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後編
第45話 母への愛
薄れていく意識の中、エリトは宗主の双眸を覗き込んだ。その恐ろしいほどの美しい瞳が、焦がれるほど愛おしかった。
「きれい、だ……」
「……?」
瞼を揺らしながら、エリトは宗主に手を伸ばした。言葉が自然に、口から零れ落ちていく。
「……はちみつの中に……星くずを散りばめたよう、な……」
「……!」
薄れていく意識の中、宗主の瞳が揺れるのが見える。金色の瞳を、薄い水の膜が覆っていく。
(そうしゅ、どうして……ないて……)
微かな胸の痛みを感じながらも、エリトは意識を手放した。
________
『透き通る琥珀の中に、きらきらの金粉を混ぜ込んだような……。ううん、違う……はちみつの中に、星屑を散りばめたような……。どんな言葉でも表現できない。こんな綺麗な瞳、見たことが無いよ』
数百年前のエリトも、確かにそう言った。ソリル村にあるエリトの家で、初めて会話を交わした時だ。
(あの時のエリトは……本当に良く喋る人だった……今と同じ笑顔で、たくさん話してくれた……)
寝台に眠るエリトの髪を撫で、眦に残る涙の跡を指でなぞる。
以前はブロンドだったエリトの髪は、色が抜け落ちたかのように真っ白だ。
(精神に作用する魔法を浴びすぎると、髪の色が抜けることがある。エリトに記憶がないのは、誰かに消されている可能性が高い……)
予想が当たっているのならば、ガーランデにいる魔族が関わっている可能性が高い。
何の魔法が使われたのか、それが分からないと対処も出来ない。特に精神系の魔法は、解除に危険が伴う。自力で記憶を取り戻すのが、一番堅実なやり方だ。
(自力で記憶を取り戻すには、何か強いきっかけが必要だ……)
エリトの髪を指に絡ませていると、その瞼がゆっくりと開いた。エリトは宗主の姿を見て、僅かに顔を赤らめる。
とっさに布団を引き上げたエリトの額に、宗主は口付けた。
「おはよう、エリト」
「……はよ……」
「何を照れている?」
「……だって……俺……」
柔らかい布団で顔を隠しながら、エリトは昨晩の事を思い出した。少し酒が入っていたとはいえ、全て覚えている。
(俺……初めてなのに、あんな……)
熱に浮かされたようになって、『抱いて』などと口走ったのもはっきりと思い出せる。顔がかっと熱くなって、宗主の顔がまともに見れない。
髪を撫でられている感触がして、宗主の静かな笑い声が聞こえる。その声にさえ、心が音を立ててしまう。
「……俺の可愛い、エリト。……どんなエリトでも、大好きだ」
「……っ」
また額に口付けられ、エリトは息を詰めた。どうしてか胸が痛んで、また涙が零れ出る。
(俺……やっぱり変だ。……宗主と一緒にいると、感情が制御できない……)
エリトが鼻を啜ると、また髪を撫でられる。優しい仕草に心打たれていると、また宗主の声が届いた。
「……エリト。連れていきたい場所が……あるんだ」
「……?」
僅かに布団を下げて、エリトは宗主を見た。
宗主はこちらを見ておらず、窓の外を眩しそうに見ている。その物憂げな表情に、エリトは首を傾げた。
「……それって、どこ?」
エリトがそう聞いても、宗主は視線を合わせてくれなかった。ただただ窓の外を見て、表情もないまま口を開く。
「……ガーランデの街外れに、ソリルという小さな村がある。……そこに行かないか? エリトに見せたいものがあるんだ……」
「? ガーランデに? ……行きたい! ついでに母さんに会いたい。……良い?」
宗主がやっと視線を合わせてくれて、エリトは微笑んだ。しかし宗主の表情は憂いたままだ。憂いを帯びたまま宗主は微笑むが、その笑顔に喜びはない。
「……分かった。人間に擬態したスガノに同行させる。……俺は人間に擬態する事が出来ないから、ついては行けない。……ソリル村で会おう」
「……うん……正直嬉しいよ。もう母さんとは会えないと思ってたから……」
宗主は魔族の密偵をガーランデに潜らせ、エリトの母親の無事を定期的に教えてくれる。母が無事に生きているというだけで、エリトは心安らかに過ごすことができた。
しかし目の前の宗主の表情は、エリトにとって胸が痛いものだった。寂寥と不安を抱え込んだような表情を浮かべる宗主を、放っておける筈がない。
「……宗主? どうかした?」
「……エリト。どうしてエリトは、他の捌き屋と処遇が違うんだ? どうして母と一緒に過ごせない?」
「……ああ……その事か。……それは俺が『特別』だからだ」
そう答えながら、エリトは嘆息した。特別、とは聞こえがいいが、実際は他の捌き屋よりも冷遇されているのだ。
「捌き屋をする穢れの子は、地方の街がそれぞれ管轄する。俺は例外で、国が管轄している唯一の捌き屋なんだ」
「……扱いが、違うのか?」
「うん……。『特別』は……名も貰えない。そして魔獣を捌きに各地方へ派遣される。特別な捌き屋は、どこかの地に根を下ろす事ができないんだ。……その代償に、母の良質な生活が保障される」
エリトは母が住む大きな屋敷を思い出した。
あの屋敷にいたら、きっと母は生活に困らない。暖かい寝具と、美味しい食事が保障されたあの家だったら、母を安心して任せられた。
母を人質にしているのには変わりはないが、他の捌き屋がいる管理棟よりましだ。
母の柔らかな笑顔を思い出して、エリトは頬を緩める。そのまま宗主を見ると、彼は眉を下げた。
「……母を、愛しているのか?」
「……愛? も、もちろん」
「そうか……」
宗主はそう呟き、またエリトの髪を撫でる。その感触に癒されながらも、エリトは違和感を隠せない。
母も、会った時には良く髪を撫でてくれる。しかし宗主と母、双方の触り方の違いにエリトは困惑する。
髪の表面を撫でるようにする母とは違い、宗主は髪に指を絡ませるのだ。髪の間に指を滑らせ、頭皮にも優しく触れる。
優しいだけではない、情が籠った触れ方を、エリトは宗主に会って初めて知った。
(母を愛しているって……愛って……)
エリトは母の姿を思い浮かべた。その顔には唇しかない。
弧を描いた唇は優しいが、母の顔の鼻から上が、エリトにはどうしても思い出せないのだ。
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