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第三章 黒羽の朧宮主
第47話 甘えが許される場所
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「でもな、瀾鐘。私は、昊穹から逃げたかったんだ。愛着があると言いながら、彼らから逃げた」
「……逃げた?」
「うん」
頷いて、葉雪は目の前の花畑へ視線を移す。
蝶が自由に跳び回っているのを見ると、どこまでも気持ちが穏やかになっていく気がした。
ここは昊穹ではない。だから葉雪の想いも、ここでは通じるかもしれない。
優しい瀾鐘ならば、きっと分かってくれるだろう。
小さく息を吐いて、葉雪は穏やかに微笑んだ。
「……情けないんだが、私はもう長くない」
ふよふよと漂う蝶を目で追っていて、葉雪は鵠玄楚の表情の変化に気付けなかった。
返事を返してくれない彼を疑問に思いながら、花から花へと移る蝶を、頬を緩ませながら見る。
ついでとばかりに口を開けば、昊穹の愚痴が零れだしてきた。
「もう随分前に、私の役目は終わっていてね。色々なことを急いたせいか、魂はぼろぼろなんだ。しかし昊穹の者らはまだまだ私を使いたがる。……私だって、彼らの力になりたいが、とうに限界は迎えている。……でも彼らは、説得しても聞きやしない。頭が堅い奴らばかりで困る」
「……そ……」
「うん?」
「……っうそだ……」
視線を鵠玄楚へ移せば、その表情は一変していた。顔は青ざめ、唇は小さく震えている。
「瀾鐘、どうした? 冷えたか?」
葉雪は鵠玄楚へ手を伸ばし、指先で頬へ触れる。冷やりとした温度が、指先に伝わって来た。
温めるように頬を包むと、鵠玄楚がまるで何かを乞うような表情へと変わる。
「………嘘だろう……!?」
鵠玄楚が、頬にあった葉雪の手を握り込む。その手は冷えているのに汗ばんでいて、葉雪は彼の顔を覗き込んだ。
その白くなった顔色を見て、葉雪は慌てて笑顔を繕う。
「いやいや、長くないとは言っても……天上人ほど長生きしないという意味だぞ? 今すぐ死ぬわけじゃない。恐らくあと数年は大丈夫だと思うが……」
「……す、数年?」
「ああ、恐らくな。通常なら、天上人は三千年以上生きるだろう? しかし私はもう駄目だ。……そもそも私という存在が、司天帝から与えられた期間限定の宝器みたいなものでね。壊れることが前提だから、仕方ないんだが……。余程使い勝手が良かったんだろう、使い倒されてしまった」
約千年もの間、葉雪は昊穹のため働いた。その無理が祟ったのか、今では魂と肉体両方とも、深刻な状況になっている。
天上人にとって昊黒烏は、正に強力な道具だった。それを急に取り上げられては、文句の一つも言いたいことは分かる。
しかし物には寿命が来る。使い方が荒ければ尚更、その寿命は短くなるだろう。
「もう先は短いと思ったら、ちょっと暇が欲しくなってね。……話しても無駄だから、逃げた、という訳だ。……私は物かもしれんが、なんせ意志があるからなぁ。最後ぐらい好き勝手したかったんだよ」
「……っ!」
手を引かれ、葉雪はそのまま鵠玄楚の胸へと倒れ込んだ。
痛いほど抱きしめられると、鵠玄楚の胸からどくどくと、早鐘を打つ心臓の鼓動が聞こえてくる。
「瀾鐘?」
「……っ」
「……? 泣いて、る?」
鵠玄楚の背を撫でると、その逞しい背中は震えていた。
*****
いつからだ。
鵠玄楚は混乱した思考を叱咤した。
葉雪を胸に抱きながら、幾つもの記憶を辿る。
塵竹に至るまでの人生で、昊黒烏の辛い表情など見たことがなかった。彼はいつも前を向いており、何の憂いも抱いていないように見えていた。
しかし塵竹の時だけは、昊黒烏から距離を置かれていて、彼の感情を窺う事が出来ていなかったように思う。
(……今思えば……昊黒烏が誰かに冷たくするなど、考えられない事だ……。もしかして塵竹に問題があった訳ではなく、何か他に理由があるのか……?)
鵠玄楚は葉雪の背中に腕を回し、薄くなった身体に問いかけた。
「……いつ、限界と悟った?」
「いつ……。そうだな、もう駄目だと思ったのは……塵竹という部下が死んだ時だ」
「っ……どうして?」
「色々あってね。その時に何もかも、ぽっきりと折れた」
深い息を吐いて、葉雪は鵠玄楚の胸へと更に凭れかかった。
身体全てを預けられているはずなのに、葉雪の重さはまったく感じない。
その軽さが、彼の深刻さを物語っている。
「……身体も、小さくなった……」
「うん。緑刑がな、思いのほか効いてしまったんだ。そのせいで肺がやられてしまった。これは私も予想外だったが……多分もう、肉体も限界だったんだろう」
言い終えると、胸の中の葉雪がくつくつと笑い出す。
「ああ、すまないな。瀾鐘が相手だと、私はすぐ甘えてしまう。年を取るとさ、身体がどうのこうの言いたくなるだろ? あれと思って、許してくれ」
「許すも何も……。あなたは甘えなさ過ぎだ」
「……っふ、そうかぁ? ……瀾鐘はほんと、優しいな……」
抱え込んでも腕が余るほどの、華奢な身体。それが一時的なものではないと分かると、途端に恐怖が襲ってくる。
適切な食事、そして療養すれば、また元の彼に戻ると思い込んでいた。
魂が受けた傷は、治癒することは無い。そして魂が弱れば、いずれ肉体も弱っていき、死に至る。
魂の死は、真の死である。崩れてしまえば、この世界から消えてしまう。
(……っふざけるな……! 絶対、許さない……)
誰がここまで追い詰めた。
そう問い詰めたいが、腕の中にある華奢な身体を前にすると、壊れそうで恐ろしかった。
『色々あって』と口にする彼の、表情が少し怯えていたのも気になる。
不屈の精神を持った昊黒烏。その心をへし折る、何か恐ろしい事があったのだろう。
しかしそれを、葉雪本人に聞くのは避けたかった。どれだけの傷が潜んでいるか計り知れない。
鵠玄楚はもう、葉雪を少しも傷つけたくなかった。何の憂いもなく、隣にいて欲しい。願いはそれだけだ。
鵠玄楚は腕に力を込め、葉雪の身体を更に抱き寄せる。
「……っ、あなたは、……頑張った。ほんとうに……頑張ったな……」
「……う、ん? ……頑張った? ……私が? ……なに、を?」
鵠玄楚に問いを投げかけながら、葉雪は言葉を所々詰まらせた。その身体からは、じんわりと少し高い体温が伝わってくる。
「あなたはもう、好きに生きていい」
「……すき、に……? すきって…………あぁ、瀾鐘……ねむ、い……」
「眠っていい。俺はもう少しここにいるから」
てんてんとあやすように脇腹を叩けば、葉雪の身体は徐々に力を失くしていく。
胸の中から安らかな寝息が聞こえると、鵠玄楚はその身体を抱いたまま立ち上がった。
「……逃げた?」
「うん」
頷いて、葉雪は目の前の花畑へ視線を移す。
蝶が自由に跳び回っているのを見ると、どこまでも気持ちが穏やかになっていく気がした。
ここは昊穹ではない。だから葉雪の想いも、ここでは通じるかもしれない。
優しい瀾鐘ならば、きっと分かってくれるだろう。
小さく息を吐いて、葉雪は穏やかに微笑んだ。
「……情けないんだが、私はもう長くない」
ふよふよと漂う蝶を目で追っていて、葉雪は鵠玄楚の表情の変化に気付けなかった。
返事を返してくれない彼を疑問に思いながら、花から花へと移る蝶を、頬を緩ませながら見る。
ついでとばかりに口を開けば、昊穹の愚痴が零れだしてきた。
「もう随分前に、私の役目は終わっていてね。色々なことを急いたせいか、魂はぼろぼろなんだ。しかし昊穹の者らはまだまだ私を使いたがる。……私だって、彼らの力になりたいが、とうに限界は迎えている。……でも彼らは、説得しても聞きやしない。頭が堅い奴らばかりで困る」
「……そ……」
「うん?」
「……っうそだ……」
視線を鵠玄楚へ移せば、その表情は一変していた。顔は青ざめ、唇は小さく震えている。
「瀾鐘、どうした? 冷えたか?」
葉雪は鵠玄楚へ手を伸ばし、指先で頬へ触れる。冷やりとした温度が、指先に伝わって来た。
温めるように頬を包むと、鵠玄楚がまるで何かを乞うような表情へと変わる。
「………嘘だろう……!?」
鵠玄楚が、頬にあった葉雪の手を握り込む。その手は冷えているのに汗ばんでいて、葉雪は彼の顔を覗き込んだ。
その白くなった顔色を見て、葉雪は慌てて笑顔を繕う。
「いやいや、長くないとは言っても……天上人ほど長生きしないという意味だぞ? 今すぐ死ぬわけじゃない。恐らくあと数年は大丈夫だと思うが……」
「……す、数年?」
「ああ、恐らくな。通常なら、天上人は三千年以上生きるだろう? しかし私はもう駄目だ。……そもそも私という存在が、司天帝から与えられた期間限定の宝器みたいなものでね。壊れることが前提だから、仕方ないんだが……。余程使い勝手が良かったんだろう、使い倒されてしまった」
約千年もの間、葉雪は昊穹のため働いた。その無理が祟ったのか、今では魂と肉体両方とも、深刻な状況になっている。
天上人にとって昊黒烏は、正に強力な道具だった。それを急に取り上げられては、文句の一つも言いたいことは分かる。
しかし物には寿命が来る。使い方が荒ければ尚更、その寿命は短くなるだろう。
「もう先は短いと思ったら、ちょっと暇が欲しくなってね。……話しても無駄だから、逃げた、という訳だ。……私は物かもしれんが、なんせ意志があるからなぁ。最後ぐらい好き勝手したかったんだよ」
「……っ!」
手を引かれ、葉雪はそのまま鵠玄楚の胸へと倒れ込んだ。
痛いほど抱きしめられると、鵠玄楚の胸からどくどくと、早鐘を打つ心臓の鼓動が聞こえてくる。
「瀾鐘?」
「……っ」
「……? 泣いて、る?」
鵠玄楚の背を撫でると、その逞しい背中は震えていた。
*****
いつからだ。
鵠玄楚は混乱した思考を叱咤した。
葉雪を胸に抱きながら、幾つもの記憶を辿る。
塵竹に至るまでの人生で、昊黒烏の辛い表情など見たことがなかった。彼はいつも前を向いており、何の憂いも抱いていないように見えていた。
しかし塵竹の時だけは、昊黒烏から距離を置かれていて、彼の感情を窺う事が出来ていなかったように思う。
(……今思えば……昊黒烏が誰かに冷たくするなど、考えられない事だ……。もしかして塵竹に問題があった訳ではなく、何か他に理由があるのか……?)
鵠玄楚は葉雪の背中に腕を回し、薄くなった身体に問いかけた。
「……いつ、限界と悟った?」
「いつ……。そうだな、もう駄目だと思ったのは……塵竹という部下が死んだ時だ」
「っ……どうして?」
「色々あってね。その時に何もかも、ぽっきりと折れた」
深い息を吐いて、葉雪は鵠玄楚の胸へと更に凭れかかった。
身体全てを預けられているはずなのに、葉雪の重さはまったく感じない。
その軽さが、彼の深刻さを物語っている。
「……身体も、小さくなった……」
「うん。緑刑がな、思いのほか効いてしまったんだ。そのせいで肺がやられてしまった。これは私も予想外だったが……多分もう、肉体も限界だったんだろう」
言い終えると、胸の中の葉雪がくつくつと笑い出す。
「ああ、すまないな。瀾鐘が相手だと、私はすぐ甘えてしまう。年を取るとさ、身体がどうのこうの言いたくなるだろ? あれと思って、許してくれ」
「許すも何も……。あなたは甘えなさ過ぎだ」
「……っふ、そうかぁ? ……瀾鐘はほんと、優しいな……」
抱え込んでも腕が余るほどの、華奢な身体。それが一時的なものではないと分かると、途端に恐怖が襲ってくる。
適切な食事、そして療養すれば、また元の彼に戻ると思い込んでいた。
魂が受けた傷は、治癒することは無い。そして魂が弱れば、いずれ肉体も弱っていき、死に至る。
魂の死は、真の死である。崩れてしまえば、この世界から消えてしまう。
(……っふざけるな……! 絶対、許さない……)
誰がここまで追い詰めた。
そう問い詰めたいが、腕の中にある華奢な身体を前にすると、壊れそうで恐ろしかった。
『色々あって』と口にする彼の、表情が少し怯えていたのも気になる。
不屈の精神を持った昊黒烏。その心をへし折る、何か恐ろしい事があったのだろう。
しかしそれを、葉雪本人に聞くのは避けたかった。どれだけの傷が潜んでいるか計り知れない。
鵠玄楚はもう、葉雪を少しも傷つけたくなかった。何の憂いもなく、隣にいて欲しい。願いはそれだけだ。
鵠玄楚は腕に力を込め、葉雪の身体を更に抱き寄せる。
「……っ、あなたは、……頑張った。ほんとうに……頑張ったな……」
「……う、ん? ……頑張った? ……私が? ……なに、を?」
鵠玄楚に問いを投げかけながら、葉雪は言葉を所々詰まらせた。その身体からは、じんわりと少し高い体温が伝わってくる。
「あなたはもう、好きに生きていい」
「……すき、に……? すきって…………あぁ、瀾鐘……ねむ、い……」
「眠っていい。俺はもう少しここにいるから」
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