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約束の二十日が、とうとうやって来た。
王都を出る朝は、思っていたよりも静かだった。没落寸前令嬢の荷物といえば最低限の衣服と文具くらいなのだから、身軽なものだ。
(よし、がんばりましょう)
アメリアは、移動に適した薄茶のワンピースに身を包み、鏡の前で最後の身支度を整える。
華やかさはないが、落ち着いた色合いだ。
エントランスに向かうと、そこに家族がみな揃っていた。父は十分な休養を取れた事が功を奏し、すっかり元気になった。
今は、エドマンドと二人で執務に当たっている。
「姉さん」
エドマンドは手になにか箱を持っている。
「これを持っていってください」
そう言って、その包みを差し出す。
アメリアが受け取って包みを開くと、そこにはルビーの首飾りと耳飾りが並んでいた。朝の光を反射して、まばゆい赤の輝きが弾ける。
「まあ、なんて見事なの」
「姉さんに似合うと思って。王都を出る前に、どうしても渡しておきたかったんだ」
不器用に言葉を選ぶ弟の声に、ほんのり照れが混じっていた。
アメリアはふっと笑みをこぼし、首を少し傾ける。
「まあ……ありがとう、エドマンド。あなたの贈り物なら、何よりの護符になりそうね」
「あの方が、どんな人かまだ分かりませんからね。いざという時、少しでも姉さんの味方になるものをと思って」
リュストアでの生活は未知数だ。それを見越して、エドマンドは花嫁の財産となる宝飾品を託してくれたのだ。
以前はたくさんあった宝石類も、今はほとんど無くなっていた。これを用意するのも大変だっただろうに。
いつものように事もなげに言うが、その琥珀の瞳には隠しきれない心配の色が浮かんでいる。
胸の奥がじんと熱くなったアメリアは、小さく笑って頷く。
「あらエドマンドったら心配性ね。でも、その優しさにどれほど救われてきたかしら」
エドマンドは一瞬、視線を逸らしたあと、静かに俯いた。
「……本当は、もっと盛大に祝われるべき人なのに」
その声には、押し殺した悔しさがにじんでいた。
王都での婚礼の儀は取りやめとなり、リュストアでも簡易的な式を執り行うと聞いている。
華やかな祝宴も、参列者の列もない。だが、それは財を失いかけたグランディール家にとってはむしろ救いでもあった。
今のグランディールを鑑みると、王都を離れられる状況でもない。だから、リュストアにアメリアとロザリーだけが向かうと決まっていた。
(けれど、この子は違うのね)
アメリアはそっと笑う。
自分の立場を思えば、静かな婚礼のほうが気が楽だ。それでも、妹のように慕ってくれる侍女や、こうして心を尽くしてくれる弟がいることを思えば、胸の奥が温かくなる。
「ありがとう、エドマンド。わたくしは十分よ。あなたがこうして祝ってくれるだけで」
そう言ってアメリアが微笑むと、エドマンドは一瞬だけ唇を引き結び、照れくさそうに頷いた。
(ほんとうに、かわいい弟だこと)
アメリアが心の中でそっと呟くと、エドマンドの肩を軽く叩くようにして、父が前に出た。
「アメリア、道中は長い。体調にだけは気をつけるのだぞ」
「はい、お父様」
いつになく真剣な父の声に、アメリアは穏やかに微笑んだ。
「……お前には、大変な苦労を……っ」
言葉の途中で、父の声が詰まる。
涙をこらえようとするが、ぐしゃりと顔をゆがめてしまい、ついには大粒の涙がこぼれ落ちた。
「まあ、お父様。まだ何も苦労しておりませんわ」
アメリアは苦笑して肩をすくめる。
「王宮暮らしよりもずっと良いとさえ思っていますもの。登城なんて、二度行っただけで十分ですわ。もう行かなくていいなら、せいせいします」
冗談めかして言うその声が、妙に明るく響いた。
父は娘の言葉にぽかんとしたあと、ぐっと唇を噛み、さらに号泣を始めた。
「アメリアぁ……っ! なんて健気なんだ……! 私は……わたしは……!」
「お父様、落ち着いてくださいませ」
「だって……っ! お前が……すごくいい子なんだもんっ!」
「あらあら」
びしりと指を指され、誉められてしまった。いい子だなんて、幼子にするような誉め方。
だけれどそれが、妙に心地よい。
エドマンドはとんでもないものを見るような顔で、えぐえぐと泣く父を眺めている。
「アメリア」
そんな中、静かに母が歩み寄る。
白いショールを肩にかけ、手に深い藍色のコートを抱えていた。
「これは、わたくしの大切なコートです。リュストアは寒い土地だと聞いているわ。古いもので悪いけれど、あなたに預けます」
「お母様……」
アメリアは思わず息を呑む。
しっとりとした手触りのコートは、幼いころから憧れていたものだ。外出の際に母がよく羽織っていた、落ち着いた藍色の布地。
「ありがとうございます。大切にしますわ」
母の手を両手で包み込み、アメリアは微笑んだ。
「ええ……無理はしないでね。どんな土地でも、あなたらしく生きていけばいいのよ」
母の言葉に、アメリアは小さく頷いた。
父のすすり泣きと、母の静かな声が、出立の朝をやさしく彩っていた。
「――お嬢様。馬車が到着されたようです」
外に控えていた家令が静かに告げた。
屋敷の外から、蹄の音が近づいてくる。
「分かりましたわ。ありがとう」
アメリアは深く息を吸い、母から受け取った藍色のコートとエドマンドからの宝飾品をロザリーへ渡す。
「これをお願いね、ロザリー」
「承知いたしました」
ロザリーは頷き、持っていく荷物の中にしまい込む。彼女の動きは緊張に少し強ばっていたが、その手つきはいつも通り繊細だった。
家族全員で、玄関扉をじっと見つめて使者の登場を待つ。
重厚なエントランスに落ちる静寂は、まるで家族の緊張をそのまま映しているようだ。
普段は動じないアメリアでさえ、指先をそっと組み合わせながら、珍しく胸の奥が落ち着かない。
父は背筋を伸ばして立ち、母は祈るように手を胸の前で組んでいる。
エドマンドは無言のまま、何度も襟元を直していた。
(大丈夫。きっとうまくいくわ)
アメリアはそう心の中でつぶやき、深く息を吸う。
そのとき、外から規律正しい靴音が近づいてきた。
重厚な音を立てて玄関の扉がゆっくりと開かれる。
差し込んだ朝の光の中に立っていたのは――迎えの使者ではなかった。
黒髪を風に揺らし、金の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。
漆黒の軍装を思わせる外套の裾がひるがえり、その佇まいは王都の空気を一瞬で張りつめさせた。
「グランディール侯爵令嬢を迎えに来た」
低く澄んだ声が、屋敷の空気を震わせる。
その一言に、誰もが息を呑んだ。
(まさか、ご本人がいらっしゃるなんて)
アメリアの瞳が驚きに見開かれる。そこに現れたのは、リュストア公爵ユリシス本人だった。
王都を出る朝は、思っていたよりも静かだった。没落寸前令嬢の荷物といえば最低限の衣服と文具くらいなのだから、身軽なものだ。
(よし、がんばりましょう)
アメリアは、移動に適した薄茶のワンピースに身を包み、鏡の前で最後の身支度を整える。
華やかさはないが、落ち着いた色合いだ。
エントランスに向かうと、そこに家族がみな揃っていた。父は十分な休養を取れた事が功を奏し、すっかり元気になった。
今は、エドマンドと二人で執務に当たっている。
「姉さん」
エドマンドは手になにか箱を持っている。
「これを持っていってください」
そう言って、その包みを差し出す。
アメリアが受け取って包みを開くと、そこにはルビーの首飾りと耳飾りが並んでいた。朝の光を反射して、まばゆい赤の輝きが弾ける。
「まあ、なんて見事なの」
「姉さんに似合うと思って。王都を出る前に、どうしても渡しておきたかったんだ」
不器用に言葉を選ぶ弟の声に、ほんのり照れが混じっていた。
アメリアはふっと笑みをこぼし、首を少し傾ける。
「まあ……ありがとう、エドマンド。あなたの贈り物なら、何よりの護符になりそうね」
「あの方が、どんな人かまだ分かりませんからね。いざという時、少しでも姉さんの味方になるものをと思って」
リュストアでの生活は未知数だ。それを見越して、エドマンドは花嫁の財産となる宝飾品を託してくれたのだ。
以前はたくさんあった宝石類も、今はほとんど無くなっていた。これを用意するのも大変だっただろうに。
いつものように事もなげに言うが、その琥珀の瞳には隠しきれない心配の色が浮かんでいる。
胸の奥がじんと熱くなったアメリアは、小さく笑って頷く。
「あらエドマンドったら心配性ね。でも、その優しさにどれほど救われてきたかしら」
エドマンドは一瞬、視線を逸らしたあと、静かに俯いた。
「……本当は、もっと盛大に祝われるべき人なのに」
その声には、押し殺した悔しさがにじんでいた。
王都での婚礼の儀は取りやめとなり、リュストアでも簡易的な式を執り行うと聞いている。
華やかな祝宴も、参列者の列もない。だが、それは財を失いかけたグランディール家にとってはむしろ救いでもあった。
今のグランディールを鑑みると、王都を離れられる状況でもない。だから、リュストアにアメリアとロザリーだけが向かうと決まっていた。
(けれど、この子は違うのね)
アメリアはそっと笑う。
自分の立場を思えば、静かな婚礼のほうが気が楽だ。それでも、妹のように慕ってくれる侍女や、こうして心を尽くしてくれる弟がいることを思えば、胸の奥が温かくなる。
「ありがとう、エドマンド。わたくしは十分よ。あなたがこうして祝ってくれるだけで」
そう言ってアメリアが微笑むと、エドマンドは一瞬だけ唇を引き結び、照れくさそうに頷いた。
(ほんとうに、かわいい弟だこと)
アメリアが心の中でそっと呟くと、エドマンドの肩を軽く叩くようにして、父が前に出た。
「アメリア、道中は長い。体調にだけは気をつけるのだぞ」
「はい、お父様」
いつになく真剣な父の声に、アメリアは穏やかに微笑んだ。
「……お前には、大変な苦労を……っ」
言葉の途中で、父の声が詰まる。
涙をこらえようとするが、ぐしゃりと顔をゆがめてしまい、ついには大粒の涙がこぼれ落ちた。
「まあ、お父様。まだ何も苦労しておりませんわ」
アメリアは苦笑して肩をすくめる。
「王宮暮らしよりもずっと良いとさえ思っていますもの。登城なんて、二度行っただけで十分ですわ。もう行かなくていいなら、せいせいします」
冗談めかして言うその声が、妙に明るく響いた。
父は娘の言葉にぽかんとしたあと、ぐっと唇を噛み、さらに号泣を始めた。
「アメリアぁ……っ! なんて健気なんだ……! 私は……わたしは……!」
「お父様、落ち着いてくださいませ」
「だって……っ! お前が……すごくいい子なんだもんっ!」
「あらあら」
びしりと指を指され、誉められてしまった。いい子だなんて、幼子にするような誉め方。
だけれどそれが、妙に心地よい。
エドマンドはとんでもないものを見るような顔で、えぐえぐと泣く父を眺めている。
「アメリア」
そんな中、静かに母が歩み寄る。
白いショールを肩にかけ、手に深い藍色のコートを抱えていた。
「これは、わたくしの大切なコートです。リュストアは寒い土地だと聞いているわ。古いもので悪いけれど、あなたに預けます」
「お母様……」
アメリアは思わず息を呑む。
しっとりとした手触りのコートは、幼いころから憧れていたものだ。外出の際に母がよく羽織っていた、落ち着いた藍色の布地。
「ありがとうございます。大切にしますわ」
母の手を両手で包み込み、アメリアは微笑んだ。
「ええ……無理はしないでね。どんな土地でも、あなたらしく生きていけばいいのよ」
母の言葉に、アメリアは小さく頷いた。
父のすすり泣きと、母の静かな声が、出立の朝をやさしく彩っていた。
「――お嬢様。馬車が到着されたようです」
外に控えていた家令が静かに告げた。
屋敷の外から、蹄の音が近づいてくる。
「分かりましたわ。ありがとう」
アメリアは深く息を吸い、母から受け取った藍色のコートとエドマンドからの宝飾品をロザリーへ渡す。
「これをお願いね、ロザリー」
「承知いたしました」
ロザリーは頷き、持っていく荷物の中にしまい込む。彼女の動きは緊張に少し強ばっていたが、その手つきはいつも通り繊細だった。
家族全員で、玄関扉をじっと見つめて使者の登場を待つ。
重厚なエントランスに落ちる静寂は、まるで家族の緊張をそのまま映しているようだ。
普段は動じないアメリアでさえ、指先をそっと組み合わせながら、珍しく胸の奥が落ち着かない。
父は背筋を伸ばして立ち、母は祈るように手を胸の前で組んでいる。
エドマンドは無言のまま、何度も襟元を直していた。
(大丈夫。きっとうまくいくわ)
アメリアはそう心の中でつぶやき、深く息を吸う。
そのとき、外から規律正しい靴音が近づいてきた。
重厚な音を立てて玄関の扉がゆっくりと開かれる。
差し込んだ朝の光の中に立っていたのは――迎えの使者ではなかった。
黒髪を風に揺らし、金の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。
漆黒の軍装を思わせる外套の裾がひるがえり、その佇まいは王都の空気を一瞬で張りつめさせた。
「グランディール侯爵令嬢を迎えに来た」
低く澄んだ声が、屋敷の空気を震わせる。
その一言に、誰もが息を呑んだ。
(まさか、ご本人がいらっしゃるなんて)
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