冷酷非道な魔神様は、捌き屋に全てを捧げる

墨尽(ぼくじん)

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前編

第17話 うまくはいかないもので

 人間は基本的に魔法を使えない。

 魔族に対抗してくる騎士達は、魔法が使えるようになった稀有な人間たちだ。あれほど強いエリトでも、魔法は使えない。

 このことが、人間に擬態したクラーリオを大いに苦戦させた。
 一番厄介だったのは、火の起こし方だ。普段なら炎の魔法ひとつで済んでいたことが、人間の姿となるとそうはいかない。

 言うまでもなく、料理も火が必要だ。モートンに火のつけ方から教わっていたら、あっという間に昼になった。

「宗主、そろそろ休憩しませんか?」
「……お前は休んでいい」

 厨房にはクラーリオが失敗した料理が並び、床も散々なことになっている。
 モートンは溜息をついて、先ほどから陰で見守っているスガノとゼオを見遣った。

 2人とも決して近づこうとはせず、完全にモートンへ丸投げしている。普段の執務がクラーリオと近いせいか、彼らはモートンよりクラーリオを怖がる傾向にあるようだ。

「くそっ!!」

 突如クラーリオから出た言葉に、2人は揃って肩を跳ねさせた。
 手をでろでろに汚したクラーリオが、忌々し気に足元を見遣る。そこには割れて潰れた卵が床に散乱していた。

「この卵という食材は、何て脆いんだ。脆いくせに、殻を形成しているのはどういうつもりだ。もっと硬い殻にせんか!」
「宗主、卵ですから……中からひなが出るためには、殻は薄くないと……」
「……」

 卵を割る作業から苦戦し、クラーリオは何個も卵を駄目にした。しゃがみこんで殻を集めていると、ゼオが雑巾を持って駆けて来る。

「宗主、手伝います」
「……」

 
 ゼオが雑巾を滑らせると、散々だった床が鮮やかさを取り戻していく。厨房の床は石造りで、拭けば直ぐに綺麗になった。

 (エリトの家と、大違いだな……)
 エリトが置かれている境遇を突き付けられるたび、クラーリオの胸に矛先の向けられない怒りが湧いてくる。

「ゼオ。俺には人間が分からない。どこからどう見ても愛くるしい生物を冷遇するのは、何故だと思う?」
「……そうですね……人間も魔族も、感覚はそう変わらないはず。その生物が蔑まれているのには、何か別の訳があるのでしょう」
「………」
「宗主、その生物を愛するおつもりですか?」
「もう愛している」

 きっぱりと言い放ったクラーリオに、ゼオは驚きの目を向けた。
 クラーリオは驚くゼオに眉を寄せ、首を傾げる。『なぜ驚いている?』そんな表情に、ゼオは思わず頬を緩ませた。

「では、料理の練習もその生き物のためですか?」
「そうだ。飢えている」

「普段何食ってるんです? その生き物」

 バケツを持って来たスガノが、ゼオとクラーリオを覗き込む。後ろにはモートンも立っていて興味津々といった様子で顔を覗かせていた。

「……芋だ。時々肉も食べるが、少ない」
「普段からその食事量だと、いきなり食べたら腹下しますよ」
「そうなのか?」
「スープとか、リゾットとかから始めたほうが良さそうですね」

 「リゾット?」と眉根に皺を寄せたクラーリオは、首を傾げながら手を止めた。モートンがリゾットの説明をしている隙に、ゼオは床の汚れを全て拭き取っていく。
 モートンの説明を共に聞いていたスガノが、頷きながら口を開いた。

「ナークレンは米の産地です。その生き物も米のほうが取っつきやすいんじゃないっすかね?」
「米か……なるほど。ではモートン、そのリゾットも教えてくれ」
「いいですよ。オムレツより簡単です」

 モートンの返事に、クラーリオは目元を少し下げた。

 『暴戻の魔神』から漏れた柔らかい空気は、穏やかで優しい。こんな雰囲気のクラーリオを見たことがなかった3人は、顔を見合わせる。


(((やばい、応援したくなってきた……)))

 3人揃って同じ顔をしているのを見回して、スガノは笑いながら溜息をついた。


_________


 暖炉の前で蹲るエリトは、揺らめく炎を見つめていた。
 身体の下に敷いてある布には、僅かに血が付いている。その血の跡を撫でて、エリトは溜息をついた。

『また、遊びに来ていいか?』

 その言葉を思い出すたびに、エリトの胸が強く疼く。不思議と苦痛ではないその痛みは、エリトにとって初めての感覚だった。

(きっと嘘に決まってる)

 エリトはずっと独りだった。いつから独りだったのか、エリト自身もはっきりと思い出せない。
 母には愛されている自信があるが、その母とも納品の時にしか会えない。


「寒いなぁ……」

 独り言を零しても、返事をしてくれる人はいない。
 鼻を擦りつけてくれるノウリもいない。

(明日も、狩り続けるだけだ。狩って捌いて、納品して、売って……。そうだ、カップをもう一個買おう。あいつが来た時のために……)

 
 暗くなっていく窓の外を見つめながら、エリトは目を閉じた。そして小さく口を開く。
 
「エ、リ、ト」

 初めてもらった名前は、驚くほど自分に馴染んだ。ほんわか温かくなる胸を抱きしめて、エリトは眠りについた。
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