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前編
第11話 側近と家令と料理人
クラーリオの屋敷には、使用人たちが使う食堂がある。
厨房と併設されたその食堂はかなり広く、50人程が座れる仕様だ。
夜も更けた食堂はしんと静まり返っている。その一角に、スガノとゼオが向かい合って座っていた。
「ん」
「おぉ、ありがとな、モートン」
この食堂の料理人であるモートンが、口にナッツの袋を咥えながらスガノたちへ笑顔を向ける。両手には麦酒がなみなみと注がれたジョッキが三つ、器用に握られていた。
テーブルにジョッキを置き、モートンは口をパカリと開ける。
ナッツの袋がどさりと落ちたのを確認すると、モートンは気怠そうに口を開いた。
「こんな時間だ。なんも作んねぇぞ」
「十分だ、モートン」
「ナッツは大好物だぜ、モートン」
スガノとゼオの言葉に、モートンは口端を吊り上げる。
彼の垂れ目の眦は、それ以上下がることはない。しかし口元が弧を描くと途端に柔和な印象になる。
モートンもクラーリオに仕えて長い。3人はこうして、夜更けに酒を飲むことが多かった。
スガノがナッツを齧り、麦酒を流し込む。
話題はきっと、最近の宗主の動向だろう。そう思っていたゼオとモートンは、ナッツを齧りながら、スガノが話し出すのを待った。
スガノがジョッキの底を、テーブルに押し付けるように置く。
「ああ~! 面倒なことになってなければ良いが……」
「宗主は、本当に人間の街へ行っていたのか?」
「そうだ。まだ、何をしているのか分からないが……あの人が興味を持っているということ自体が、異常事態だ」
ゼオとモートンが納得した様に頷くと、スガノはまたジョッキを呷る。
クラーリオは異常なほど何にも興味を示さない。食事にも、娯楽にも、自分の存在にさえ、目を向ける事がない。
当然ながら色恋にも興味はないようで、クラーリオは特定の恋人を作ったことがない。
興味がないならば、誰でも良いのではないか。かつてそう考えた魔王が、クラーリオに多数の見合い相手を見繕った。
しかし彼は、それらを全て跳ねのけたのだ。
『誰でもいいわけではない。俺はこの方々とは結婚しない』
興味が無さそうに見えたクラーリオだったが、言い放った言葉には強固な意思が感じられた。
「人間に、執着しているのか? あの宗主が?」
「……分からない。だけどどうしても、あの事が思い出されて……」
「あの事?」
モートンがジョッキに口をつけて問うのを、スガノはぼんやりと見た。ゼオも問うような目を向けて来るのに気付いて、スガノは短く嘆息する。
言わなくていいことを口走った。そう思いながらも、零す言葉は止まらない。
「宗主は遠い昔、人間を深く愛したんだ。かつて宗主は魔王様の即位争いに巻き込まれ、行方不明になった期間があった。その時に深手を負った宗主を救ったのが人間で、2人は愛し合っていた……らしい」
「……らしい?」
スガノは頷くと、ナッツを齧った。リスのようにカリカリと端のほうから砕いていく。
あのころのクラーリオは見ていられなかった。心も身体も深く傷つき、まるで抜け殻のように過ごしていたのだ。
「この屋敷に帰って来た時には『もう失った』と言っていたよ。どういう経緯があったかは知らないが、宗主は愛する人を失ったんだ」
「……じ、じゃあ、今執着しているのが……」
ゼオの言葉に、スガノは首を横に振る。
「あり得ない。もう数百年前のことだ。人間の寿命はせいぜい60年。もう生きていない」
「……」
モートンが腕を組み、眉を寄せた。理解できないとばかりに頭を傾げる。
「宗主がまた新たな人間に執着されているなら、さっさと屋敷に連れてきて囲えばいいだろう? 人間はすぐ死んじまうんだ。魔族と添い遂げるなんて、人間には不可能。それは宗主分かっているはずだ」
「……確かに。現にカマロ様も、何人か人間を囲っている。それほど珍しい事ではないのに……」
ゼオとモートンがそう零すと、スガノが大げさに溜息をついた。鋭い目を更に吊り上げ、眉も同じく引き上げた。
「……単に愛でるだけなら、それでいい。だけど宗主が本気だったら? あの人が興味を示しているんだぞ? 囲って、また失ったら? どうなると思う?」
「……あー……そりゃ、いかんな」
「うん……いかんな」
スガノはテーブルに突っ伏し、そのままの状態でナッツを齧った。
「宗主が執着を示しているなら、応援したい。だけどそれが、宗主にとって良い道なのか?」
スガノが零した言葉に、返事はない。食堂には、静かにナッツを齧る音だけが響いていた。
_________
クラーリオは自室の出窓を見上げた。
装飾の施された豪華なカーテン、精巧な作りの置時計がカチカチと音を立てている。
静かに明るくなっていく空を見ながら、クラーリオは顔に走る傷痕を撫でた。
(エリト……ちゃんと飯は食べただろうか)
きっとエリトは、あの粗末な家で、あの薄い毛布に包まっている。
ノウリの姿になって会いに行けたら、どれだけいいだろうとクラーリオは思う。
(エリトが求めているのは『ノウリ』だ。だが……ノウリの姿では、エリトを守ることができない)
ノウリという心の拠り所を絶ってしまうのは、エリトにとってきっと良くない。
しかしノウリでは、彼の現状を打開できない。
クラーリオは舌打ちを零して、天井を見上げた。
(確か今日は、魔神会議だったな)
そう思い出すと腹の底が重くなる。
魔神という立場がこれほど憎らしくなるのは、いつぶりだろうか。
厨房と併設されたその食堂はかなり広く、50人程が座れる仕様だ。
夜も更けた食堂はしんと静まり返っている。その一角に、スガノとゼオが向かい合って座っていた。
「ん」
「おぉ、ありがとな、モートン」
この食堂の料理人であるモートンが、口にナッツの袋を咥えながらスガノたちへ笑顔を向ける。両手には麦酒がなみなみと注がれたジョッキが三つ、器用に握られていた。
テーブルにジョッキを置き、モートンは口をパカリと開ける。
ナッツの袋がどさりと落ちたのを確認すると、モートンは気怠そうに口を開いた。
「こんな時間だ。なんも作んねぇぞ」
「十分だ、モートン」
「ナッツは大好物だぜ、モートン」
スガノとゼオの言葉に、モートンは口端を吊り上げる。
彼の垂れ目の眦は、それ以上下がることはない。しかし口元が弧を描くと途端に柔和な印象になる。
モートンもクラーリオに仕えて長い。3人はこうして、夜更けに酒を飲むことが多かった。
スガノがナッツを齧り、麦酒を流し込む。
話題はきっと、最近の宗主の動向だろう。そう思っていたゼオとモートンは、ナッツを齧りながら、スガノが話し出すのを待った。
スガノがジョッキの底を、テーブルに押し付けるように置く。
「ああ~! 面倒なことになってなければ良いが……」
「宗主は、本当に人間の街へ行っていたのか?」
「そうだ。まだ、何をしているのか分からないが……あの人が興味を持っているということ自体が、異常事態だ」
ゼオとモートンが納得した様に頷くと、スガノはまたジョッキを呷る。
クラーリオは異常なほど何にも興味を示さない。食事にも、娯楽にも、自分の存在にさえ、目を向ける事がない。
当然ながら色恋にも興味はないようで、クラーリオは特定の恋人を作ったことがない。
興味がないならば、誰でも良いのではないか。かつてそう考えた魔王が、クラーリオに多数の見合い相手を見繕った。
しかし彼は、それらを全て跳ねのけたのだ。
『誰でもいいわけではない。俺はこの方々とは結婚しない』
興味が無さそうに見えたクラーリオだったが、言い放った言葉には強固な意思が感じられた。
「人間に、執着しているのか? あの宗主が?」
「……分からない。だけどどうしても、あの事が思い出されて……」
「あの事?」
モートンがジョッキに口をつけて問うのを、スガノはぼんやりと見た。ゼオも問うような目を向けて来るのに気付いて、スガノは短く嘆息する。
言わなくていいことを口走った。そう思いながらも、零す言葉は止まらない。
「宗主は遠い昔、人間を深く愛したんだ。かつて宗主は魔王様の即位争いに巻き込まれ、行方不明になった期間があった。その時に深手を負った宗主を救ったのが人間で、2人は愛し合っていた……らしい」
「……らしい?」
スガノは頷くと、ナッツを齧った。リスのようにカリカリと端のほうから砕いていく。
あのころのクラーリオは見ていられなかった。心も身体も深く傷つき、まるで抜け殻のように過ごしていたのだ。
「この屋敷に帰って来た時には『もう失った』と言っていたよ。どういう経緯があったかは知らないが、宗主は愛する人を失ったんだ」
「……じ、じゃあ、今執着しているのが……」
ゼオの言葉に、スガノは首を横に振る。
「あり得ない。もう数百年前のことだ。人間の寿命はせいぜい60年。もう生きていない」
「……」
モートンが腕を組み、眉を寄せた。理解できないとばかりに頭を傾げる。
「宗主がまた新たな人間に執着されているなら、さっさと屋敷に連れてきて囲えばいいだろう? 人間はすぐ死んじまうんだ。魔族と添い遂げるなんて、人間には不可能。それは宗主分かっているはずだ」
「……確かに。現にカマロ様も、何人か人間を囲っている。それほど珍しい事ではないのに……」
ゼオとモートンがそう零すと、スガノが大げさに溜息をついた。鋭い目を更に吊り上げ、眉も同じく引き上げた。
「……単に愛でるだけなら、それでいい。だけど宗主が本気だったら? あの人が興味を示しているんだぞ? 囲って、また失ったら? どうなると思う?」
「……あー……そりゃ、いかんな」
「うん……いかんな」
スガノはテーブルに突っ伏し、そのままの状態でナッツを齧った。
「宗主が執着を示しているなら、応援したい。だけどそれが、宗主にとって良い道なのか?」
スガノが零した言葉に、返事はない。食堂には、静かにナッツを齧る音だけが響いていた。
_________
クラーリオは自室の出窓を見上げた。
装飾の施された豪華なカーテン、精巧な作りの置時計がカチカチと音を立てている。
静かに明るくなっていく空を見ながら、クラーリオは顔に走る傷痕を撫でた。
(エリト……ちゃんと飯は食べただろうか)
きっとエリトは、あの粗末な家で、あの薄い毛布に包まっている。
ノウリの姿になって会いに行けたら、どれだけいいだろうとクラーリオは思う。
(エリトが求めているのは『ノウリ』だ。だが……ノウリの姿では、エリトを守ることができない)
ノウリという心の拠り所を絶ってしまうのは、エリトにとってきっと良くない。
しかしノウリでは、彼の現状を打開できない。
クラーリオは舌打ちを零して、天井を見上げた。
(確か今日は、魔神会議だったな)
そう思い出すと腹の底が重くなる。
魔神という立場がこれほど憎らしくなるのは、いつぶりだろうか。
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