恋した相手は貴方だけ

白乃いちじく

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本編

第十話 女神エイルのお告げ

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 グール騒動から十日ほど経ったある日の事、クリフがふらりと店へやって来た。店番をしていたレイチェルの父親は当然いい顔をしない。

「ああ、娘はいない。悪いが帰ってもらえるかな?」

 人の良い丸顔に接客用の笑みを浮かべ、ベンはクリフを早々に追い出しにかかった。

「そうそう。王都へ行く準備もしなければならないから、忙しいのよ」

 母親のドナもそれに便乗する。
 そんな両親の声をパン工房で耳にしたレイチェルは、首を捻ってしまった。焼き上がったばかりのパンを取り出していたのだけれど、呼ばれれば店に直ぐに出て行ける。カランとドアを閉める音がし、ひょいっとレイチェルが店内を覗けば、見覚えのある背が遠ざかっていくところだった。金髪の背の高い男性の後ろ姿は、元婚約者のクリフである。

「パパ? もしかしてクリフが来ていたの?」

 レイチェルの声に振り向き、ベンはばつの悪そうな顔をする。

「ん? ああ、レイチェルに話があるって……。けど断ったよ。正直言って、もうお前と関わって欲しくないんだ」

 パパもママもクリフが一方的に結婚の約束を反故にして、腹を立てている。けど、私に話って、なんだろう? もう、何も話すことなどないような気がするけれど……

「もしかして、クリフに会いたかったか?」

 父親のベンにそう問われ、レイチェルは首を横に振った。

「いいえ? ただ、なんの話かしらと不思議に思っただけよ、あ、いらっしゃい!」

 レイチェルがぱっと顔を輝かせる。
 クリフに代わって店に顔を出したのは、ブラッド・フォークスだった。黒い衣服を身にまとい、げっそりと痩せこけた顔に薄らと笑みを浮かべている。そこはかとない冷気を漂わせているのは、ヴァンパイアなので仕方がない。

「やぁ、フォークスさん。毎度どうも」

 ベンが愛想良く笑った。既に慣れたものである。

「そろそろ焼き上がったかなと……」
「ええ、あの、例のパンですね? でも、本当にこれ、美味しいですか?」

 パンを入れた袋の中から、しくしくしくしく、るーるーるーという泣き声のような悲鳴のような声が聞こえている。レイチェルお手製の人面パンである。時折がさがさという音がするのは、パンがうごめいて……詳しく想像するのは止めた方がいいかもしれない。

「ああ最高だ」

 にっとブラッドが笑う。ベンの気の良い丸顔がちょっぴり引きつった。

「そう、ですか……ええ、まぁ、あなたが気に入っているのならいいですが、ね……」

 父親のベンも母親のドナも複雑そうで、レイチェルは身を縮めてしまう。 
 でも、血が飲めないのなら、好きな物くらい食べさせてあげたいわ。
 そう考えたレイチェルは、こうして毎日のようにせっせと瘴気入りパンを作っている。ぎゃああああああああ! と悲鳴を上げるパンに神経を削られながら。

「あ! ブラッド兄ちゃん! 来たんだ! 俺にもダンス教えてくれよ!」

 店の奥から弟のチャドが喜んで飛んできて、ブラッドにまとわりつく。茶髪のやんちゃ坊主だ。教会の窓からグールダンスを見たチャドは、あれ以来、こうしてダンスを教えてくれとせがむようになってしまった。レイチェルが腰に手を当てる。

「こーら、ブラッドさんは忙しいのよ?」
「いーじゃん。あ、そうだ! 今日は俺達と一緒に夕食を食べようよ!」

 姉であるレイチェルの注意もどこ吹く風だ。レイチェルはちらりとブラッドを見やった。チャドがぐいぐい腕を引っ張っても、彼は逆らわない。一緒に店の奥に移動だ。
 ブラッドさんはヴァンパイアだから、夕食に招いても殆ど食事を口にしないのよね。でも、断らない。もしかして……私と一緒にいられるからかしら?
 そんな事を考えれば、どうしてもそわそわと落ち着かない。ほんの少し意識すれば、そこここから彼の好意を感じ取れる。本当に思われていると分かる。

 けど、私、私は?
 ブラッドさんのことは好きだけれど、告白されるまでは「いいお兄さん」という認識だった。その上彼はヴァンパイアで、私は人間……種族の壁も立ちはだかっていて、どうしても二の足を踏んでしまう。何とも申し訳ない気分だ。

「ねーちゃん、食欲ない?」

 食卓の席でチャドに声を掛けられ、レイチェルは、はっと我に返る。考え事をしていたから、先程から全然食が進んでいなかった。

「いえ、そんなことないわ」

 レイチェルは笑い、慌てて食事を再開する。ブラッドの赤い瞳とばっちり目が合い、ぱっと俯いた。ひとまず問題を棚上げすることにする。
 ブラッドさん、ごめんなさい、もう少し、もう少しだけ待って? 返事は必ずするから……
 レイチェルは心の中でそう謝った。その夜、レイチェルがベッドへ入ろうとすると、ベッドの上に半透明の女性がふわふわと浮いていて驚いた。金髪碧眼の美しい女性である。

「はあい、レイチェル。初めまして、かしら?」

 半透明の女性が手をひらひらさせる。声に聞き覚えがあったレイチェルは、彼女が誰だか直ぐに分かった。時々神託として、かの声を聞いていたから。

「女神エイル様……」
「ええ、そうよ。あなたに熱心に祈られちゃったから出て来ちゃった」

 女神エイルが、パチンとウィンクだ。なんとも軽いノリである。

「あなたはブラッドの吸血禁止を解いて欲しいのよね?」

 レイチェルは目を見開いた。

「解いて下さるんですか?」
「もちろんよぉ。可愛い可愛い使徒のお願いなら、きいてあげなくちゃね?」

 ふわりと半透明の体が動き、赤い唇がレイチェルの耳元に寄せられる。

「ブラッド・フォークスにヴァンパイア・キスをねだりなさいな。あなたの血を口にすれば祝福の力は消えて、彼は解放されるわ」

 レイチェルは首を捻った。聞き覚えのない言葉だったからだ。

「ヴァンパイア・キス?」
「血を吸わせる行為よ。大丈夫、危険はないわ。あいつ、あなたにベタ惚れだもの。ああ、そうそう、飢餓状態だから、このままだちょっと危ないわよね。だから、二十四時間限定で、ちゃんと食欲を抑えてあげる。歯止めのきかなくなったあいつが、間違ってもあなたの血を飲み干したりしないようにね。彼にそう伝えなさい?」

 レイチェルがくすくすという女神エイルの笑い声を聞いた時には、かの姿は消えていた。
 その翌日、レイチェルは王都へ向けて旅立つことになる。王都の神殿で聖女認定試験を受け、大神官に聖女として正式に認めて貰うためだ。

「私も王都に観光に行くわ」

 エイミーがそう希望したので、今回の旅は彼女も一緒だ。そしてレイチェルの護衛を希望したブラッドもくっついてきている。ちょっとした旅行気分だった。そんなレイチェルの浮かれた気持ちが、乗合馬車に乗り込んだ瞬間、一気にしぼんでしまった。クリフと男爵令嬢のセイラがいたからである。驚くほかない。

 え? どうして?
 レイチェルは目を見張るのと同時に戸惑った。
 村までクリフは、ルモン男爵家の馬車でやってきたと聞いている。

 だからそう、クリフは乗合馬車の到着より早く村に到着していたのだ。当然、帰りも男爵家の馬車を使用するものと思っていたから、彼らの存在をすっかり失念していたけれど、どうやら違っていたらしい。相変わらずセイラとは仲睦まじい。べったりと体を密着させ、目の前でキスまでする熱々ぶりである。クリフはレイチェルに気が付くと、慌てて取り繕った。

「あ、レ、レイチェル、元気だったか? この間店に行ったんだけど……」
「レイチェルに馴れ馴れしくしないで」

 二人の間にずいっと割って入ったのがエイミーだ。クリフにべったりひっついているセイラにくすりと笑われた気がして、レイチェルはさっと視線をそらす。
 王都への乗合馬車はこれしかない。気にしちゃ駄目よ、気にしちゃ駄目……

「レイチェル、奇遇にゃ! 王都に行くにゃ? ここ座るといいにゃー!」

 猫娘ニーナの声が響き、レイチェルはほっとした。彼女の明るさに救われた思いだった。傍には例の大柄な女剣士ジョージアナもいる。片手を上げて挨拶する姿はやはり精悍だ。

「ありがとう。二人とも王都の観光ですか?」

 レイチェルの質問に、ニーナが苦笑する。

「違うにゃ。あちし達は冒険者にゃ? 帰ったら仕事があるにゃ」
「あ、そ、そうよね、ごめんなさい」

 猫娘のニーナが琥珀色の猫目をくりくりさせる。

「でも、レイチェル達が観光するんなら、あちしも付き合うにゃ?」
「え? いいんですか?」
「もちろんにゃ! レイチェルもエイミーもブラッドももう、あちしの友達にゃ!」

 ニーナの宣言にエイミーが喜び、ぐいっと身を乗り出した。

「わぁ! じゃあさ、じゃあさ、有名なアイスクリーム屋さんに、皆で一緒に行こうよ! 種類がもの凄く豊富らしいよ? 王都で食べ歩きしたーい!」
「いいにゃ! あちしも付き合うにゃ! 皆で一緒に苺のアイス食べるにゃー」

 やっぱり女の子らしく甘いものは好きらしい。猫獣人のニーナが喜んで了承し、ジョージアナは苦笑しつつも了承してくれた。


◇◇◇


「……なんでお前がここにいるんだよ?」

 そう文句を言ったのはクリフだ。乗り合い馬車に揺られつつ、真向かいにいるブラッドを睨み付ける。死人みたいなヴァンパイアが、クリフは内心そう罵った。

 レイチェルがブラッドと一緒にいるだけで、どうしても、もやもやと嫌な気分になる。レイチェルは自分を好きなんだから、自分を思ってずっと一人でいると、漠然とそう思っていただけに、クリフはレイチェルの行動にも腹を立てていた。
 なんでこんな奴と仲良くするんだよ、この浮気者、そんな気持ちである。
 なんとも勝手な言い分だったが、彼はそれにまったく気が付かない。いつまでもレイチェルは自分のものだと思い込んでいるようである。

「クリフ、一々つっかかるなよ」

 そう諭したのは女剣士のジョージアナだ。

「放っておけばいい。ヴァンパイアだから警戒してるのかもしれないけど、十一年間問題おこしてなかっただろ? 村での評判も悪くなかったし、大丈夫だ」

 どうやらジョージアナは村で聞き込みをしたようである。さすが冒険者。

「俺が言っているのは、どうしてこいつまで王都に行く必要があるんだってことだよ」
「……俺はレイチェルの護衛士だからな」

 ブラッドがそう答え、クリフは目を見張った。

「はぁ?」

 護衛士? もしかしてレイチェルの? こいつが?
 混乱するクリフの耳に、ブラッドの言葉が滑り込む。

「聖女認定試験に受かって聖女になった者は、王都の神殿で二年間の無料奉仕が義務づけられているけど、確か護衛士も必須だろ? 俺がその護衛士の役目を希望した」

 クリフがいきり立ち、腰が浮いた。

「待て! それは聖騎士の役目だろ! なんで魔物のお前が!」
「そりゃ、俺が希望したからだよ」
「馬鹿かお前は! 魔物のお前がいくら希望したってな、神殿の審査を通るもんか! 神官達が猛反対する!」

 ブラッドがぴらりと、一枚の紙をクリフの眼前に突きつけた。立派な印章付きである。

「なんだこれ?」
「許可証」
「許可証?」
「レイチェルの護衛士になりたいっていう俺の希望を大神官が許可した」

 クリフが目を剥いた。

「そんな馬鹿な! どうやった! 大神官を脅したのか!」
「クリフ! 止めて!」

 止めたのはレイチェルだ。

「ブラッドさんは大魔法士様と懇意にしているらしいの。そのつてで特別に許可を貰ったのよ」

 クリフは目を見開いた。嘘だろと言いたげに。

「大魔法士様って、もしかして、魔王討伐隊に参加した大魔法士アウグストか? 四大英雄の一人の……。彼はハーフエルフだから、まだ王家に仕えているって聞くけど……」

 クリフの視線が、レイチェルとブラッドとの間を彷徨った。

「そう、その大魔法士様よ。だから、彼に絡むのは止めて」
「大魔法士と懇意って、ヴァンパイアのお前がどうして……」
「なんでお前に、わざわざ説明しなくちゃなんねーんだよ?」

 ブラッドがそう言ってクリフを突き放し、目を輝かせたセイラが割って入った。

「ね、待って待って! 大魔法士アウグスト様と懇意にしているの? なら、紹介してちょうだい!私、彼に会ってみたいわ! 会わせてくれたら礼金はずむわよ? どう?」

 そうセイラが鼻息荒く持ちかけるがブラッドは取り合わない。

「礼金? は、いらねー」
「いらないって、嘘でしょう? 貧乏人のくせに」

 セイラが高飛車にせせら笑うと、ブラッドは足下の砂を握り込み、拳を突き出した。

「な、何よ?」
「これでどうだ?」

 握ったブラッドの拳から砂金がサラサラとこぼれ落ち、セイラもクリフも唖然となった。

「にゃー! 砂金にゃー! ブラッド凄いにゃー!」

 ニーナの琥珀色の瞳がランランと輝く。彼女はこうしたキラキラ光る物が大好きだった。ブラッドの足下で小山を作った砂金に、全員の視線が釘付けである。

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