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牛丼屋
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「らっしゃーませ~!」
とある日のお昼時。
この店は今日も入り口から奥の方まで荒々しき男たちでごった返し、目で見てすぐ分かるほどに繁盛していた。
「やっぱり、これ! うめーなぁ♪」
「いつもありがとうございます。当店自慢の一品を褒めていただけて嬉しいです! お客さん、もうすっかりとここの常連ですね~♪」
「まぁなっ! ここの飯、他の店とは違って独特の美味さがあってよ~。――ハッキリ言って中毒なんだわ! しかも安いっ!」
男はそう言ってこの店の店主である三原篤に向かい、グワッハッハッハッハーと快活に雄叫びのような笑い声をあげるのだった。
この男がここまで絶賛する料理を出す店、それはこの世界初であり唯一の料理を出す店である牛丼屋なのである。
地球ではありふれた庶民の定番ファストフードである、早い・安い・美味いと三拍子そろったお馴染みのあの飲食店だ。
この異世界は地球の歴史で言えば産業革命も遠い時代のまだまだ古めかしい文明度合いであり、現代日本のように機械なんて便利なものが存在しない。
つまりは人間の街を動かす動力源の全てが人力。
だからそれほど大きな街でなくとも、溢れかえるほどに肉体労働を担う労働者がたくさんいたのだ。
肉体労働をすれば腹が減る。
汗を掻けばしょっぱい食べ物が欲しくなる。
それに加え――肉体労働はどこへ行っても押し並べて低賃金である。
低賃金とは貧乏であるということ――。
とはいえこの時代しか知らぬ者らからすれば街に住む殆どの庶民がそれに該当し、そこまで『貧乏』って言うほどとは思われてはいないが……ここは学校なんてものの無い世界だ。
庶民といえば同じく肉体労働で生活している先輩らから仕事上の都合として教わった基本的な読み書きと簡単な計算ができるぐらいしか学が無い。
故に貧乏な家は何世代にもわたって貧乏であり、昔からその日暮らしをする者が多い。
だから豪商や特権階級にいる人らが食べているような御馳走に憧れも抱いていた。
そんな中で特に最近は、戦争によって潰れた近隣諸国から流れて来た移民が次々ともたらした外国料理というものが庶民の間でブームを巻き起こしているのだった。
贅沢はできない中でも、少しでもと豊かさを求めた末のことだろう。
「フフフフフッ! やっぱり牛丼は正義だな!」
店主はニヤリと口元を緩める。
昔から肉食文化の根強いこの国では肉類は日本人感覚からすればどれも安かったし、ブームとなっていた外国料理の影響からか醤油によく似た調味料もこの国に存在していたし……。
材料は全て揃っていたのだから当然だとばかりに店主は笑う。
とはいえ――低賃金労働者である者にとってはこの国でも肉なんてそうしょっちゅうは食べられるような代物ではない。
いくつかあるその理由の1つとして日本の様に薄切り肉を食べるなんて文化がなく、どれも大きなブロックでしか売っていないせいだろう。
所謂グラム単価でいくら安くても、買う時には大きな塊肉として買わなければならないので結局は結構な値段がする物となる。
庶民の――特に低賃金労働者にとっては、肉と言えば日々の食事を買う屋台で出される内臓だったり、どうやっても食べられないような硬いクズ肉のみ。
安い食事が提供される場なので屋台は低賃金労働者にとってはありがたい憩いの場ではあるが、それらの店の最下層に位置する更に安い物しか食べることができないのだ。
「ちゃんとした肉なのになんてことを――っ!?」
篤は最初、この世界のでよく食べられているクズ肉と豆の煮込みを食べた時に思わずそう叫んでしまった。
下処理が甘いせいで残った肉の臭みを唐辛子の様な辛い味付けをすることで誤魔化し、煮込み時間も少ないようでゴムのように硬かったからだ。
これではと――始めは肉屋に頼もうと考えていた肉塊の掃除作業も全て自力でやるしかないと思い、開店の準備段階から苦労もしたし「なんだ、こんな物っ!」と最初はクレームの連続であった。
低賃金労働者たちにとって日常的に食べられている薄汚れた茶色い肉と対比に存在する赤い肉は正に『御馳走』であり、それを食べることは中流階級以上の市民である象徴たる憧れの的。
その肉を安く日常的に食べられる日本ではお馴染みのあの店があれば皆が喜ぶはずだと店主は思っていたのに――赤い肉を安く食べる事は憧れを汚す事とも言われて誹謗中傷も受けた。
が、今ではその苦労もなんのそのと、この繁盛っぷり。
「じゃ、ごっそさ~ん!」
「毎度あり~♪」
客の男は机にジャラリと代金である3枚の銅貨を置き、満足気な顔をして店から去って行った。
次から次へと来店する客を捌き、忙しい中でも絶やさず笑顔を客に向ける店主はこの日々に充実していた。
「まさか異世界に来てしまったと分かった時はどうなる事かと思ったけど……念願の店も開業できたし、軌道に乗って。最初の頃が嘘のようだな~。」
この店の店主である篤は日本であの某有名チェーン店である牛丼屋で働いていた。
高校生の頃から部活帰りにちょくちょくと通いだし、好きが高じて大学時代にはアルバイトをし、ついには正社員となるに至るまでこの牛丼屋を篤は好き――いや、愛していた。
入社して暫く後に商品開発部門へと配属されてからは上司に将来を期待されるまでの功績を残し、まだまだあの会社でやりたい事も多く残っていたというのに……。
「まさか――――だよな~ぁ。」
何の因果か篤は寝ている間に異世界へと飛ばされ、こうしてこの地にて生きることになったのである。
だがそこは思い切りの良い性格が幸いし、この異世界へと飛ばされてしまった原因も分からないんじゃ戻り様も無いしと、数日足掻いた後に案外あっさりと諦めた。
楽観的――といえば聞こえは悪いかもしれないが、篤とは過去を嘆くのではなく未来に目を向けることのできる人間なのだ!
「何はともあれ、生きて行かなきゃだしなぁ。言葉は――――田舎訛りの英語と言うか……前にユーチューブの動画で見た古い時代の英語っぽい。知っている英語とは少し違うが、身振り手振りを加えれば何とか通じるかなって感じだし――大丈夫…………大丈夫!」
目の前にある焚火に手をかざしながらブツブツと独り言を言いつつ、不安を振り払うかのように自分を鼓舞する男が一人。
「まだ――寒い?」
そんな篤を背後からじっと見つめていた30代後半程度に見える女性が話しかけてくる。
「だ、だいじょうぶ!」
色々とこれからのことを考えていた最中だったので体がビクリとしたが、声のした方へと振り返って笑顔を作り、焦ってたどたどしくも返事をして問題がないことを身振り手振りも交えてアピールした。
実は……この女性――の夫が命の恩人なのだった。
なぜなら日本の5月ぐらいの気候の中、聞いたところによると篤はさっきまで川の中で溺れていたらしい……。
それを生活向上を夢見て小さな村から街に移り住む為にと、旅をしていた通りがかりのこの家族に助けられたというわけだ。
奥さんが一番初めに川の中でもがく篤を発見し、横にいた夫に話すとすぐさま飛び込んでくれて……。
川で水浴びをする旅人がいたりすることはあるが、まだまだ川の中に入るには肌寒い気候ゆえにどうして川の中なんかにと、助け出された篤は何度も質問されたのだった。
でも――答えようがない。
なにしろそこに至るまでの記憶というものがすっぽ抜け、目が覚めれば川の中に沈んでいて溺れていたという経緯で……篤自身でも分からないのだから。
それで押し黙っていると何か訳ありなのかと察してそれ以上詮索することもなく、この家族は優しく接してくれたのだった。
しかも体が冷えただろうと、すぐさま焚き火まで用意してくれ――。
「君も一緒に来るかい? それで暫く一緒に暮らそうか。うちも余裕があるって訳ではないが……少し言葉が訛っているし移民なんだろ? 外国で一人というのも心細いだろうし……。」
と、篤の様子を見ていた旦那さんからなんとも渡りに船とも言うべき有り難い申し出を受けることになったのだった。
「あ、ありが――とう!」
その温かい言葉から篤の目からは涙がジワリと滲み出てきた。
旦那さんは泣きだした篤を抱きしめ、背中をポンポンと優しく叩く。
「生きていりゃその内に良い事だってあるさ……なぁ?」
冷たい水に浸かって互いに冷えているはずの体なのに、篤は抱きしめられた旦那さんを温かいと感じた。
その後、男2人で泣いていると馬車で寝ていた二人の子供が何事かと起きてきたので紹介される。
まだ眠い目を擦って立つ幼い男の子と、中学生ぐらいの女の子の姉弟。
2人の子供と「よろしく」と言って握手を交わし、一路街へ。
とは言っても今いる川からは2~3キロで、馬車旅を楽しむ間もあまりなくすぐ着いた。
街の仕組みもルールも分からない篤にとっては戸惑うことも多かったが何とかやってこれたのもこの家族あってのこと。
英語が通じたということもあり、初めは「もしかしてタイムスリップでもしたのか!?」と思って不安になってしまったが――違った。
気が付いたのは街の中に入ってすぐだった。
随分と背の低い小さな人がいるなと口にすればそれはドワーフ族なのだと奥さんに説明を受け、篤は目を点にして言葉を失った。
更には街の中の方へとずーっと進んでいけば、アニメやゲームの中でしか見たことのないありとあらゆるファンタジーな種族がお出ましになり、眼前を通り過ぎていくのだった。
エルフにジャイアント、身体に角だったりの獣的特徴を一部持つ亜人などなど……。
「これは……いわゆる……『異世界』とかいう――。」
例えタイムスリップであったとしても驚きではあるが、時代は違えども同じ『地球』ではあるということで少しばかりは安心できていたのに――。
それが全くの知らない場所――『異世界』であるというのだから…………。
その驚きから突然、底の無い落とし穴にでも落とされたかのような衝撃を覚えて目の前が真っ暗になったのだった。
よくあるラノベやアニメよろしく『異世界』を楽しむだなんて余裕は生まれず、篤はその時絶望の底にいた。
「こんな――こんな異世界で俺はどうやって……。」
この地が――自らの足が踏みしめている大地が地球でないというだけでまるで母に、故郷に見捨てられたような気持ちになった。
自分のアイデンティティ――繋がりを断たれた篤に残されたもの……。
「牛丼――――っ!!」
それだった。
「あっちゃん! またお客さん来たよー!!」
「はいよ~!」
小さな屋台から始まった牛丼屋も、今ではそれなりの大きさの店を持つまでになった。
あの時命を助けてくれた一家の若い娘も、異国人である篤の事が心配だからと手伝うようになり、今では――。
「店長~、独り者の俺たちにそんな見せつけないでくれよ~。もう結婚しちまいな~!」
「えっ? いや……その――。」
客にヒューヒューとはやし立てられて揶揄われる度に、娘は顔を真っ赤にした。
篤は篤で、何と言えば良いのか分からずに返事に困る様子であった。
それもそのはずで、現代日本人の篤の感覚からすればこの娘は完全にアウトっ!
アウトなのだ。
三十歳目前の男が十四歳とだなんて――犯罪である。
しかしながらこの世界においてはよくある話らしく、継ぐ家業も持っていない庶民の男が結婚できるのはそれなりに財産を築いた後というのが当たり前なのが常識。
勿論、財産も築けなければ結婚はできずに一生独身で……。
女の方に至っては子供を産める年齢イコール成人年齢なので十四、五ともなれば殆どの人が結婚済。
余程の問題さえ抱えていなければ十二歳を過ぎる頃には引く手数多で、お見合い話がわんさかとき始めたりする。
それに加えて容姿が美しいだとか、庶民でもそれなりの教育が受けられるような金持ちの家で生まれ育った娘であれば、成人前に結婚相手が決まっているのもざらなのだ。
そんな中で流行りの店を経営している独り者の篤が、共に店を切り盛りする娘とこの世界の住人から見ればまるで既に夫婦の様なのにと……。
いつまで経ってもくっ付かないことに常連たちはヤキモキするばかりであり、なんとかくっ付けようとこうして茶化していた。
「お客さん……。俺たちはそういうのじゃ――――。」
「そういうって――。カーッ、これだからなまじ賢いヤツはいけねぇ。その娘を見てみろっ! 惚れられてるって誰もが分かる振る舞いなのにいつまでも放置してると逃げられちまうぞ。」
そんな話をしていると扉がガラリと開き、また新たな客が入ってきた。
「らっしゃーませ~!」
「ここって何の店なの?」
客からのその問いかけに娘は答えた。
「すぐお出しできて美味しくて満足感たっぷりの牛丼という肉料理がお安く食べれる、労働者みんなの味方のお店ですよ♪」
とある日のお昼時。
この店は今日も入り口から奥の方まで荒々しき男たちでごった返し、目で見てすぐ分かるほどに繁盛していた。
「やっぱり、これ! うめーなぁ♪」
「いつもありがとうございます。当店自慢の一品を褒めていただけて嬉しいです! お客さん、もうすっかりとここの常連ですね~♪」
「まぁなっ! ここの飯、他の店とは違って独特の美味さがあってよ~。――ハッキリ言って中毒なんだわ! しかも安いっ!」
男はそう言ってこの店の店主である三原篤に向かい、グワッハッハッハッハーと快活に雄叫びのような笑い声をあげるのだった。
この男がここまで絶賛する料理を出す店、それはこの世界初であり唯一の料理を出す店である牛丼屋なのである。
地球ではありふれた庶民の定番ファストフードである、早い・安い・美味いと三拍子そろったお馴染みのあの飲食店だ。
この異世界は地球の歴史で言えば産業革命も遠い時代のまだまだ古めかしい文明度合いであり、現代日本のように機械なんて便利なものが存在しない。
つまりは人間の街を動かす動力源の全てが人力。
だからそれほど大きな街でなくとも、溢れかえるほどに肉体労働を担う労働者がたくさんいたのだ。
肉体労働をすれば腹が減る。
汗を掻けばしょっぱい食べ物が欲しくなる。
それに加え――肉体労働はどこへ行っても押し並べて低賃金である。
低賃金とは貧乏であるということ――。
とはいえこの時代しか知らぬ者らからすれば街に住む殆どの庶民がそれに該当し、そこまで『貧乏』って言うほどとは思われてはいないが……ここは学校なんてものの無い世界だ。
庶民といえば同じく肉体労働で生活している先輩らから仕事上の都合として教わった基本的な読み書きと簡単な計算ができるぐらいしか学が無い。
故に貧乏な家は何世代にもわたって貧乏であり、昔からその日暮らしをする者が多い。
だから豪商や特権階級にいる人らが食べているような御馳走に憧れも抱いていた。
そんな中で特に最近は、戦争によって潰れた近隣諸国から流れて来た移民が次々ともたらした外国料理というものが庶民の間でブームを巻き起こしているのだった。
贅沢はできない中でも、少しでもと豊かさを求めた末のことだろう。
「フフフフフッ! やっぱり牛丼は正義だな!」
店主はニヤリと口元を緩める。
昔から肉食文化の根強いこの国では肉類は日本人感覚からすればどれも安かったし、ブームとなっていた外国料理の影響からか醤油によく似た調味料もこの国に存在していたし……。
材料は全て揃っていたのだから当然だとばかりに店主は笑う。
とはいえ――低賃金労働者である者にとってはこの国でも肉なんてそうしょっちゅうは食べられるような代物ではない。
いくつかあるその理由の1つとして日本の様に薄切り肉を食べるなんて文化がなく、どれも大きなブロックでしか売っていないせいだろう。
所謂グラム単価でいくら安くても、買う時には大きな塊肉として買わなければならないので結局は結構な値段がする物となる。
庶民の――特に低賃金労働者にとっては、肉と言えば日々の食事を買う屋台で出される内臓だったり、どうやっても食べられないような硬いクズ肉のみ。
安い食事が提供される場なので屋台は低賃金労働者にとってはありがたい憩いの場ではあるが、それらの店の最下層に位置する更に安い物しか食べることができないのだ。
「ちゃんとした肉なのになんてことを――っ!?」
篤は最初、この世界のでよく食べられているクズ肉と豆の煮込みを食べた時に思わずそう叫んでしまった。
下処理が甘いせいで残った肉の臭みを唐辛子の様な辛い味付けをすることで誤魔化し、煮込み時間も少ないようでゴムのように硬かったからだ。
これではと――始めは肉屋に頼もうと考えていた肉塊の掃除作業も全て自力でやるしかないと思い、開店の準備段階から苦労もしたし「なんだ、こんな物っ!」と最初はクレームの連続であった。
低賃金労働者たちにとって日常的に食べられている薄汚れた茶色い肉と対比に存在する赤い肉は正に『御馳走』であり、それを食べることは中流階級以上の市民である象徴たる憧れの的。
その肉を安く日常的に食べられる日本ではお馴染みのあの店があれば皆が喜ぶはずだと店主は思っていたのに――赤い肉を安く食べる事は憧れを汚す事とも言われて誹謗中傷も受けた。
が、今ではその苦労もなんのそのと、この繁盛っぷり。
「じゃ、ごっそさ~ん!」
「毎度あり~♪」
客の男は机にジャラリと代金である3枚の銅貨を置き、満足気な顔をして店から去って行った。
次から次へと来店する客を捌き、忙しい中でも絶やさず笑顔を客に向ける店主はこの日々に充実していた。
「まさか異世界に来てしまったと分かった時はどうなる事かと思ったけど……念願の店も開業できたし、軌道に乗って。最初の頃が嘘のようだな~。」
この店の店主である篤は日本であの某有名チェーン店である牛丼屋で働いていた。
高校生の頃から部活帰りにちょくちょくと通いだし、好きが高じて大学時代にはアルバイトをし、ついには正社員となるに至るまでこの牛丼屋を篤は好き――いや、愛していた。
入社して暫く後に商品開発部門へと配属されてからは上司に将来を期待されるまでの功績を残し、まだまだあの会社でやりたい事も多く残っていたというのに……。
「まさか――――だよな~ぁ。」
何の因果か篤は寝ている間に異世界へと飛ばされ、こうしてこの地にて生きることになったのである。
だがそこは思い切りの良い性格が幸いし、この異世界へと飛ばされてしまった原因も分からないんじゃ戻り様も無いしと、数日足掻いた後に案外あっさりと諦めた。
楽観的――といえば聞こえは悪いかもしれないが、篤とは過去を嘆くのではなく未来に目を向けることのできる人間なのだ!
「何はともあれ、生きて行かなきゃだしなぁ。言葉は――――田舎訛りの英語と言うか……前にユーチューブの動画で見た古い時代の英語っぽい。知っている英語とは少し違うが、身振り手振りを加えれば何とか通じるかなって感じだし――大丈夫…………大丈夫!」
目の前にある焚火に手をかざしながらブツブツと独り言を言いつつ、不安を振り払うかのように自分を鼓舞する男が一人。
「まだ――寒い?」
そんな篤を背後からじっと見つめていた30代後半程度に見える女性が話しかけてくる。
「だ、だいじょうぶ!」
色々とこれからのことを考えていた最中だったので体がビクリとしたが、声のした方へと振り返って笑顔を作り、焦ってたどたどしくも返事をして問題がないことを身振り手振りも交えてアピールした。
実は……この女性――の夫が命の恩人なのだった。
なぜなら日本の5月ぐらいの気候の中、聞いたところによると篤はさっきまで川の中で溺れていたらしい……。
それを生活向上を夢見て小さな村から街に移り住む為にと、旅をしていた通りがかりのこの家族に助けられたというわけだ。
奥さんが一番初めに川の中でもがく篤を発見し、横にいた夫に話すとすぐさま飛び込んでくれて……。
川で水浴びをする旅人がいたりすることはあるが、まだまだ川の中に入るには肌寒い気候ゆえにどうして川の中なんかにと、助け出された篤は何度も質問されたのだった。
でも――答えようがない。
なにしろそこに至るまでの記憶というものがすっぽ抜け、目が覚めれば川の中に沈んでいて溺れていたという経緯で……篤自身でも分からないのだから。
それで押し黙っていると何か訳ありなのかと察してそれ以上詮索することもなく、この家族は優しく接してくれたのだった。
しかも体が冷えただろうと、すぐさま焚き火まで用意してくれ――。
「君も一緒に来るかい? それで暫く一緒に暮らそうか。うちも余裕があるって訳ではないが……少し言葉が訛っているし移民なんだろ? 外国で一人というのも心細いだろうし……。」
と、篤の様子を見ていた旦那さんからなんとも渡りに船とも言うべき有り難い申し出を受けることになったのだった。
「あ、ありが――とう!」
その温かい言葉から篤の目からは涙がジワリと滲み出てきた。
旦那さんは泣きだした篤を抱きしめ、背中をポンポンと優しく叩く。
「生きていりゃその内に良い事だってあるさ……なぁ?」
冷たい水に浸かって互いに冷えているはずの体なのに、篤は抱きしめられた旦那さんを温かいと感じた。
その後、男2人で泣いていると馬車で寝ていた二人の子供が何事かと起きてきたので紹介される。
まだ眠い目を擦って立つ幼い男の子と、中学生ぐらいの女の子の姉弟。
2人の子供と「よろしく」と言って握手を交わし、一路街へ。
とは言っても今いる川からは2~3キロで、馬車旅を楽しむ間もあまりなくすぐ着いた。
街の仕組みもルールも分からない篤にとっては戸惑うことも多かったが何とかやってこれたのもこの家族あってのこと。
英語が通じたということもあり、初めは「もしかしてタイムスリップでもしたのか!?」と思って不安になってしまったが――違った。
気が付いたのは街の中に入ってすぐだった。
随分と背の低い小さな人がいるなと口にすればそれはドワーフ族なのだと奥さんに説明を受け、篤は目を点にして言葉を失った。
更には街の中の方へとずーっと進んでいけば、アニメやゲームの中でしか見たことのないありとあらゆるファンタジーな種族がお出ましになり、眼前を通り過ぎていくのだった。
エルフにジャイアント、身体に角だったりの獣的特徴を一部持つ亜人などなど……。
「これは……いわゆる……『異世界』とかいう――。」
例えタイムスリップであったとしても驚きではあるが、時代は違えども同じ『地球』ではあるということで少しばかりは安心できていたのに――。
それが全くの知らない場所――『異世界』であるというのだから…………。
その驚きから突然、底の無い落とし穴にでも落とされたかのような衝撃を覚えて目の前が真っ暗になったのだった。
よくあるラノベやアニメよろしく『異世界』を楽しむだなんて余裕は生まれず、篤はその時絶望の底にいた。
「こんな――こんな異世界で俺はどうやって……。」
この地が――自らの足が踏みしめている大地が地球でないというだけでまるで母に、故郷に見捨てられたような気持ちになった。
自分のアイデンティティ――繋がりを断たれた篤に残されたもの……。
「牛丼――――っ!!」
それだった。
「あっちゃん! またお客さん来たよー!!」
「はいよ~!」
小さな屋台から始まった牛丼屋も、今ではそれなりの大きさの店を持つまでになった。
あの時命を助けてくれた一家の若い娘も、異国人である篤の事が心配だからと手伝うようになり、今では――。
「店長~、独り者の俺たちにそんな見せつけないでくれよ~。もう結婚しちまいな~!」
「えっ? いや……その――。」
客にヒューヒューとはやし立てられて揶揄われる度に、娘は顔を真っ赤にした。
篤は篤で、何と言えば良いのか分からずに返事に困る様子であった。
それもそのはずで、現代日本人の篤の感覚からすればこの娘は完全にアウトっ!
アウトなのだ。
三十歳目前の男が十四歳とだなんて――犯罪である。
しかしながらこの世界においてはよくある話らしく、継ぐ家業も持っていない庶民の男が結婚できるのはそれなりに財産を築いた後というのが当たり前なのが常識。
勿論、財産も築けなければ結婚はできずに一生独身で……。
女の方に至っては子供を産める年齢イコール成人年齢なので十四、五ともなれば殆どの人が結婚済。
余程の問題さえ抱えていなければ十二歳を過ぎる頃には引く手数多で、お見合い話がわんさかとき始めたりする。
それに加えて容姿が美しいだとか、庶民でもそれなりの教育が受けられるような金持ちの家で生まれ育った娘であれば、成人前に結婚相手が決まっているのもざらなのだ。
そんな中で流行りの店を経営している独り者の篤が、共に店を切り盛りする娘とこの世界の住人から見ればまるで既に夫婦の様なのにと……。
いつまで経ってもくっ付かないことに常連たちはヤキモキするばかりであり、なんとかくっ付けようとこうして茶化していた。
「お客さん……。俺たちはそういうのじゃ――――。」
「そういうって――。カーッ、これだからなまじ賢いヤツはいけねぇ。その娘を見てみろっ! 惚れられてるって誰もが分かる振る舞いなのにいつまでも放置してると逃げられちまうぞ。」
そんな話をしていると扉がガラリと開き、また新たな客が入ってきた。
「らっしゃーませ~!」
「ここって何の店なの?」
客からのその問いかけに娘は答えた。
「すぐお出しできて美味しくて満足感たっぷりの牛丼という肉料理がお安く食べれる、労働者みんなの味方のお店ですよ♪」
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