婚約破棄されたら、辺境伯とお試し結婚することになりました

ミズメ

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30 こんな日が続いたら

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 昼の陽射しが柔らかく庭を包み込む。
 ティナの風邪が治ってから数日が経ち、ようやく外に出たいとせがむようになった。

(次の日には果物も食べられたからよかったわ)

 目を覚ましてからも、ティナはフィオレッタにべっとりだった。ヘルマやクラウスと交代して……時にはヴェルフリートも看病をしながら、元気になった。

 庭には薄桃色の小花が咲き誇り、吹き抜ける風が草をそよがせている。
 その真ん中でティナは嬉しそうにスカートを翻し、花を摘んでは小さな籠に集めていた。

「フィオおねえちゃま、みて! ティナ、ひとりではなのかんむりをつくるの!」
「まあ、素敵ね。上手に編めるかしら?」
「うんっ、がんばる!」

 指先に小花をくるくると絡めながら、ティナは真剣な顔つきで作業を続ける。
 フィオレッタはそんな姿を見守りながら、庭のベンチに腰を下ろした。

 少し遅れてヴェルフリートもやってくる。
 今日は珍しく、執務が早く片付いたらしい。クラウス曰く「奥様のおかげでずいぶん片付いたので」とのことだ。

「ティナ。体はもう大丈夫か」
「はい! フィオおねえちゃまがね、おててギュッとしてくれたから」

 ティナの元気な声に、ヴェルフリートの口元がかすかに緩む。
 その微かな変化を見て、フィオレッタは胸の奥がふわりと温かくなった。

 ティナは小さな手で花冠を持ち上げ、慎重にフィオレッタの前へと歩み寄った。
 真剣そのものの表情で、そっとその花の輪を彼女の頭の上に載せる。

「はい、できました! フィオおねえちゃまのかんむり!」

 淡いピンクと白の小花が織り込まれた冠が、陽の光を受けてやわらかく輝いた。
 フィオレッタの赤い髪に花々の色が映え、まるで春の精のように見える。

「まあ……ありがとう、ティナ。とっても綺麗ね」
「えへへ、おねえちゃまかわいいねえ」

 嬉しそうに胸を張るティナの笑顔に、フィオレッタも自然と微笑む。
 その姿を見ていたヴェルフリートの瞳にも、穏やかな光が宿っている。

「おじちゃまも、まっててね。ここにすわってて」

 ティナがぴょこんと立ち上がり、籠の中の花々をもう一度かき集めはじめた。
 指先で茎を器用に編み込みながら、唇をむっと結んで集中している。

「ここに座ってもいいか?」
「はい。もちろんです」

 ヴェルフリートはティナに促された通り、フィオレッタの隣に腰かける。
 二人で並んで、ティナのたどたどしい花冠づくりを眺める。とても穏やかで静かな時間だ。

「ほら、できた!」

 ティナは両手で花冠を持ち上げ、ヴェルフリートの前にちょこちょこと歩み寄る。
 少し背伸びをして……届かないと気づくと、フィオレッタの方を見上げた。

「フィオおねえちゃま、だっこして!」
「ええ、どうぞ」

 フィオレッタがティナを抱き上げると、ティナはうれしそうに笑って、ヴェルフリートの髪の上に花冠をそっと載せた。

「できた! おじちゃま、すっごくにあうの!」

 銀の髪に散る花々が陽光を受け、ふわりと光を返す。
 いつも厳格な印象のヴェルフリートが、その瞬間だけは驚くほど柔らかく見えた。

「……似合わないだろう」
「そんなことありません。とても素敵ですわ」

 思わず口にしてしまい、フィオレッタははっと息をのむ。
 ヴェルフリートも少し驚いたように視線を向けたが、次の瞬間、ほんのわずかに口元がゆるんだ。

「ありがとう、ティナ。それにフィオも」

 ティナは満足げに笑い、ぱちん、と小さく両手を叩く。

「おねえちゃまとおじちゃま、おそろいだね。おひめさまとおうじさまみたい!」

 その一言に、フィオレッタの胸がどくんと跳ねた。
 陽射しが頬に当たったせいだろうか――それとも、ティナの言葉のせいだろうか。
 顔の奥がじんわりと熱を帯びていくのを感じる。

「お、おひめさま……?」
「うんっ! だって、おねえちゃまはきれいだもん。ねえ、おじちゃま」

 無邪気に言い切るティナの笑顔に、フィオレッタは言葉を失った。
 けれど、その横でヴェルフリートもわずかに息を呑むのがわかる。

(ど、どうしてそこでヴェルフリート様に話を振るのかしら……⁉︎)

 そんなことを聞かれても、彼は困ってしまうだけだ。
 フィオレッタは慌てて花冠に手をやり、視線を逸らした。
 頬が熱くなっていくのを必死に隠そうとするが、ティナはそんな空気などお構いなしだ。

「おじちゃま?」

 小首をかしげて見上げるティナの瞳は、期待でまっすぐに輝いている。

 ヴェルフリートは一瞬、言葉を失ったように黙りこむ。れど逃げることなく、その静かな青の瞳をフィオレッタへ向けた。

「女性のことは正直、よくわからない」

 低く、けれどどこか穏やかな声。
 フィオレッタが驚いて顔を上げると、ヴェルフリートはゆっくりと言葉を継いだ。

「だが、フィオは綺麗だと思う」

 あまりに率直で、飾り気のない言葉だった。
 虚勢も気取りもなく、ただ事実を述べるような声音。

 けれど、それがかえって真っすぐに胸に響いてくる。フィオレッタは息を呑み、どう返せばいいのかわからず、指先で花冠の縁をなぞった。

「……そ、そんな……ありがとうございます」
「ねっ、フィオおねえちゃまはおひめさま~!」

 声が震えてしまう。けれど、ヴェルフリートは特に気にした様子もなく、ティナに視線を戻して小さく微笑んだ。

「ティナの言うとおりだな」

 その笑みは穏やかで、どこかあたたかい。フィオレッタの鼓動が、風に溶けていく午後の空気の中で、ひときわ強く響いた。

「えへへ、きょうがずっとつづいたらいいねえ」

 ティナのその声は、春風のように澄んでいた。
 フィオレッタは一瞬、言葉を失い、それからゆっくりとヴェルフリートの方へ視線を向けた。彼もまた、同じようにティナを見つめていて――そして、ふいに二人の視線が重なる。

 何かを言おうとしたけれど、どちらも口を開かなかった。
 ただ、穏やかな沈黙が流れる。
 それが不思議と心地よくて、胸の奥がきゅっと締めつけられるように痛んだ。

(形式だけの家族関係のはずなのに……どうして、こんなにあたたかいのかしら)

 ティナの笑い声が、やわらかな陽射しの中に響く。それを見守る時間が、こんなにも愛おしいものだとは思わなかった。

 ヴェルフリートがそっとティナの頭に手を置く。厳しく見えるその人は、本当は誰よりも領地思いで公平で、本当はとても優しくて――。
 
(もう少しだけ、この時間が続いたらと思ってしまうなんて)

 契約の期限が迫っている。
 本来なら数えるべき日を、いつの間にか数えたくなくなっていた。
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