを今年は中止するという話だろう。
「それはそうと暑すぎますので,ワタクシが液体となって蒸発してしまう前に」
 世界サンタクロース協会の回し者は,ちらりと僕の家の中を見た。つまりは中へ入れろの合図である。僕は世界サンタクロース協会サポーター会員であるから,彼の願いは聞き届けなければならない。
「分かりました。是非お入りください」
 僕はそう言って,重いシックな鉄の扉を大きく開けた。男は見た目によらずささっと入り込み,ばたんと玄関の戸を閉めた。
「おお,中は快適で素晴らしい。ただ少しだけ暑いですがな」
 男はヘルメットを脱いでから額をハンカチで拭きつつそう言った。僕はエアコンの設定温度を5度ほど下げた。
「宜しい。どうもお気遣いいただきありがとうございます」
 立ち話もなんなので,リビングへ案内して椅子へ座ることにする。



 座るや否や,「えーとですね」と言いながら男は胸ポケットから一枚のチラシを出した。赤色と白色と黒色の三色で塗られたチラシだ。チラシ特有の安っぽい臭さが僕の鼻を突く。
「今年の世界サンタクロース協会ではですね,一大プロジェクトを始動しようと思っているわけであります」
「ふむふむ」
「それも,今年限りのものではございません。恒久的に続くであろう大事なものなのでございます」
 男はチラシを枝で突き,僕に読むよう促した。
「……今年より,世界サンタクロース協会はクリスマス撤廃運動における最重要案件の発効を取り決めたいと願う次第で……クリスマス撤廃運動?」
 僕が驚いて声を上げると,男は「そうであります」と相槌を打った。
「クリスマスって,あのクリスマス?」
「はい」
「大サンタクロース様が唯一働く事の許される(ここが重要。唯一働く,だけでは枝でしばかれる。あくまで許されるを挟まねばならない)日ですよね?」
「左様でございます」
 僕の頭が痛み始めた。レモンをぶっかけられたように痺れて,酸っぱい嫌な予感がしてくる。
「では,大サンタクロース様は今後どうなさるのです?」
「大サンタクロース様は,恒久的に仕事を休まれる方針でございます」
 なるほど。つまりは無職となるのである。
「休んでおられる期間のクリスマスプレゼントは?」
「そうなります故,クリスマス撤廃運動を始動するのです」
 男は枝を握りしめながらそう言い,チラシの裏をめくって何やら書き始めた。
「いいですか,クリスマスがそもそもあるから大サンタクロース様が働かなければいけないわけでして,ならばクリスマスを失くせばプレゼントどうこうの話ではないのであります」
「クリスマスにプレゼントを届けるのが存在意義(これはちゃんと協会規定により決められている)なのに,そうすれば大サンタクロース様はサンタクロースではなくなりませんか?」
「今までの功績を讃えとのことですので,そのような存在意義が『あった』というだけで結構なのであります」
 僕は過去形の話が嫌いである。我々が話しているのは現在,そして未来についてであるから,過去にそうだったからやらなくて良いというわけではない。何よりプレゼントを心待ちにして居る約76億人は,いかにして今後のクリスマスを過ごせというのだろうか。
 だが男は,どこからともなく出現させた葉巻を取り出して,「それはどうにもなりません。それが結果です」と言う。これじゃまるでキリがないな,と僕は思い,「では協会サポーター会員の僕らが貰える,大サンタクロース様からのお小遣いは?」と尋ねた。
「それも取りやめでございます。大サンタクロース様には休暇が必要なのです」
 年がら年中遊び惚けて,クリスマスだけにしか働かないサンタクロースに休暇は果たして必要なのだろうか?そしてこの男は,もしや休暇を与えるという口実でサンタクロースを封印させようとしているのだろうか。
「では,サポーター会員を辞めてもいいのですね?」
「ですがそうにも簡単に進まないのでありますよ」
 ここで男は,もう一枚新しい別のチラシを胸ポケットから取り出した。そこには真っ赤なゴシック体で,「サポーター会員様へのお知らせ」と書かれている。
「本日はそれがメインなのであります」
 僕はチラシを手に取って注意深く読んだ後,もう何が何だか分からないという顔をして「一つ宜しいでしょうか?」と尋ねた。
「どうぞ」
「サポーター会員を辞めるには寄附金が必要なのですか?」
チラシには,継続期間に合わせての料金表があった。僕はもう随分とサポーター会員だったから,実に500円を支払わなければならないらしい。
「寄附金,ではなく御好意でございますよ」
「ふざけるな,僕は払わないぞ」と僕は憤りを感じた。いくらなんでもこれは酷過ぎる。節約して暮らしている僕にとって,500円は実に本が4冊も変える価格なのだ。500円ぽっきりだけでも,僕にとっては大切なお金なのだ。
「その500円が,大サンタクロース様の今後の生活を支える柱となるやもしれませんのですぞ?」
 要するに,無職を養うための金を払えということである。
 男はニコニコしながら僕のズボンのポケットを眺める。財布が入っているのだ。



 それから僕は30分に渡って延々と抗議したのだが,男が一向に気を変えてくれないので渋々断念し,財布の中から500円玉を取り出して,「残念だけど,こんだけね」と半ば押しつけるように男へ渡した。
「どうもありがとうございました。今後とも世界サンタクロース協会を宜しくお願い致します」
 男はそう言った後,再び分厚い防護服を着てそそくさと外へ飛び出していった。
 そもそもながら,なんで冬の行事のことなのに,夏のこの時期にやって来たのかが意味が分からなかった。あんな奴は溶けてしまえばいいと僕は思う。




 男は二枚のチラシを置いていった。僕はそれを紙飛行機へ折り曲げ,二階の窓からそれを投げ飛ばした。随分としっかりした耐熱紙だったので,そう簡単には落ちることはないと思う。



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