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消えた皇子のゆくえ
睡蓮の池1
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枯れ葉舞う秋の日。明日はいよいよ展覧会である。
姫棋と木蓮は、展覧会に出展する絵を会場に運んでいるところだった。
姫棋は隣を歩く木蓮の顔をこっそりのぞいてみる。久しぶりに会った木蓮は最初少しよそよそしい気がしたが、すぐにいつもの嫌味節に戻った。
「さすがに人も減って来たな」
木蓮が辺りを見回しながらつぶやく。
今日は多くの者が展覧会の準備で宮城内をせわしなく駆けまわっていた。
展覧会の開催期間中は、国内外から多くの美術品が集められ、さらに美術品の展示だけでなく、茶会や歌詠み、夜には毎晩宴が催されるのである。官吏も、侍女や宮女たちも、それぞれそ準備に追われていた。
ただ、さすがに亥の刻ともなれば、通りを歩く人もほとんどいない。
二人は、わざとその時刻をねらって作業を開始したのだった。せっかく偽名で出展するのだから姿を見られては意味が無いのである。
「ここが会場かあ」
そうつぶやきながら姫棋は目の前に佇む宮殿を見上げた。普段は祭事に使われている宮殿というだけあって隅々まで手の込んんだ装飾が施されている。
二人は裏口からその宮殿の中に入って階段を登り大広間へと進む。
自分の作品を展示する場所を確認して、運んできた荷を下ろした。
絵は、二枚。
一つ目の包みに入っているのは、泉に浮かぶ睡蓮の絵だ。
睡蓮というのは朝に花が開き、夕方になると閉じて蕾に戻る。
絵の中の睡蓮は、朝靄のなか花を開き始めたところであった。
木蓮は絵を壁にかけてくれる。そして、少し離れてその絵を見つめていた。
睡蓮は極楽浄土にも咲くと言われる花である。だからなのか多くの作品で描かれる睡蓮は、ふわっと優し気に描かれていることが多い。しかし姫棋はその花を、花弁の肉感が分かるほどに生々しく力強く描いた。
これは極楽に咲く睡蓮ではない。宮廷の池に浮かんでいたものだ。姫棋にはそれが、ここで生きる人々のように見えたのである。
「君の絵は、いつもこう、強烈に心に訴えてくるな」
木蓮がぼそりとこぼした。
「そうかな」
とつぶやきながら姫棋は二枚目の包みを開ける。
二枚目の絵は、働く宮女たちの様子が描かれていた。
夕陽が差し込む厨。薄汚れたお仕着せに身を包んだ宮女たち。煌びやかな後宮の、その裏側。
絵画としては珍しい題材《モチーフ》である。
他に展示されている絵は、そのほとんどが宗教的な一場面を描いたものや、夏后国の歴史を煌びやかに描いた絵、もしくは上流階級の人々を描いたものばかり。
普通、労働者は絵の題材になることはないのだ。
それでも姫棋がこの題材を選んだのは、一つの挑戦であった。
身分の低いもの、特に働く女を取り上げた絵が、この国でどれくらい受け入れられるのか知りたかったのである。おそらく姫棋の生まれ育った国でこんな絵を発表したら非難の的になっただろう。公の場に展示するものではないと。
しかしこの夏后国は女の官吏もいる国だ。そんな国ではひょっとすると反応も違うのではないか。
姫棋は今回の展覧会を、自分の名を売るというよりは実験的な意味でとらえていたのである。
一方、木蓮はというと二枚目の絵を壁に取り付けてくれたあと、またそれを食い入るように眺めていた。
(木蓮は芸術なんて分からないって言うけど)
そうでもないんじゃないか、と姫棋は思った。
これは自分の絵を気に入ってくれたから見る目があるとか、そういうことではない。
そもそも絵画に興味を持つ時点で、芸術に込められたものを受け取る感性があるのだ。
絵は人と人をつなぐ架け橋の一つ。
この世には、その橋を渡れる人とそうでない人がいる。
それは良い悪いではない。自分に合っているかどうかなのだ。
(わたしは彼に初めて会ったとき)
芸術の橋を架けた。その橋を、木蓮は渡ってきてくれた。
(もし叶うなら)
木蓮が架けた橋も渡ってみたいものである。
その橋の向こうにある世界は、どんな色をしているだろうか。
姫棋と木蓮は展覧会の準備を終え、宮殿の外に出てきた。
時刻は子の刻半ごろだろうか。辺りに人は見当たらない。
「いやあ、やりきった」
姫棋は空に向かって両手をのばした。
宮女の仕事をこなしながら、作品を二つ描くというのはなかなかに骨の折れる作業だった。
「お疲れ様」
木蓮がぼそりと言った。姫棋はニヤリとほくそ笑む。
「今から前祝いといこうか」
そう言って、姫棋は背負って来た風呂敷から壺を取り出す。その壺の栓を、きゅぽんと抜いて木蓮にぐいと押し付ける。
木蓮はそれを受け取って中に入ってるものの匂いをかいだ。
「酒を持ってきたのか」
「だって、やっと絵が完成して手を離れたんだから。これくらいいいでしょ」
明日から忙しくなるし、と姫棋は口を尖らせた。
展覧会の開催期間中は地方から賓客が呼ばれ、市井からも人が入って来る。そういった人たちをもてなすため、宮女は普段以上に忙しくなるのだ。
祭りだと浮かれてはいられないのである。
「分かったよ。付き合ってやる」
木蓮が肩をすくめると、姫棋はさっそく酒を一口含んで言った。
「今日は暖かいし、外で飲もう。夜の蓮を見に行くよ」
姫棋と木蓮は、展覧会に出展する絵を会場に運んでいるところだった。
姫棋は隣を歩く木蓮の顔をこっそりのぞいてみる。久しぶりに会った木蓮は最初少しよそよそしい気がしたが、すぐにいつもの嫌味節に戻った。
「さすがに人も減って来たな」
木蓮が辺りを見回しながらつぶやく。
今日は多くの者が展覧会の準備で宮城内をせわしなく駆けまわっていた。
展覧会の開催期間中は、国内外から多くの美術品が集められ、さらに美術品の展示だけでなく、茶会や歌詠み、夜には毎晩宴が催されるのである。官吏も、侍女や宮女たちも、それぞれそ準備に追われていた。
ただ、さすがに亥の刻ともなれば、通りを歩く人もほとんどいない。
二人は、わざとその時刻をねらって作業を開始したのだった。せっかく偽名で出展するのだから姿を見られては意味が無いのである。
「ここが会場かあ」
そうつぶやきながら姫棋は目の前に佇む宮殿を見上げた。普段は祭事に使われている宮殿というだけあって隅々まで手の込んんだ装飾が施されている。
二人は裏口からその宮殿の中に入って階段を登り大広間へと進む。
自分の作品を展示する場所を確認して、運んできた荷を下ろした。
絵は、二枚。
一つ目の包みに入っているのは、泉に浮かぶ睡蓮の絵だ。
睡蓮というのは朝に花が開き、夕方になると閉じて蕾に戻る。
絵の中の睡蓮は、朝靄のなか花を開き始めたところであった。
木蓮は絵を壁にかけてくれる。そして、少し離れてその絵を見つめていた。
睡蓮は極楽浄土にも咲くと言われる花である。だからなのか多くの作品で描かれる睡蓮は、ふわっと優し気に描かれていることが多い。しかし姫棋はその花を、花弁の肉感が分かるほどに生々しく力強く描いた。
これは極楽に咲く睡蓮ではない。宮廷の池に浮かんでいたものだ。姫棋にはそれが、ここで生きる人々のように見えたのである。
「君の絵は、いつもこう、強烈に心に訴えてくるな」
木蓮がぼそりとこぼした。
「そうかな」
とつぶやきながら姫棋は二枚目の包みを開ける。
二枚目の絵は、働く宮女たちの様子が描かれていた。
夕陽が差し込む厨。薄汚れたお仕着せに身を包んだ宮女たち。煌びやかな後宮の、その裏側。
絵画としては珍しい題材《モチーフ》である。
他に展示されている絵は、そのほとんどが宗教的な一場面を描いたものや、夏后国の歴史を煌びやかに描いた絵、もしくは上流階級の人々を描いたものばかり。
普通、労働者は絵の題材になることはないのだ。
それでも姫棋がこの題材を選んだのは、一つの挑戦であった。
身分の低いもの、特に働く女を取り上げた絵が、この国でどれくらい受け入れられるのか知りたかったのである。おそらく姫棋の生まれ育った国でこんな絵を発表したら非難の的になっただろう。公の場に展示するものではないと。
しかしこの夏后国は女の官吏もいる国だ。そんな国ではひょっとすると反応も違うのではないか。
姫棋は今回の展覧会を、自分の名を売るというよりは実験的な意味でとらえていたのである。
一方、木蓮はというと二枚目の絵を壁に取り付けてくれたあと、またそれを食い入るように眺めていた。
(木蓮は芸術なんて分からないって言うけど)
そうでもないんじゃないか、と姫棋は思った。
これは自分の絵を気に入ってくれたから見る目があるとか、そういうことではない。
そもそも絵画に興味を持つ時点で、芸術に込められたものを受け取る感性があるのだ。
絵は人と人をつなぐ架け橋の一つ。
この世には、その橋を渡れる人とそうでない人がいる。
それは良い悪いではない。自分に合っているかどうかなのだ。
(わたしは彼に初めて会ったとき)
芸術の橋を架けた。その橋を、木蓮は渡ってきてくれた。
(もし叶うなら)
木蓮が架けた橋も渡ってみたいものである。
その橋の向こうにある世界は、どんな色をしているだろうか。
姫棋と木蓮は展覧会の準備を終え、宮殿の外に出てきた。
時刻は子の刻半ごろだろうか。辺りに人は見当たらない。
「いやあ、やりきった」
姫棋は空に向かって両手をのばした。
宮女の仕事をこなしながら、作品を二つ描くというのはなかなかに骨の折れる作業だった。
「お疲れ様」
木蓮がぼそりと言った。姫棋はニヤリとほくそ笑む。
「今から前祝いといこうか」
そう言って、姫棋は背負って来た風呂敷から壺を取り出す。その壺の栓を、きゅぽんと抜いて木蓮にぐいと押し付ける。
木蓮はそれを受け取って中に入ってるものの匂いをかいだ。
「酒を持ってきたのか」
「だって、やっと絵が完成して手を離れたんだから。これくらいいいでしょ」
明日から忙しくなるし、と姫棋は口を尖らせた。
展覧会の開催期間中は地方から賓客が呼ばれ、市井からも人が入って来る。そういった人たちをもてなすため、宮女は普段以上に忙しくなるのだ。
祭りだと浮かれてはいられないのである。
「分かったよ。付き合ってやる」
木蓮が肩をすくめると、姫棋はさっそく酒を一口含んで言った。
「今日は暖かいし、外で飲もう。夜の蓮を見に行くよ」
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