婚約破棄されたら、辺境伯とお試し結婚することになりました

ミズメ

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21 朝食

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 厨房での手伝いを終えて食堂に入ると、朝の光が高い窓から差し込み、白いクロスの上で食器が淡く光っていた。

 大きなテーブルの端では、ティナがすでに椅子によじ登るようにして座っており、ぱっと笑顔を見せる。

「フィオおねえちゃま!」
「おはようございます、ティナ」
「いっしょにたべよ! いっしょにたべよ!」

 ぴょこんと手を振るティナの姿に、フィオレッタの頬は自然とゆるむ。
 不思議なことに、出会ってからまだ一日も経っていない。それなのに、ティナはこうしてフィオレッタのことを慕ってくれている。

 ほどなくして、扉の向こうから足音が響く。
 ヴェルフリートが姿を見せると、空気が一瞬ぴんと張り詰めた。

「おじちゃま! おはようー!」
「……ああ。おはよう、ティナ」

 彼の声は低く落ち着いているが、どこか柔らかい。表情の変化こそさほど見えないが、昨日の様子からしても、ヴェルフリートがティナのことを大切に思っていることは明白だ。
 ティナの明るい声が、屋敷の静けさをやさしく溶かしていく。

 フィオレッタはティナの隣に腰を下ろし、ヴェルフリートはその斜め向かいに座った。三人で囲む食卓は初めてだ。まだぎこちなく、どこか遠慮がちな距離を保っている。

「……昨夜は、よく眠れたか」

 唐突に投げかけられた言葉に、フィオレッタは少し驚いた。
 昨晩の寝台のことが脳裏をよぎり、思わず視線が泳ぐ。

「え、ええ。とても……よく眠れました」
「そうか」

 短い会話。けれど、そこに咎めるような響きはなく、むしろ少し安堵の色が混じっているように聞こえた。
 ヴェルフリートの方もどこか気まずそうで、パンをちぎる手がややぎこちない。

 その様子を、ティナが興味津々に見つめていた。

「おじちゃまとフィオおねえちゃま、いっしょにねたの?」

 ティナが屈託のない笑顔で言う。
 その瞬間、フォークを持っていたヴェルフリートの手がぴたりと止まり、フィオレッタも思わずまばたきをした。

「……一緒に、というほどのものではありません。ただ、昨日はお部屋を間違えてしまって」

 淡々と答えるフィオレッタに、ヴェルフリートも小さく頷く。

「そうだ。手違いだ。すぐに部屋を替えるよう手配してある」

「ずるーい! ティナもフィオおねえちゃまとねたいー!」

 ティナのあっけらかんとした一言に、ヴェルフリートはこめかみを押さえる。
 その横でフィオレッタは、どこかおかしさをこらえるように口元を押さえた。

「今夜からは、ティナと一緒に寝れるようにヘルマさんにお願いしたところよ」
「ほんと!? やった!」

 ティナは嬉しそうに手を叩き、ぴょんと椅子の上で跳ねた。
 その無邪気な笑顔に、食堂の空気がふっとやわらぐ。

「ティナ、椅子の上で跳ねてはいけませんよ」

 フィオレッタは穏やかに微笑みながら、ティナのふるまいを注意した。まだ幼いとはいえ、ティナは辺境伯家のご令嬢だ。マナーをしっかり覚えておく必要がある。

(私も教育係に随分厳しく指導されたわね)

 公爵家に雇われた講師はとても厳しく、うまくできないと鞭で手の甲をフェリクと叩いた。それが辛くて母に訴えても、何も改善されなかった。むしろ「そんなこともできないなんて」と侮蔑の眼差しを向けられたものだ。

 確かにマナーは守れるようになったけれど、結局はそこそこのマナーでもエミリアは咎められることはなかったことを思い出す。

 自分がその役割であれば、鞭で打ったりはせずに、寄り添いながら教えていきたい。フィオレッタがそう考えていると、ティナは「はっ」として、ぴたりと動きを止めた。

「ごめんなさい……」
「いいのよ。でも、椅子は座るところだからね。次からは気をつけましょう?」

 フィオレッタが優しく微笑むと、ティナはこくこくと真剣に頷いた。
 その小さな仕草に、ヴェルフリートがふと視線を上げる。

 厳しく叱るでもなく、甘やかすでもない――きちんと子どもとして向き合う、落ち着いたその態度に、ヴェルフリートの表情がわずかに緩む。

「……君は、礼儀作法にも詳しいのか?」
「え?」
「いや、なんでもない」

 淡々とそう言って、ヴェルフリートは視線をパン皿に戻した。
 まるで何気ない一言のように聞こえるが、その声音にはわずかな興味が混じっている。

 何かに気づいているのだろうか――そう思うと、フィオレッタは少しだけ胸がどきりとした。
 ここの人たちには知られたくない。きっと、社交界でのフィオレッタの評判は散々なものだ。

 それこそ「悪女」だと散々言われているだろうことは想像に難くない。

(いつかバレてしまったら、ここを追い出されてしまうのでしょうね)

 王都から離れたこの辺境の地には、公爵令嬢フィオレッタのことを知っている人はいない。だからこそ、こうしてのびのびと過ごすことができている。
 先ほどの厨房でのこれは、本当にオルドフだったのだろうか。考えすぎで幻聴が聞こえた?

「おねえちゃま、どうしたの?」

 食事をする手が止まっていたことに気づき、フィオレッタははっと我に返った。

「おねえちゃま、どうしたの?」

 ティナが小首をかしげ、心配そうに覗き込んでくる。
 その無垢な瞳に見つめられると、胸の奥の不安が一瞬だけ薄れていく。

「ううん、なんでもないわ。スープがとってもおいしいなって思っていたの」

 フィオレッタは柔らかく笑みを作り、スプーンを手に取る。
 今日のスープは、地元で採れた根菜をじっくり煮込んだポタージュだと言っていた。とろりとした舌ざわりの中に、ほんのりと甘みが広がる。

「ティナもすき! あまいの~」
「ふふ、ほんとうに。やさしい味ね」

 スプーンを口に運ぶたび、体の芯まであたたまっていくようだった。
 香草の香りが後味にやわらかく残り、粗くつぶされた人参やじゃがいもの食感が心地いい。

 フィオレッタは思わず目を細める。
 この土地の人々が、寒さの厳しい季節を越えるために工夫して作り出した、心まで満たされるような味。
 それは、王都のどんな豪華な料理よりも温かく感じられた。

 ここでは、ただのフィオとして生きられる。
 そう思うだけで、ほんの少しだけ息がしやすくなった。
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