酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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最終話ー14

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 パネッテリーアの中から悲鳴が上がり、兵士たちが一斉に矢を放つ。

「なっ…なんだこいつ……!」

 と、目前に突如舞い降りて来た大きなオスのピピストレッロを見上げ、2人と兵士たちが愕然とする。

 その巨体が回転しながら鋭利な爪を一振りすると、弓矢を放った兵士たちのバッリエーラが纏めて破砕されていった。

 ティートとエルネストが息を呑み、「逃げろ!」と声を上げる。

 しかしもう遅く、次の瞬間の二撃目で、その首や胸から血飛沫が上がった。

 そしてあっという間に2人になったティートとエルネストに、その爪の矛先が向く。

「――うわっ!」

 と並んで立っている2人が咄嗟に剣で受け止めると、疾駆する馬車と衝突したような衝撃が腕に走った。

「し、死ぬううう。これは絶対死ぬううう。今すぐ14年の短い人生に終止符を打つ覚悟を決めろエルネストォォォ」

「言われなくても一瞬で決まりましたあああ。僕さっきあと30分は余裕とか言ったけど絶対無理いいい。あと3分も掛からずに死ぬううう――でも、その前にっ……!」

 とエルネストが、パネッテリーアに向かって声高になる。

「皆さん、聞こえますか! パネッテリーアの裏口から出て、近くにいる兵士と別の避難所へ移ってください!」

「はぁ!?」とティートの声が裏返った。

「それは危ないだろエルネスト!」

「そうだけど、はっきり言ってここにいるよりはマシです! ぼくたちが倒された後のことを考えてみてください、ティート殿下! パネッテリーアにいる皆は、確実に誰ひとり助からない!」

「そうだっ……!」

 とティートも、パネッテリーアに向かって声を大きくする。

「皆、今すぐに裏口から逃げて! おれたち今、やばい奴と戦ってるんだ! 周りの兵士も全滅した! このままじゃ皆を助けられないから、早く!」

「嫌よ!」

 と、民衆の女の泣き声が聞こえた。

「嫌よ、ティート殿下っ…! あたしたちの王子殿下っ……!」

「――……ごめん。その声はアイーダ?」

 と兜の中にあるティートの顔に、穏やかな微笑が浮かんだ。

「おれさ、君の笑った顔が本当に可愛くて大好きだったよ。それが見られなくなるのは残念だけど、でも……もうお別れだ。行って、早く。君が死ぬのは耐えられない」

「嫌よ! お願い、嫌っ…お別れなんて言わないでっ……! あたし、お腹の中にティート殿下の子がいるの!」

「――え?」

 と2人が耳を疑った瞬間、僅かに残っていたバッリエーラの割れる音が響いた。

 慌てて剣戟に集中する2人の耳に、引き続き民衆の女たちの声が聞こえてくる。

「わたしのお腹にもティート殿下の子がいるわ!」

「え? デボラ?」

「アタシもよ!」

「コルダ?」

「私も!」

「エリア?」

「嘘、あたしもよ!」

「マリエッタも?」

「ミアもなのに!」

「そうなの?」

「わたくしもですわよ、ティート殿下!」

「WOW! リビエラ姐さん52歳なのにやるぅ! そしておれもやるぅ!」

 しばしのあいだ、剣戟の音だけが辺りに響いた。

「――しっ……死ねねえぇぇぇっ!」

 と絶叫したティートの渾身の一撃が、大きなオスのピピストレッロの身体を大きく仰け反らせ、

「本当だよ!」

 と間髪入れず突っ込んだエルネストの剣の刃が、その肩から胸にかけて一本の赤い線を作った。

 焦る2人が、滅多矢鱈に刃を振るっていく。

「何してんのこの人!? いずれやらかすと思ってたけど、一気に、な、ななな、7人もっ……7人も!? 生きてちゃんと責任取ってくださいよ、この酒池肉林王子!」

「ああ、生きるううう! 生きるわ、おれえええ! でもあの、アイーダとデボラとコルダとエリアとマリエッタとミアとリビエラ? おれにもし何かあっても、養育費は心配しなくていい! ベルナデッタ女王陛下から毎月もらってる小遣いが国庫に貯めてあるから! おれに何かあったら7人で平等に分けて使って!」

「そのときは、良かったらぼくの貯金もどうぞ! お金の管理なんてほとんど出来ないティート殿下の貯金なんて、7人で分けたら雀の涙ほどしかないし!」

「やっべ、そうかもしんない! 連帯責任負わせて悪いな、エルネスト! おまえ流石フェーデ叔父上似だわ、頼りになるぅ! ――ってか、とりあえず今は逃げてくれ! おれの7人の天使たち!」

 泣き叫ぶ女たちの声に紛れ、セレーナの声が聞こえてくる。

「耐えて、2人とも! いい加減タロウ君たちが来てくれるはずだし、ルフィーナ王妃陛下に会ったらすぐにここへ来てもらうから!」

「待って、セレーナさん! ルフィーナ王妃陛下はここに来ちゃ駄目だ、こんなバケモノに会わせるのは危なすぎる! もしルフィーナ王妃陛下に会ったら、テレトラスポルトで父上か叔父上たちを呼んで来てもらうと助かる!」

「分かったわ、待っててね! 耐えてね、お願いだから!」

 とセレーナは「行くわよ!」というと、パネッテリーアの中にいる民衆と共に裏口から外へと出ていった。

 そして女たちの泣き声が遠ざかっていくと、ティートとエルネストから小さく安堵の溜め息が漏れる。

「エルネスト」

「スィー」

「さっきの嘘だ。諦めて素直に死なないで、なるべく長い時間――出来れば助けが来るまで――おれと一緒にこのバケモノと戦ってくれ。おれの7人の天使が逃げ切れなかったらと思うと、おれ死んでも死に切れないわ」

「はいはい」

「今おまえ呆れ顔?」

「当たり前でしょう。でも、最初から諦めようとしたのは反省してます。だって、見てください……このバケモノの翼」

 とエルネストが言うと、ティートがはっとした。

「こいつ……翼がボロボロじゃん」

「スィー。畳まれてるし、暗いし、気付かなかったけど……右翼の半分が無くなってる。よく見ると左翼も裂けてるし、穴だらけだ。さらに、もう治りかけてるけど右肩に傷を負った痕があるし、左手の小指も無い」

「まさか、コラード兄上たちか……!」

「きっとそうです。ぼくたちの兄上たちは、こんなバケモノ相手に勇敢に戦ったんだ。バッリエーラだって無かったはずなのに。大切な人たちを守るために、必死に戦ったんだ」

「どうかしてたわ、おれ……このバケモノ目の前にしたら、一瞬マストランジェロ一族の男だってこと忘れちまってた」

「本当、危うくマストランジェロ一族の男として失格になるところでした。セレーナさんの言ってた通り、そろそろレオーネ国から援軍が到着するはずです。父上・叔父上たちだって来てくれるかもしれないし、それまで諦めてないで耐えましょう」

「ああ、エルネスト……行くぞ!」

 と言うなり、ティートが「やばい!」と声を上げた。

「避けろ!」

 大きなオスのピピストレッロの爪に炎が揺らぐ。

 慌てて2人力を合わせてその巨体を押しやって距離を取り、一瞬の隙に足並み揃えて逃げていく。

「って、足並み揃えちゃ駄目じゃありません?」

「かもしんない」

 同じ方向へと逃げていく2人の背中を、案の定、巨大な蛇のような炎が追っていった。

「うわわわわわわっ!」

 と必死に疾走し、

「あちっ!」

 と飛び跳ね、

「ヒィィィィィッ!」

 とパネッテリーアや周囲の貴族の邸宅の壁をぐるぐると駆け回る。

 ふと大きなオスのピピストレッロの顔を見れば、余裕綽々としていた。

「クッソ! あいつ、おれたちで弄んでやがる!」

「ぼくたちはいつまで二人三脚してるんですか、ティート殿下! これじゃ助けが来る前に死ぬ上に、何も出来ないまま終わるよ! 兄上たちは、絶対もっと格好良く戦ったのに!」

「仕方ないだろ、チビたちと女を除けばおれたちが兄弟の中で一番下なんだから! おれたちは兄上たちに比べて場数を踏んでないんだ! それに戦場に出たって、父上たちが強すぎて基本やることねーし!」

「とにかく、早いとこ別々の方向に逃げましょう! で、炎の標的にならなかった方が奴に攻撃です!」

「ああ、分かった! でもどこを狙う?」

「身体はほとんど意味ないかも。だってさっき、ぼくは奴の身体を思い切り切り付けたはずなのに、浅くしか傷が入らなかった」

「じゃあ、翼だな! てか、奴の身体が柔かったとしても翼だろ! だって、見ろよ! こいつすでに翼がボロボロなのに、まだこんなやばい炎を使いやがる! さっきおまえが付けた傷ももう治りかけてるし、魔力が桁外れに高いんだ!」

「大変だ、王都が火の海にされちゃう! 魔力をもっと弱化させないと……!」

 とエルネストがティートと枝分かれし、方向転換して逃げていく。

 炎の蛇はその後を付いていった。

「ティート殿下、お願いします!」

 ティートが「おう!」と承知するなり、背を向けた大きなオスのピピストレッロの方へ駆けて行く。

「おれが左翼も半分にしてやる! おりゃっ!」

 と飛び跳ね、皮膜が裂けている左翼に向かって剣を振り下ろす。

 ガツン、と音がした。

「硬っ」

 大きなオスのピピストレッロが爪を振り回しながら振り返り、それを食らう寸前のところで、「わわっ」と剣で防御したティート。

 大きく弾かれた後、エルネストと交代して炎の蛇から逃げ出した。

「待て待てエルネスト、硬い。奴の翼の上部が想像以上に硬い!」

「それって骨ですか?」

「たぶんそうだ。物凄く硬いぞ、奴の骨! 右翼を半分切り落としたのって、たぶんコラード兄上だ!」

「じゃあ、ぼくには切り落とせない! だってぼくの力なんて、コラード陛下と比べたら子供並だし! 8歳くらいの」

「ああ、10歳くらいのおれにも無理! こんなん切り落とせるの、おれたち兄弟の中じゃあとはガルテリオくらいだ!」

「じゃあ、ぼくたちはひたすらに奴の皮膜を狙いましょう!」

「おう! 皮膜を裂いて裂いて、フリンジフランジャみたいにしてやろうぜ!」

 と2人が代わる代わる、大きなオスのピピストレッロの翼の皮膜を傷付けていく。

「あ、やっぱり翼を傷付けると、目に見えて炎が弱くなる!」

「よし! この調子で助けが来るまで頑張って耐えるぞ! そしておれ、来年最低でも7人の父親になるんだ!」

「そうですね! なんか僕も楽しみになってきた!」

 と血気盛んでいられるのは、ほんの一時のことだった。

 助けが一向に来ないまま駆け回っているうちに10分、20分と時間が経っていく。

 日々の鍛錬で体力には自信のある二人の息が弾み、足の動きが鈍くなり、上半身の鎧が破壊されて、傷を負っていく。

「ティート殿下! 大丈夫ですか!」

「ああ、左腕使えなくなっちまったけど、致命傷にはならないし気にするな。おまえこそ血だらけだぞ、大丈夫か?」

「動けなくはないので大丈夫です、気にしないでください。それより、ティート殿下……」

「ああ……やっぱり何かおかしいぞ」

 違和感を覚えた2人の顔色が変わっていく。

「ルフィーナ王妃陛下は王都中をテレトラスポルトで飛んでるから、セレーナさんが会えなくてもおかしくないし、それか父上や叔父上たちが持ち場を離れられない状態なのかもしれないと思う。でもおれが言いたいのは、そっちじゃなくて……」

「スィー、ティート殿下。どうしてまだ来ないんだろう、レオーネ国の援軍は……!」

「やっぱりテンテンに何かあったんだ」

「でも、何かあったとしたら一体どこで……まさかプリームラ町で?」

 少しのあいだ会話が途切れた後、2人の声が揃った。

「――プリームラ貴族か……!」

 そのとき、近くから女の悲鳴が聞こえた。

 振り返ると、大きなオスのピピストレッロを見て戦慄しているルフィーナの姿がある。

「こっちに来ては駄目です、ルフィーナ王妃陛下! 危険です!」

 とエルネストが声を上げると、ティートが続いた。

「今すぐ、父上か叔父上たちを呼んで来てください!」

「ス……スィー!」

 とテレトラスポルトを唱えようとしたルフィーナを、二人が「あ」と言って止めた。

「すみません、ルフィーナ王妃陛下。念のため伝言をお願いします」

 とティートが面頬を上げると、その自慢の碧眼が見えた。

 エルネストも「僕からも」と言って、碧眼を見せる。

 それは、焦ってその場でじたばたと足踏みをしながら二人を交互に見るルフィーナの若草色の瞳に、どこか穏やかに映った。

「父上に、おれの7人の天使をよろしくお願いしますって」

「ベルナデッタ女王陛下か国庫の管理担当のばあやに、ぼくの貯金をその7人の彼女たちに渡してくださいって」

 まったく冷静ではない現在の頭ではその意味を理解できなかったルフィーナだが、すぐに「スィー!」と返事をしてテレトラスポルトで飛んでいった。

 それから間もなくのこと。

 二人の足がもつれて前方によろけ、正面衝突する。

「わっとと」

 と満身創痍の互いの両肩を支え合った。

「あーあ、やっちまったか」

「伝言を頼んだら、ちょっと気が抜けてしまいましたね」

「おれの7人の天使は逃げ切れたかな」

「スィー、きっと」

「悪いな、おまえの貯金」

「お気になさらず」

「ありがとな」

「スィー」


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