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第10章
146 罪3
しおりを挟む街中から少し外れた場所にある、小さな宿場町。
昔に比べると主要な道としてあまり利用されていない寂れた街道沿いには、格安を売りにした宿屋が数件立ち並び、雑貨屋に混じって食事や酒を提供する飲食店がいくつか点在していた。
「いらっしゃい!…お客さん、お一人かい?」
夜遅く、ジュリオンは大衆酒場の一軒に足を踏み入れる。王宮から追放され、パーコット男爵家も見放した元王子フィリックスがいつもこの界隈で飲んだくれていると知り、その落ちぶれた姿を見届けるためだった。
「…あぁ…」
「じゃあ、あちらの一番奥の席へどうぞ!」
お世辞にも綺麗とは言い難く客層もよくないが、狭い間口の割に奥行きが広い店内は七割の席が埋まっていて、その繁盛ぶりに驚く。
席へ向かう途中で辺りを見回せば、テキパキと働く女将と、男性客を相手に蠱惑的な笑みを振りまく…ムッチリと肉付きのいい若い女性の給仕係二人が目に映る。
「…なるほど…」
ジュリオンは外套のフードを深く被ったまま、店の隅に置かれた背もたれのない丸椅子を壁へ軽く押しつけて腰掛けた。店内には鋭い目つきをした顔や腕に傷のあるガラの悪そうな輩が数人いる。刺激しないよう、己の行動に細心の注意を払う。
「お客さん、何を飲みます?」
「では…エールを」
目的の男を探して、三軒目の店で三杯目のエールを注文した。こういった人の出入りが激しい飲食店では、客が酩酊しても酒代がうやむやにならずに済むよう代金先払い制が多い。
絶妙なタイミングで注文を取りに来た女将に、ジュリオンは銅貨を一枚差し出す。
「ソ二ア!…こっちにエールを一杯!」
「それから、悪いが…預けた馬に水を頼めるか?」
「馬?…お客さん、旅の人かい?」
旅人は馬と荷物を宿に預けて来ることがほとんどで、道中に食事だけという場合でも同伴者や多少の手荷物があるのが普通。どちらにも当てはまらない…馬を連れた手ぶらの一人客を見定めようとする女将にチップをこっそり手渡すと、口元を緩めて銀貨をポケットへ仕舞う。銀貨は一枚で銅貨十枚分だ。
「いいよ、馬は下男に世話をさせておこう」
「よろしく」
「…つまみはサービスしとくよ」
女将がジュリオンに耳打ちをしたその時、店の中央で客の一人が突然大声で喚き出した。
「うぉい!酒を出せ!!」
「もうやめなって」
「うるひゃい!」
酒に酔って呂律が回らず半ばテーブルに突っ伏した状態の男性客に絡まれ、給仕係の女性が面倒臭そうにしている。
薄汚れたシャツを着た客の背中側がジュリオンの席から丁度よく見えていた。寝ぼけたような動きで側に立つ給仕係の女性の尻を撫でようとしてあえなく失敗し、銅貨をテーブルに投げつけて再び騒ぐ。
「エールをくれぇ!」
「お客さん飲み過ぎ」
「指図するな!私は…お前らとは違うんだぁ!!」
「はいはい…ったく、大人しく寝てりゃいいのに」
酒場ではよくある光景なのか、ガヤガヤと賑わう店内でほんの一瞬だけ人目を引いた出来事だったが、ジュリオンの視線はその男に釘付けだった。
『…フィリックス…』
後ろ姿だけなら分からなかったかもしれない。レティシアが残した映像の音声と似た怒鳴り声を耳にした瞬間、ハッと気付いてその憎き名を呟く。
元王子はボサボサに伸びた艶のない髪を無造作に束ねた酷い有り様。寧ろ、この雑然とした環境に呆気なく埋もれ過ぎていて、フィリックスが王族の品格を持ち合わせていなかったことがよく分かる。
酒を飲み、女を弄り、傍若無人な振る舞いをし、食欲も性欲も…勝手気ままにどこまでも貪欲に満たそうとする卑しい姿は追放以前と何ら変わりがなく、ジュリオンは反吐が出そうだった。
命ある限り、目の前の愚かな男はこうして生き続けていくのだと…それが堪らなく許せない。この世を去ったレティシアを想い、心の底から怒りが湧き上がったジュリオンは両手を硬く握り締める。
「チッ!また始まっちまったよ…道楽者が」
「………よく来る客か?」
「ここいらじゃ、あの酒飲みを知らない店はないよ。金払いがいいから断りはしないけどね、週に三度はどこでもあんな風だ。大きな声じゃ言えないが…最近、ちょっとばかし胡散臭い奴らまで来るようになって、店の雰囲気が悪くてすまないね。うちも商売だからさぁ~」
「…胡散臭い…」
チップを弾んだせいか、女将は気軽に雑談に応じた。
「…ここは宿場町だ…いろんな客がいるだろう」
「そりゃねぇ…けどさ、あの酒飲みには奥さんが…これがまた、鬼みたいな形相で店へ迎えに来るんだけど、こっちには頭も下げやしない非常識な女。夫婦でどっか近くに住んでんじゃないのかい。酔うと『私は王子だ』とか言い出すし、頭オカシイんだよ」
「はーい!エール、お待たせ!…女将さん、アイツいっつもアタシのオッパイ触ろうとしてくる!ホント嫌な客。元貴族ってならまだ分かるけど、あんな小汚い王子様はいないでしょ?!…ホラ吹きって何か罪にならないの?」
そう悪態をついてせせら笑うソ二アという若い給仕係は、身体を覆う布地が非常に薄く肩や背中が丸見えで露出度の高い装いをしている。好きでそれを身に着けているかどうかはジュリオンの知るところではないが、肉感的で立派な胸の中心が布を押し上げて揺れていれば…酒の力を借りて手を出そうとする男がいても不思議はなく、酒場での客寄せには十分だった。
「泥酔した客の相手は、大変だな」
「酔っ払いをあしらうのも、仕事の内なんだけどね~」
「…そういえば、勘当された王子が一人いるらしいと、近くの店で誰かが言っていたな…」
「えっウソ!まさか、アイツがその王子?!…確かに、偉そうな態度だし…働いてないのにお金に困ってなさそうだなぁって、アタシずっと変に思ってたのよ。あれは女絡みで縁を切られたってとこね~」
「さぁ…どうだろうか」
大袈裟なくらいに表情豊かなソニアは、身振り手振りを使って話を盛り上げるのが上手く客受けがいい女性に見える。
本人が言えば嘘となる話も、他人の口添え一つで真実味が増す。ジュリオンは曖昧な表現で情報をわずかに漏らしただけ。噂とは、こうして想像を膨らませながら人伝てに広まっていくのだ…信憑性など大して重要ではない。
「ソニア、もうそれくらいにして…ほら、こちらのお客さんにナッツでも持って来な」
「はぁ~い」
「お客さん、ごゆっくり」
仕事にも就かず、週に何度も酒を飲むフィリックス。
おそらく、男爵家は厄介者を追い出した後も、金銭的に支援し続けているのだとジュリオンは思った。酒場の給仕係に多少雑な扱いを受けたところで、援助を受けている平民暮らしでは生きる気力まで奪い去れない。
口に含んだ三杯目のエールは、やたらと苦味が強かった。
──────────
──────────
「…何ということだ…」
クロードが騎士団へ要請を出した盗賊の討伐が無事に行われ、ホッとしていたのも束の間…盗賊団の中から、フィリックスとアンナが見つかったという知らせが届く。
騎士団からの報告書によれば、先に身元が判明したのはアンナ。隠れ家の一室に下着姿で閉じ込められていた女性たちが最初に保護されたからだ。そして、神経衰弱状態のアンナの口から『元王子フィリックスが狙われ、金品を盗まれて攫われた』という証言が出る。
その後、フィリックスの容姿を知る騎士が尋問を待つ盗賊たちで埋まる牢屋の中から見つけ出したのは、冷たい石壁に張りつくようにして怯え、傷だらけで痩せこけた一人の男だった。
♢
「報告書ですか?私にも見せてください」
「…っ…ジュリオン…」
いつの間に執務室へ来たのか?近ごろ少し顔色のよくなったジュリオンが、上から覗き込むようにして立っていたことにクロードはドキリとする。
「あ…あぁ、構わないが」
パラパラと…内容を手早く確認するジュリオンの手の動きが、報告書の最後で不意に止まった。そこには、盗賊たちの名前や絵姿が詳しく載っている。
「…やはり…」
身体的な特徴から、宿場町の酒場で見かけた“胡散臭い客”が盗賊団の一味であるとジュリオンは確認した。情報交換や連絡場所、或いは獲物を狙って酒場を利用することはよくある。
「ぅん、何だ?」
「いえ…解決してよかったですね」
ジュリオンは穏やかに微笑んでそう言うと、何か言いたげな顔のクロードを残し…サッと執務室を出た。
────────── next 147 二人きりの夜
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