酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第48話ー1 プリームラ貴族

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 ――1493年8月12日は、フラヴィオ37歳の誕生日。

 本日は、アクアーリオ国に嫁いだ5番目の天使ヴァレンティーナが、祝福のために帰省していた。

 7月1日に嫁いで以来初めてというわけではなく、アクアーリオ国との約束通り、コニッリョにあんこを与えるためにちゃんと一週間に一度は帰省している。

 ただその際は夜にはアクアーリオ国に戻ってしまうのだが、此度はフラヴィオの誕生日ということで宮廷に泊まって行けるらしい。

 サルヴァトーレが先日離乳し、銀の杯で久々のワインヴィーノを堪能しているベルがフラヴィオに笑顔を向ける。

「良かったですねぇ、フラヴィオ様」

「うむ。一緒に眠るわけではないが、宮廷にティーナが居てくれるというだけで嬉しいのだ」

「そうですね。邪魔なのが一緒とはいえ」

「こ、こら聞こえるぞっ……」

 とフラヴィオが、小声になってベルを叱る。

 宮廷の裏庭に作られた宴会会場にはいつもの友好国一同の他、親戚となったアクアーリオ国も招いていた。

 沢山並んでいる円卓の中にはアクアーリオ国専用に用意したものもあり、そこにはヴァレンティーナの他にアクアーリオ国王夫妻とアクアーリオ王太子が着いていた。

 尚、ヴァレンティーナとアクアーリオ王太子のあいだにはジルベルトが割り込んで座っている。

「申し訳ございません」

 という言葉とは正反対の、無反省のベルの表情がそこにある。

 フラヴィオはアクアーリオ国の席の方を気にしながら、もう一度「こら」と叱った。

「ティーナは向こうの宮廷で丁重に扱われているのだろう? また、政にも関与させてもらっているのだろう?」

「ティーナ様との交換日記を読む限りそうですが、どちらもあくまでも『今のところ』です」

「今のところそうなら、そういう態度では駄目だ」

「問題ありません。私がアクアーリオ王太子をティーナ様の夫として認めていないことは、向こうだってご存知のはずですから」

「そそ」とサジッターリオ国王コラードが同意した。

「『力の王』が認めてやった上に、世界一の大国の女王まで認めてやったらどうなるか。もう大丈夫だって気が緩んで、元通りになって、また偉ぶるに決まってる」

 フラヴィオが2人を見ながら「まったく」と苦笑して溜め息を吐いたとき、宴会会場内をせわしなく動いていた家政婦長ピエトラが声を掛けてきた。

「陛下、夜8時になりましたが、そろそろお湯殿をご用意いたしましょうか?」

「カンクロの朝議まであと3時間か。そうだな、頼む」

 ピエトラの他、アラブが承知して席から立ち上がった。

 魔法で湯を用意をするため、宮廷の4階にある王侯貴族専用の浴室へとテレトラスポルトで飛んでいく。

 一方で、サジッターリオ国女王シャルロッテが「もう?」とフラヴィオを見た。

「あなた、何時間お風呂に入る気なの? レオーネ人並のお風呂好きねぇ?」

「違う違う」

 とコラードが、にやけながら手を振る。

「風呂が長いんじゃなくてさ、今日は父上の誕生日じゃん? だからいつもよりじっくりアモーレを堪能してから仕事に向かうんだ」

「そういうこと」

 とシャルロッテがくすぐったそうに「ふふっ」と笑った。

「身体にリボンナストロ巻くの、ベル?」

「ま、巻きませんっ……!」

「代わりに寝間着を可愛いのに新調したから、この子」

「ベ、ベラ様っ……!」

 同席にいる一同に微笑ましそうな笑顔を向けられるベルが茹蛸のようになっていると、ふと斜め後ろからヴァレンティーナの声がした。

「凄いわ、ベル……」

「へ?」と声を裏返しながらベルが振り返ると、そこに尊敬の眼差しで見つめてくる蒼の瞳がある。

「お風呂が長くても1時間だとしたら、仕事に行くまでの2時間ものあいだ父上の相手を頑張るなんて」

 ベルの隣にいるフラヴィオがワインヴィーノを噴き出した。

「なっ、何を言っているのだティーナ…!? ち、父上はそんな2時間ものあいだアモーレを頑張らせていないぞ――っていうか、その、父上は破廉恥なことなどはしていなくっ……!」

「隠さなくても大丈夫よ、父上。私もう、結婚して大人になったから知ってるの」

「うん?」

 とフラヴィオの手の中で、突如ぐにゃりと形を変えた銀の杯。

 ベルが指先を揃えた手で「ってらっしゃいませ」とアクアーリオ王太子を差した一方、マサムネが狼狽して自身の猫4匹を呼んだ。

 臆病なアクアーリオ王太子に気を遣い、宮廷内でマタタビ酒を楽しんでいた4匹がテレトラスポルトで現れる。

「フラビーを今すぐ4階の風呂に突っ込んで来てや! 宴が血生臭くなるわ」

 承知した4匹が、目の据わっているフラヴィオを連れ去って行った後、マサムネが「こら」と言いながらヴァレンティーナを見た。

「父親の前でそんなことを言ったらあかんのやで、ティーナ。特にフラビーなんて、本音を言えばティーナに永遠の乙女であって欲しいんやから」

「そうなのね、ごめんなさい」

 そう答えたヴァレンティーナの手を、ふとベルが握った。

 椅子から立ち上がり、小走りでその場から離れていく。

 一同に声が聞こえないところまで来ると、ヴァレンティーナの様子を少し不審に思いながら声を潜めた。

「ティーナ様、どうかされたのですか? 交換日記に書いていないことですか?」

「書くことのほどじゃないと思って」

「小さなことでも仰ってください」

 とベルが言うと、ヴァレンティーナが「あの……」と少し恥ずかしそうに俯いた。

 ベルの察した通りのようだった。

「夜の生活でお悩みがあるのですか?」

「な、悩みとかじゃないのよ。結婚した以上、女性は皆経験することだもの。特に私の最大の仕事は、王太子殿下の子供を産むことなのだし、我慢しないと」

 ベルは不安になってヴァレンティーナの顔を覗き込んだ。

「『我慢』って……あの王太子は、優しくしてくださっていないということですか?」

「そ、そんなことはないわ。最初は痛かったけど慣れてきたし、少しのあいだ我慢していれば終わるし……ベルみたいに2時間は無理そうだけれど。本当に凄いわ、ベル。あんなことを2時間もされっぱなしなんて、女王陛下ってやっぱり只者じゃないのね」

「いえ、あの、ティーナ様? 私も2時間ずっとフラヴィオ様を受け入れっぱなしというわけではありませんよ。それは流石に、私とて辛うございます」

「そうなの? え、でも……じゃあ、2時間も何するの? 最初から最後まで、10分あれば充分でしょう?」

 と、きょとんとするヴァレンティーナを見て、ふとベルの胸が痛んだ。

 脳裏に、子作りのためだけの義務的な行為をする夫婦が浮かぶ。

 それはとても虚しく、寂しいものに思えた。

 ――ベルはフラヴィオに続いて入浴を終えた後、この日のために新調した寝間着を着用した。

 張り切った服飾職人たちが繊細なレースメルレットフリルヴォラントで華やかに飾ってくれたお陰で、フラヴィオが好きそうなものに仕上がっている。

 なので喜びたいところだが、今はあまりそんな気分にはなれなかった。

 表情にも出ていたようで、自室に入るなり、すでに裸でレットに入って待っていたフラヴィオが、心配そうに「どうした」と問うてきた。

「悲しそうな顔をしているぞ、アモーレ」

「アクアーリオ国の壊滅命令を出してでも、ティーナ様とあの王太子の結婚を止めれば良かったと後悔しているところでございます」

「さっきキレかけた余が言うのも何だが、また何を考えているのだこの子は……」

 とフラヴィオが苦笑すると、「だって……」と呟いたベルの表情が尚のこと悲しく沈んでいく。

 そのまま口を閉ざし、戸口に突っ立ったままでいるベルに、フラヴィオが手を伸ばした。

「そこでいつまでも何をしているのだ、アモーレ? 早く余に誕生日の贈りものをくれ。朝からずっと待たされていて、もう我慢の限界だ」

「あ……はいスィー

 と返事をしたベルが――贈りものがフラヴィオに近付いてくる。

 手が届くところまで来たところでしかと受け取り、レットの中に引きずり込む。

 想いの籠った贈りものは何だって嬉しいが、結局これが一番満足度が高い。

 仰向けにして、上から見下ろしながら恍惚とする。

「Oh……なんて美しい包装なのだ。剥いでしまうのが勿体無い」

 とたった今、鼻息荒く言っていたのは空耳だったような気がしてくる速度で、包装――寝間着が剥ぎ取られていった。

「あの…新調した意味はあったのでしょうか……」

「うむ、あったぞ。ちゃんと見た。本当に美しい包装だった。しかしほら、やっぱり中身の方が」

 ベルが「そうですね」と言いながら、フラヴィオの頬に――肌に手を滑らせた。

 さっきからずっと、胸が痛みが止まない。

(ティーナ様は、きっとご存知ないでしょう)

 こうして愛する男の肌に触れるだけで、胸が高鳴るということを。

「ふふふ、アモーレ」

 抱き締められると、時に涙が出そうになることを。

「愛している」

 他の誰でもない愛する男のその言葉は、格別に鼓膜に響いて、胸にじんと熱く染み渡り、満たしてくれることを。

「アモーレ――ベル」

 たとえ『勇敢な雌熊ベルナデッタ』という、親が想いを込めて付けてくれたんだけど、気に入っているかどうか訊かれると返答に困る名であっても、愛する男に呼ばれた瞬間にとても好きになれる不思議を。

(ティーナ様は何ひとつ、ご存知ない……)

 自身がハチミツになったかのような錯覚が起きる、甘くてとろけそうなバーチョも。

 その手、唇に愛撫されると、身体の何処も彼処もが悦びに震えることも。

 その果てに身体を駆け巡る、昇天してしまったかのような衝撃も。

(――『我慢』?)

 それ本来、愛する男が相手だったならば、さほど必要に感じないもの。

 むしろ、ヴァレンティーナが『我慢』して耐えているその行為が、ベルは大好きだ。

 フラヴィオに愛撫されるのも大好きだが、時に焦れったくなってきて、自ら催促することだってある。

「あの、フラヴィオ様? そろそろ……」

「駄目だ、まだお預けだ。今日は余の誕生日なのだから、余が満足するまで舐め倒すのだ。だから、そうだな……後1時間くらいは――」

「いーるーのーでーすっ!」

「分かった分かった、分かりましたなのだ! まったくもう、仕方ないな。女王をもらうと我儘で大変なのだ……ふふふ」

 ヴァレンティーナは、きっと知ることが出来ない。

「これで満足ですかなのだ、女王陛下?」

「スィー」

 愛する男の体温を身中で感じる、この幸せ。

 胸が溜まらない愛しさで溢れ返って、身体が狂喜乱舞する。

 もっと求めて欲しくて、愛して欲しくて、おねだりせずにはいられない。

 ぎゅっとしてもらえたら最高に幸せで、このまま時が止まれば良いのにとさえ思う。

(女性として、こんなにこんなに、幸せなことなのに……)

 ヴァレンティーナはこの先、きっとそれを知ることが出来ない。

 ずっとずっと『我慢』していくことになるのかもしれない。

 ベルの知っているあの王太子はとてもではないが、真っ白な心を持つ5番目の天使が愛せるような男ではないのだから。

 胸が抉られるように痛かった。

「――……どうした?」

 行為が終わった後、ベルを抱き締めて呼吸を整えていたフラヴィオが、ベルの涙に気付いてその瞼を指で拭った。

「これは悲しみの涙だな。またティーナのことか?」

 ベルが「スィー」と答えると、フラヴィオが優しく微笑した。

「そなたは本当にティーナを大切に想ってくれているのだな、ありがとう。しかし、あまり後ろ向きに考える必要はない。ティーナもルフィーナと似たようなものだ。アクアーリオ国民を救うこと、それがティーナの一番の目標なのだから」

「それは存じております。しかし私はやはり、本当に愛する人と結ばれることが、どれだけ幸せなことかティーナ様に知って頂きたいのです」

「しかしなぁ、アモーレ……知っていたか? 余やそなたには、奇跡が起こったのだと」

 ベルが「奇跡?」と鸚鵡返しにすると、フラヴィオが「そうだぞ」と宥めるように栗色の髪を撫でた。

「余やそなたのように、心から本当に愛せる誰かと出会い、さらにその誰かに心から愛してもらえるということは、奇跡と言っても良いことなのだぞ。自由に結婚できる民衆のあいだでもそうなのだから、選択肢の少ない王侯貴族となったら、その可能性はさらに低くなる」

「それは……たしかに」

 とベルが言うと、フラヴィオが「だから」と続けた。

「ティーナも、その辺は仕方がない。特にティーナは、余たち周りが将来『王妃』という選択肢しか取らせなかったしな。でもまぁ、案ずるな。そんなんでも上手くやっている夫婦はたくさんいる。身近な例だと、余とルフィーナを見るが良い。余は愛する努力をしているし、ルフィーナもそれなりに余を愛してくれているが……正直、熱い夜を過ごしたことは無いのだぞ」

 と一呼吸置いて、フラヴィオが苦笑した。

「今はもう元に戻ったが、授乳期間のルフィーナは人格が変わってなー。夜、寝返りを打ったときにルフィーナの身体に手が当たってしまったら、触るなとレットから突き落とされた。引っ掛かれるし、噛み付かれるし、シャーッて威嚇されるし、あれは完全に野生のメス猫だった。流石はティグラートのメッゾサングエよ」

「なんと……まったく気付きませんでした」

 フラヴィオが「でもま」と続ける。

「そんなんでもやっていけているのだから、そんなにティーナを心配する必要はないぞ? 夜の生活だけが夫婦のすべてでは無いのだから」

 少しのあいだ黙考したあと、ようやく納得してくれたらしいベルが「スィー」と返事をした。

 フラヴィオに抱き付いて、ぐるんと回って、上になる。

「2回戦か?」

「スィー。ベルナデッタはティーナ様の分も奇跡を堪能するのです」

 とフラヴィオにバーチョした後、ベルが布団の中に潜っていく。

「別にそんなことしなくて良いぞ、アモーレ? マストランジェロ一族の男はされるよりする方が――」

「したいのですっ」

「分かりましたなのだ、女王陛下。顎が外れない程度にご堪能くださいなのだ。まったくもう……ふふふ」

 少しすると、扉を叩く音がした。

「ここから少しよろしいですか、陛下。それから、ベルも」

 ピエトラの声だった。

 ベルが布団の中から出て来て、「スィー」と返事をした。

「どうされましたか、ピエトラ様」

「いや、ねぇ? 求人を出したわけじゃないんだけど、宮廷で働きたいって人たちがいるんだよ。まぁ、本人たちはまだ来ていなくて、手紙が来ただけなんだけど」

 それは何ら珍しいことでは無かった。

 宮廷使用人として働きたい者は少なくなく、募集していなくても希望者がしょっちゅうやってくる。

 そしてその都度、ピエトラや執事ファウストが対応していた。

「いつも通り任せたのだ、第二の母上」

 とフラヴィオが言うと、「そうですか」と返したピエトラが、「では」とこう続けた。

「数日後から、ベルナデッタ女王陛下に『侍女』が3人ほど付きますので、よろしくお願い致します」

「侍女?」

 と鸚鵡返しに問うたフラヴィオとベルの耳に、去って行くピエトラの足音が聞こえてくる。

 2人は顔を見合わせると、小首を傾げた。

「私にはリエンさんを始めとする女官たちがいますし、こっちでは宰相ですし、特に必要ないのですが…。あの、フラヴィオ様? 侍女ということは……」

「うむ。普通に考えたら貴族の女だな」

 互いの眉が寄っていった。

「誰……?」


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