君の為の箱庭

秋空夕子

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レメルギウス編

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(ようやく……ようやく、この日が来た)
 レメルギウスは万感の思いを胸に抱いていた。

 レメルギウスの一番古い記憶は、ごみのように道端に打ち捨てられていたところから始まる。
 それ以前のことは全く覚えていない。
 ただ、道行く人々は誰一人死にゆく自分を顧みることはなく通り過ぎていったこと覚えている。
 その当時、国は他国と戦争をしていて、民は大きな負担を強いられており、子供が捨てられることなど、珍しくもなんともなかった。ありふれた出来事だったのだ。
 だからだろうか、自分もそれに対して落胆や失望を抱くことなく、むしろそれを当然のことのように受け入れ、ただ命の灯火が消えるのを待っていた
 だが、そんな彼に一人の女性が近づいてきた。
 彼女は倒れ込むレメルギウスのすぐ傍でしゃがみ込み、優しい声で話しかけてくる。
『あなた、大丈夫?』
 それが、師匠との出会いであった。
 彼女は国に仕える宮廷魔術師として働いていた。
 当時は今以上に宮廷魔術師の地位は特別で、更に女性がその職に就くことは異例であり、それほど彼女の実力が優れているということに他ならない。
 しかし、彼女は決してその地位を鼻にかけることはなく、誰にでも分け隔てなく接する心優しい女性であった。
 師匠はレメルギウスを引き取り面倒をみつつ、弟子として魔術を指導してくれたのだ。
 そのおかげで、レメルギウスは様々な知識を得ることができたし、人生に希望というものを持てる様になった。
 レメルギウスが生きる気力を取り戻せたのは、師匠のおかげと言っても過言ではない。
 そんな彼が師匠に好意を抱くのも当然で、いつかこの恩を必ず返そう、彼女の為ならば何でもしよう、そう思っていた。
 だが、運命は残酷だった。

「嫌だ! 止めてください、師匠!」
 泣いて縋るレメルギウスを、師匠は優しくけれども確固たる意志を持って振り払う。
「ごめんね、レメルギウス。だけど、こうするしかないの」
「俺のことは見捨ててください! だから、師匠だけでも……っ」
「駄目。あなたを死なせる訳にはいかないわ」
 それは突然の出来事だった。
 ある辺境の地で、見たこともない凶暴な魔獣が出現したとの知らせを受け、宮廷魔術師の師匠はその討伐を命じられたのだ。
 レメルギウスもそれに同行し、魔獣退治に協力することとなった。
 しかし、その魔獣は非常に強く、二人は苦戦を強いられる。
 それでも二人がかりでなんとか追い込んだものの、あと一歩というところで魔獣の反撃を受け、レメルギウスは深手を負ってしまう。
 これにより状況は一変、二人が劣勢に立たされたのだ。
「俺を置いて逃げてください! お願いします、貴方が犠牲になることなんてないんです……!」
 レメルギウスは必死に訴えかけるが、師匠は首を横に振るばかり。
「いいえ、ここでこいつを取り逃がしたら他にも被害が出る。必ずここで討たないといけない……私は、自分の責務を果たさないと」
 師匠の言葉には決意が籠められていて、何を言っても聞き入れてもらえないことはレメルギウスにもわかった。
 けれど、それでも諦めきれないレメルギウスが叫ぼうと口を開いた瞬間、師匠が振り返り微笑む。
「レメルギウス、あなたとの生活は本当に楽しかったわ。私以上の才能を持つあなたなら、きっと立派な魔術師になれる。どうか、元気で」
 そう言って、師匠はレメルギウスに背を向けると、詠唱を始める。
 彼女の魔力が膨れ上がっていくのを感じ、レメルギウスは叫ぶ。
「待って、待ってください……! 俺を、俺を置いていかないで……!!」
 だが、その懇願に師匠は応じてはくれない。
 そして、彼女の放った魔術は魔獣を飲み込み、周囲一帯は光に包まれる。
 その眩しさに目を閉じたレメルギウスが再び目を開くと、そこには二つの亡骸だけが残された。
 魔獣と、師匠のものだ。
「あ、ああぁああっ……!」
 レメルギウスは痛む体を引きずって師匠の傍へ寄り、泣き崩れる。
 自分を抱きしめてくれたこともある体は冷たく、二度と動くことはない。
 レメルギウスにとって何よりも大切な人は、この世から消えてしまった。
 けれど、レメルギウスはなんとか立ち直った。
 彼女の遺志を継ぐため、彼女が守った国を守る為に、自分は生きているのだと、自分に言い聞かせて。
 それからレメルギウスは力をつけ、ついに宮廷魔術師となった。
 宮廷魔術師になれば、希少な文献や国の機密事項に触れることもできる。
 彼は貪欲に知識を求め、己の研鑽に励んだ。
 やがて、レメルギウスは師匠を超えるほどの魔術師となったが、それでも慢心することなく更なる高みを目指していった。
 師匠の献身を無駄にしない。それだけが彼の原動力だった。
 師匠曰く、死んだ魂は巡り、いつかまたこの地に戻ってくるのだという。だとすれば、新しく生まれてきた師匠に、あなたのしたことは無駄ではなかったのだと、あなたの献身は報われたのだと、伝えたかった。例え記憶がなくとも、そうしたかったのだ。
 しかし、彼は知ってしまう。
 師匠が命をかけて討った、あの魔獣。あれが、国が秘密裏に造り出した生物兵器であることを。
 予想以上に凶暴となり、制御ができなくなったことから破棄され、それを何も知らない師匠に処分させた。
 これが事の真相。
 つまり、師匠は守ろうとしたこの国に殺されたのだ。
 レメルギウスの心の中にあった何かが音を立てて壊れていった。
 怒りや悲しみ、絶望といった感情が全て混ざり合い、彼を呑み込んでいく。
 そして、思ったのだ。
 この国は師匠が命をかけて守るのに相応しくない。相応しくないなら、相応しくしよう、と。
 それから、レメルギウスはさらなる魔術の研究に没頭した。
 月日は流れ、とうとうレメルギウスは師匠どころか、この世界の誰にも到達できなかった領域まで上り詰め、人智を超えた力を手に入れる。
 本来なら、その力は世のため人のために振るわれるはずだった。以前のレメルギウスならそうしていただろう。
 だが、今のレメルギウスは違う。ただ、一人のために。
 彼がまず行ったのは、自身の寿命をなくすこと。彼の目的のためには、百年程度しか生きられない寿命など不要なものだ。
 これにより、彼は老いることがなくなった。
 次に彼が編み出したのは人の精神や記憶を操作する魔術。師匠が知れば、間違いなく封印して破棄したであろう魔術を使い、レメルギウスは国の重鎮たちを支配していく。
 こうして国を裏から操る存在になったレメルギウスは、少しずつ少しずつ国を作り替えていった。
 そして、この国で盤石な地位を築いた後、自身の魔力の網で国を包んだ。
 それはおよそ人の行える所業ではなく、まさに神の如き行いである。
 この魔力の網は、特定の魔力を感知するためのもの。その特定の魔力とは当然、師匠のものである。
 師匠が生まれ変わり、この地にやってきて強力な魔術を使えば、すぐに気づくことができるだろう。
 勿論、師匠がこの国以外で生まれていたり、魔術を使わない可能性もある。
 それでも、少しでも師匠と再会できる可能性を少しでも高めるために、レメルギウスはこの術式を組んだのだ。
 それから、長い時間が過ぎていった。
 レメルギウスはひたすら探し続けた。ずっとずっと探し続けた。
 そして、ついにその時は訪れたのだ。
 どうやら、誰かが召喚魔術を使用したらしい。そして、その術者の魔力は彼が探し求めていた人のもの。
「――見つけた」
 そこから彼の行動は早かった。
 当日にはその術者が誰か割り出し、翌日には会いに行った。
 彼女の名はロマーヌ。
 見た目や名前こそ師匠と異なるが、その優しさや穏やかさ、慈悲深さは師匠と全く変わらない。
 間違いなく、師匠の生まれ変わりだった。

*****

(どれほどこの日を待ち望んだことか……)
 レメルギウスが唇を離し、ゆっくりと顔を上げる。
 ロマーヌがうっとりとした眼差しでレメルギウスを見つめていた。
 どこかぼんやりとした様子で、彼女はレメルギウスの名を呼ぶ。
「レメルギウス……」
「ロマーヌ」
 レメルギウスはそっと彼女の頬を撫でる。
「この国は、全て君のもの。ここで幸せに生きよう」
 その為に、ずっと準備をしてきたのだ。
 この国の上層部はレメルギウスの傀儡であり、何人たりともレメルギウスに逆らえない。
 もし、正気のロマーヌが知れば、レメルギウスを非難しただろう。
 だが今の彼女は、この教会にいる者たちと同様、心を支配されてしまっている。
 もう、レメルギウスを止めることはできない。
「君はこの国のために全てを捧げた。ならば今度は、この国の全てが君に捧げられるべきだ」
 レメルギウスの言葉を受け、ロマーヌはぼんやりとしながら目を瞬かせる。
「レメルギウス、は……? レメルギウスも、私の?」
「俺も、君のものだ。この身も、心も、魂も、全て君のためにある」
 だから、この国で永遠に共に暮らそう。
 レメルギウスは愛おし気に囁くと、ロマーヌはニコリと微笑む。
「あなたと一緒なら、嬉しい……」
 レメルギウスは喜びに震えながら、ロマーヌを抱きしめる。



 それはとても美しい光景であり、この国がたった一人のための箱庭になった瞬間だった。

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