エギヒデムの門

秋空夕子

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新たな出会い

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 リザは両親の顔を知らない。
 赤ん坊の頃、孤児院の前で捨てられていたらしい。
 とはいえ、そのような境遇の子は孤児院では珍しくなかった。
 外の子供には親にいないことで馬鹿にされたり、ボロボロの古着を着ていることをからかわれることもあったが、それでも孤児院の院長は優しく、一緒に育った子供達もみんな仲が良くて、彼女は平和に過ごしていた。
 しかし、孤児院はお金がなく、いつもぎりぎりの生活だった。
 リザはそんな状況を変えたくて、院長に恩返しがしたくて、毎日一生懸命勉強したのだ。
 もともと本が読むのが好きで、コツコツと積み重ねるのが苦ではないリザは勉強するのに向いていたのだろう。
 いつしか孤児院で一番物知りとなり、地元の学校でも一番の成績となった。
 さらには、簡単な魔法まで使えるようになれた。
 でも、それでリザは満足することはなく勉強を続け、ついには都市部にある有名な学校に入れることになったのだ。
 お金も奨学金で払ってもらえることになり、院長や同じ孤児院の子どもたちは皆喜んでくれし、リザ自身とても嬉しかった。
 親がおらずお金もない。
 そのハンデキャップを乗り越えることができた自分を誇らしかった。
 学校に行ってたくさんの勉強をして立派な仕事に就き、この施設の皆にも恩返しをしながら充実した日々を送ることを思い描いたものだ。
 彼女は無邪気にも未来は輝き、人生というものは頑張れば報われるものなのだと、信じて疑わなかった。
 ある日、強盗に院長を殺されるまでは。



「う、ん……」
 懐かしい夢から覚めて目を開けると、そこは見知らぬ光景。
 ここはどこだろうかとぼんやりしていると、誰かが彼女に抱きついてきた。
「リザお姉ちゃん!」
「ユアン君……」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめるユアンの背中にそっと手を回しながら、リザは周囲を観察する。
 どうやらここはテントの中らしい。
 徐々に記憶が鮮明になり、自分が倒れる直前誰かに助けを求めたことを思い出す。
「ああ、目が覚めたようだな」
 そんな時、誰かがテントの中に顔を覗かせた。
 金髪のその男性は、リザが気を失う前に出会った相手で間違いない。
「ゲオルクさん」
 男性を見て、ユアンはそう呼んだ。
「起きてくれて良かったな、ユアン」
「うん!」
 どうやら自分が眠っている間に、ユアンと彼は多少なりとも交流を深めていたらしい。
「あの、助けていただいてありがとうございます。私は……リザと申します」
 一瞬、偽名を使うべきかと迷ったが、ユアンがもう教えているかもしれないし、下手なことをして不信感を与えてしまうほうがまずいと考えて正直に答えることにした。
「ああ、リザさんな。俺はゲオルクだ。飯ができてるんだが、食べられるか?」
「いえ、でも……そこまでお世話になるわけには」
 その時、グググゥと地響きのような音が響いた。
「え、やだっ!」
 音の出どころが自分の腹だと気づいたリザは思わず両手でお腹を抑える。
「ふふふ」
「もう、笑わないで」
 クスクスと笑うユアン。
 それはあの狭い部屋の中では見ることのできなかった表情であった。
 しかし、これはちょっと恥ずかしい。
「ほら」
 いつの間にやら食事を用意していたらしいゲオルクが、持ってきた器を差し出す。
 中には山菜がたっぷりと入ったスープ。
 その匂いがまた空腹を刺激され、また音が鳴らないようにリザはお腹を抑える手の力を強くした。
「そんな、悪いですし……」
「……言っとくが、ここからまた人里まで長いぞ? それまであんたには自力で歩いてもらうんだから少しでも体力を戻してもらわないと困る」
 ゲオルクの言葉に、リザはそれもそうだと納得するしかなかった。
「……えっと、それじゃあ、いただきます」
「ああ。ユアンも食べるだろ?」
「うん、食べる」
 リザは器を受け取り、口をつける。
 調味料はほとんど入っていないのか、全体的に薄味で僅かに山菜の苦味が口に広がるが、空っぽの胃にはこれぐらいがちょうどいいのだろう。
 温かい汁が食道から体全体に広がり、ほっと息を漏らす。
 隣を見れば、同じく空腹だったのだろうユアンがスープをごくごくと飲み込んでいた。
「ユアン君、もっとゆっくり飲まなきゃだめよ。それから、山菜はちゃんと噛んで」
 喉に詰まらせないか心配になり、思わず声をかける。
「んっ」
 口にスープを含んだままユアンは頷き、一旦器を口から離した。
 それからもぐもぐと口を動かし、中にある山菜をよく噛んでから飲み込んでいく。
 ただ、やはり山菜は彼には苦かったのか、顔をしかめている。
 もしかしたら、この苦味を味わいたくなくて早く飲み込もうとしていたのかもしれない。
 作ってくれた人が目の前にいるのに「おいしくない」と言い出さないか心配で、リザははらはらしてしまう。
「偉いなあ、ちゃんと食べられて」
 けれど、いかにも美味しくなさそうに食べる子供にゲオルクはそう言葉をかけた。
「え?」
「それ、苦くて美味しくないだろう?」
 笑うゲオルクにユアンは視線を少しさまよわせて、小さく「うん」と答える。
「だよなぁ。俺も小さな頃はそれが苦手でな、食べられずに残しては怒られた」
「そうなの?」
「ああ。その点、ユアンはちゃんと食べられて立派だな。すごいぞ」
「そ、そうかなぁ?」
 ゲオルクの言葉にユアンは照れたようにもじもじしつつ、ちらりとリザを見た。
「ええ、格好いいわ」
「へへへ、そっかぁ」
 二人に褒められたのが嬉しいのだろう、ユアンはニコニコ笑いながら残ったスープを飲んでいく。
 その様子に、リザは口元が緩むのを止められなかった。
 ふとゲオルクの方に目を向ければ、彼は相変わらず気だるげな様子でユアンを見ていた。
 けれど、その眼差しがどこか柔らかいのは気の所為だろうか。
 目を離せずにいると、ゲオルクがそれに気づきリザに目を向けた。
「……何か?」
「い、いえ、何でもありません」
 流石に不躾だったなと気まずく感じながら、スープを口につける。
 ゲオルクもそれ以上追及するつもりがないのか、テントから離れていった。

「ごちそうさまでした」
「ごちそーさまです」
 一滴も残すことなくリザが頭を下げると、それをユアンも真似する。
「よいしょっ」
 空になった器をゲオルクに返そうとリザは立ち上がろうとしたが、それは叶わずリザの体はガクリと倒れてしまう。
「いっ、た……」
 体、特に足が痛む。どうやら一晩中酷使した影響がまだ残っているらしい。
「リザお姉ちゃん、大丈夫?」
「ええ……平気。悪いのだけれど、これをゲオルクさんに返してきてくれる?」
「うん」
 リザから器を受けったユアンはテントから出て、ゲオルクに駆け寄っていく。
 それを眺めながら、リザはこれからどうしようかと頭を悩ませる。
 ゲオルクの様子から、近くの人里までは案内してくれるだろうがそれからどうするべきだろう。
 できる限り遠くに行きたいが、路銀は心もとなく、他者からの援助は望めない。
(そういえば、腕の怪我は……)
 昨日、刺された箇所を確認すると、そこは手当てをされていた。
 間違いなくゲオルクがしてくれたのだろう。
 外を見れば、ユアンとゲオルクが何かを話しているのが見える。
(初めて会ったのに、こうして手当てをして食事までくれて……彼はきっと優しい人なんだろうな)
 そんな優しい人だから、あまり頼り切りになるのは避けたい。
 ましてや、今の自分達はお尋ね者。関わっていると知られたら、まずいことになる。
 そんなことを考えていると、ユアンがこちらに戻ってきた。
「ゲオルクさんがね、今日はここでゆっくり休んでてって」
「そう……後で、ちゃんとお礼を言わなきゃ」
 伝言を終えたユアンはキョロキョロと辺りを見渡す。
「ユアン君?」
「ねえ、遊んできてもいい?」
 ソワソワと聞いてくるその様子に、彼にとっては久しぶりの太陽の下なのだと思い出した。
「……あまり遠くに行ってはダメよ」
「うん!」
「川の中に入らないでね! 呼んだら戻ってくるのよ!」
「はぁい!」
 ユアンは嬉しそうに駆け足で川岸を物色する。それはまだ少しぎこちなく、転ばないか心配でリザは少しでも体を起こして目で追う。
(やっぱり行かせない方がよかったかしら……でも、ここで一緒にいても退屈なだけだろうし、少しはユアンに楽しんで欲しいし)
 今はとりあえず遊ばせて、何かあればすぐに呼び戻そう、リザはそう決めた。

 そんなリザの心配を他所に、ユアンは温かい太陽の下を満喫している。
 草や花を引っこ抜いたり、石をほじくり返したり、枝を拾って振り回してみたり。
 たったそれだけのことがとても楽しい。
「あっ、虫だ」
 視界の端で何かが飛び跳ねるのを見て、目を向ければその正体は大きなバッタ。
 それを捕まえようと手をのばすが、バッタもそれを察知したのか逃げていく。
「待て待てぇ!」
 ユアンは夢中でそれを追いかけた。
「わっ」
 しかし、その途中で足がもつれて倒れ込みそうになってしまう。
 とっさに目をつぶったユアンだが、大きな腕が横から伸びて体を支えられた。
「気をつけろ。危ないだろ」
「うん、ありがとう。ゲオルクさん」
 お礼を言うと、後ろから焦った声が聞こえる。
「ユアン君! 大丈夫?」
 振り返れば、リザが不安げな顔でこちらを見ていた。
「平気!」
 彼女を安心させようと、手を降って無事を伝える。
 怪我がないことがわかったのだろう、リザは安心したように「気をつけてね」と声をかけた。
 もう一度バッタを追いかけようかと周囲を見渡すが、もうすでに逃げ切ったのかその姿はどこにもない。
 さて、どうしようかと考えてくると、ゲオルクがユアンの顔を覗き込んだ。
「なあ、ちょっと見てな」
「え?」
 ゲオルクはそこら辺に落ちている石の中から平べったいものを拾い上げると、それを川に向けて投げた。
 すると、その石は水中に落ちることなく水面を飛び跳ねたではないか。それも一回ではなく、五回も。
 ユアンは目の前で起きた光景に、目を光らせた。
「すごい! 今のどうやったの!? 魔法?」
 興奮気味に問いかけるユアンに、ゲオルクは口元を僅かに緩めながら答える。
「魔法じゃないな。練習すれば誰でもできるようになるさ」
「本当? 僕にもできる?」
「ああ」
 ゲオルクはいくつか石を拾ってユアンに見せる。
「ほら、石にもいろんな形があるだろう。その中から、こういう平たい石を選ぶんだ」
「うん」
「それで、横に回すよう持って……」
「こう?」
「うーん、もっと姿勢は低いほうがいいな。ほら、こういう風に」
「これでいい?」
「そうだ。それでやってみろ」
「うん!」
 ユアンは力いっぱい石を投げるが、それは飛び跳ねることなくそのまま川の中に落ちていった。
「あれー?」
「誰でも最初はそんなもんだ。練習すれば上達するさ。今度は胴体も回すように投げてみな」
「うんっ」
 それからゲオルクのアドバイスを受けながら、ユアンは何度も川に石を投げる。
 楽しそうなその姿に、リザは微笑みを浮かべていた。



 日が沈み、リザとユアンはテントで横になる。
 けれど、そこから話し声は絶えない。
 ユアンが興奮気味に、ずっと同じ話ばかりを繰り返しているからだ。
「ね、見てたでしょ! ちゃんと石が跳んだの!」
「ええ、ええ、ちゃんと見たわ」
「ねえ、すごい? 僕すごいでしょ?」
「ええ、すごいわ」
 もう寝る時間なのにまだこんな様子だから、リゼも困ってしまい、なんとか落ち着かせようと腐心する。
「もっとたくさん跳ばせるようにするんだぁ。リザお姉ちゃんにも見せてあげる」
「ええ、楽しみね。ところでユアン君、そろそろ眠くない?」
「眠くない!」
「そっかぁ。それじゃあ、私の歌を聞いてくれるかな?」
「歌? 聞きたい!」
 目を輝かせるユアンにリザは内心ほくそ笑む。
 彼女が歌い始めたのは何の変哲もない子守唄だ。
 あくまで普通にうまいと言えるレベルだが、静かでゆったりとしたリズムで紡がれるその音は、聞いている者の耳に染み込んで、安らぎを与える。
 聞き入っているユアンは目を徐々に微睡ませていき、大きく口を開けてあくびをした。
(ふふふ、効いているわね)
 これぞ、リザが孤児院で幼い子供達を寝かしつける為に鍛え上げた子守唄。
 トントンと軽くユアンの背中を叩いていくと彼の睡魔はますます強くなった様子で、やがて静かな寝息を立て始める。
「……よし」
 それを起こさぬようにそっと離れ、リザはテントの外にいるゲオルクに声をかけた。
「あの、ゲオルクさん」
「ん? どうした?」
 火の番をしていた彼は、くるりと振り返って彼女を見る。
「本当に、何から何までありがとうございます。助けていただいただけでなく、ユアン君の面倒までみてくれて……」
「別にいい。気にするなって」
 そうゲオルクは言ってくれるが、リザとしてはそうもいかない。こんなにもお世話になっているのに何も返せないのは心苦しく、何か役に立ちたかった。
「でも……お疲れではありませんか? よければ私が代わりに見張りを……」
「いいって。あんたはとにかく休んでな。明日からまた大変だぞ」
「それは、そうですけど……でも、ゲオルクさんはずっと働き通しなんですから……」
 食い下がるリザに、ゲオルクは少し考え込んでから口を開く。
「それならさっきの歌、もう一度歌ってくれないか」
「歌?」
「ああ……久しぶりに聞いた」
「わかりました。それじゃあ……」
 ゲオルクの要望通り、リザはもう一度歌う。
 母が子の息災と幸せを願うその歌は、温かくて優しいのに、どこか寂しさを聞いている者に感じさせる。
 ゲオルクはその歌を、ただ静かに聞く。それは、どこか遠くの誰かに思いを馳せているようにも見えた。
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