酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第3話-1 酒池肉林王

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 王都オルキデーアの最北にある宮廷――オルキデーア城。

 堅牢な石造りのそれはとても大きく4階の高さまであり、中庭が『上の中庭』・『中の中庭』・『下の中庭』の3つに分かれている。

 大手門を潜ったところにある『下の中庭』に入ると、地震かと錯覚してしまうような地響きがした。

 そこには布鎧を着た兵士が沢山いて、走り込みの真っ最中のようだった。

「昔、長年に渡り流行した病で人口が大幅に減ってしまった故に、傭兵だけでは足りなくてな。成人となる15歳以上の男は、一部を除いて軍役の義務がある。まぁ、職によっては週に一度程度だが、ここ『下の中庭』で軍事訓練に参加してもらっている。午後からは武術の訓練だが、午前の今は主に筋肉強化と走り込みの時間帯だ。ちなみに一番向こうの北にある『上の中庭』の方が広くて、そこは主に貴族たちの訓練場になっている。ああ、貴族だから広いというわけじゃないぞ? 世襲により貴族は皆将軍で、歩兵とは違い馬を使っての訓練もあるからだ。エステ・スキーパやその息子2人もそこにいる」

 と、聞こえて来たのはベルの頭上からだ。

 ベルは頭を真後ろに倒して、その声の人物――国王フラヴィオ・マストランジェロの顔を見つめる。

 先ほどこの男に、ベルの父親というよりは、雇い主の方が正しいエルバ伯エステ・スキーパの屋敷から馬で連れ去られてきた。

 それ故、現在ベルのいる場所は、恐れ多くもその愛馬の馬上、その腕の中だった。

「あの…陛下……」

 ベルのか細い声に「うん?」と返したフラヴィオが、「ああ」と話を続ける。

「残りの『中の中庭』か? そこは一番狭く出来ていてな、オルキデーア軍の元帥とプリームラ軍の元帥たちが使っている。誰だか知っているか? オルキデーア軍元帥は大公フラヴィオ・マストランジェロ――余の弟で、プリームラ軍元帥はクエルチア侯アドルフォ・ガリバルディ――余とフェデリコの親友だ。アドルフォもこの城に一緒に住んでいるから基本はこっちだが、プリームラ軍の元帥だから3日に一度は馬で隣町プリームラまで行って、部下たちの調練をしている」

 聞きたかったこととは別の内容なのだが、ベルは初めて知る話に興味深く「そうですか」と返していた。

 でも笑顔も涙も忘れ、表情がほとんど『無』になってしまった現在、表にはほとんど感情が出ない。

 それだけでなく、興味津々と言ったはずのその言葉は、淡々として聴く者の耳に届く。

 そんなものだから、背後からフラヴィオがベルの顔を覗き込んだ。

 様子をうかがうように見つめてくるその碧眼は、少し鋭い。

 でも、そのことに気付いていない女たちは少なくない。

 何故なら、女に向けられるときはいつだって目尻が下がるからだ。

「ベル? 余も、ちゃーんと軍事訓練に参加しているぞ?」

「そうですか」

「中の中庭で、フェーデ・ドルフと一緒にな。うちのチビたちもいるが」

「そうですか」

「あ、『フェーデ』はフェデリコ、『ドルフ』はアドルフォのことだ。うちのチビというのは、余やフェーデの息子たちのことだ」

「そうですか」

 淡々「そうですか」三連発だった。一方ベルの目前、ベルとは逆に、フラヴィオの表情は分かりやすく悄気る。

「すまん……どうでも良い話だったな」

「そんなことはありません」

「本当か?」

 と今度はフラヴィオの口が尖った。
 ベルの痩せた頬を指で軽くつついて、表情をうかがってくる。

「陛下」

「うん?」

「私は顔に、何も出ていないのですか」

 そう問うてきたベルの顔を、フラヴィオは改めてじっくり見つめる。

 小さな顔に、細い筋の通った小さな鼻、形の整った小さな口。

 栗色の髪が散切りにされていても、頬がこけていても、汚れていても、繊細な顔立ちをしていることは隠し切れていない。

 だが、長い睫毛の綺麗な二重の目は、まるで死んだ魚のようだった。

 来月で15歳になるベルは、この国の成人だ。王侯貴族の娘なんかは、もう結婚して子供も産んでいたりする年齢だ。

 しかし、ベルの背丈は平均よりも10cm以上小さく、フラヴィオの10歳の長女とさほど変わらなかった。

 またフラヴィオが抱き上げたとき綿で出来ているかのように軽く、ほとんど食べさせてもらえなかったのだと分かる。

 このフラヴィオと出会うことが出来ず、助けてやれなかった10年という長い月日のあいだ、ベルがどんな生活を送っていたのか想像したら、フラヴィオの胸が強い痛みを上げた。

 フラヴィオの碧眼を見つめていたベルが、瞬きをする。

「陛下」

「うん?」

「どこか痛むのですか」

 このフラヴィオはフラヴィオで、自身が思っている以上に感情が表に出やすいらしい。

「大丈夫ですか」

 本当に無表情だし淡々とした口調だが、どうやらベルに心配を掛けたようだった。

 フラヴィオはいつも通りの明るい笑顔を作って「うむ」と返すと、下の中庭の端の方へと馬を歩かせて行った。

 そこには、厩舎と武具庫が並んで建てられてあり、前者の方に入って行った。

 馬は世話係に任せ、ベルを腕に抱っこしたら、そのまま下の中庭にある城の戸口へと向かって行く。

「あの…陛下……」

 問いたいことがあって、さっきも一度出て来たベルの台詞。

 再びフラヴィオが「うん?」と明るい微笑で返したとき、ちょうど城の中に入った。

 ベルが言葉を続けるよりも先に、2つの女の声がはもった。

「おかえりなさいませ、陛下」

 声のした方に顔を向けると、綺麗なドレスヴェスティートを着た2人の女がお辞儀していた。

 その様子から使用人だと分かったが、ベルは少し驚いてしまった。

 自身もマシな言い方をすれば使用人だが、自身のボロボロの衣類とはあまりにも違う故に。

 また髪も綺麗に整えられ、きちんと化粧もしていた。

「頼む」

 フラヴィオが一言そう言って、ベルを腕から降ろす。

 足元は、赤の絨毯だった。

 使用人の女2人は「はいスィー」と返事をして承知すると、ベルを1階にある浴場へと連れて行った。

「さてと」

 と、フラヴィオは300メートル続く一階の廊下を見つめると、「誰か」と少し声を大きくした。

 すると「スィー」の返事と共に、近くの複数の扉から使用人が顔を出した。

 1階は主に、使用人と軍事訓練に来ている将兵共同の浴場(男女別)や医務室、厨房、住み込みで働く使用人たちの部屋などがある。

 時刻は現在、午前7時過ぎ。

 4階と3階の王侯貴族が、起き出した頃だ(軍役に就いている者は除く)。

 比べて使用人たちの朝は早いので、夜勤を除く皆がとうに目を覚ましていた。

「ああいや、忙しい者は良い、仕事に戻ってくれ。手が空いている者でいいんだ。2階の図書室から、レオーネ語の本を持って来てくれ」

 真っ先に「スィー」の返事をした使用人の女が、2階へと小走りで向かって行く。
 
 フラヴィオはすぐ近くにあった客間へと入った。

 趣味の一つに絵画収集があり、廊下にも沢山飾っているが、この部屋にもひとつだけある。

 この部屋に飾るのは国王の絵画と決まっているので、自身の肖像画が壁の一角に掛けられている。

 そして描いたのは絵画を得意とし、趣味とするフェデリコだった。

「うーむ……改めて、フェーデは天才画家だ」

 鏡で見たまんまの自身の肖像画を改めて見て、弟には感心してしまう。

 フラヴィオも並よりは描けるし、描くのも好きなので一時は練習した。
 でも、物心ついた時から上手かったフェデリコには、まるで届きそうになかった。

「それにしても……」

 と、フラヴィオは自身の肖像画を眺めながら、口元や顎を撫でる。

「やはり良いな、髭。また生やしたいが……余の愛らしい愛らしい5番目の天使が、「父上、お髭いたーい」ってキスバーチョ嫌がるんだもんなぁ」

 と半べそ掻きそうになったフラヴィオが、薔薇の花を飾った円卓に腰かけて間もなく、図書室に行った使用人の女が戻って来た。

 レオーネ語の本を「どうぞ」とフラヴィオに手渡し、フラヴィオの「ありがとう」の言葉に嬉しそうに頬を染める。

「陛下、お茶は如何ですか」

「そうだな、紅茶を頼む」

 使用人の女が「スィー」と張り切った様子で部屋から出て行くと、フラヴィオはレオーネ語の本を開いた。

 弟のフェデリコや親友のアドルフォと比べると、そんなに真面目な方ではない。

 でも友好国のレオーネ島の王族とはよく顔を合わせるので、ちょっとした隙間時間にはレオーネ語を学んでいた。

 それに来月、フラヴィオと特に仲の良いレオーネ国の王太子が遊びに来ることになっている。

 紅茶を淹れて戻って来た使用人の女は、「どうぞ」とフラヴィオの手前にカップタッツァを置いた。

 フラヴィオの「ありがとう」の言葉にまた嬉しそうに頬を染める。

「忙しいところ、済まなかったな。もう良いぞ」

「スィー」

 と返事をしたままその場から動かない使用人の女をフラヴィオが見ると、期待に煌めく瞳に見つめられている。

 フラヴィオはおかしそうに「ふふ」と笑ったあと、「おいで」と右膝の上を叩いた。
 
 待ってましたと言わんばかりに「スィー」と声高になった使用人の女が、フラヴィオの右膝の上に座った。

 これが王侯貴族の女だと、首にしがみ付いてきたり、バーチョをして来たりと少々節度を欠いていたりする(別に構わないが)。

 比べて、自身の膝の上にきちんと手を揃え、姿勢よく座っているところは、流石は家政婦長から厳しく躾けられているだけあった。

「陛下、わたしは幸せです」

「ああ、余も幸せだ」

 その言葉に、使用人の女はとても嬉しそうに笑う。

 するとフラヴィオも同じ表情をする。

 フラヴィオの目には女の笑顔はひたすら愛らしく、美しく映り、物心が付いた頃にはすでに大好きだった。

(ベルは一体、何をしたら笑ってくれるものか)

 と黙考した時、廊下から誰かが小走りで駆けてくる音が聞こえた。

「陛下っ……!」
 
 と狼狽気味の声と共に現れたのは、先ほどベルを浴場へと連れて行った使用人の1人だった。

 その様子から急用の様に見えたが、フラヴィオの膝の上に座っている使用人の女を見た途端、忘れたらしい。

「あっ」と眉を吊り上げる。

「ちょっと、あんたねっ……!」

「げっ、先輩っ……!」

 と、喧嘩になりそうになった先輩後輩の2人だったが。

 こういう場合、フラヴィオが空いている左膝の上を叩いて「おいで」ともう1人――先輩使用人――に微笑みかければ、円く収まるようになっている。

「スィー」と承知するよりも先に歩き出し、フラヴィオの左膝の上にやはり行儀良く腰かける。

 もう、語学の勉強は出来ないと分かった。

「それで、急いでいるように見えたがどうしたんだ? ベルがどうかしたのか?」

「あっ、そうでした! 陛下、あの子っ……!」

 と、先輩使用人の女の瞳が動揺していた。

「身体が――胴体が、もう痣だらけで……! また服を着ていても痩せているのは分かりましたが、生きているのが不思議なほどです、まるで骸骨です……!」

 後輩使用人の女が息を呑み、すぐさま立ち上がって廊下へと駆けて行った。
 フラヴィオが言わずともその命を察し、厨房にいる料理長のところへと行ったのだと分かる。

「その痣は、誰にやられたか訊いたか?」

「スィー。ですが、答えてくれそうになくて……! 本当にあの子、身体が、もう……!」

「そうか、分かった。このことを――見たものを、忘れろと言っても無理だろうから、他言無用で頼む」

 この城では、あっという間に口の端に上ってしまう故に。

 そうなったらベルが、城の中を歩き辛くなるのではないかと考えた。

 子供の頃から、殴り合いの喧嘩をしたり、駆け回って転んだり、日々の軍事訓練で痣があっても、なんらおかしくない男とは違う。

 ベルは、女なのだから。

 ただ汚れた身体を綺麗にしたいだろうと思っての行動だったが、配慮に欠けていたかもしれないと気付く。

 食事をまともに与えられていなかっただけでなく、暴行を受けていただろうことはいくらか察していたというのに。

 ベルは骨と皮、痣で出来た身体なんて、誰にも見られたくなかったのではなかろうか。

 日頃自身が入浴するときは誰かしらに身体を流してもらうし、身体は拭いてもらうし、そのあとは着服を手伝ってもらうしで、ひとりで入浴することがほとんどない故に、本気で気付かなかった。

(この、愚か者め)

 先輩使用人の女が「スィー」と承知し、同じことをもう1人の使用人に伝えるために部屋から出て行ったあと、フラヴィオは自身の額を拳で殴り付けた。

 その後、廊下に出て北方面へと向かって歩いて行き、『中の中庭』の扉を開けた。

 そこには、フェデリコとアドルフォの他に、『チビ』たちがいる。

 フラヴィオの長男(王太子・13歳)と次男(12歳)、三男(7歳)、四男(5歳)。

 それから、フェデリコの長男(10歳)と次男(8歳)、三男(4歳)だ。

 薄手の布鎧を装備し、走り込みの真っ最中だった。

 フラヴィオにすぐに気付いたフェデリコとアドルフォが、子供たちに続けるよう指示してからフラヴィオの元に駆け寄って来る。

「兄上、ベルナデッタは連れて来たのですか」

 とフェデリコが問うてきた。

 フラヴィオが「ああ」と答えると、アドルフォが続いて問うた。

「やはり、エステ・スキーパに奴隷にされていましたか」

「まだベルから直接聞いたわけではないが、そう決まったようなものだ」

 フェデリコとアドルフォの顔が、同時に強張った。

「ベルからは、これから余が聴くことにする。おまえたち2人は、上の中庭にいるエステ・スキーパとその2人の息子を頼む」

「今すぐ牢に入れた方が良いですか」

 フェデリコが訊いた。

「そうだな。ベルがこの城にいると知った瞬間、あいつら逃げそうだしな」

「拷問に掛けますか」

 アドルフォが訊いた。

「そうだな。ベルへの罪を吐かなかったり、嘘を吐いているようだったらそうしてくれ。とりあえず、死なない程度にな」

「御意」

 声を揃えたフェデリコとアドルフォが廊下に入り、上の中庭のある北の方へと歩いていく。

 一方フラヴィオは、南の方――先ほどいた客間の方――へと戻っていく。

 その途中、ちょうど浴場から出て来たベルと鉢合わせになった。

 風呂で身体の汚れを落とし、とりあえず使用人の女たちが使う、足首まである白のワンピースアービト型の寝間着を着せてある。

 散切りだった栗色の髪は、後ろ髪を顎の高さで、前髪を眉の高さで切り揃えられていた。

 その顔立ちの愛らしさが、より一層映えている。

「ふふ、本当に天使だな」

 と、フラヴィオはベルの頭を撫でた。後頭部がまるっとして形が良いな、なんて思う。

「余の朝餉も客間に運んでくれ」

 とベルの傍らにいた使用人の女に頼んだ後、フラヴィオはベルを抱き上げて客間に戻って行った。

 使用人が数人傍にいてくれようとしたが、今はベルと2人で話をしたかった故、食卓に朝食を並べ終わったところで下がってもらった。


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