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第1章
第8話 託された書簡
(エリアナ視点・王宮 執務室)
執務室の窓は高く、午後の光は直接差し込まない。それでも、書類の白さが目にやさしく映る時間帯だった。
エリアナは、机の端に置かれた封を見ていた。厚みのある紙。丁寧に押された封蝋。差出人は、地方行政区だった。
「……正式な要望書、ですね」
隣に立つ役人が頷く。
「はい。今朝、王都に到着しました」
エリアナは封を切り、中身を取り出す。
文字は整っており、筆跡に乱れはない。事務的で、あまりにも整いすぎているその書面は、どこかあらかじめ用意されていた台本のような冷たさを帯びていた。
長く続く降雨で道が悪化。流通が停滞し、一部の生活必需品が市場から姿を消した。
書類の最後、「支援を求む」という一言だけが、わずかに滲んでいた。
◇◇◇
会議は、短かった。議題としては重いが、緊急性は判断が分かれる。
「支援まで必要でしょうか?」
誰かが言う。
「先月の視察では、特に問題はなかったという報告が……」
別の声が続く。
自然と、視線が一箇所に集まる。エリアナは、その流れを感じ取り、背筋を伸ばした。自分が「現場を知る者」として期待されている。
父、ルーカスの教えを破らぬよう、慎重に言葉を選ぶ。
「状況が変わっている可能性はあります。ただ、今すぐ大きな判断を下す段階ではないのかもしれません。……現地での様子を見て、必要な情報を整理して戻る、というのは――」
誰かが小さく頷き、結論は静かにまとまった。
それは、エリアナが自ら、現場という名の「檻」へ足を踏み入れることを、王都の貴族たちが承認した瞬間だった。
◇◇◇
執務室を出たあと、エリアナは一人、廊下を歩いた。書簡の内容が、頭の中で繰り返される。
困っている。だが、叫んではいない。
助けてほしい。だが、縋ってはいない。
――だからこそ、判断が遅れる。
エリアナは立ち止まり、もう一度、文面を思い返す。
誰も、「来てほしい」とは書いていない。
誰も、「今すぐ」とは言っていない。
けれど、それがかえってエリアナの使命感を煽った。自分が動かなければ、この沈黙の中で人々が疲弊していく。
それは、ある一面から見た事実であった。
◇◇◇
ルーカスに告げたのは、その日の夕刻だった。
「地方から、要望書が届きました」
ルーカスは書類から視線を上げ、頷く。
「聞いている。状況確認、だったな」
「はい。大きな判断をする前に、まずは現地を見てきます」
ルーカスは、娘を一度だけ見つめる。その瞳には、娘の有能さへの信頼と、一歩ずつ「線」の外側へ踏み出そうとしていることへの、深い危惧が混ざり合っていた。
「様子を見るだけだな」
「はい」
それ以上、言葉は交わされない。
それ以上、言葉は必要ないと、思っていた。
父の言葉に従い、自分と現場の間に「線」を引いているつもりで、エリアナはすでにその境界線の上に立っていた。
◇◇◇
部屋に戻り、荷をまとめる。長期滞在のつもりはないが、必要なものを一通り選ぶ。窓ガラスの外では、雨が降り続いていた。
ふと、空の暗さが気になり、エリアナは手を止めた。
視察のときに聞いた声。会議室での沈黙。そして、机の上の書簡。
それらが、一本の線にはならない。
――まだ、話す段階ではない。現地を見てから、お父様に相談しよう。
そう判断したことに、間違いはないはずだった。
エリアナは、鞄を閉じる。翌朝には、王都を発つ。それだけが、決まっていた。
執務室の窓は高く、午後の光は直接差し込まない。それでも、書類の白さが目にやさしく映る時間帯だった。
エリアナは、机の端に置かれた封を見ていた。厚みのある紙。丁寧に押された封蝋。差出人は、地方行政区だった。
「……正式な要望書、ですね」
隣に立つ役人が頷く。
「はい。今朝、王都に到着しました」
エリアナは封を切り、中身を取り出す。
文字は整っており、筆跡に乱れはない。事務的で、あまりにも整いすぎているその書面は、どこかあらかじめ用意されていた台本のような冷たさを帯びていた。
長く続く降雨で道が悪化。流通が停滞し、一部の生活必需品が市場から姿を消した。
書類の最後、「支援を求む」という一言だけが、わずかに滲んでいた。
◇◇◇
会議は、短かった。議題としては重いが、緊急性は判断が分かれる。
「支援まで必要でしょうか?」
誰かが言う。
「先月の視察では、特に問題はなかったという報告が……」
別の声が続く。
自然と、視線が一箇所に集まる。エリアナは、その流れを感じ取り、背筋を伸ばした。自分が「現場を知る者」として期待されている。
父、ルーカスの教えを破らぬよう、慎重に言葉を選ぶ。
「状況が変わっている可能性はあります。ただ、今すぐ大きな判断を下す段階ではないのかもしれません。……現地での様子を見て、必要な情報を整理して戻る、というのは――」
誰かが小さく頷き、結論は静かにまとまった。
それは、エリアナが自ら、現場という名の「檻」へ足を踏み入れることを、王都の貴族たちが承認した瞬間だった。
◇◇◇
執務室を出たあと、エリアナは一人、廊下を歩いた。書簡の内容が、頭の中で繰り返される。
困っている。だが、叫んではいない。
助けてほしい。だが、縋ってはいない。
――だからこそ、判断が遅れる。
エリアナは立ち止まり、もう一度、文面を思い返す。
誰も、「来てほしい」とは書いていない。
誰も、「今すぐ」とは言っていない。
けれど、それがかえってエリアナの使命感を煽った。自分が動かなければ、この沈黙の中で人々が疲弊していく。
それは、ある一面から見た事実であった。
◇◇◇
ルーカスに告げたのは、その日の夕刻だった。
「地方から、要望書が届きました」
ルーカスは書類から視線を上げ、頷く。
「聞いている。状況確認、だったな」
「はい。大きな判断をする前に、まずは現地を見てきます」
ルーカスは、娘を一度だけ見つめる。その瞳には、娘の有能さへの信頼と、一歩ずつ「線」の外側へ踏み出そうとしていることへの、深い危惧が混ざり合っていた。
「様子を見るだけだな」
「はい」
それ以上、言葉は交わされない。
それ以上、言葉は必要ないと、思っていた。
父の言葉に従い、自分と現場の間に「線」を引いているつもりで、エリアナはすでにその境界線の上に立っていた。
◇◇◇
部屋に戻り、荷をまとめる。長期滞在のつもりはないが、必要なものを一通り選ぶ。窓ガラスの外では、雨が降り続いていた。
ふと、空の暗さが気になり、エリアナは手を止めた。
視察のときに聞いた声。会議室での沈黙。そして、机の上の書簡。
それらが、一本の線にはならない。
――まだ、話す段階ではない。現地を見てから、お父様に相談しよう。
そう判断したことに、間違いはないはずだった。
エリアナは、鞄を閉じる。翌朝には、王都を発つ。それだけが、決まっていた。
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