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第七話 対価-1

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 連隊長や第三大隊隊長が徴発に出歩いている頃のこと。
「面倒事を押し付けやがって!」
 第二大隊隊長のハロルドは毒突いた。執務室兼用の自室で遅い昼食を摂りながら、既に姿を消したヘンドリックに対してだ。
 言うことだけ言い終わった途端、問い掛けに応じようともせずに立ち去るヘンドリック。部下に追わせたものの、あっと言う間にかれてしまい、反論も何もできず仕舞いになった。
 あまりに酷い指示であった。略奪をしてハイデンの経済を破綻させれば、駐留しているボナレス領軍自身もまた困る。これは既に食糧難として経験済みだ。報告もした。
 ところがその経験が生かされていないと容易に予想できる。伯爵はボナレス領にも影響すると全く考えていないに違いない。
 これは駐留軍の指揮を執る連隊長もだ。
 何しろ連隊長が今の地位に就けたのは、ボナレス伯爵の悪行を支える形で汚い仕事に手を染め続けた結果だ。政治どころか戦略さえ覚束おぼつかない有りさまで指揮をするのだから、まともな軍の運用が為されるはずもない。
 そしてけして伯爵の指示ではないだろうヘンドリックからの報告。傭兵に払うべき報酬や兵士への給料は伯爵が着服して散財済みだと言う。残っていないのだから、どんなに支払いを求めても支払われることがない。説明されても「はいそうですか」と納得できるものではないのに、それを隊員に説明しなければならない立場なのだ。

 駐留軍を成す三つの大隊はハイデルフト領に侵攻した隊がそのまま任務に就いている。侵攻の際にはこの第一大隊と第三大隊がハイデンへ急行し、第二大隊は途上の町を制圧する任務に就き、ハイデン陥落後にハイデンへと移動、他の隊と合流した。
 この運用についてはハロルドも異論は無い。帰属意識の薄い傭兵部隊を単独で動かすのは危険だ。裏切りや暴走が危惧きぐされるため、治安維持を伴う途上の町の制圧を任せるなどもっての外である。だから異論を差し挟む余地など無い。
 だが、どうしても苦々しさを感じずにいられない。
 ハロルドは隊員個々による略奪を厳に戒めた。今後の占領政策を考慮するなら不要な住民との軋轢あつれきを避けると共に持続的な徴税が可能となるだけの経済を維持しなければならない。略奪はそれらを根底から破綻させる。
 傭兵部隊を単独で動かしては制御が利かず、その破綻に繋がる可能性が高い訳だ。
 ところがハイデンに移動して目にしたのは、略奪を行う第一大隊の姿だった。それを戒めるべき連隊長はと言えば、自ら徴発と称した略奪をする。隊員らも野放しだ。治安を維持するべき立場との自覚が全く見られない。
 検問のこともある。町に出入りする人々の身包みを剥ぐような真似をしていたために経済が停滞した。ハロルドが連隊長に苦言を呈しても聞き入れられず、解除されたのは駐留軍自身が飢餓に直面した後だった。
 この時ばかりは連隊長でも背に腹は代えられなかったのか、ハロルドが対決も辞さじと迫ったからかは定かでないが、綱紀粛正が行われ、一旦は略奪が控えられた。しかしまた喉元過ぎれば熱さを忘れるとばかりに略奪する兵士が増えている。
 第一大隊がそんな様子なのだから、傭兵から成る第三大隊の行いは言うに及ばずである。当初は略奪をよしとしなかった傭兵も居たが、これまでの間に全て軍を離れるか、暴挙を止めようとして味方だった兵士や傭兵に殺されてもう居ない。殺した方はお咎め無しにされてしまったので、殺された方は全くの殺され損だ。
 影響は第二大隊にも及んだ。不心得者が第一大隊をうらやんで不満を募らせたのだ。それらが転属を願い出るに至り、ハロルドは希望者を全て第一大隊に移籍させ、第一大隊から略奪を是としない隊員を移入した。第二大隊の規律さえ危ぶまれた結果である。

 そこに降って湧いたように出て来たのが今回のボナレス伯爵からの指示だ。このままでは収拾が付かなくなるのが自明である。
 ただでさえ相次ぐ不審死やボナレス兵を狙った盗賊の被害で兵士達がささくれ立っている。報酬は領主が着服しただとか、金銭は略奪してまかなえだとか言おうものなら、兵士達が何をしでかすか判らない。
「俺も逃げるか?」
 ハロルドの口からはそんな独り言がこぼれてしまう。フォークを置いて食べ終わった皿を脇にけ、テーブルに肘を突き頭を抱える。そのまま考え込んでいると、首筋を何かがチクリと刺した。手で触っても振り返っても何も無い。変だと思いつつ前に向き直れば、目の前にフォークが浮いている。驚愕に見開いた目に向かってフォークが動く。
「うわっ!」
 思わず悲鳴を上げながらフォークを手で払い飛ばすと、フォークは軽い音を立てて床に落ちた。床に落ちたフォークをつついてみても、持ち上げてみても、ぶらぶら振り回してみても何も起きない、ただのフォークだ。頭の中に「呪い」と言う言葉が浮かぶ。
 今までは呪いの話など聞いてもどこか信じられなかった。だが、目の前で起きた得体の知れない現象はなんなのだ。呪いと言う言葉がしっくり来るではないか。
 ハロルドは戦慄した。

 ハロルドの前に立ち、エカテリーナは呟く。
『鍛えている相手には、フォークは刺さりませんね』
 エカテリーナは自らの非力さが恨めしい。鍛えている兵士へじかに攻撃しても嫌がらせが関の山だ。今後を考えれば、より強い力を欲してまない。そうでなければ許せざる連隊長の息の根を止められない。
 今し方に目の前の隊長を狙ったのは、その確認である。だから殺せなくても問題無い。勿論、死んでも構わないが、嫌がらせで撤退を誘えるなら、それはそれで良い。

「隊長、どうしたんです?」
 副隊長のベックがハロルドの声を聞き付けたらしく、面倒そうに言いつつ部屋に入って来た。食事が終わる頃を見計らって訪ねて来ていたらしい。
 だが、ハロルドはベックの普段と変わらない面倒そうな声音だけで平静を取り戻した。部下にあまり無様は見せられないと言う、ちょっとした自尊心も手伝っている。
「なーに、フォークが飛んできただけだ」
「何言ってんですか? のろいじゃあるまいし」
 ベックが首を竦めた。
「その呪いかも知れんのだ。丁度あんな具合に」
 ハロルドが視線で示す先にはペンが浮いている。そしてそのペンがベックへ向けて真っ直ぐに飛ぶ。
「なっ!」
 ベックは驚きつつも、軽くペンを叩き落とす。
「でも、大したことはないですね」
 鼻で笑った。

『きぃぃぃっ! 大したことないくらい解ってるわよ! だけど、他人に言われると頭に来るわ!』
 エカテリーナは手当たり次第に物を投げた。だが、全力で投げても遠くへは飛ばない。
 今まで非力さを小手先の仕掛けで補って目標を葬っていたが、成功して嬉しかったのは最初の頃だけだ。復讐を始めて一ヶ月が過ぎ、繰り返す毎に失敗が増えて苛立ちだけが募る。成功した時にも達成感より安堵感の方が強くなっていた。

 小物が宙に浮いては床に散らばる様子を見ながらベックは言う。
「大したことなくても、鬱陶しいことに変わりはありませんね」
「ああ、これじゃ落ち着いて寝ることもできないな」
 二人はその場から退散した。

 残される形になったエカテリーナは悔しさに満ちていた。剣を振るうだけの力が有れば簡単に闇討ちもできるし、あんな余裕を与えることも無かったはずなのだ。悔しさの余り椅子を蹴りつけた。
 この時、エカテリーナは亡霊となって以降、初めて椅子を倒すのに成功した。
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