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6.最終話.
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「会う」と「逢う」の間には隔たりがある。
「貴方が具合を悪くしたからと云って彼女の罪は軽減されませんよ」
憎たらしい事を言う男に反発したかったが結局、私は彼に世話になる事になってしまった。風呂に入る入らない、怪我の処置をするしない、を通り越して、そのまま探偵の家に居続けた。
何故なら、そのまま倒れてしまったからだ。
ぐらりと世界が揺れて誰かに受け止められる。
雨と疲労とストレスで、私は高い熱を出した。
高熱で身動き出来なくなり、帰ったところでお隣は殺人事件の現場だ。ゆっくり寝てるなんて出来ないに違いなかった。
このまま世界が滅んでしまえば良いのに。そんな事を考える、自己陶酔してる自分に心底ウンザリしてても、良い環境と優しい人たちは否応なく私を健康にする。
回復する頃には全て終わっていた。
私の部屋にも捜査令状が取られた。部屋に警察が入って良いか聞かれたが、被疑者なのだから遠慮なんかしなくて良いのに、と高熱の中でも私は可愛げのない事を思っていた。
当たり前だが、私の部屋からはルミノール反応等は出なかったので、何のお咎めもなかった。
熱が下がってから、刑事が聴き取りに来た。
一応と云う程度のものだった。
一度部屋に帰ったが、他人の入った気配はしたものの、警察によって荒らされた雰囲気はなかった。規制線もなかったが住む気にならず、彼が申し出てくれた事もあって、そのままなし崩しで何故だか彼の家で世話になっている。
◇◆◇◆◇◆
青い空はムカつくぐらい眩しく晴れていた。 寒かったのはあの日だけで、次の日からまた少し暖かくなった。今日も秋口の過ごし易い一日だ。
何日か過ぎて倒れる前より健康になって私は、橋の上から、あの日は濁流であったろう、穏やかで清らかな川の流れを眺めていた。
川の底が見える。
水飛沫がきらきら、光を反射している。
人がやって来たのが目の端に見えて、ムカつきが増す。
「飛び込んだりなんかしませんよ」
探偵は距離を取って立ち止まった。
「一度泣いた方が良いですよ」
涙なんか出ない。
「また自分にそんな権利はないとか、考えてもしょうがない事考えてないですか。
家族も居たのに、貴方にそんな責任はないとか言って欲しいですか? 貴方はそんな事望まないでしょう」
本当にムカつく男だ。落ち込む暇もない。
彼女を尾け始めて何回目でこの男に会っただろう?
それから幾日も経ってない。
やはり世間では汚職事件の方に重きを置かれていて彼女の事は報道されなかった。
「彼女が貴方に謝りたいそうですよ」
迷惑を掛けたと云う事らしい。
「何で?」
意味が分からず訊き返す。
何の救けにもならなかったのに。彼女を救けようとした事も彼女は知らないだろうが、隣で殺人事件なんか起こったらショックだろうと思ってるのか。
「まだこれからですよ」
「え?」
本当に言ってる意味が分からなくて、探偵の顔をしげしげと見詰める。
彼は嫌味な感じではなく笑う。
「彼女が付き合ってた男から暴力を受けてたのは知ってるでしょう? 情状酌量の余地有りと判断されるのは間違いありません。
死体をバラバラにした事については、あれは一見残忍な行為に見えますが、自分のした事から目を背けたい、あった事をない事にしたい願望の表れであったりしますので。目の前の酷い現実から目を背けたいと云う、ね。それが認められれば、意外に早く出て来れるかもしれません」
私は大きく息を吸い込んだ。
「また会えるの?」
「会えますよ。今はまだ無理かもしれませんが、もう少ししたら面会も許されるでしょう」
「……会いに行っても良い?」
「彼女は謝りたいと言ってるみたいですからね」
謝りたいのは私の方。
「貴方が彼女を救けたいと思ってた事も彼女は知らないでしょう。それを言えば良い」
「え?」
「ただ隣に住んでただけなのに、迷惑と思うどころか、救けられなかった事を後悔してるなんて。気に掛けてくれてた事を知るだけで嬉しいと思うと思いますよ。自分のした事を益々後悔するでしょうが」
涙が溢れ出した。
溢れ出すととめどない。
涙で光が反射されて空が益々眩しい。
「やっと泣きましたね。独りの時も泣いてなかったのではないですか」
そう云えばそうかも知れない。
ぐちゃぐちゃになりながらどうして探偵の真似事なんてしてるのか訊いた。ちゃんと言葉になってなかったが言いたい事は推察してくれた。
「私も救たかった人がいたのです。
傲慢ですね。
救えなかった私を救いたいのかも知れません」
「探偵」は少し笑って答えた。
私は甘やかされる方じゃなく、何時か甘やかす方になりたいのだ。
救けられるばかりじゃなく、救ける方に。
「感謝なんかされないかも知れませんよ」
彼に対する私の態度を思い出し、憮然とする。
でもまだ謝れない。彼もそんなこと望んでない。
私はまた多分間違うのだろう。ヘッドフォンで大音量で音楽を聴くのも止めないだろうし、親しくなりたい人にこちらから声を掛けるのも難しいと思う。
大事な事は後で気付くだろうし、人の目を気にして人に優しくも出来ないかも知れない。
自分が悪者になって相手を元気付けようなんて一生出来ない。
私はつくづくと、目の前の「探偵」を見る。
名前を聞く事も億劫に感じてしまう。
川に穢れを流す。
橋に会いに行く。
此岸と彼岸の間に横たわる。
此岸と彼岸を繋ぐ場所。
私は彼女の名前さえ知らなかった。
〈了〉
「貴方が具合を悪くしたからと云って彼女の罪は軽減されませんよ」
憎たらしい事を言う男に反発したかったが結局、私は彼に世話になる事になってしまった。風呂に入る入らない、怪我の処置をするしない、を通り越して、そのまま探偵の家に居続けた。
何故なら、そのまま倒れてしまったからだ。
ぐらりと世界が揺れて誰かに受け止められる。
雨と疲労とストレスで、私は高い熱を出した。
高熱で身動き出来なくなり、帰ったところでお隣は殺人事件の現場だ。ゆっくり寝てるなんて出来ないに違いなかった。
このまま世界が滅んでしまえば良いのに。そんな事を考える、自己陶酔してる自分に心底ウンザリしてても、良い環境と優しい人たちは否応なく私を健康にする。
回復する頃には全て終わっていた。
私の部屋にも捜査令状が取られた。部屋に警察が入って良いか聞かれたが、被疑者なのだから遠慮なんかしなくて良いのに、と高熱の中でも私は可愛げのない事を思っていた。
当たり前だが、私の部屋からはルミノール反応等は出なかったので、何のお咎めもなかった。
熱が下がってから、刑事が聴き取りに来た。
一応と云う程度のものだった。
一度部屋に帰ったが、他人の入った気配はしたものの、警察によって荒らされた雰囲気はなかった。規制線もなかったが住む気にならず、彼が申し出てくれた事もあって、そのままなし崩しで何故だか彼の家で世話になっている。
◇◆◇◆◇◆
青い空はムカつくぐらい眩しく晴れていた。 寒かったのはあの日だけで、次の日からまた少し暖かくなった。今日も秋口の過ごし易い一日だ。
何日か過ぎて倒れる前より健康になって私は、橋の上から、あの日は濁流であったろう、穏やかで清らかな川の流れを眺めていた。
川の底が見える。
水飛沫がきらきら、光を反射している。
人がやって来たのが目の端に見えて、ムカつきが増す。
「飛び込んだりなんかしませんよ」
探偵は距離を取って立ち止まった。
「一度泣いた方が良いですよ」
涙なんか出ない。
「また自分にそんな権利はないとか、考えてもしょうがない事考えてないですか。
家族も居たのに、貴方にそんな責任はないとか言って欲しいですか? 貴方はそんな事望まないでしょう」
本当にムカつく男だ。落ち込む暇もない。
彼女を尾け始めて何回目でこの男に会っただろう?
それから幾日も経ってない。
やはり世間では汚職事件の方に重きを置かれていて彼女の事は報道されなかった。
「彼女が貴方に謝りたいそうですよ」
迷惑を掛けたと云う事らしい。
「何で?」
意味が分からず訊き返す。
何の救けにもならなかったのに。彼女を救けようとした事も彼女は知らないだろうが、隣で殺人事件なんか起こったらショックだろうと思ってるのか。
「まだこれからですよ」
「え?」
本当に言ってる意味が分からなくて、探偵の顔をしげしげと見詰める。
彼は嫌味な感じではなく笑う。
「彼女が付き合ってた男から暴力を受けてたのは知ってるでしょう? 情状酌量の余地有りと判断されるのは間違いありません。
死体をバラバラにした事については、あれは一見残忍な行為に見えますが、自分のした事から目を背けたい、あった事をない事にしたい願望の表れであったりしますので。目の前の酷い現実から目を背けたいと云う、ね。それが認められれば、意外に早く出て来れるかもしれません」
私は大きく息を吸い込んだ。
「また会えるの?」
「会えますよ。今はまだ無理かもしれませんが、もう少ししたら面会も許されるでしょう」
「……会いに行っても良い?」
「彼女は謝りたいと言ってるみたいですからね」
謝りたいのは私の方。
「貴方が彼女を救けたいと思ってた事も彼女は知らないでしょう。それを言えば良い」
「え?」
「ただ隣に住んでただけなのに、迷惑と思うどころか、救けられなかった事を後悔してるなんて。気に掛けてくれてた事を知るだけで嬉しいと思うと思いますよ。自分のした事を益々後悔するでしょうが」
涙が溢れ出した。
溢れ出すととめどない。
涙で光が反射されて空が益々眩しい。
「やっと泣きましたね。独りの時も泣いてなかったのではないですか」
そう云えばそうかも知れない。
ぐちゃぐちゃになりながらどうして探偵の真似事なんてしてるのか訊いた。ちゃんと言葉になってなかったが言いたい事は推察してくれた。
「私も救たかった人がいたのです。
傲慢ですね。
救えなかった私を救いたいのかも知れません」
「探偵」は少し笑って答えた。
私は甘やかされる方じゃなく、何時か甘やかす方になりたいのだ。
救けられるばかりじゃなく、救ける方に。
「感謝なんかされないかも知れませんよ」
彼に対する私の態度を思い出し、憮然とする。
でもまだ謝れない。彼もそんなこと望んでない。
私はまた多分間違うのだろう。ヘッドフォンで大音量で音楽を聴くのも止めないだろうし、親しくなりたい人にこちらから声を掛けるのも難しいと思う。
大事な事は後で気付くだろうし、人の目を気にして人に優しくも出来ないかも知れない。
自分が悪者になって相手を元気付けようなんて一生出来ない。
私はつくづくと、目の前の「探偵」を見る。
名前を聞く事も億劫に感じてしまう。
川に穢れを流す。
橋に会いに行く。
此岸と彼岸の間に横たわる。
此岸と彼岸を繋ぐ場所。
私は彼女の名前さえ知らなかった。
〈了〉
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