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第一一話 貯蓄
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ハイデルフト侯爵の叛乱以降、国内の三分の一近い領主が一族諸共失われたが、後任の領主はなかなか決まらない。叛乱とその後の王都の大火によって少なくない貴族が命を落としたことで、候補者不足に陥ったのが最も大きな理由である。元ハイデルフト領とモーダルタ領を直轄領のままとしたのは正にそれが理由だった。
叛乱後の暫くは自分や家族を領主に取り立てて貰おうと、賄賂を送るなどの様々な手段で出世争いに興じる貴族も居た。しかし、叛乱直後の混乱も手伝って、そう簡単には決められない。慎重に身辺調査を行っていた。
その潮目が変わった理由が呪いを振りまく怨霊の噂である。それも日を重ねるにつれて呪われる理由がはっきりしなくなる。ハイデルフト家と懇意にしてると目されていたメストロアル侯爵までが呪われたとなれば、理由など無いようにさえ思えるのだ。どうしたら呪われるのか、逆にどうしたら呪われないのかと、様々な憶測も飛び交った。追い打ちを掛けるように次々と領主が命を落とすに至り、領主であること自体が怨霊の呪いを招くとも噂されるようになっていった。
メストロアルの惨劇は、エカテリーナが呪いがどこに向かっているのかを人々の目から眩ませるのに十分だったのだ。
今となっては多くの貴族が賄賂を送ってまで領主として封じられるのを避けようし、国王が命じて封じた者の中には国外へと逃亡する者も現れた。
急場凌ぎに行ったのは、代官を任命して統治に当たらせることである。
これに冷や水を浴びせるように新たに加わった報告が怨霊による二度目の襲撃だった。統治する貴族が不在にも関わらず、襲撃が起き、その惨劇は一度目の比ではなかった。こうなると代官の任さえ固辞する者が続出し、名目だけの自治領が増えた。その中にはハイデルフト、メストロアルを始めとした大領も複数含まれており、面積では国の半分近くを占めるまでに至る。
通説ではだ。
そう、この二度目の襲撃はあくまで通説でしかない。事実はそれと異なり、二度目とされる襲撃は、正しくは一度目である。もし、各領主の殺害時に正しく捜査されていたなら、殺害した犯人が家宰であったり領軍総長であったりと言ったことが判明した筈だ。噂に便乗する形で全て怨霊の仕業として闇に葬ろうと画策され、実行されたものだった。
この時にもしも正しく捜査と処罰が為されていたら、二度目の襲撃とされるものも起きなかったかも知れない。自身の名を騙られたため、エカテリーナは敢えて足を運んで災禍をもたらしたのだから。
しかしこれはあくまで可能性。捜査を怨霊に便乗して我欲を満足させた者がするのだから正しく為される筈もない。それに、エカテリーナがたまたま行き着いて災禍を撒き散らすかも知れないのだ。
◆
宰相テネスノイトは苦悩する。日に日に国内が荒れてゆく。領主が健在な領は安定しているが、領主とその一族が失われた領は統治されていないにも等しく、治安悪化が著しい。面積で言うなら国の半分に近い。
皮肉なのは、領主不在の領において治安が唯一安定に向かっているのが、叛乱以降最も長く領主や代官が不在となっている元ハイデルフト領であることだ。自警団が組織され、その勢力が拡大するにつれて安定の度合いを増している。他領により占領、治安維持されていた時よりもだ。
この元ハイデルフト領の例外を除けば、領主不在の領ではいつ暴動が起きてもおかしくはない状態にある。加えて、今後は更に領主不在の領が増える可能性もある。いや、怨霊による災禍が治まらない限り、確実に増える。
このまま放置していれば、国の存続そのものが危ぶまれる事態に発展する。混乱に乗じた隣国による侵略も考えられるが、それ以前に国が分裂する可能性が極めて高いのだ。
国が転覆するようなことになれば宰相たるテネスノイトは失職だ。先行きに不安を感じずにはいられない。金貨を数えて悦に浸ることすらできなくなるのは我慢できない。
そう、テネスノイトは蓄財こそが人生なのだ。
テネスノイトは先代の国王の時代から収賄は当たり前の腐敗の温床の一人であり、何よりも金貨を愛する金の亡者である。だが、国が成り立っていてこそ甘い汁を吸えるとの見識だけは持ち合わせている。それ故に今の国の状態は彼にとって都合が悪い。蓄財できずに何の人生か、なのだ。
蓄財のためなら努力を惜しまない。だから今は嘗て無いほど働き、その手腕を遺憾なく発揮している。現国王が未熟な分を全て補い、内政をほぼ一手に引き受けていると言って過言ではない。その手腕を先王時代に発揮していてくれれば、と考える文官も少なくない。
「それもこれも怨霊の仕業か」
テネスノイトは呟いた。そこでふと、違和感に襲われた。何か錯覚している気がする。そう思って地図を広げ、怨霊に襲われた町や村を追っていくことにした。
ハイデンでの幾つかの小さな事件、ボナレス領主の死、メストロアルの惨劇、それとベグローナの破滅にエカテリーナ・ハイデルフトが関わっているのは確実だ。それらしき人影の目撃者や宙に浮かぶ短剣の目撃者が存在し、その証言も得られている。何よりメストロアルとベグローナについては人間業とは到底思えない。
ボナレスからメストロアルまでの彼女の足跡は不明だ。恐らくは仮に事件が起こしていたとしても表沙汰になっていない。ハイデンでは数多くの事件を起こしたことで犠牲者総数が多くなり、噂にもなった。ボナレス伯爵の件では、伯爵が彼女と対面しているかのような言葉を発するのを聞いた者が居る。怨霊の噂が全国にまではそれほど浸透していなかったことも合わせ、特徴的な出来事が無ければそうとは認識されなかったに違いない。
メストロアルの惨劇以降は足跡らしきものが明らかになっている。メストロアルを境に怨霊による被害が急拡大しているのがその理由。拡大の原因までは判らないが、それまでは少人数だった事件毎の犠牲者が常に二桁以上に変化した。被害の大きさに加え、怨霊の噂も広まりを見せたことから、そうと認識された事件が各地で点々と発生しているのである。
また、メストロアル以降で被害者が比較的少ない場合と甚大な場合とでも特徴的な違いが有る。精々二桁を数える程度の犠牲者しか出ていない場合は、通り魔に襲われたように、たまたまそこに居たから殺されたと思しき犠牲者が殆どを占める。道なりに犠牲者が並ぶのが特徴的だ。一方で甚大な場合には、領主が殺害された場合に多いが、町が壊滅的な被害を被っている。
これら各地で点々と発生した事件の場所を時系列に沿って追うと、誰かが歩んだような線になるのである。
ただ、そうして整理すると奇妙な部分が有る。
遠く離れた場所で同時に起きたと思われる事件が有るのだ。これがもし両方とも怨霊の仕業だとするなら、怨霊は長距離を一瞬で移動できることになる。一瞬で移動できるのなら、メストロアルからベグローナまでに半年以上も間を空けるのは不自然だ。
そこで不自然に距離が離れた事件を外して追ってゆくと、線が一つになって見えた。その進路はふらふらと曲がりながらも一定の速度を保っているように見える。速度はかなり速いが、昼夜を問わず移動するなら徒歩で移動できる程度だ。そしてその線上には、怨霊に二度襲われたと言われる町の一度目は無い。
冤罪――。
そう、恐らく一度目は怨霊からすれば冤罪だ。二度目はその被害の大きさから言っても怨霊で間違いないだろう。冤罪を擦り付けられたことを恨んだのだろうか。
テネスノイトは怨霊を突き動かすものの一端を知った気がした。しかしそれ以上に領主殺害事件の調査の杜撰さを突き付けられる思いがした。
だが今はそれを処罰どころか、検証する暇も無い。怨霊の進路は王都を指し示しているのだから。
「何を難しい顔してるのかしら?」
テネスノイトは甘やかな香りと共に女に突然抱きつかれ、甘えたような声で囁かれた。女の豊かな胸が背中をくすぐる。テネスノイトにはその女が誰だか直ぐに判った。
「これは王妃様、お戯れを」
「ね? これからいいことしない?」
「いえ、まだ仕事が残っております故、ご辞退申し上げます」
「もうっ! つれないのね。でもまあ、いいわ」
王妃は少し不機嫌を装いながら、あっさりと引き下がった。
テネスノイトは肌が透ける薄絹を纏っただけの王妃の後ろ姿を見送りながら、何故こんな毒婦が王妃なのかとの常々の疑問が頭を過ぎった。王妃に貢いで破産した下級貴族も多く、人材不足の一因にもなっているのだ。
◆
「全然脈が無いわね」
どうしたものかしら、と王妃は考える。更なる放蕩を行うにも先立つものが必要だ。そこで国庫を握っているテネスノイトを籠絡しようとしているのだが、上手く行かない。
そんなことを考えるのも束の間のこと、王妃は一人の男に抱きすくめられた。
「難しい顔は似合わないよ」
そう囁く男は王妃の遊び相手の一人である。
「あら、そう?」
王妃は考えるのを止め、目の前の快楽に身を委ねる。
◆
ボナレスの駐留軍がハイデンから撤退した後、間もなくしてレミアが元傭兵のゴダードと共に自警団を立ち上げたが、これに然程遅れることなく立ち上がった自警団が二つ有った。
一つはボナレスの駐留軍第二大隊隊長だったハロルドが副隊長だったベックと共に立ち上げたもの。二人はボナレスの軍服を黒く染めて着用した。
もう一つはボナレス伯爵の執事だったヘンドリックが組織したもの。彼自身は代表にはならず、相談役となっただけだ。
レミアは当初、それらを警戒した。ボナレス領軍の隊長だった男が立ち上げた組織や、得体の知れない組織を信用する方が無理だ。
その後、この三組織の活動に触発されて、あるいはヘンドリックの指南を受けて、各地に自警団が立ち上がった。これらは合従連衡しつつも、初期三組織を中心に纏まり、遂には一つの大きな合議制の組織を形成した。
こうなるまでの間にレミアはヘンドリック、ハロルド、ベックとも知り合った。ボナレスに仕えていた彼らに何も思わない訳ではなかったが、ひとまずは妥協する。活動を続ける間にも伝わって来ていた彼らの評判などを聞く内に、徐々にではあるが信用しても良いのではないかと思うようになっていた。
そしていつしか信頼するようになったのだ。
また、この頃になると、肥大化した組織の中でレミアはただの飾りだ。元より組織の運営はゴダードに任せて殆ど関わっておらず、旗頭としての役目も疾うに終えている。実働部隊に加わることがある以外、情報収集やメイドのように家事をする日々を過ごすばかりなのだ。
情報収集とはエカテリーナについてである。そしてそのベグロンド以降の足取りによって漸く行く先が見えた。曲がりくねりながらも、目的地が王都であることを指し示していた。
自警団は最早レミアを必要としない。ならば迷うことなど無い。エカテリーナの為すことをこの眼でしかと確かめようと決意する。酒場を飛び出したのだってエカテリーナを追い掛けるためのようなものなのだ。
そうしてレミアはハイデンを旅立った。
この時、ハイデルフト領の自警団は発足から一年半、ハイデルフト共和軍と名を変えて他の領まで影響範囲を広げつつあった。
そして遠からず独立すると目されている。
◆
「お嬢さん、女性の独り旅は危険でございますよ」
「ヘンドリックさん!?」
ハイデンから最初の宿場町で乗合馬車を待つレミアにヘンドリックは話し掛けた。ゴダードなど僅かな人に別れを告げただけでレミアが旅立ったことを知って追い掛けたのだ。エカテリーナを目にする良い機会とも考えた。
幾つも自警団を立ち上げながら自らはその運営に直接関わらずに居たのは、いつ居なくなっても良いようにである。勿論、最も大きな理由は以前の立場を鑑みてのことだったのだが。
叛乱後の暫くは自分や家族を領主に取り立てて貰おうと、賄賂を送るなどの様々な手段で出世争いに興じる貴族も居た。しかし、叛乱直後の混乱も手伝って、そう簡単には決められない。慎重に身辺調査を行っていた。
その潮目が変わった理由が呪いを振りまく怨霊の噂である。それも日を重ねるにつれて呪われる理由がはっきりしなくなる。ハイデルフト家と懇意にしてると目されていたメストロアル侯爵までが呪われたとなれば、理由など無いようにさえ思えるのだ。どうしたら呪われるのか、逆にどうしたら呪われないのかと、様々な憶測も飛び交った。追い打ちを掛けるように次々と領主が命を落とすに至り、領主であること自体が怨霊の呪いを招くとも噂されるようになっていった。
メストロアルの惨劇は、エカテリーナが呪いがどこに向かっているのかを人々の目から眩ませるのに十分だったのだ。
今となっては多くの貴族が賄賂を送ってまで領主として封じられるのを避けようし、国王が命じて封じた者の中には国外へと逃亡する者も現れた。
急場凌ぎに行ったのは、代官を任命して統治に当たらせることである。
これに冷や水を浴びせるように新たに加わった報告が怨霊による二度目の襲撃だった。統治する貴族が不在にも関わらず、襲撃が起き、その惨劇は一度目の比ではなかった。こうなると代官の任さえ固辞する者が続出し、名目だけの自治領が増えた。その中にはハイデルフト、メストロアルを始めとした大領も複数含まれており、面積では国の半分近くを占めるまでに至る。
通説ではだ。
そう、この二度目の襲撃はあくまで通説でしかない。事実はそれと異なり、二度目とされる襲撃は、正しくは一度目である。もし、各領主の殺害時に正しく捜査されていたなら、殺害した犯人が家宰であったり領軍総長であったりと言ったことが判明した筈だ。噂に便乗する形で全て怨霊の仕業として闇に葬ろうと画策され、実行されたものだった。
この時にもしも正しく捜査と処罰が為されていたら、二度目の襲撃とされるものも起きなかったかも知れない。自身の名を騙られたため、エカテリーナは敢えて足を運んで災禍をもたらしたのだから。
しかしこれはあくまで可能性。捜査を怨霊に便乗して我欲を満足させた者がするのだから正しく為される筈もない。それに、エカテリーナがたまたま行き着いて災禍を撒き散らすかも知れないのだ。
◆
宰相テネスノイトは苦悩する。日に日に国内が荒れてゆく。領主が健在な領は安定しているが、領主とその一族が失われた領は統治されていないにも等しく、治安悪化が著しい。面積で言うなら国の半分に近い。
皮肉なのは、領主不在の領において治安が唯一安定に向かっているのが、叛乱以降最も長く領主や代官が不在となっている元ハイデルフト領であることだ。自警団が組織され、その勢力が拡大するにつれて安定の度合いを増している。他領により占領、治安維持されていた時よりもだ。
この元ハイデルフト領の例外を除けば、領主不在の領ではいつ暴動が起きてもおかしくはない状態にある。加えて、今後は更に領主不在の領が増える可能性もある。いや、怨霊による災禍が治まらない限り、確実に増える。
このまま放置していれば、国の存続そのものが危ぶまれる事態に発展する。混乱に乗じた隣国による侵略も考えられるが、それ以前に国が分裂する可能性が極めて高いのだ。
国が転覆するようなことになれば宰相たるテネスノイトは失職だ。先行きに不安を感じずにはいられない。金貨を数えて悦に浸ることすらできなくなるのは我慢できない。
そう、テネスノイトは蓄財こそが人生なのだ。
テネスノイトは先代の国王の時代から収賄は当たり前の腐敗の温床の一人であり、何よりも金貨を愛する金の亡者である。だが、国が成り立っていてこそ甘い汁を吸えるとの見識だけは持ち合わせている。それ故に今の国の状態は彼にとって都合が悪い。蓄財できずに何の人生か、なのだ。
蓄財のためなら努力を惜しまない。だから今は嘗て無いほど働き、その手腕を遺憾なく発揮している。現国王が未熟な分を全て補い、内政をほぼ一手に引き受けていると言って過言ではない。その手腕を先王時代に発揮していてくれれば、と考える文官も少なくない。
「それもこれも怨霊の仕業か」
テネスノイトは呟いた。そこでふと、違和感に襲われた。何か錯覚している気がする。そう思って地図を広げ、怨霊に襲われた町や村を追っていくことにした。
ハイデンでの幾つかの小さな事件、ボナレス領主の死、メストロアルの惨劇、それとベグローナの破滅にエカテリーナ・ハイデルフトが関わっているのは確実だ。それらしき人影の目撃者や宙に浮かぶ短剣の目撃者が存在し、その証言も得られている。何よりメストロアルとベグローナについては人間業とは到底思えない。
ボナレスからメストロアルまでの彼女の足跡は不明だ。恐らくは仮に事件が起こしていたとしても表沙汰になっていない。ハイデンでは数多くの事件を起こしたことで犠牲者総数が多くなり、噂にもなった。ボナレス伯爵の件では、伯爵が彼女と対面しているかのような言葉を発するのを聞いた者が居る。怨霊の噂が全国にまではそれほど浸透していなかったことも合わせ、特徴的な出来事が無ければそうとは認識されなかったに違いない。
メストロアルの惨劇以降は足跡らしきものが明らかになっている。メストロアルを境に怨霊による被害が急拡大しているのがその理由。拡大の原因までは判らないが、それまでは少人数だった事件毎の犠牲者が常に二桁以上に変化した。被害の大きさに加え、怨霊の噂も広まりを見せたことから、そうと認識された事件が各地で点々と発生しているのである。
また、メストロアル以降で被害者が比較的少ない場合と甚大な場合とでも特徴的な違いが有る。精々二桁を数える程度の犠牲者しか出ていない場合は、通り魔に襲われたように、たまたまそこに居たから殺されたと思しき犠牲者が殆どを占める。道なりに犠牲者が並ぶのが特徴的だ。一方で甚大な場合には、領主が殺害された場合に多いが、町が壊滅的な被害を被っている。
これら各地で点々と発生した事件の場所を時系列に沿って追うと、誰かが歩んだような線になるのである。
ただ、そうして整理すると奇妙な部分が有る。
遠く離れた場所で同時に起きたと思われる事件が有るのだ。これがもし両方とも怨霊の仕業だとするなら、怨霊は長距離を一瞬で移動できることになる。一瞬で移動できるのなら、メストロアルからベグローナまでに半年以上も間を空けるのは不自然だ。
そこで不自然に距離が離れた事件を外して追ってゆくと、線が一つになって見えた。その進路はふらふらと曲がりながらも一定の速度を保っているように見える。速度はかなり速いが、昼夜を問わず移動するなら徒歩で移動できる程度だ。そしてその線上には、怨霊に二度襲われたと言われる町の一度目は無い。
冤罪――。
そう、恐らく一度目は怨霊からすれば冤罪だ。二度目はその被害の大きさから言っても怨霊で間違いないだろう。冤罪を擦り付けられたことを恨んだのだろうか。
テネスノイトは怨霊を突き動かすものの一端を知った気がした。しかしそれ以上に領主殺害事件の調査の杜撰さを突き付けられる思いがした。
だが今はそれを処罰どころか、検証する暇も無い。怨霊の進路は王都を指し示しているのだから。
「何を難しい顔してるのかしら?」
テネスノイトは甘やかな香りと共に女に突然抱きつかれ、甘えたような声で囁かれた。女の豊かな胸が背中をくすぐる。テネスノイトにはその女が誰だか直ぐに判った。
「これは王妃様、お戯れを」
「ね? これからいいことしない?」
「いえ、まだ仕事が残っております故、ご辞退申し上げます」
「もうっ! つれないのね。でもまあ、いいわ」
王妃は少し不機嫌を装いながら、あっさりと引き下がった。
テネスノイトは肌が透ける薄絹を纏っただけの王妃の後ろ姿を見送りながら、何故こんな毒婦が王妃なのかとの常々の疑問が頭を過ぎった。王妃に貢いで破産した下級貴族も多く、人材不足の一因にもなっているのだ。
◆
「全然脈が無いわね」
どうしたものかしら、と王妃は考える。更なる放蕩を行うにも先立つものが必要だ。そこで国庫を握っているテネスノイトを籠絡しようとしているのだが、上手く行かない。
そんなことを考えるのも束の間のこと、王妃は一人の男に抱きすくめられた。
「難しい顔は似合わないよ」
そう囁く男は王妃の遊び相手の一人である。
「あら、そう?」
王妃は考えるのを止め、目の前の快楽に身を委ねる。
◆
ボナレスの駐留軍がハイデンから撤退した後、間もなくしてレミアが元傭兵のゴダードと共に自警団を立ち上げたが、これに然程遅れることなく立ち上がった自警団が二つ有った。
一つはボナレスの駐留軍第二大隊隊長だったハロルドが副隊長だったベックと共に立ち上げたもの。二人はボナレスの軍服を黒く染めて着用した。
もう一つはボナレス伯爵の執事だったヘンドリックが組織したもの。彼自身は代表にはならず、相談役となっただけだ。
レミアは当初、それらを警戒した。ボナレス領軍の隊長だった男が立ち上げた組織や、得体の知れない組織を信用する方が無理だ。
その後、この三組織の活動に触発されて、あるいはヘンドリックの指南を受けて、各地に自警団が立ち上がった。これらは合従連衡しつつも、初期三組織を中心に纏まり、遂には一つの大きな合議制の組織を形成した。
こうなるまでの間にレミアはヘンドリック、ハロルド、ベックとも知り合った。ボナレスに仕えていた彼らに何も思わない訳ではなかったが、ひとまずは妥協する。活動を続ける間にも伝わって来ていた彼らの評判などを聞く内に、徐々にではあるが信用しても良いのではないかと思うようになっていた。
そしていつしか信頼するようになったのだ。
また、この頃になると、肥大化した組織の中でレミアはただの飾りだ。元より組織の運営はゴダードに任せて殆ど関わっておらず、旗頭としての役目も疾うに終えている。実働部隊に加わることがある以外、情報収集やメイドのように家事をする日々を過ごすばかりなのだ。
情報収集とはエカテリーナについてである。そしてそのベグロンド以降の足取りによって漸く行く先が見えた。曲がりくねりながらも、目的地が王都であることを指し示していた。
自警団は最早レミアを必要としない。ならば迷うことなど無い。エカテリーナの為すことをこの眼でしかと確かめようと決意する。酒場を飛び出したのだってエカテリーナを追い掛けるためのようなものなのだ。
そうしてレミアはハイデンを旅立った。
この時、ハイデルフト領の自警団は発足から一年半、ハイデルフト共和軍と名を変えて他の領まで影響範囲を広げつつあった。
そして遠からず独立すると目されている。
◆
「お嬢さん、女性の独り旅は危険でございますよ」
「ヘンドリックさん!?」
ハイデンから最初の宿場町で乗合馬車を待つレミアにヘンドリックは話し掛けた。ゴダードなど僅かな人に別れを告げただけでレミアが旅立ったことを知って追い掛けたのだ。エカテリーナを目にする良い機会とも考えた。
幾つも自警団を立ち上げながら自らはその運営に直接関わらずに居たのは、いつ居なくなっても良いようにである。勿論、最も大きな理由は以前の立場を鑑みてのことだったのだが。
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