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第一章 最期の試練

第7話 美しさと儚さ

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(そして私は今日は今日とて、鍋を振るっているってわけだ)

 昨夜の夢を思い出し、鍋に鉄勺を叩きつけるようにして、葉雪は激辛料理を作る。これを食すのは、例の雲嵐だ。

 あれから彼は言葉通り毎日店へと通い、激辛料理を喜んで食べている。
 しかしながら、額に汗を浮かべながら食べる様は、やはり無理をしているような気がしてならない。そのうち葉雪は、雲嵐には辛味を加減したものを出すようになった。

 加減した物を出しても、彼は不満そうな様子もなく、嬉しそうにそれを食す。
 やはり彼は、激辛を欲しているとは考え難い。しかし美味そうにたべてくれると悪い気はしないものだ。

 厨房の小窓からちらりと覗くと、今日も夢中で食べてくれているのが見える。

 あの日から葉雪は厨房から出ていないが、彼から呼び出しが掛かることも無い。
 初日の態度から、もしかしたら変な奴かもしれないと勘ぐっていたが、その疑念は晴れつつあった。
 純粋な辛党初心者だったのかもしれない。

 厨房に入ってきた明明が、盆で口を隠しながら言う。

「白兄さん、彼、また来てる」
「お~、見えてる」
「ねぇ知ってる? 彼がここに毎日通うもんだから、店の外が凄い事になってるのよ」
「おん?」

 葉雪は前掛けをしたまま、裏手を通って店の前へ向かう。そして曲がり角から顔を出し、店の前を覗き見た。

 店の前には数人の女性がずらりと並び、何かを食い入るようにして見ている。視線の先は、雲嵐だ。

「肖公子、麗しいわ……」
「見て、あの汗……。私の手巾で拭ってあげたい……」

 熱いため息を吐きながら、女性陣は雲嵐をうっとりと見つめている。
 どうやら雲嵐は、というかやはり雲嵐は、有名な『美男公子』のようだ。

 なるほど、と顎を擦っていると、後を付いてきていた明明がひょっこりと顔を出した。

「白兄さん、完全に彼に人気を奪われたわね」
「人気?」
「気付かなかったの? 厨房に男前が居るって、話題だったのよ。……でも彼には惨敗ね」
「……勝手に比較対象にしてくれるな」

 明明を半目で見遣ると、彼女は口端を吊り上げる。

 思えば最近は、この明明の化粧も濃くなった気がする。男前がいるだけで美しく変わろうとする女性の強さは流石だ。

 確かに今の葉雪と雲嵐では、葉雪側の大惨敗だろう。外見も身分も、敵うところが見当たらない。
 そもそも、雲嵐の瑞々しい美しさに敵う男など、そうそういないのではないか。


 黄色い声を上げ続ける女性陣を余所に、当の本人は目の前の料理に夢中だ。
 彼女らはどうにかこっちを向いて欲しいようだが、雲嵐は料理しか見ていない。

 しばらく様子を窺っていると、女性陣の方に動きがあった。女たちを荒々しくかき分け、一人の女性が店内へと入っていく。

 胸元を強調した裙には、金糸で施された美しい刺繍。
 谷間まで塗りたくられた白粉は、恐らく庶民には買えない高級品だ。
 彼女は女性陣をちらりと振り返ると、ふん、と鼻で笑う。

「……馬鹿ね。聞こえないのよ、彼」

 言い捨てて、女は入口近くに座っている雲嵐へ近づいた。
 雲嵐の席は4人掛けだが、今日は従者もいないため、彼は一人で座っている。

 女は何も言わず、雲嵐の向かいの席に座った。料理に夢中だった雲嵐もこれには気付き、目の前の女性と視線を合わせる。

 女はにっこりと笑うと、雲嵐に向かって手を振った。そして、店の角にいる葉雪らにも聞こえるような大きな声で話し始めた。

「こんにちは。少しお話しない?」

 雲嵐は女をじっと見た後、顔を横に振った。表情に変化は無く、彼がどんな感情を抱いているのか傍からは分からない。

 女は肩を竦めたあと眉を下げ、困ったように笑う。そして今度は、声を落とした。

「あら、噂以上に聞こえていないみたいね。筆談しかないのかしら……可哀想に」
「……」
「従者も連れていないところを見ると、やっぱり冷遇されているのね……」

 何もかも理解したかのように、女が大仰に頷く。
 まるで唯一の理解者であるかのように。

 しかし雲嵐の表情は、一切変わらなかった。
 雲嵐と彼女の距離は、手を伸ばせば届く距離だ。先日、葉雪と雲嵐が会話した距離よりも近い。

 雲嵐はきっと、彼女の言っていることを理解している。しかし雲嵐は、眉根に一本の皺すら刻まない。

 店の外に居た女性陣が、憂いを含んだ溜息を漏らす。揃いも揃って憐れみを含んだ視線を、雲嵐へと向けていた。

 障害を持った美男子は、彼女らにとって儚く美しいものに映るのだろうか。母性本能をくすぐられ、護りたい存在となるのだろうか。

「……馬鹿言え。阿呆か」
「ん? って、白兄さん!」

 明明の制止も聞かず、葉雪はどかどかと店の入口へと近付いた。
 戸口で固まっている女性らに「はいはい、店の入口で溜まらない」と言いつつ追い払う。

 雲嵐の席を見ると、女がちょうど胸元から手巾を取り出すところだった。
 手巾が雲嵐の額に伸びそうになったところで、葉雪は雲嵐の隣へとどかりと座る。
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