冷酷非道な魔神様は、捌き屋に全てを捧げる

墨尽(ぼくじん)

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最終章

第47話 優しい母

 振り向くと、そこには懐かしい顔があった。
 それは紛れもなく母で、エリトはほっとしながらも驚きを隠せない。

「母さん、どうしてここに?」
「……こっちへ」

 母はエリトの手を引くと、路地裏に並ぶ扉の一つを開ける。そこは潰れた酒場のような場所で、カウンター以外は何もない部屋だった。
 エリトを入れると、母は扉に鍵をかける。そしてエリトを振り返った。

「大丈夫? 何もされてない?」
「? 俺は何も。……母さん、外に出て大丈夫なの?」

 穢れの子の母は、監視下に置かれている。単独で外出など出来ないはずだった。
 目の前の母は、ごく普通の服装だ。隠れて外出しているという風でもない。

 エリトのフードを外しながら、母は口を開いた。

「本当に魔族に囚われていたのね……可哀そうに……。大丈夫、監視官の方々はちゃんとあなたを理解しているわ」

「……どういう、こと……?」

「どういう事って……ナークレンからあなたが攫われたって、監視官が言っていたのよ。魔族から攫われたって……。しかも相手は暴戻の魔神だなんて……! 恐かったでしょう?」

 心配そうに言葉を並べる母を見て、エリトは首を横に振った。

「違う、違うよ母さん。俺は攫われてなんかない! 魔族に攫われたなんて、誰が言ったんだ?」

 ナークレンの教会の人間は皆死んだと、スガノが言っていた。本部であるガーランデに報告が行かないように根絶やしにしたと。
 それを聞いて少し胸が痛んだが、クラーリオを生かしてくれと願ったのはエリトだ。全ての責任は自分にあると、エリトは思っていた。


 狼狽えるエリトを宥める様に、母の手が髪に伸びる。エリトの頭を撫でながら、母は悲しそうに顔を歪めた。

「教会に隠れていた別の捌き屋が、逃げ延びて教えてくれたのよ……。エリト、母さんと一緒に、監視官の元へ戻りましょう?」
「……か、母さん……。また、捌き屋に戻れって言ってるの?」

 エリトの言葉を聞いて、母は首を少しだけ傾げる。まるで「何を言っているの?」といった仕草に、何故か背筋がぞくりと粟立った。

「お、俺……ナークレンの納品屋に足の甲を刺されて……もう前みたいに狩りが出来ないんだ……。だから、捌き屋には……」
「戻れないと言うの? 捌き屋に戻らずに、何をするつもり?」

 無意識にごくりと喉を鳴らし、エリトは母を見た。その顔はいつも通り穏やかだ。
 しかし何故か、背筋がぞくぞくと恐怖を伝えて止まらない。

「……ぼ、暴戻の魔神の屋敷で、残りの時間を過ごしたい。俺の寿命はどうせ短いし……捌き屋としても役に立たない。……俺、行方不明になってるんだよね? このまま人間の世界から姿を消したいんだ」
「……」
「……母さんも、こっちでの生活が嫌なら……一緒に魔族の国へ行こう? 宗主ならきっと迎え入れてくれる!」

 その言葉を聞いた瞬間、エリトの髪を撫でていた母の手がぴたりと止まる。そして母の表情が、ゆっくりと笑顔に変わっていく。

「可哀そうな子。また魔族に情を抱いたのね」
「……また?」

 エリトがそう呟くと、背後から腕を掴まれた。次いで膝裏を蹴られ、強制的に跪かされる。両腕を背後で捻り上げられて、エリトは痛みに呻いた。

 顔を歪めながら振り返ると、上半分を仮面で覆った男が目に入る。その男を見た瞬間、エリトの肚の底から恐怖が湧き上がった。

(……! だ、誰……?)

 狼狽えながらエリトは母へと目線を移した。そこには変わらない笑顔を浮かべる母がいる。男の姿などまるで見えていないかのように、母は口を開いた。

「エリト、良く聞いて。……あなた、ナークレンで想いを寄せていた人間がいたわね?」
「……? どうして、知って……」

「あの男を殺したのは、暴戻の魔神よ」
「……え?」

(殺した? ……死んだ? クリオが?)

 真っ白になったエリトの頭に、また母の声が耳に届く。

「あなたの想い人を殺して、暴戻の魔神はあなたを手に入れたのよ。魔族とは本来、欲に塗れた種なの。……エリトは騙されたのよ。可哀そうに……」
「……う、嘘だ……」
「……優しくされて、勘違いしちゃったのよね? 騙されるのも仕方がない、全部分かっているわ……」

 呪いのような言葉を聞きながら、エリトは宗主の顔を思い浮かべた。

 最初は眼帯で表情が読めなかった。しかし眼帯が外れた時の彼の表情には、ひとつも歪みがなかった。そう、いつかのクリオのように。


「あなたの想い人も、結局はあなたを裏切っていたじゃない。エリトを愛しているのは、この私だけ。……エリト、私と一緒に……帰ってくれるわね?」


(……俺、また……裏切られたの?)

 母の声を聞きながら、自分を裏切ったという彼らを思い出す。しかしどこにも嘘が見つからない。穏やかな表情と優しい声しか、思い出すことができない。

 エリトは痛む腕を振り返った。そこにいる男の口元は、醜く歪んでいる。
 冷静になれ、とエリトは自分に言い聞かせた。先ほどから感じる違和感の正体を、エリトは探し求める。

 そして一つの疑問が、エリトの頭を過ぎる。
 その問いは自然と口から滑り落ちた。

「母さん。どうして俺の名を知っているの?」
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