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17 家令
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「それじゃあ、フィオ様の荷物は僕が宿屋まで取りに行っておきますね」
クラウスが軽く手を振る。
「宿屋の主人にもちゃんと説明しておきます。すごく驚かれそうですよね」
「そうですね。こちらにきてなにかと面倒を見てくださいましたから……」
リゼとその娘夫婦が手を差し伸べてくれなければ、フィオレッタは今頃どこで何をしていたかわからない。
いくら感謝してもしきれないほどだ。
「まあでも、ヨエルさんなら分かってくれるでしょう! それじゃ、すぐ戻りますから。ティナ様と遊んでてくださいね。旦那様は仕事終わらせといてくださいね」
「は、はい!」
「……」
クラウスは軽く手を振って廊下を去っていった。
その背を見送りながら、ヴェルフリートは少しだけ険しい顔をして机の方へと戻るっていく。あの山盛りの書類をこれから片付けるとなると、とても大変そうだ。
「私はまだ仕事がある。夕食はティナと二人で食べておいてもらえるだろうか」
「フィオおねえちゃまとごはんたべていいの?」
「ああ」
「やった~!!」
ヴェルフリートの言葉にティナは勢いよく飛び上がり、ぱたぱたとその場で跳ねた。ふわふわの巻き毛が上下に揺れ、頬はりんごのように赤くなっている
「フィオおねえちゃまといっしょ! クーちゃんもいっしょにたべる!」
「ふふ、それは楽しみね」
子どもの笑い声が広い廊下に反響して、重かった空気が少し軽くなる。
ヴェルフリートは一瞬だけその光景を見やり、すぐに視線を手元の書類へと落とした。とても忙しそうだ。
「では、失礼致します」
フィオレッタは退室の挨拶をして執務室をあとにした。
***
「フィオおねえちゃま、さっきのおはなをみにいきたい」
廊下に出たところで、ティナがぱっと顔を輝かせて言った。
最初は何のことか分からなかったが、フィオレッタはすぐに思い出す。
(ヘルマさんに預けた花束のことね)
花畑からここについたとき、ティナが大切そうに抱えていた小さな花束をヘルマに託したのだ。「あとで飾っておきますね」と笑っていたヘルマの言葉がよみがえる。
「ええ、行ってみましょうか」
「うん!」
「ティナ様……ティナは、そのお花がどこにあるのか知っている?」
「きっとね、えのところ」
フィオレッタが手を差し出すと、ティナはぱっと握り返してきた。
まだこの城の内部はよくわからないが、「えのところ」というのは、二人の肖像画が飾られていたところなのだろう。そこならば覚えている。
二人で廊下を歩き、階段を下りて行くと、やがて大広間の奥まった一角にたどり着いた。
そこには、黒い布がかかったティナの両親の肖像画が並んで掛けられている。重厚な額縁の下、磨かれた石台の上に、小さな花束がそっと飾られていた。
ティナが小さな手でひとつひとつ摘んだ野花の花束は、素朴ながらもあたたかな雰囲気を漂わせている。
「わたしのおはなだ!」
ティナが嬉しそうに駆け寄ろうとした、そのとき。
「お待ちなさい」
低く響く声が背後から落ちた。
フィオレッタが振り向くと、長身の老人が廊下の奥から歩いてくる。
黒の礼服をきっちりと着こなし、背筋はまっすぐ。鋭い灰色の瞳が二人を射抜いた。
「見知らぬメイド。お前は誰の許可で、ここにこのような花を置いたのかね?」
その目はフィオレッタに向けられている。ピリピリとした緊張感がその場に生まれ、ティナは驚いたのかフィオレッタの後ろに隠れてしまった。
「ここは前領主ご夫妻を偲ぶ場所です。供花はそれにふさわしいものを選ぶべきでしょう。このような野の花では、品格を損ないます」
老人の冷たい声が大理石の壁に反響する。ティナがびくりと肩を震わせ、握った手に力がこもる。
(そんな言い方……! 一目見たら、ティナが作ったとわかるでしょうに)
あえて気づかないふりをしているのか、老人は表情を変えることもない。まさか城の内部にこのような人がいると思っておらず、フィオレッタは一度小さく息を吐いた。
ヴェルフリートは把握していないのだろうか。この態度からして、この老人は城に仕える使用人の中でも、高い地位についていることが察せられた。
(きっとこの城の家令なのでしょう。ティナを尊重するつもりはないようね)
ひり、と胸の奥が痛む。
この痛みはよく知っている。かつて、公爵家の屋敷で誰にも庇われず、冷たい視線にさらされたときと同じ痛みだ。リゼがいつも近くにいるわけではなかった。
「確かに、これは高価な花ではありません」
フィオレッタは静かに言葉を紡ぐ。
「けれど、これはティナがご両親を思って摘んだものです。気持ちを届けることに、貴いも卑しいもないと思います。あなたのその考えの方が浅ましいのではありませんか?」
「おねえちゃま……」
ティナが裾をぎゅっと握り、上目で見上げてくる。
フィオレッタはその小さな頭に手を置いた。
クラウスが軽く手を振る。
「宿屋の主人にもちゃんと説明しておきます。すごく驚かれそうですよね」
「そうですね。こちらにきてなにかと面倒を見てくださいましたから……」
リゼとその娘夫婦が手を差し伸べてくれなければ、フィオレッタは今頃どこで何をしていたかわからない。
いくら感謝してもしきれないほどだ。
「まあでも、ヨエルさんなら分かってくれるでしょう! それじゃ、すぐ戻りますから。ティナ様と遊んでてくださいね。旦那様は仕事終わらせといてくださいね」
「は、はい!」
「……」
クラウスは軽く手を振って廊下を去っていった。
その背を見送りながら、ヴェルフリートは少しだけ険しい顔をして机の方へと戻るっていく。あの山盛りの書類をこれから片付けるとなると、とても大変そうだ。
「私はまだ仕事がある。夕食はティナと二人で食べておいてもらえるだろうか」
「フィオおねえちゃまとごはんたべていいの?」
「ああ」
「やった~!!」
ヴェルフリートの言葉にティナは勢いよく飛び上がり、ぱたぱたとその場で跳ねた。ふわふわの巻き毛が上下に揺れ、頬はりんごのように赤くなっている
「フィオおねえちゃまといっしょ! クーちゃんもいっしょにたべる!」
「ふふ、それは楽しみね」
子どもの笑い声が広い廊下に反響して、重かった空気が少し軽くなる。
ヴェルフリートは一瞬だけその光景を見やり、すぐに視線を手元の書類へと落とした。とても忙しそうだ。
「では、失礼致します」
フィオレッタは退室の挨拶をして執務室をあとにした。
***
「フィオおねえちゃま、さっきのおはなをみにいきたい」
廊下に出たところで、ティナがぱっと顔を輝かせて言った。
最初は何のことか分からなかったが、フィオレッタはすぐに思い出す。
(ヘルマさんに預けた花束のことね)
花畑からここについたとき、ティナが大切そうに抱えていた小さな花束をヘルマに託したのだ。「あとで飾っておきますね」と笑っていたヘルマの言葉がよみがえる。
「ええ、行ってみましょうか」
「うん!」
「ティナ様……ティナは、そのお花がどこにあるのか知っている?」
「きっとね、えのところ」
フィオレッタが手を差し出すと、ティナはぱっと握り返してきた。
まだこの城の内部はよくわからないが、「えのところ」というのは、二人の肖像画が飾られていたところなのだろう。そこならば覚えている。
二人で廊下を歩き、階段を下りて行くと、やがて大広間の奥まった一角にたどり着いた。
そこには、黒い布がかかったティナの両親の肖像画が並んで掛けられている。重厚な額縁の下、磨かれた石台の上に、小さな花束がそっと飾られていた。
ティナが小さな手でひとつひとつ摘んだ野花の花束は、素朴ながらもあたたかな雰囲気を漂わせている。
「わたしのおはなだ!」
ティナが嬉しそうに駆け寄ろうとした、そのとき。
「お待ちなさい」
低く響く声が背後から落ちた。
フィオレッタが振り向くと、長身の老人が廊下の奥から歩いてくる。
黒の礼服をきっちりと着こなし、背筋はまっすぐ。鋭い灰色の瞳が二人を射抜いた。
「見知らぬメイド。お前は誰の許可で、ここにこのような花を置いたのかね?」
その目はフィオレッタに向けられている。ピリピリとした緊張感がその場に生まれ、ティナは驚いたのかフィオレッタの後ろに隠れてしまった。
「ここは前領主ご夫妻を偲ぶ場所です。供花はそれにふさわしいものを選ぶべきでしょう。このような野の花では、品格を損ないます」
老人の冷たい声が大理石の壁に反響する。ティナがびくりと肩を震わせ、握った手に力がこもる。
(そんな言い方……! 一目見たら、ティナが作ったとわかるでしょうに)
あえて気づかないふりをしているのか、老人は表情を変えることもない。まさか城の内部にこのような人がいると思っておらず、フィオレッタは一度小さく息を吐いた。
ヴェルフリートは把握していないのだろうか。この態度からして、この老人は城に仕える使用人の中でも、高い地位についていることが察せられた。
(きっとこの城の家令なのでしょう。ティナを尊重するつもりはないようね)
ひり、と胸の奥が痛む。
この痛みはよく知っている。かつて、公爵家の屋敷で誰にも庇われず、冷たい視線にさらされたときと同じ痛みだ。リゼがいつも近くにいるわけではなかった。
「確かに、これは高価な花ではありません」
フィオレッタは静かに言葉を紡ぐ。
「けれど、これはティナがご両親を思って摘んだものです。気持ちを届けることに、貴いも卑しいもないと思います。あなたのその考えの方が浅ましいのではありませんか?」
「おねえちゃま……」
ティナが裾をぎゅっと握り、上目で見上げてくる。
フィオレッタはその小さな頭に手を置いた。
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