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第1章
第6話 ざわめきのある町
(エリアナ視点・地方視察)
季節が廻り、また、地方視察の時期が来た。エリアナは視察団に加わり、馬車で町に向かっていた。
町に近づくにつれて、馬車の進みが目に見えて遅くなった。街道の脇には、荷を積んだままの荷車が並び、その間を人が縫うように行き交っている。窓を開けると、乾いた土の匂いと、どこか殺気立ったような人の声が流れ込んできた。
「今日は、ずいぶん人が多いですね」
エリアナが言うと、随行していた役人が困ったように頷いた。
「物流が滞り、市の日をずらして待っていた村々からも人が集まっているのでしょう」
地面に足をつけた瞬間、音の密度が変わった。笑い声もある。呼び込みの声もある。だが、それらが重なり合い、膜を張ったような息苦しさがあった。
◇◇◇
「これ、昨日より高くないかい?」
穀物を量っていた商人に、年配の女性が声をかける。
「仕方ないよ。街道で倒木があったとかで、荷が届かないんだ」
「またかい。……困るねえ」
女性は眉をひそめ、包みを小さくして受け取る。
エリアナは、そのやり取りを静かに見ていた。倒木。以前の視察では一度も聞かなかった不吉な言葉が、当たり前のように市場の会話に混じっている。
◇◇◇
「……あの方、公爵家のお嬢さんじゃないか?」
背後から、ひそひそとした声が聞こえた。木箱を運んでいた男たちの視線がエリアナに刺さる。その中には、以前見たような温かな歓迎の光だけではなく、何かを推し量るような、値踏みするような視線が混じっていた。
エリアナは軽く会釈を返したが、男たちはそれ以上目を合わせようとはしなかった。
◇◇◇
広場の端では、若い男たちが水を飲みながら不満を漏らしていた。
「待ってりゃ回る、なんていつまで信じればいいんだ」
「だが、騒げば賊扱いだ。今は耐えるしかないだろ」
「耐えてる間に、親父たちの薬代はどうなるんだよ!」
エリアナは、その輪に近づくことができなかった。彼らの怒りはあまりに生々しく、父が教えた「線」の向こう側にあるもののように感じられたからだ。
ふと見ると、男たちの輪から少し離れたところで、町の人とはどこか毛色の違う、身なりの整った数人の男が、彼らの会話を黙って聞き入っているのが見えた。男たちはエリアナと目が合うと、すぐに雑踏へと消えていった。
――知らない顔。
単なる旅人かもしれない。だが、その無機質な眼差しが、エリアナの心に小さな棘を残した。
◇◇◇
別の通りでは、さらに声の調子が荒くなっていた。
「話しても、どうにもならない! 聞く気がないんだ、王都の連中は!」
「落ち着け! ここで騒いでも何も変わらないぞ!」
「変わらないから、言ってるんだ!」
言葉がぶつかり合い、周囲がざわつく。エリアナは、震える手で自分の服の裾を握った。一歩前へ出て、何かを言わなければ。けれど、何を?
彼女が半歩踏み出したとき、近くにいた者がその装いに気づき、静かに道を開けた。
「……順番に、聞かせてください」
声は低く、震えていた。それでも、公爵令嬢という「象徴」が目の前に立ったことで、場に一時的な空白が生まれた。民衆は不満を口々に叫び、エリアナはそれを一つずつ、逃げ場のないまま受け取っていった。
◇◇◇
午後になり、町を離れる馬車の中で、エリアナは深く背もたれに身を預けた。随行員たちは「住民感情は荒れている」と事務的に報告をまとめている。
間違ってはいない。けれど、何かが決定的に違う気がした。
あの時聞いた不満。あの時見た「知らない顔」。そして、自分が「象徴」としてその場を鎮めてしまったことへの、形容しがたい違和感。
置き忘れてきたものがある。
エリアナはもう一度だけ窓の外を見たが、流れていく景色はただ、夕闇に沈んでいくだけだった。
季節が廻り、また、地方視察の時期が来た。エリアナは視察団に加わり、馬車で町に向かっていた。
町に近づくにつれて、馬車の進みが目に見えて遅くなった。街道の脇には、荷を積んだままの荷車が並び、その間を人が縫うように行き交っている。窓を開けると、乾いた土の匂いと、どこか殺気立ったような人の声が流れ込んできた。
「今日は、ずいぶん人が多いですね」
エリアナが言うと、随行していた役人が困ったように頷いた。
「物流が滞り、市の日をずらして待っていた村々からも人が集まっているのでしょう」
地面に足をつけた瞬間、音の密度が変わった。笑い声もある。呼び込みの声もある。だが、それらが重なり合い、膜を張ったような息苦しさがあった。
◇◇◇
「これ、昨日より高くないかい?」
穀物を量っていた商人に、年配の女性が声をかける。
「仕方ないよ。街道で倒木があったとかで、荷が届かないんだ」
「またかい。……困るねえ」
女性は眉をひそめ、包みを小さくして受け取る。
エリアナは、そのやり取りを静かに見ていた。倒木。以前の視察では一度も聞かなかった不吉な言葉が、当たり前のように市場の会話に混じっている。
◇◇◇
「……あの方、公爵家のお嬢さんじゃないか?」
背後から、ひそひそとした声が聞こえた。木箱を運んでいた男たちの視線がエリアナに刺さる。その中には、以前見たような温かな歓迎の光だけではなく、何かを推し量るような、値踏みするような視線が混じっていた。
エリアナは軽く会釈を返したが、男たちはそれ以上目を合わせようとはしなかった。
◇◇◇
広場の端では、若い男たちが水を飲みながら不満を漏らしていた。
「待ってりゃ回る、なんていつまで信じればいいんだ」
「だが、騒げば賊扱いだ。今は耐えるしかないだろ」
「耐えてる間に、親父たちの薬代はどうなるんだよ!」
エリアナは、その輪に近づくことができなかった。彼らの怒りはあまりに生々しく、父が教えた「線」の向こう側にあるもののように感じられたからだ。
ふと見ると、男たちの輪から少し離れたところで、町の人とはどこか毛色の違う、身なりの整った数人の男が、彼らの会話を黙って聞き入っているのが見えた。男たちはエリアナと目が合うと、すぐに雑踏へと消えていった。
――知らない顔。
単なる旅人かもしれない。だが、その無機質な眼差しが、エリアナの心に小さな棘を残した。
◇◇◇
別の通りでは、さらに声の調子が荒くなっていた。
「話しても、どうにもならない! 聞く気がないんだ、王都の連中は!」
「落ち着け! ここで騒いでも何も変わらないぞ!」
「変わらないから、言ってるんだ!」
言葉がぶつかり合い、周囲がざわつく。エリアナは、震える手で自分の服の裾を握った。一歩前へ出て、何かを言わなければ。けれど、何を?
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「……順番に、聞かせてください」
声は低く、震えていた。それでも、公爵令嬢という「象徴」が目の前に立ったことで、場に一時的な空白が生まれた。民衆は不満を口々に叫び、エリアナはそれを一つずつ、逃げ場のないまま受け取っていった。
◇◇◇
午後になり、町を離れる馬車の中で、エリアナは深く背もたれに身を預けた。随行員たちは「住民感情は荒れている」と事務的に報告をまとめている。
間違ってはいない。けれど、何かが決定的に違う気がした。
あの時聞いた不満。あの時見た「知らない顔」。そして、自分が「象徴」としてその場を鎮めてしまったことへの、形容しがたい違和感。
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