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初めての弟ー5(本編52話省略分ー8)
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「――きゃあっ!」
とヴァレンティーナが顔を塞いで、背を向ける。
一方のガルテリオは「申し訳ありません!」と叫んで銀の杯を投げ出すと、目を白黒させながら布団を目の下まで被った。
「ティ、ティーナ殿下、な、何故ここに……!?」
「ご、ごめんなさい! さっきじいやが、ガルテリオがトーレとお風呂に入って行ったのを見たって言うから、てっきりまだ戻って来ていないものだと思って、お部屋の中で待たせてもらおうと……!」
「そ、そ、そ、そうですかっ……!」
少しのあいだ、静寂が流れた。
(私、遅かったんだわ……)
そう思ったヴァレンティーナが、「お邪魔しました」とこの場から逃げ出そうとしたとき、「お待ちください!」とレットの中から女の声が聞こえた。
「わたくしは、そういうものではありません!」
おそるおそるヴァレンティーナが振り返る。
ガルテリオの隣から顔を出したそれを見るなり、衝撃が胸を貫いた。
(――やっぱり)
今朝すれ違ったオルキデーア貴婦人だった。
「ガルテリオ……その女性、トーレたちの家庭教師じゃないのね」
「家庭教師です」とオルキデーア貴婦人が狼狽した様子で返した。
「わたくしは、たしかにサルヴァトーレ殿下たちの家庭教師です。ヴィルジニア殿下の本格的な教育も始まり、家庭教師の数が足りなくなったからと雇われたのです。それは嘘ではなく、本当のことです」
「そ…そうですか。でも……」
それだけには見えなかった。
脳裏にふと、元夫の浮気現場が蘇る。
あのときと重なって見えて、枕に並ぶ2人の顔を交互に見るヴァレンティーナの蒼の瞳に涙が浮かんでいく。
「やっぱり私が、子供出来ない身体だから? その女性、トーレたちの家庭教師の一方で、ガルテリオのお見合相手の方なんでしょう?」
「――ちっ、違います!」
とガルテリオが飛び起きた。
「この女性は決してそういうんじゃ……!」
「じゃあ、何?」
そう問われたガルテリオも、オルキデーア貴婦人も、「それは……」と口籠って俯く。
ヴァレンティーナが「いいのよ」と笑顔を作った。
「子孫を残すためだもの、分かってるわ。とても重要なことだって分かってるもの、責めてるのではないわ。分かってるわ……でも、でもっ……」
と、ヴァレンティーナの蒼の瞳から涙が溢れ出す。
胸が抉られるように痛かった。
「なんだかとても悲しいわ、ガルテリオっ……! 私のこと愛してるって言ったけど、それ本当?」
「ほ、本当です!」
「私の元夫は、子供が出来なかった私のことを愛さなかったわ。身体だけなら求められたけど、愛されている実感なんてまるで無かった。ガルテリオも本当はそういうことなんでしょう?」
「違います! 僕は本当に――」
「じゃあ、その女性が何なのか答えてよ!」
と感情的になってヴァレンティーナが甲高い声で叫ぶと、ガルテリオが再び「それは……」閉口した。
そのまま黙り込んだその姿を、ヴァレンティーナはしばしのあいだ見つめていた。
そして答えそうにないと判断すると、「もういい」と言って足早に戸口へと向かっていく。
「あっ……お待ちください、ティーナ殿下!」
とレットから飛び出そうとしたガルテリオが、慌てるあまりに「うわっ!」と床に転げ落ちる。
その一方で、部屋の扉が外から開けられた。
「すまんすまん、遅くなった。大国の仕事は本当に多くてなー」
と現れたのはフラヴィオで、すぐそこまで迫っていたヴァレンティーナと正面衝突しそうになり、慌てて「おっとと」とその肩を押さえた。
「――って、ティーナ? どうしたのだ?」
それは「おやすみなさい、父上」と返すと、ガルテリオの部屋を後にした。
「ティーナ……!」
愛娘の背を心配そうに見送ったフラヴィオが、レット脇に半裸で四つん這いになり、愕然としているガルテリオを鋭い碧眼で捕える。
「何をしているのだ、おまえは」
「終わった……」
「何がだ」
「ティーナ殿下に振られた上に、嫌われた……僕はもう、終わりだ。ああ……ああ、義父上、トーレ殿下を僕にください」
「うん?」
戸口からすっ飛んできたフラヴィオの靴が、破裂するような音を立ててガルテリオの顔面にめり込む。
「おまえといい、レオといい、兄弟揃ってふざけるなよ?」
「真面目です。僕にはもう、トーレ殿下しかいない……!」
と床に突っ伏すガルテリオを見て、フラヴィオが「だから」と語調を強くした。
「何をしているのだ、おまえは。何でそうなるのだ、おまえは」
「まったく振られていないではありませんか」
とオルキデーア貴婦人が続くと、ガルテリオが「え……?」と言った。
理解していない様子のガルテリオを見て、半ば呆れ顔になった二人が続ける。
「なんて鈍い奴だ。おまえ、本当に分からないのか?」
「ヴァレンティーナ殿下がガルテリオ様を好いているのは、誰でも一目瞭然ですよ」
「ただでさえボロボロになって帰ってきたというのに、余の愛娘をあんなに泣かせて、おまえという奴は……いやまったく、この」
と、もう片方の靴を手に取ったフラヴィオが、「たわけ者がぁっ!」と獅子のような咆哮を轟かせると同時に投げ放つ。
それは再びガルテリオの顔面に命中すると、靴底の向こうで血が噴き出した。
「ぼうっとしていないで、さっさとティーナを追い駆けろ! そして誤解を解いて、責任持って傷を癒して来い!」
「――ス、スィー!」
とガルテリオは飛び跳ねるように立ち上がると、まずはオルキデーア貴婦人に向かって「ありがとうございました」と頭を下げた。
その後、鼻血を腕で拭いながら戸口へと疾走し、廊下へ出る寸前にはっとして立ち止まる。
口を尖らせてフラヴィオの顔を見た。
「思えば、こんなことになったのは伯父上が悪いんじゃないですか。僕、今日は気分じゃないって言ったのに」
「うるさい、早くしろ。おまえはもう、性教育修了だ」
「スィー。お世話になりました」
と言った後に、一呼吸置いて「義父上」と付け足したガルテリオ。
拳骨が降ってくるかと思い、さっと頭を抱えたが、それは無反応だった。
「早くしろ、ティーナが傷付いて泣いている。部屋へ入っていった」
ガルテリオは「ありがとうございます」と深く頭を下げると、ヴァレンティーナの部屋へと駆けて行った。
扉を叩くと「はい」と聞こえたので、「お邪魔します」と中へ入って行く。
天井のシャンデリアの蝋燭を使用人、もしくは魔法使いたちが指一本でひょいと消していった後のようで、部屋が暗くなっていた。
如何にも王女らしい部屋の中、ヴァレンティーナは蝋燭消しを持ち、レット脇の灯りを消そうとしているところだった。
ガルテリオが近寄って行くと、それは振り返らずに口を開く。
「何の用? 見ての通り、もう寝るのだけど」
ツンとした声には、涙が滲んでいた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。正直に話します。さっき言えなかったのは、嫌われそうで怖いからで……」
「だからもう分かったわ。さっきの女性はお見合い相手なのでしょう?」
「違います。本当に」
ヴァレンティーナが振り返った。
だったら何なのかと、傷付いた瞳が問いかけている。
「その…マストランジェロ一族の男は、3つ頃から伯父上たちからだったり、『マストランジェロ王家男子家訓の書』を読んで女性について学び始めるんですが……」
それは聞いたことがあったヴァレンティーナが、「ええ」と相槌を打った。
「それで成長していって、ある程度の年齢になって、子作りが出来るようになると、その……伯父上の下で本格的な性教育が始まります」
「そう」
「その際の相手の女性が、さっきのオルキデーア貴族の……」
とガルテリオがおずおずとヴァレンティーナの顔色をうかがうと、それは数秒ほど黙考した様子を見せた後、「えっ」と驚いて目を見開いた。
「性教育って、女性相手に実践するのっ……!?」
「ス、スィー。伯父上に手取り足取り細かく指導され、マストランジェロ王家男子に代々伝承されてきた秘技を叩き込まれます」
「秘技……」
「も、申し訳ありません、申し訳ありませんっ……」
と、まるで妻に浮気がバレて捨てられそうになっている夫みたいな気分で土下座するガルテリオ。
「でも」と続けた。
「僕がティーナ殿下に伝えた気持ちに嘘偽りはありません。僕はお見合いをする気は無いし、ティーナ殿下以外との結婚は考えたことがありません……あ、いえ、さっきちょっとトーレ殿下と結婚しようと思ったけど」
「――って、トーレは男の子よガルテリオ……」
「も、申し訳ありません。ティーナ殿下のことを忘れて、別の女性と幸せになれと言われても、それがティーナ殿下の願いだと言われても、僕には難しくて……」
「だからって男の子のトーレって……」
「も、申し訳ありません。辛くて、苦しくて、つい……――って」
ガルテリオが、顔を上げてヴァレンティーナの顔を見る。
「ティーナ殿下の初恋は、たしかベルナデッタ女王陛下だったような……」
それまで苦笑を浮かべていたヴァレンティーナが、突如赤面した。
「そ、そうだったわ、ごめんなさい。人のこと言えないわね、私。で、でも今思えば恋じゃなくて、憧れって言った方がしっくり来るわ」
「本当ですか? 僕は実は、あのときも結構な衝撃を受けて――無論、男に恋されるよりはマシでしたが――ベルナデッタ女王陛下のように華奢になろうとした記憶があります」
「な、何それ?」
「僕はあのとき7つでしたがすでにゴツかったもので、食べる量をいつもの半分にしようとしたんです。ちゃんと食べろと父上たちに怒られて断念しましたが」
「ヤダ、そんなことしてたの? ごめんね、あの頃の私は可愛いものに目が無くて……まぁ、今もだけど」
とヴァレンティーナが言うと、ガルテリオが半裸になっている自身の身体を見て「申し訳ありません」と焦った。
武器と見間違ってしまいそうな腕で自身の身体を抱き締め、大きな肩や盛り上がった胸筋、バキバキの腹筋など隠そうとする。
「だ、だからごめんねガルテリオ? ベルは私の憧れで、たぶん恋じゃなかったし、ガルテリオは気にせずそのままでいて」
「ほ、本当ですか? だって未だにベルナデッタ女王陛下と仲が良いですし……」
「そうだけど、本当よ。私、この年になって初めて知ったの。恋って、こんななのね……」
とヴァレンティーナが俯いて顔を手で塞いだ。
「ちょっとしたことで悲しくなったり、胸が痛くなったり、取り乱したり……少し怖いわ」
ガルテリオが立ち上がって、ヴァレンティーナに近寄って行く。
ヴァレンティーナの目前で立ち止まり、「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
「僕はさっき伯父上に性教育の修了を認められましたし、もうティーナ殿下を傷付けるようなことはしないと約束します。好きです、ティーナ殿下。僕は本当に、ティーナ殿下を愛しています。これまでも、これからもです」
と「だから」と頭を上げた。
「僕を弟としてじゃなくて、ひとりの男として愛していただけませんか?」
ガルテリオの顔を見上げる蒼の瞳に、戸惑いの色が見えた。
「確認させて、ガルテリオ……本当に私でいいの? この先、子供出来なくても?」
「僕はティーナ殿下が良いんです。ティーナ殿下と結婚出来たら、それだけで僕はこの上なく幸せです。もちろん、子供が出来たら出来たで嬉しいですが……別にどうしても欲しいとは思わない」
「きゅ、急に子供が欲しくなったら? 私のこと捨てたり、愛さなくなったりしないっ……?」
「心配しなくても、僕の心はそんなに都合良く出来ていません」
「でも……」
元夫の裏切りや、さっき見た光景の衝撃がまだ残っていて、ここに来てまた決心が鈍ってしまったヴァレンティーナ。
自身はガルテリオに恋をしていると分かっていながらも返答に戸惑っていると、ガルテリオが「お願いします」と言った。
「僕を愛してください、ティーナ殿下。僕は…僕は本当に、ティーナ殿下のことが……」
それはこれまでヴァレンティーナの意志に従ってきたガルテリオの、初めてのお願いのような気がした。
榛の色の瞳が、哀願するようにヴァレンティーナを見つめている。
このヴァレンティーナが本当に好きなのだと、愛しているのだと訴えている。
自然と「分かったわ」と微笑が漏れた。
「私を選んでくれてありがとう、ガルテリオ。私、あなたを信じるわ」
と、決心したヴァレンティーナが、その大きな身体を抱き締めようと、両手を伸ばす。
それよりも僅かばかり先に、ガルテリオの腕がヴァレンティーナを抱き締めた。
とヴァレンティーナが顔を塞いで、背を向ける。
一方のガルテリオは「申し訳ありません!」と叫んで銀の杯を投げ出すと、目を白黒させながら布団を目の下まで被った。
「ティ、ティーナ殿下、な、何故ここに……!?」
「ご、ごめんなさい! さっきじいやが、ガルテリオがトーレとお風呂に入って行ったのを見たって言うから、てっきりまだ戻って来ていないものだと思って、お部屋の中で待たせてもらおうと……!」
「そ、そ、そ、そうですかっ……!」
少しのあいだ、静寂が流れた。
(私、遅かったんだわ……)
そう思ったヴァレンティーナが、「お邪魔しました」とこの場から逃げ出そうとしたとき、「お待ちください!」とレットの中から女の声が聞こえた。
「わたくしは、そういうものではありません!」
おそるおそるヴァレンティーナが振り返る。
ガルテリオの隣から顔を出したそれを見るなり、衝撃が胸を貫いた。
(――やっぱり)
今朝すれ違ったオルキデーア貴婦人だった。
「ガルテリオ……その女性、トーレたちの家庭教師じゃないのね」
「家庭教師です」とオルキデーア貴婦人が狼狽した様子で返した。
「わたくしは、たしかにサルヴァトーレ殿下たちの家庭教師です。ヴィルジニア殿下の本格的な教育も始まり、家庭教師の数が足りなくなったからと雇われたのです。それは嘘ではなく、本当のことです」
「そ…そうですか。でも……」
それだけには見えなかった。
脳裏にふと、元夫の浮気現場が蘇る。
あのときと重なって見えて、枕に並ぶ2人の顔を交互に見るヴァレンティーナの蒼の瞳に涙が浮かんでいく。
「やっぱり私が、子供出来ない身体だから? その女性、トーレたちの家庭教師の一方で、ガルテリオのお見合相手の方なんでしょう?」
「――ちっ、違います!」
とガルテリオが飛び起きた。
「この女性は決してそういうんじゃ……!」
「じゃあ、何?」
そう問われたガルテリオも、オルキデーア貴婦人も、「それは……」と口籠って俯く。
ヴァレンティーナが「いいのよ」と笑顔を作った。
「子孫を残すためだもの、分かってるわ。とても重要なことだって分かってるもの、責めてるのではないわ。分かってるわ……でも、でもっ……」
と、ヴァレンティーナの蒼の瞳から涙が溢れ出す。
胸が抉られるように痛かった。
「なんだかとても悲しいわ、ガルテリオっ……! 私のこと愛してるって言ったけど、それ本当?」
「ほ、本当です!」
「私の元夫は、子供が出来なかった私のことを愛さなかったわ。身体だけなら求められたけど、愛されている実感なんてまるで無かった。ガルテリオも本当はそういうことなんでしょう?」
「違います! 僕は本当に――」
「じゃあ、その女性が何なのか答えてよ!」
と感情的になってヴァレンティーナが甲高い声で叫ぶと、ガルテリオが再び「それは……」閉口した。
そのまま黙り込んだその姿を、ヴァレンティーナはしばしのあいだ見つめていた。
そして答えそうにないと判断すると、「もういい」と言って足早に戸口へと向かっていく。
「あっ……お待ちください、ティーナ殿下!」
とレットから飛び出そうとしたガルテリオが、慌てるあまりに「うわっ!」と床に転げ落ちる。
その一方で、部屋の扉が外から開けられた。
「すまんすまん、遅くなった。大国の仕事は本当に多くてなー」
と現れたのはフラヴィオで、すぐそこまで迫っていたヴァレンティーナと正面衝突しそうになり、慌てて「おっとと」とその肩を押さえた。
「――って、ティーナ? どうしたのだ?」
それは「おやすみなさい、父上」と返すと、ガルテリオの部屋を後にした。
「ティーナ……!」
愛娘の背を心配そうに見送ったフラヴィオが、レット脇に半裸で四つん這いになり、愕然としているガルテリオを鋭い碧眼で捕える。
「何をしているのだ、おまえは」
「終わった……」
「何がだ」
「ティーナ殿下に振られた上に、嫌われた……僕はもう、終わりだ。ああ……ああ、義父上、トーレ殿下を僕にください」
「うん?」
戸口からすっ飛んできたフラヴィオの靴が、破裂するような音を立ててガルテリオの顔面にめり込む。
「おまえといい、レオといい、兄弟揃ってふざけるなよ?」
「真面目です。僕にはもう、トーレ殿下しかいない……!」
と床に突っ伏すガルテリオを見て、フラヴィオが「だから」と語調を強くした。
「何をしているのだ、おまえは。何でそうなるのだ、おまえは」
「まったく振られていないではありませんか」
とオルキデーア貴婦人が続くと、ガルテリオが「え……?」と言った。
理解していない様子のガルテリオを見て、半ば呆れ顔になった二人が続ける。
「なんて鈍い奴だ。おまえ、本当に分からないのか?」
「ヴァレンティーナ殿下がガルテリオ様を好いているのは、誰でも一目瞭然ですよ」
「ただでさえボロボロになって帰ってきたというのに、余の愛娘をあんなに泣かせて、おまえという奴は……いやまったく、この」
と、もう片方の靴を手に取ったフラヴィオが、「たわけ者がぁっ!」と獅子のような咆哮を轟かせると同時に投げ放つ。
それは再びガルテリオの顔面に命中すると、靴底の向こうで血が噴き出した。
「ぼうっとしていないで、さっさとティーナを追い駆けろ! そして誤解を解いて、責任持って傷を癒して来い!」
「――ス、スィー!」
とガルテリオは飛び跳ねるように立ち上がると、まずはオルキデーア貴婦人に向かって「ありがとうございました」と頭を下げた。
その後、鼻血を腕で拭いながら戸口へと疾走し、廊下へ出る寸前にはっとして立ち止まる。
口を尖らせてフラヴィオの顔を見た。
「思えば、こんなことになったのは伯父上が悪いんじゃないですか。僕、今日は気分じゃないって言ったのに」
「うるさい、早くしろ。おまえはもう、性教育修了だ」
「スィー。お世話になりました」
と言った後に、一呼吸置いて「義父上」と付け足したガルテリオ。
拳骨が降ってくるかと思い、さっと頭を抱えたが、それは無反応だった。
「早くしろ、ティーナが傷付いて泣いている。部屋へ入っていった」
ガルテリオは「ありがとうございます」と深く頭を下げると、ヴァレンティーナの部屋へと駆けて行った。
扉を叩くと「はい」と聞こえたので、「お邪魔します」と中へ入って行く。
天井のシャンデリアの蝋燭を使用人、もしくは魔法使いたちが指一本でひょいと消していった後のようで、部屋が暗くなっていた。
如何にも王女らしい部屋の中、ヴァレンティーナは蝋燭消しを持ち、レット脇の灯りを消そうとしているところだった。
ガルテリオが近寄って行くと、それは振り返らずに口を開く。
「何の用? 見ての通り、もう寝るのだけど」
ツンとした声には、涙が滲んでいた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。正直に話します。さっき言えなかったのは、嫌われそうで怖いからで……」
「だからもう分かったわ。さっきの女性はお見合い相手なのでしょう?」
「違います。本当に」
ヴァレンティーナが振り返った。
だったら何なのかと、傷付いた瞳が問いかけている。
「その…マストランジェロ一族の男は、3つ頃から伯父上たちからだったり、『マストランジェロ王家男子家訓の書』を読んで女性について学び始めるんですが……」
それは聞いたことがあったヴァレンティーナが、「ええ」と相槌を打った。
「それで成長していって、ある程度の年齢になって、子作りが出来るようになると、その……伯父上の下で本格的な性教育が始まります」
「そう」
「その際の相手の女性が、さっきのオルキデーア貴族の……」
とガルテリオがおずおずとヴァレンティーナの顔色をうかがうと、それは数秒ほど黙考した様子を見せた後、「えっ」と驚いて目を見開いた。
「性教育って、女性相手に実践するのっ……!?」
「ス、スィー。伯父上に手取り足取り細かく指導され、マストランジェロ王家男子に代々伝承されてきた秘技を叩き込まれます」
「秘技……」
「も、申し訳ありません、申し訳ありませんっ……」
と、まるで妻に浮気がバレて捨てられそうになっている夫みたいな気分で土下座するガルテリオ。
「でも」と続けた。
「僕がティーナ殿下に伝えた気持ちに嘘偽りはありません。僕はお見合いをする気は無いし、ティーナ殿下以外との結婚は考えたことがありません……あ、いえ、さっきちょっとトーレ殿下と結婚しようと思ったけど」
「――って、トーレは男の子よガルテリオ……」
「も、申し訳ありません。ティーナ殿下のことを忘れて、別の女性と幸せになれと言われても、それがティーナ殿下の願いだと言われても、僕には難しくて……」
「だからって男の子のトーレって……」
「も、申し訳ありません。辛くて、苦しくて、つい……――って」
ガルテリオが、顔を上げてヴァレンティーナの顔を見る。
「ティーナ殿下の初恋は、たしかベルナデッタ女王陛下だったような……」
それまで苦笑を浮かべていたヴァレンティーナが、突如赤面した。
「そ、そうだったわ、ごめんなさい。人のこと言えないわね、私。で、でも今思えば恋じゃなくて、憧れって言った方がしっくり来るわ」
「本当ですか? 僕は実は、あのときも結構な衝撃を受けて――無論、男に恋されるよりはマシでしたが――ベルナデッタ女王陛下のように華奢になろうとした記憶があります」
「な、何それ?」
「僕はあのとき7つでしたがすでにゴツかったもので、食べる量をいつもの半分にしようとしたんです。ちゃんと食べろと父上たちに怒られて断念しましたが」
「ヤダ、そんなことしてたの? ごめんね、あの頃の私は可愛いものに目が無くて……まぁ、今もだけど」
とヴァレンティーナが言うと、ガルテリオが半裸になっている自身の身体を見て「申し訳ありません」と焦った。
武器と見間違ってしまいそうな腕で自身の身体を抱き締め、大きな肩や盛り上がった胸筋、バキバキの腹筋など隠そうとする。
「だ、だからごめんねガルテリオ? ベルは私の憧れで、たぶん恋じゃなかったし、ガルテリオは気にせずそのままでいて」
「ほ、本当ですか? だって未だにベルナデッタ女王陛下と仲が良いですし……」
「そうだけど、本当よ。私、この年になって初めて知ったの。恋って、こんななのね……」
とヴァレンティーナが俯いて顔を手で塞いだ。
「ちょっとしたことで悲しくなったり、胸が痛くなったり、取り乱したり……少し怖いわ」
ガルテリオが立ち上がって、ヴァレンティーナに近寄って行く。
ヴァレンティーナの目前で立ち止まり、「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
「僕はさっき伯父上に性教育の修了を認められましたし、もうティーナ殿下を傷付けるようなことはしないと約束します。好きです、ティーナ殿下。僕は本当に、ティーナ殿下を愛しています。これまでも、これからもです」
と「だから」と頭を上げた。
「僕を弟としてじゃなくて、ひとりの男として愛していただけませんか?」
ガルテリオの顔を見上げる蒼の瞳に、戸惑いの色が見えた。
「確認させて、ガルテリオ……本当に私でいいの? この先、子供出来なくても?」
「僕はティーナ殿下が良いんです。ティーナ殿下と結婚出来たら、それだけで僕はこの上なく幸せです。もちろん、子供が出来たら出来たで嬉しいですが……別にどうしても欲しいとは思わない」
「きゅ、急に子供が欲しくなったら? 私のこと捨てたり、愛さなくなったりしないっ……?」
「心配しなくても、僕の心はそんなに都合良く出来ていません」
「でも……」
元夫の裏切りや、さっき見た光景の衝撃がまだ残っていて、ここに来てまた決心が鈍ってしまったヴァレンティーナ。
自身はガルテリオに恋をしていると分かっていながらも返答に戸惑っていると、ガルテリオが「お願いします」と言った。
「僕を愛してください、ティーナ殿下。僕は…僕は本当に、ティーナ殿下のことが……」
それはこれまでヴァレンティーナの意志に従ってきたガルテリオの、初めてのお願いのような気がした。
榛の色の瞳が、哀願するようにヴァレンティーナを見つめている。
このヴァレンティーナが本当に好きなのだと、愛しているのだと訴えている。
自然と「分かったわ」と微笑が漏れた。
「私を選んでくれてありがとう、ガルテリオ。私、あなたを信じるわ」
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