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しおりを挟む「危ないですよ!」
大きい声で一人の男が叫ぶ。大声を出さないともう聞こえないくらい雨が酷くなっている。
遠くで稲妻が光る。
雨雲が垂れ込み周囲を照らすのは偶に光る稲妻とパトライトと、橋の所々にある街灯だけだ。建物は近くにない。そのお陰か野次馬はいない。
雨は止む所か勢いを増しているのに誰も傘を差そうとしない。
そして私は漸くその奇妙な男に気付いた。
ここに似つかわしくない筈の女性の姿を探していたので気付くのが遅くなったのだが、今更気付くのかと云うぐらい、その男は風変わりだった。
彼女は見当たらなかったが居たとしてもこの男よりは目立たないと思える。
それ程男はこの中で異質だった。
私服だが、私服の警察官ではないと思う。長身に着物を着ている。しかも長い髪を束にして片方の肩から前に垂らしている。
明らかに警察官ではない。私服で潜入捜査でもしているのだとしてもおかしな格好だ。容疑者か目撃者の風体だ。
それにしては彼は警察官たちに放ったらかしにされていて、私はそれこそこの人は私にだけ視えているのではないかと云う馬鹿な考えが一瞬過ぎる。
それが誰に咎められる事なく張り巡らされた黄色い規制線のテープを潜ってこちらにやって来た。
私に注意しているのだろうか?
何が危ないと云うのだろう。
目の前まで来られたら流石に私に叫んだものだと分かる。
「かなり流れが速くなって来ましたからね」
声は普通のトーンになり少し聞こえ難い。
土砂降りの雨で川が増水しているのだろう。声が聞こえ難いのは、速くなった川の流れの音のせいもあるらしい。
何処かで会っただろうか?
目の前の男に安い口説き文句の様な言葉が浮かぶ。この着物に見覚えはないが長身の着物を着た男を見た気がするのだけれど、こんな目立つ男を覚えていないなんてあるのだろうか?
格好に加え眼鏡を掛けているのに整った綺麗な顔立ちだ。一度会ったら忘れるのは難しいと思うのだが。遠目で見たと云う事か。
着物も雨に濡れている。
朝顔が枯れて何か新しい植物の芽が出てただろうか。
あのベランダで緑を見る事がなくなって久しい。
私のベランダは洗った様に何もないのが常態なのだが、彼女のそこは同じスペースなのに何時も見事な庭園で、目を楽しませてくれるだけでなく、好い馥よかな香りを私の元に運んでくれる事もあった。
それが夏の物だけでなく全ての緑が枯れて、それも放置されたままになってしまった。
緑が回復されない事に気付いて私は、遅ればせながら、様々な記憶がフラッシュバックして一つの事実に行き当たり、それを否定する材料を探して彼女に目を配る様になった。はっきりと尾け回し始めたのだ。
そして同じ様に彼女を尾け回す男を見掛けた。その時は尾け回しているとは思わなかった。着物を着てそれだけで目立つ様な男は警察官では有り得ないと思ったから。そこに居合わせただけだろうと。彼女は美しい女だったので擦れ違う時に見惚れてしまったのだろうと。そう云う男は他にも大勢見た。
『危ないですよ』
前にも言われた。
彼女の後を追って人にぶつかってしまった事がある。その人物に言われたのだ。その男も着物を着ていた。
男は困った様に眉を顰めて私を見る。
「一緒に来ませんか?」
多分、私も困った顔をしていると思う。
「雨が凌げる所へ」
私は彼から目を離せなくなった。
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