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第二章 執念の後、邂逅へ臨む
第36話 ほろほろと
しおりを挟む顔がかっと熱くなって、葉雪は足が痛んでいるのを忘れて階段を駆け上がろうとした。しかし激痛の為か、足が上がらない。
駆け上がろうとする身体と、止まる足。
全身の調和が乱れ、葉雪の身体の均衡は直ぐに崩れた。
身体を支えようと手すりに手を伸ばすが、足に力が入らず僅かに届かない。
身構えた瞬間、両肩をがっしりと掴まれた。
「……ったく、何してる」
「あ……。すま、ん……」
背後にいる鵠玄楚に目線を向け、葉雪は痛む足を浮かせた。
体勢を立て直してから、改めて鵠玄楚へ向けて頭を下げる。
「助かった」
「……足を痛めたのか?」
「いいや、別に」
小さく頭を振って踵を返し、何事もなかったように今度はゆっくりと階段を上る。
多少痛むが、言葉にしたところで治るわけではない。
階段を上り切ると、鵠玄楚は腕を組んで葉雪を見上げた。
「可愛くないやつだな」
「可愛くなくて良いだろ」
「愛想がない」
「文衛に必要か?」
適当に返しながら、葉雪はまた書物を選んでいく。
鵠玄楚の指定してきた書物は特に共通性が無く、彼が何を調べようとしてるのかを推測することは出来ない。
しかし渡した書物は真剣に読んでいる事から、適当に頼んでいる訳では無さそうだ。
いつの間にか卓へと戻っていた鵠玄楚の元から、書物の頁をはらりと捲る音が聞こえる。
「……昊穹自体は気に食わないが、歴史は興味深いな。人間だったお前らが司天帝から昊力を授かり、人間を加護する存在になって崇められ、傲慢になっていく様がありありと記されている」
「…………」
「否定しないのか?」
答えないまま、葉雪は奥の本棚へと足を向ける。
否定も肯定もするつもりはなかった。この手の事に関して口を出せる立場ではない。
階下から、今度は鵠玄楚の嘆息する声が聞こえた。
「無視とはいい度胸だ。……本当に可愛げが無いな」
(……確かに、一国の王に対する態度ではないかな……)
くすくすと忍んで笑いながら、葉雪は薄暗い本棚の間に入り込んだ。
鵠玄楚の目が届かない場所まで来ると、本棚を支えにしてそっと足の状態を確認する。
真っ赤に腫れた足首と、熱のせいで浮き上がった昔の傷痕。ここまで酷くなるのは珍しい。
見なきゃよかったと靴を履いていると、目の前に影が落ちる。
「何だその足は」
「……っ!」
すぐ背後にまで迫っていた鵠玄楚の気配に、葉雪はまるで気が付かなかった。その事が過度な反応を呼び、本棚を握っていた手に力が入る。
結果、寄りかかるような体勢になってしまい、棚からばさばさと冊子が滑り落ちた。
「……あ、しまった……」
「いいから、こっちに来い」
落ちた冊子には気も留めず、鵠玄楚は葉雪の手を引いた。
薄暗い本棚の隙間から引っ張り出され、窓がある場所へと誘導される。
近くにあった椅子へと座らされると、鵠玄楚は無言で葉雪の靴を引き抜いた。
雑な所作に痛みが走るが、一国の王に靴を脱がされるという焦りの方が大きい。
「お、っおい、なにす……」
「これは……古傷か? 腫れもこのせいか?」
「ん、ああ……」
「腱を断ち切られてしまえば、武官として終わったと同義だ。……どうしてまだ文衛なんかを務めている?」
(……どうして、と言われてもなぁ……)
腱を断ち切ったのは自分であるし、本当は文衛でもない。
適切な答えが見つからず、葉雪は仮面の中で視線をさ迷わせた。
目の前の鵠玄楚は眉根を引き絞って、不機嫌そうに舌打ちをする。
「……身体も小さい、痩せ過ぎ、体力はなく古傷持ち。明らかに不良品だろうが。……昊穹は何をしている? もしかしてお前だけじゃなく、文衛は皆そうなのか? 適切な扱いを受けているのか? 飯は食わせて貰っているんだろうな?」
「……食ってるよ……一応……」
不良品、という言葉に懐かしさを感じながら、葉雪は口端を吊り上げた。
目の前の鵠玄楚は苛立っているが、葉雪にそれをぶつけている訳ではない。彼はただ昊穹の問題点を指摘しているだけなのだ。
それにしても、美男の怒る表情というのは、なかなかの見応えである。
眉山が切り上がると、瞳と眉の距離も近くなる。彫りが深く見え、男前が増すから驚きだ。
仮面の下から思う存分観察していると、鵠玄楚は呆れたように嘆息する。
「まったく天上人は……本当に何も考えていないらしいな。国を回すのに必要不可欠なものは、第一に人材。そしてそれらには育成が必須だ。……昊穹人は『人手不足だ』と口癖のように言うが、人材を育てず呆けているだけだろう」
「……」
「また無言か……」
むっと唇を曲げて、鵠玄楚は再度大げさに嘆息した。そして懐に手を突っ込んで、中から小さな小瓶を取り出す。
見たことのある小瓶に、葉雪の胸が跳ねた。
「……痛みに効く軟膏がある。古傷に効くかは分からんが……動くなよ」
「……」
鵠玄楚が小瓶を傾けると、そこから軟膏がとろりと落ちる。それを受ける彼の指は、記憶にあるそれより随分と長い。
しかし800年前と寸分違わぬ光景に、喉の奥がひりひりと熱くなる。
軟膏を葉雪の足首へと塗りつけながら、鵠玄楚は至極面倒といった仕草で舌打ちを零す。
「こんな時でもだんまりか。………っ? お前……どうした?」
「…………え……?」
顎に何かを感じ、葉雪は口元に手を添える。すると、濡れている感触に自分でも驚いた。
頬から伝う涙が、後から後から流れていく。顎に集う涙は、自らの質量に耐えきれずほろほろと落ちた。
どうした、と問われても、葉雪には分からない。
しかし零れ落ちる涙は、まるで鵠玄楚にその存在を見せつけるように、零れることを止めない。
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