上 下
12 / 38

第二話 徘徊-3

しおりを挟む
 処刑場での用が終わり、ハイデルフト家の屋敷へと帰ることにした。屋敷の様子も気になるのだ。
 建屋の外に出ると、く輝く月が間もなく西の空に沈みそうになっていた。夜もうっすら白み始めていて、そろそろ起き出してくる人が居ると思われる。気分的に、できるなら誰にも会わずに屋敷まで帰りたいところではあったが、処刑場から市街地までは少々距離が有る。帰り着く頃には夜が明け切っていて、人が出歩き始めているのが確実だ。ただ、舞い上がる砂埃を鑑みれば風が強いようだから、多少は出歩く人が少ないようにも思われた。

 処刑場からも目視できる町並みを目指して歩き、市街地に入ったのは夜明け前。これなら夜が明け切る前に帰り着くのではと淡い期待も抱いて屋敷へと向かう道だった。
 それがどうしたことか。

 ――ここは一体どこ!?

 間違いの元は、「きっとこちらが近いはず」と脇道に入ったことだ。有らぬ場所へと続く道。方角も怪しく迷ってしまった。いっそ清々しいまでの迷いっぷりである。常日頃、馬車で移動していたがために道など憶えていなかったのが仇となっていた。
 そして迷い込んだのが柄の悪そうな下町である。

 下町で道を求めて彷徨さまよう途中、目に付いたのが不審な行動をする男達だった。
「急げ! 早くハイデルフトの屋敷に行かねーと他の連中に先を越されちまう」
 その台詞が何を意味するのか、暫し頭が考えるのを拒否してしまったエカテリーナである。だが、男達がハイデルフト家の屋敷へと向かうのだけは理解したため、付いて行くことにした。
 移動中、エカテリーナはどうしたことか、しょっちゅう猫と目が合った。黒猫、白猫、茶トラなど色々居たが、模様はこの際関係ない。見えているのかと疑問に思うだけだ。
「おい、なんだか猫が俺らの後ろを見てねぇか?」
「あ、ああ。誰も居ないのに気持ち悪いな」
 そんな会話を男達がするのだから見えていると考えた方が良さそうだと、エカテリーナは考える。ものは試しとばかりに近くの猫に近付いてみる。
〈ふぎゃぁぁぁぁ!!〉
 近付いた途端、猫が毛を逆立てて威嚇する。その猫に手を伸ばしてみる。
 しゃっと爪を出した猫パンチが飛んだ。当たりはしたが、今のエカテリーナには痛くも痒くもない。
〈ぎにゃぁぁぁぁぁ!!〉
 引き際の潔い猫であった。ところが直後、壁にぶつかった。慌てすぎである。
「おい、なんかこえぇよ」
「この位でビビんじゃねぇよ。稼げるときに稼がなくてどうするよ」
「お、おう」
 猫が狂ったように走る不吉さに、男達の中から腰が引けた声も漏れたものの、別の声に引き戻された。

 屋敷に帰り着き、その有り様にエカテリーナは呆然とした。庭は踏み荒らされ、植えられていた花は無くなっている。玄関の扉は失われ、窓も失われるか壊されている。
 中に入れば、壊れた家具等が幾らか転がっているだけ。他には何も無い。幾つかの部屋を見て回るが、どこも同じだ。
 屋敷は略奪者によって既に荒らされ、根刮ぎ略奪された後だったのだ。ここまで跡をつけた男達の様子から予想できていたことであっても、目の当たりにすれば心がざわめかずにいられない。
「絨毯くらいしか残ってねぇな」
 男達のそんな声が聞こえた。略奪者の一党の声だ。

 ――どうしてくれましょうか?

 湧き上がる怒りに心を焦がしつつ、エカテリーナはまだ調べていない部屋へと足を運ぶ。
 ある部屋にはどこの誰とも知らぬ骸が幾つも転がっている。略奪者同士で殺し合ったらしい。
 執事長とメイド長に別れを告げた隠し部屋には、二人の亡骸が放置されていた。中は荒らされ、床には二人が引き摺られたような血痕が残されている。隠し部屋へと繋がる部屋には一際大きな血痕が残る。
 二人が略奪を止めようとして殺されたことは容易に知れた。
『なんてこと……』
 ハイデルフトに殉じた二人に報いることのできない我が身がエカテリーナには歯痒ゆかった。
 一度は薄れかけた心の闇も深くなる。

 続けて部屋を見て回っていると、今正に略奪を試みている男達にも行き当たった。必死に絨毯を剥がしている最中らしい。絨毯は床に糊付けされているので剥がすのにはコツも必要なのだが、強引に剥がそうとしている。

 ――強欲なことです。

 男の一人の後ろにナイフが転がっている。エカテリーナはそのナイフを拾おうとするが、酷く重く感じる上、扉の時とは逆に手から擦り抜ける感覚が有って難しい。
 何度か失敗を繰り返した後、どうにか持ち上げることに成功する。この間、男はエカテリーナが何度もナイフを取り落とした音に気付かなかったのか、振り向きもしていない。
『ふんっ!』
 気合いと共に、持ち上げたナイフを男の背中に突き立てた。
「いてえ!」
 男の悲鳴に重なるように、ナイフがゴトッと音を立てて床に落ちた。エカテリーナにとっては不本意ながら、ほんの僅かしかナイフは刺さらず、男の背中に当たった拍子にエカテリーナの手からも擦り抜けたのだ。
 それでも僅かながら男に出血を強いることができたらしい。
 男が痛みに顔を顰めつつ背中に回した指先を血が濡らす。驚いて後ろを振り返った男は落ちているナイフを見咎めて視線を落とす。険しくなる目付き。そのままナイフを暫く凝視した後、やおら周りを見回した。
「おい、このナイフはおめぇの仕業か?」
 男が自分の後ろに少し離れた所に居る仲間に尋ねた。だが、当然ながら尋ねられた仲間の方にナイフのことを知る由など無い。
「あ? 何言ってんだ?」
 だから訳が判らないとばかりの返事をした。
 尋ねた方の男からしてみれば、その仲間がナイフを投げ付けた以外の可能性を見つけられない。投げ付けておいてとぼけているとしか考えられないのだ。勢い頭に血が上る。
 男は激高した。
 直ぐに罵り合いが始まり、仲間内での殺し合いに発展するまでに然程の時間は掛からなかった。

 男達が仲間割れしているのを余所に、エカテリーナは自室や父の書斎を含めた残りの部屋を見て回るが、やはり何も残っていない。王都の住民とは何とよこしまで強欲なことかと苦々しさだけが募る。荒らされ放題の屋敷も看過できない。
 そして、執事長とメイド長も弔わねばならないのだ。
 男達が念のために持って来ていたのだろうランプに火をともす。火打ち石が内蔵されたランプで、今のエカテリーナでも点けられた。そして、散らばっている布切れに火を点けては、ばらいて回る。
 絨毯は意外に良く燃えた。
「火事だ!」
 殺し合いに勝利した男が出火に気付いた。エカテリーナがナイフを刺した方である。
「誰が火を点けやがった!」
 別の部屋に行っていた男の仲間達が怒鳴りながら駆け込んで来る。
「こっちが聞きてぇよ!」
 言葉を返す男は血塗れで、その足下には仲間のむくろが転がっている。駆け込んで来た男達は息を呑んだ。
「こ、ったのか? ど、どうして!?」
「こいつが俺にナイフを投げ付けやがったからだ」
「どうして?」
「俺が知るかよ!」
「おい、そんなことより火の回りがはえぇ」
 殺しについて追及したのとは別の仲間が焦ったように言う。
「とっととずらかるぞ!」
 言い終わるのが早いか、その男は駆け出した。
 それを見て、追及しようとした男も、されそうになった男も小さく舌打ちをするだけで駆け出した。
 エカテリーナは逃げる男達を見送りつつ、彼らには後で報いを受けて貰おうと心に誓った。

 屋敷全体に火が回った。これでもう屋敷も、執事長やメイド長も穢されることは無いと、エカテリーナは胸を撫で下ろす。
 折しも吹き荒んでいた強風に煽られて、弾けた火の粉が舞い踊って飛んで行く。既に風下では類焼し始めている。
 それもご愛敬と、エカテリーナは先の男達を捜して王都を彷徨さまよい歩く。彷徨うと言っても、屋敷に帰ろうとして迷い込んだ下町を見つけるまでだ。下町に着いたら後は各家を虱潰しに見て回る。
 ハイデルフトの屋敷から出た火は益々猛り、下町でも口の端に上り始めている。
 そんな中、エカテリーナはある家に目的の男達を見つけた。険悪な様子で話し合っているが、その内容には興味が無い。火種を探し、燃えるものを探し、男達の逃げ場を作らないように火を点ける。
 出火に気付いた男達の叫びも、断末魔の悲鳴もエカテリーナの心には何の痛痒ももたらさない。
 下町の一角から発した火の手は瞬く間に下町中を覆い隠し、下町を越えて燃え広がった。

 王都は数日間に渡って燃え続け、その三分の一が灰となる。
 そしてその大火は、出火場所の一つから名を取って「ハイデルフトの大火」と呼ばれる。
しおりを挟む

処理中です...