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ラスティア国

84 レティシアという人3

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「…もう一度言ってくれるか、ルーク…」

「はい、殿下。レティシアがひったくりを捕えました」

「…………」

「泥棒の身柄を自警団に引き渡し、レティシアを邸へ送り届けましたので…ご報告をと」

「…はぁぁ…」


気の抜けたアシュリーの大きなため息が、執務室内に響く。

連日、穏やかで過ごしやすい天気が続くラスティア国。
今日が休日のレティシアは、初めて街へ出掛けていた。買い物をしたり、ケーキを食べるのだと…昨夜、うれしそうに話すのをアシュリーは聞いていた気がする。


「…レティシアの買い物リストには、泥棒の捕獲まで書いてあったのか…?」


執務机に両肘をついて手を組み、遠い目をしてそう呟くアシュリーの言葉を受けて、ルークは即座に『書いてございません』と答える。



    ♢



「…では、調書だ何だと今まで自警団に?…せっかくの休みを。レティシアに、当然怪我はないな?」

「はい、無傷です。怪我をしたのは、泥棒のほうです」


ロザリーと、ルークを含む護衛二人を連れて街の雑貨店を見て回ったレティシアは、その後“シャペル”という有名ケーキ店の前で、老婦人が手持ちのカバンをひったくられる事件に遭遇した。


「他の護衛に後を任せて、私は泥棒を追いかけたのですが…」


『あの泥棒を追って!』と、レティシアに背中をドンと押されて走り出したルーク。
悪いことはできないもので…ルークに追われて逃げる泥棒は、偶々向かい側から歩いてきた見回り中の街の自警団に見つかってしまう。

慌てて横道へと入り込み、派手に周りの物を蹴散らしながら逃げ惑う泥棒。…の前に、細い路地を横切って道をショートカットしたレティシアが、突然現れる。

挟み打ちのつもりか?!と、ルークがギョッとしていると…レティシアはその場に座り込んだ。


「…しゃがんだと思ったら、走って横を突っ切る泥棒の足元をですね…レティシアが、こう…つま先でチョイと引っかけた風に見えました」


ルークは、足を横に伸ばして小さく蹴る仕草をしてみせる。
実際は、泥棒の隙を突いて勢いよく薙ぎ払ったように見えたルークだが、ここでレティシアのワイルドさを誇張する必要はないと思い…黙っていた。

見事な顔面スライディングをした泥棒は、一瞬の出来事で何が起きたのか分かっていないだろう。


「簡単にできそうで、そう上手くはいかないぞ」

「動体視力がいいんでしょう。その後は、私が追いついて、道に転がった泥棒を捕縛しました」

「今回は愚鈍なひったくり犯だからよかったものの…いくら怪我をしないとはいえ、無茶が過ぎるな」

「同感です」


周りで見ていた市民たちは、大捕物に拍手喝采。ルークは、若干泥棒が気の毒にすら思えた。

衣装部で作って貰った真新しいトラウザーズに付着した泥をブツクサ言いながら叩くレティシアは、そんなルークの“ジト目”に全く気付く気配がない。
それどころか、自警団とやり取りをするルークを放置してロザリーの手を握りケーキ店に向かおうとする。
ルークは、それはもう必死で止めた。


「よく…諦めさせることができたな」

「レティシアは、うちの可愛い妹にめっぽう弱いので」


なるほど…と、アシュリーは苦笑する。


「隣の部屋にゴードンたちがいるはずだ。その店のケーキを、レティシアに届けるよう伝えておけ。ロザリーと一緒に食べるのを、とても楽しみにしていたからな」

「はい」




──────────




「殿下。お疲れ様です」

「大公殿下」


いつもより少し早い時間にレティシアの部屋を訪れたアシュリーを、レティシアとロザリーが揃って出迎えた。


「殿下、今日は“シャペル”の美味しいケーキをありがとうございました。とってもうれしかったです!」

「側仕えの私にまでお心遣いを賜り、大公殿下に心よりお礼申し上げます」


ロザリーは、扉に近い部屋の隅で…アシュリーとは少し距離を取って深く頭を下げる。


「二人に喜んで貰えたのなら何よりだ。ロザリー、レティシアのためにいつもありがとう。困っていることはないか?」

「ちょ…ちょっと、殿下」

「レティシア様は、私たち兄妹に気さくに接してくださいます。困ることなど全くございません、どうぞご安心くださいませ。毎日お側にお仕えできて、とても幸せです」

「…ロザリーったら、大袈裟だわ…」

「そうか。これからも頼んだよ」


ロザリーは『畏まりました』と答えて、速やかに部屋を出て行った。



    ♢



「さて、レティシア」

「…はい…」


アシュリーは、ロザリーがテーブルに準備していたポットから紅茶をカップに注ぐと…レティシアをソファーに座らせる。


「私は、君が間違ったことをしたとは思っていない。ひったくり現場を見たら、私も追いかけるだろうからね。ただ…魔術で守られていると分かっていても、君が心配で堪らない」

「申し訳ありません…ルークにも、かなり叱られました」


自警団から邸に戻るまでの間、レティシアは馬車の中でルークから長いお説教を受けた。


(後半は、私に対するルークの愚痴だったわよねぇ)


『俺が殿下に殺されてもいいのか?!』と叫ぶルークを、ロザリーが生温かい目で見ていた気がする。


「ルークが?まぁ…それならいい。話を聞いた時は、驚いて寿命が縮むかと思ったよ」

「縮んじゃいました?」


レティシアは紅茶を一口飲んで、怒るというより…困った表情のアシュリーをチラリと横目で見る。


「…うん」

「…すいません…」

「本当に困った人だ」


そう言って、アシュリーは隣に座るレティシアを後ろからスッポリと包み込む。腰を引き寄せ身体の隙間を埋めてピタリと密着させると、レティシアの後頭部に頬を寄せた。


(爽やかな香り。いつもより…優しく香ってる…)


アシュリーを癒やすために始めた“毎日の触れ合い”のはずが、いつの間にか…彼の体温を肌で感じるレティシアにも安心感を与えつつある。


「秘書官として私の側について、もうすぐ一ヶ月だ。本当によくやってくれている。そろそろご褒美が必要だな。…何でもいい、欲しいものを言ってみて?」

「…ご褒美…」


『何でも?』と、レティシアはアシュリーを見上げて…長い睫毛を数回パタパタと瞬かせた。
アシュリーはミルクティー色の柔らかな髪に優しく口付けると、レティシアを腕の中からそっと解放する。


「それなら、公爵夫人の武術教室に通ってみたいです」

「武術教室?」

「殿下に、ご心配をかけないように…泥棒を捕まえられるくらい強くなります」

「…強く?」

「はい」

「………どうやら、の意味が異世界とは違うらしいな…」



レティシアは、現状に胡座をかくタイプではなかった。











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