最狂公爵閣下のお気に入り

白乃いちじく

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第三章 愛と欲望の狭間

第百三十四話 呪いを解く定番は

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 サマンサが震える声を紡いだ。

「ダーリン、どうして? 愛しているのよ」

 シリウスの眼差しは揺るがない。穏やかさを湛えたままだ。

「私も愛していた。かつては……。こうして君が戻ってくる日を、ずっと夢見ていた」
「なら……」

 サマンサは踏み出そうとするも、シリウスがそれを止めた。

「駄目だ。私には既に愛する者がいる。過去にはもう戻れない、戻れないんだ、サマンサ。だから、さよならだ。あの時どうしても口に出来なかった言葉を、今、君に贈ろう。君は自由だ、サマンサ。どうか幸せに……」

 幸せになってくれ……
 そう言ってシリウスが微笑む。
 幸せに……これがどうしても口に出来ず、眠れない夜をどれほど過ごしただろう。サマンサと共に生きられないことが悲しくて苦しくて……。どうして自分のもとを離れていったと、恨む気持ちにさえなった。

 けれど愛した者だから、せめてその幸せを願おうと、そう思っても、そのたった一言がどうしても、どうしても口に出来なかった。幸せに? 願えない……。愛しているのにどうしても……。愛した者に向ける罵声ほど辛いものはない。

 待って待って待ち続けて、やがて期待することにも疲れて、過去の思い出を封印した。楽しかった筈の記憶すら辛くて、目を背けた。なのに、不思議だ。今の自分はどうだろう。こうして過去と向き合えている。
 ティナ、ティナ、私のティナ……

 きっと君のお陰なのだろう。君と過ごした日々が、私を変えてくれた。新しい心を与えてくれた。だからこそ、こうして口に出来るようになったのだと思う。
 幸せに、と……

 微笑むシリウスの顔に迷いはなくて、その事実がサマンサを打ちのめした。本当に未練はないのだと思い知らされる。
 生涯シリウスの心は自分にあると、サマンサは信じて疑わなかった。シリウスの心は死ぬまで自分のものだと……
 そして彼が死ねば、その愛は永久となる。共に生きられなくともシリウスの永久の愛が手に入ると、そう思っていた。それが覆され、彼女の動揺は計り知れない。
 サマンサは首を振った。嫌々をするように。

「嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ嫌よ、あなたは私のものだもの! 私だけの! たとえ離れても、心は、心だけはずっと一緒だって、そう思っていたわ? だから離れても大丈夫だったのに……。あなたを他の女のものになんかさせないわ、絶対に!」

 サマンサが手にしていた何かをシリウスに叩きつけた。卵のようなものが割れ、シリウスの体が虹色の輝きで覆われる。
 魔術の発動を感知し、シリウスは驚きに目を見張った。
 水? 違う、これは古竜の滴だ。古き竜の遺産……
 古き竜、エンシェントドラゴンが残した古竜の滴は、ドラゴンだけが使える強力な魔道具のようなもの。自分の望みを形に出来る。
 ぐらりとシリウスの視界が揺れた。

「サマンサ、何、を……」

 した? 最後まで言い切ること出来ず、シリウスはその場にどうっと倒れた。それを目にしたセレスティナが悲鳴を上げ、いち早く動いたのが銃騎士のダグラスだ。シリウスを庇うように前に立ち、サマンサに銃口を向ける。

「下がれ、下がれ! あんた公爵様に何をした?」

 倒れているシリウスを視界の端に捕らえ、チッと舌打ちを漏らす。ダグラスは自分の迂闊さを呪った。まさか、よりによって彼女が! かつては最愛であった彼女が、シリウスに危害を加えるとは思っていなかった。油断という失態だ。

「シリウス! シリウスー!」

 駆け寄ったセレスティナが、半狂乱になってシリウスを揺さぶるけれど、目を覚まさない。まぶたは硬く閉じられたままだ。医師であるバーニー・ルース卿もまた駆け寄り、シリウスの無事を確かめる。

「な、何もしていないわ!」

 サマンサが叫び、ダグラスがいきり立つ。

「何もしていなくて、どうして公爵様が倒れるんだ!」
「記憶を奪っただけよ!」
「え……」
「そうよ、たった十三年分の記憶を消しただけ! 私と別れる前まで時を巻き戻しただけよ! 直ぐに目を覚ますわ! 私がシリウスに危害を加えるわけがないでしょう?」
「な……」

 ダグラスは絶句する。
 じゃ、じゃあ、公爵様は二十三才まで若返っちまったってことか? たった十三年分って……うっそだろ。何てこった。人間にとっちゃ一大事だってのに、何でもない事みたいに言いやがって。ドラゴンの感覚には付いていけない。

 周囲は騒然となった。
 公爵であるシリウスが倒れたことにより、オルモード邸の防御システムが作動し、黒いボディの戦闘用マジックドール達が続々と姿を現し、会場内をぐるりと取り囲んだからだ。全ての銃口がサマンサを狙っている。

「ママの馬鹿ー」

 パアンと派手な音が鳴り響く。シャーロットがサマンサの頬を叩いたのだ。

「なんでパパの記憶を奪ったりしたのよ?」
「そうすれば、ダーリンは私の所へ戻ってくるもの!」

 幸せだった頃に戻れば、私を選ぶわ、そうでしょう?
 サマンサの言い分に、シャーロットは怒り心頭だ。

「パパの事、ダーリンなんて呼ばないで! そんな権利、ママにはない! パパを捨てたくせに! 今更よ! わたくし達がどんな思いでここまで来たと思ってるのよ!」
「だからやり直せば」
「やり直したくなんかない!」

 シャーロットがまなじりを吊り上げる。

「ママと暮らせるのよ?」
「暮らしたくなんかないわよ! パパだってさようならだって言ったじゃない! 全部全部ママの都合よ! やっとやっと、パパはティナと一緒になって、幸せになれるところだったのに! ママは自分の事しか考えていない! いつだってそうよ! 別れた時だってパパの事考えた? わたくし達の事だって!」

 サマンサの琥珀色の瞳が、双子の片割れであるイザークに向く。

「イザーク?」

 サマンサの哀願口調に、イザークは顔をしかめた。母親の姿は記憶にあるものと寸分違わない。懐かしさに胸が詰まる。自分はどちらかと言えば母親よりだ。庇ってやりたいとは思ったが、流石にこれは容認できなかった。呻くように言う。

「母上、悪いけど……俺もシャルと同意見だ。記憶ってのは生きた証……何よりも大事なもんなんだよ。それを他人が勝手に奪っていいわけがない。俺だって、そんな真似されたら一生恨みそうだ」

 ジェシーの事を忘れちまうなんて、許せない。そう口にし、イザークは寄り添うように立つジャネットの手を握る。震える肩は怒りを抑えているためかもしれない。

「パパを元に戻して!」
「心配しなくても! 私との熱々のキスで元に戻るわよ!」

 サマンサの叫びに、シャーロットは眉をひそめた。

「はあ?」

 サマンサが場違いなまでに、うっとりとなった。まるで恥じらう乙女のよう。

「ほ、ほらあ、呪いを解く定番でしょう? 呪いを解くには愛する者のキスが必要なのよ。だからね、シリウスと両思いの女が彼にキスをすれば、直ぐに呪いは解け……って、ちょっとちょっとちょっと、何やってるのよ!」

 シャーロットの行動にサマンサは目を剥いた。シリウスに取りすがって泣いているセレスティナの背を押し、さ、ほら、ぶちうっと、などと促している。
 サマンサがヒステリックに叫んだ。

「その女じゃ効果ないわよ! ダーリンに愛されてないじゃない!」
「馬鹿言わないで! 相思相愛ならティナよ!」

 シャーロットが負けじと言い返す。

「違うわ、私よ! 間違った記憶は消したんだから、今のダーリンは私を見ているはずよ? キスしたって無駄よ。効果なんかあるもんですか!」

 ふふんっとサマンサが得意げに笑い、シャーロットが目を剥いた。

「なによそれ! ママとキスをしないと、パパの記憶が戻らないってこと?」
「私への愛を思い出すための呪いなんだから、当然でしょ!」

 シャーロットが地団駄を踏む。

「何よそれぇ! ママの根性曲がり! 記憶が戻ったら、絶対パパに嫌われるわ! 今度こそ絶縁よ! 顔も見たくないってなるに決まってる!」
「そんなことない! ほんのちょっと、そうよ、ほんの少し目が曇って、寄り道をしただけだもの。シリウスが目を覚ましたら、彼と熱々のキスをして、シリウスが真実愛しているのは私なんだって証明してあげるわ!」
「証明なんてゴメンよ! ティナが泣いちゃうじゃない! あっちへ行って!」

 シャーロットがしっしと追い払う仕草をし、今の今まで二人のやりとりを聞いていたアルゴンが呆然と言った。

「サマンサ……ま、まさか、とは思うが、それが目的か? ドラゴンの秘宝を用いてまでシリウスの記憶を消したのは、彼と復縁したかったから? お伽話のように、シリウスとちゅっちゅして、自分があなたの最愛よって、やりたかったからなのか?」
「そうよ?」

 サマンサの返答にアルゴンが目を剥く。

「ば、ばばばばばば馬鹿もーん! 古竜の滴は国宝ぞ! エンシェントドラゴンが残した秘宝なんじゃ! それを、たかが男女の色恋沙汰程度で使う奴があるかあああああ! 仲間の命が危険にさらされた時とか! 王国存亡の危機とか! そーいう一大事に使うもんじゃ!」
「私にとっては一大事よ!」

 サマンサが一歩も譲らない。金色ボディのスチュワートが進み出る。

「……ダグラス、マスターを寝室まで運んでください。ルース卿、セレスティナ様、マスターの付き添いをお願いします。元奥様は捕獲……こちらで取り押さえます」

 スチュワートは執事としての働きをこなしているが、実質シリウスの代理人でもある。サマンサを取り囲んでいた黒いボディの戦闘用マジックドール達が、包囲網をぐっと狭めた。宣言通りサマンサを捕獲する気なのだろう。
 そこへアルゴンが待ったをかける。

「ちょ、ちょっと待て! お前ら、わしの娘に何をする!」

 サマンサがうっすらと笑った。

「お父様、大丈夫よ。目を覚ませば、シリウスが私を呼ぶはずだもの」

 サマンサが余裕の笑みを浮かべる。彼女は自分の勝利を信じて疑わない。妖艶な微笑みだったが、その姿にシャーロットは吐き気をおぼえた。

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