最狂公爵閣下のお気に入り

白乃いちじく

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第三章 愛と欲望の狭間

第百三十六話 もう一度好きになれば万事解決

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「オルモード公爵令嬢?」

 シリウスがシャーロットの言葉を繰り返す。

「そう、パパはね、ティナを気に入って、養女にしたの。そして、将来の伴侶にって望んで、三ヶ月後には結婚する予定になってるわ」
「いや、しかし、私はサマンサを愛……愛……」

 愛している、そう言おうとして言葉に出来ず、シリウスは愕然となった。愛していると言おうとすると、舌が張り付いたように動かなくなる。何だこれは?

「パパ?」
「あ、いや、何でもない」

 シャーロットの呼びかけに、シリウスは咄嗟にそう答えたものの、内心はかなり焦っていた。何でもなくない。妙だ。舌の機能に異常がある? シリウスはそんな危惧を覚え、口の中で発音練習のような真似をしてしまう。
 そこへ響いたのが例の通信だ。一方的に言いたい事だけをくっちゃべり、その内容は市井の井戸端会議とさして変わらない。時間の無駄もいいところである。

 ――今日は満腹亭のコロッケが特売だそうだ。

「やかまし!」

 シリウスが激高する。
 いつもの雑談をこんな時に! 時と場を考えろ! め、い、わ、く、だ!
 その怒声に反応したのがセレスティナだ。びくりと身を縮める。

「ご、ごめんなさい!」

 自分が叱られたのだと勘違いし、反射的に謝ったセレスティナの瞳から、涙が一粒こぼれ落ちる。それを目にしたシリウスは、傍の水差しをはっしと引っ掴み、中の水をバッシャンと頭から自分にぶちまけていた。勿論全身水浸しだ。白銀の髪から水がぽたぽたしたたり落ち、しんっと周囲が静まりかえる。

「パ、パパ?」
「ちょ、一体どうした?」

 シャーロットとルース卿が揃って身を乗り出した。いきなりの奇行である。驚くのも無理はない。だが、自分の行動に一番驚いたのは当のシリウスだった。

「こっちが聞きたい!」

 シリウスがそう叫ぶ。何故自分がそんな真似をしたのか分からない。分からないが、妙な衝動に突き動かされ、気が付けば水を頭からかぶっていた。怒り心頭で、前後不覚になるあの感覚とよく似ている。怒り……誰に?
 シリウスは水浸しになった衣装を見下ろし、そこでふと気が付く。目の前の少女と自分の衣装の色が同じであることに。

「服が……」
「あ、そうそう、おそろいよ、おそろい。ティナとパパはペアルック? じゃなくてトリプルルックよ!」

 シャーロットが白銀の衣装を見せびらかす。
 ハロルドから手渡されたタオルで髪を拭きつつ、シリウスは改めてセレスティナを眺めた。やはり美しいと感じる。触れたいと、そう思うほど……。未来の自分は、サマンサではなく彼女を選んだ、そういうことか?
 思わず手を伸ばせば、セレスティナの顔がふわっとほころんだ。
 シリウスは目を見張った。

 まさかこんな反応をされるとは思ってもみず、伸ばしかけた手の引っ込みがつかない。何故手を伸ばしたりなどしたのか……。人との接触が極度に苦手だというのに。
 手袋のない握手ですら、自分は受け付けない。幼い頃、常に蛇をまとわりつかせていたのは、蛇の感触が好きだったからというだけではない、家族以外の人間に触られたくなかったからだ。人と触れ合うことが大の苦手だった。
 思い切って栗色の髪に触れれば、サラサラとした感触が心地良く感じられ、やはり目を見張ってしまう。心地良い?

「パパはいつもそうやってティナの髪を触っていたわよ?」

 シャーロットがくすりと笑った。
 本当に? いろんな思いがぐるぐる回り、混乱してしまう。
 自分はサマンサを愛していた、愛していたはずだ。それが……。十三年の間に一体何があった? サマンサ、君は私と一生を共にすると、そう、神に誓っただろう?

 ――君が人間だからだよ! 君が自分より先に死ぬのが耐えられなかった! 

 それが理由? そんな馬鹿な話があるか! そんなことは最初っから分かっていたことではないか。私は人間だ。長寿のドラゴンのようには生きられない!
 シリウスが不意に立ち上がり、周囲を驚かせた。

「パパ? どこへ行くの?」
「……サマンサのところへ」
「待ってよ、パパ! パパの婚約者はティナよ? パパの今の最愛はティナなの! お願いだから」
「サマンサと話をするだけだ! 混乱して……」

 ふっと振り返れば、今にも泣き出しそうなセレスティナが目に入る。ピタリと足が止まった。部屋から出ようとドアノブにかけた手が動かない。行くな、まるでそう訴えているかのように。

「……アルゴンに会いに行く」

 結局、シリウスはそう告げた。そう告げざるを得なかった。でないとこの手足は言うことを聞いてくれそうにない。一体自分に何が起こっているのか、皆目見当が付かず、シリウスの混乱はいや増すばかりだった。


◇◇◇


 客間のソファに腰掛けたセレスティナは、チラリと隣のシリウスを見やった。
 寂しい……どうしてもそう思ってしまう。いつもであれば、こんな風にソファに腰かければ膝抱っこだ。親愛のキスもハグもない。すぐ傍にいるのに、彼のよそよそしい態度で、どうしても肌寒く感じてしまう。何だか秋風が吹き込むよう。

「サマンサが私と別れた理由は?」

 むっつりとシリウスが問う。

「聞いていないのか?」

 アルゴンが意外そうに言う。シリウスがバンッとテーブルを叩き、セレスティナがびくりと身を縮ませた。

「聞いています! けれど、納得がいきません! 寿命が短い? 人間なんだからあたりまえでしょう? きちんとした理由を教えてください!」
「……共に生きる喜びより、喪失の恐怖に怯えた、そんなところかの。わしらドラゴンは長寿で頑丈。同族は滅多に死なない。竜王国で暮らせば、笑って遊んで暮らせる。死という現実が、そこここにごろごろ転がっている人間とは違うんじゃよ」
「しか、し……」
「納得がいかないのは分かる。おそらくおぬしは、十二年前も同じ葛藤をしたはずじゃからの。そこから抜け出すには、同じだけの時間がかかるかもしれない」
「冗談じゃないわよ、そんなの!」

 声を荒げたのはシャーロットだ。

「パパはね、ママがいなくなってから、どうなったと思う? 夜は眠れない、食事は出来ない、明け方頃、ママが出ていった時間になると、必ず起きだしてママを待ち続けたのよ? それこそもうボロボロよ! あれをもう一度? 冗談じゃないわ、やめてよ! 何が何でもパパを元に戻して!」
「そう言われても……」

 アルゴンは心底困ったように顎髭を撫で、思いつきを口にする。

「おお、そうじゃ。サマンサとキスをするという手もあるぞ?」

 名案だと言わんばかりのアルゴンの態度に、シャーロットがまなじりを吊り上げた。

「却下! 相思相愛なのはティナだってば!」

 アルゴンはシリウスに目を向ける。

「シリウス、おぬしはどうじゃ? サマンサとキスをすれば記憶が戻るそうじゃ」
「サマンサとキス? そんなもので記憶が戻るのなら、いくらでも……」

 構わない、そう言おうとして、シリウスはぎくりとなった。セレスティナの新緑の瞳から一つ二つとあふれ出した涙を目にして。

「あー、ほらほら! パパがそんな事言うから……」

 ティナが泣いちゃったじゃない、というシャーロットの文句は喉の奥へ消えた。カップを手にしたシリウスが、それで自分の頭を殴打したからだ。
 陶器がガシャンと割れ、しんっと周囲が静まりかえる。ぶちまけられた紅茶は滴となって、白銀の髪からぽたぽたと落ちた。

「パ、パパ?」
「何をやって……」

 アルゴンが呆れ、シリウスが激高する。

「知らん! 急に自分を殴りたくなったんだ! 一体どうなっている! 先程は傍の水差しの水を自分にぶちまけ、今度は手にした紅茶のカップを頭に打ち付けた! おかしいだろう! 自虐趣味なんてないぞ!」

 シャーロットがぽんっと手を打った。

「これって、もしかして……ねね、ハル、玉葱……はないわよね、レモンある?」
「ええ、ございますが?」

 ハロルドからレモンを受け取ったシャーロットは、ティナ、ゴメン! そう謝って、レモンをセレスティナの目に塗りつけた。当然、涙がぼろぼろ溢れる。

「シャ、シャルお姉様?」
「あー、パパがティナを泣かせたぁ!」

 シャーロットがこれ見よがしに口にすると、シリウスが動いた。今度はテーブルにガコンと勢いよく頭を打ち付けたのだ。ビシリとテーブルにヒビが入り、脳震盪でも起こしたかシリウスはピクリとも動かない。

「シリウス!」
「ちょ、パパ、最高!」

 セレスティナが慌て、シャーロットが大はしゃぎだ。

「シャルお姉様?」
「気が付かない? ティナの涙に反応してるのよ、これ」
「え?」
「これは行けるわ! もう一度好きになってもらって、ティナがパパとキスすればいいのよ! そうすれば万事解決だわ!」

 シャーロットが意気揚々とそう宣言した。

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