橋まで

折原ミフク

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 春に引越した。
 そこで美しい人に会った。

 二十歳になって親が謎のスパルタ教育に目覚め、実家から追い出されたのだけど。お隣さんに挨拶なんかしなくて、それが初めて顔を合わせた時彼女から声を掛けてくれた。春の陽だまりなどという陳腐な褒め言葉が浮かんでくる、柔らかく微笑む人だった。
 挨拶なかった私に悪感情を持ってる感じはなく、それ以降も会えば向こうから話し掛けてくれる。井戸端会議好きのオバサンたちみたいに長々とこちらが興味のない話をして来る事もなく、
「ちょっと暖かくなって来ましたね」
 とか、
「こんなに暑いのに学校とバイトと両方大変ね」
 とか。
 それをツマらないと言う人もいるけれど、時効の挨拶程度が丁度良い距離感で、彼女とすれ違ってほんの少し立ち話をするのが私の癒しの一つになっていった。
 学校やバイト先で嫌な事があっても部屋に入る前に彼女に会えば不思議と力が抜けて、眠る時にその日の嫌な事を思い出しもしなくなった。

 安アパートは音も響くので、音楽を聴くのが趣味の私は部屋に居る間、大体デッカいヘッドフォンを着けて大音量で楽しんでいる。
 それが礼儀と云えば云えるので、偶にやって来るお隣さんの訪ね人の事はそんなに知らなかった。知らない様にしてた。
 多分訪ね人のあった翌日くらいは向こうから避けているのか会わなかったのが、全部を避ける事は出来ずに不用意に会ってしまう事はあって、そんな時気付いた。
 彼女から避けるのだ。いつも愛想の良い彼女が目を伏せがちにして、挨拶もそこそこに消えてしまう。腕やなんかに痣を見つけるまで時間は掛からなかった。


 その日も雨だった。

 彼女に訪ね人が来ていたのは自分の部屋に入る前に気付いた。だからこそいつもの様にヘッドフォン着けて、いつも以上に音量を上げた。

 衝撃が来た。
 他の音は聞こえなくても、音は体に響く。

 雨が降っていた。
 遠雷もあった。
 そして私はそのせいにした。
 夏の終わりだった。

 次の日は確か会わなかった。
 そして多分その日からベランダの花に水が遣られる事はなくなったのだ。

 何日か経って会った彼女はそれまでになく私を避けた。
 その態度に少々ショックを受けて、部屋に籠りヘッドフォンを着ける。
 途端に色んな事がフラッシュバックし始め、同時に音楽が遠退く。

 花と痣と。雨と彼女の長い髪と。春の陽だまりと目を伏せる彼女と。

 そうして気付く。
 さっき会った時、彼女は大きな荷物を持ってなかったか?
 そして何故駅と反対方向へ行ったのだろう?

 それから私は注意して彼女の動向を探る様になった。
 彼女を尾け始めたのだ。
 学校とバイトの間に。

 そして繁華街からも住宅街からも離れたその橋から持っていた荷物を川に放り投げる彼女を見た。

 花はどんどん枯れていった。

 私のしていた事は結局、隣人の不幸をダシにしたお遊びでしかなかった。
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