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女神のお使い

第四話 エクローネ

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 マリエルの許を辞したあたし達はエクローネ宅へと向かう。エクローネは元冒険者ギルドの職員で元ランク2の冒険者でもあったらしい。そしてこの町で現役、引退を含めた唯一のランク2だと言う。
 ギルドのランクは1から9まで有って、数字が小さい程上位のランクとなる。但し、ランク1は特殊すぎて実質の最高ランクは2らしい。つまり、エクローネは実質の最高ランクだった訳だ。
 あたしは勿論最低ランクの9だ。身分証のために登録しただけだったので本当ならずっと9のままの筈なのだけど、少なくとも7まで上げる必要に迫られている。話によると、ランク8に上がるのにはランク9の依頼を一〇回、ランク8からランク7に上がるのは討伐を含めたランク8の依頼を一〇〇回こなす必要があるらしい。
 因みに、ランク7からランク6に上がるには討伐依頼を含めたランク7の依頼を一〇〇〇回こなす必要があり、ランク5からランク3は悪く言うとギルドの胸先三寸で、ランク2はギルドと国王の承認が必要らしい。ランク4からは色々便宜を図って貰える権利を得る一方で義務も発生するらしい。義務を拒否したければ権利を放棄すれば良いと言う事だ。その義務の拒否については、四〇年以上昔だと最悪討伐されたのだとか。その頃に比べると今は少し人命重視の方向のようだ。
 そんな話をミクーナから聞きつつ歩んだ道行きだった。
 コンコンコン。
 ノッカーを叩く。そう間を置かずに一人の女性が出迎えてくれた。
「エクローネさんにお届け物があるのですが……」
「どなたからでしょう?」
「えーと、天ぷら屋さん?」
「テンプラヤさんですか? 判りました。それでは私が代わりに受け取ります」
「いえ、直接渡すように言われていますので、お取り次ぎをお願いします」
「生憎ですが、祖母は病で臥せっていまして、とても動ける状態ではないのです」
「そこを何とかお願いします」
 あたしは頭を深々と下げる。
 女性は困ったように眉尻を下げると、「祖母に訊いてみます」と奥へと行った。
 暫くすると女性が戻ってきた。
「祖母が会うそうです。どうぞいらしてください」
「ありがとうございます」
 案内されてエクローネの寝室に入ると、彼女はベッドで上体を起こして待っていた。痩せこけた頬や手を見ると、上体を起こすのにもかなり無理をしているように感じる。
「いらっしゃい。天ぷら屋さんのお知り合いとか?」
「あ、はい。お届け物が有ります」
「その天ぷら屋さんと言うのはもしかして?」
「きっとあなたの想像している通りよ」
 またミクーナが代わりに答えた。
「そう」
 エクローネが顔を綻ばす。その透き通るような笑顔にあたしは暫し見とれてしまった。
「ほら、早くなさい」
 ミクーナに小突かれた。
 あたしは背負い袋からのように見せかけてお土産セットを取り出す。一段の重箱だ。そしてそれをエクローネの膝の上に置いた。手渡す事ができなかったのだ。
 エクローネが蓋をずらすようにゆっくりと開ける。そして時が止まったように動きを止めた。
 どれだけの時間が経ったのか定かではないが、エクローネの目に大粒の涙が浮かんだ。そして頬を止めどなく流れる。
「おばあちゃん……」
 お孫さんがエクローネの涙を拭う。
「これを食べさせてくれる?」
 エクローネが指差したのは玉葱と人参のかき揚げだった。お孫さんはそれを切り分けてエクローネの口へと運ぶ。ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。その後、いくつかの天ぷらを口にして「もういいわ」と満足そうに呟いた。
「今日は本当にありがとう。最期にあの人の天ぷらを食べられた私は幸せね」
 そう言って微笑むエクローネを見ていると、胸と目頭が熱くなった。
 そうだ。三件目でやっと気付いた。お使いをして感謝されたのなんて初めての経験だったんだ。
「ごめんなさい。少し疲れたから休ませていただくわね」
 エクローネが休めるようにあたし達はその場を辞した。

 次は冒険者ギルド。依頼を受けるのである。ランク9の依頼は限られているらしく、ミクーナは迷わず薬草採集を選んだ。
 その足で門へ行き、町の外へ出る手続きと一緒に昨日の番号札を返した。
 採集場所に選んだ草原は町から歩いて一時間余り離れた場所だ。途中で空腹を感じたのだけど、到着するまでは我慢した。
 昼食の事を失念していて他の食べ物が無かったため、アイテムボックスから天ぷらセットを一つ取り出してミクーナに渡し、もう一つ自分の分を取り出す。アイテムボックスの同じ枠から出したにも拘わらず、開けてみると何故か中身が違う。ミクーナに渡した方には紫芋の天ぷらが主食っぽい位置に座っている。あたしの方はジャガイモだ。紫芋とジャガイモを少し交換した。その他の種も少し違っている。
「遠慮無く頂くわね」
 ミクーナは嬉しそうに食べる。
 あたしの方は少し微妙だ。昨日食べたばかりだし、きっと明日も明後日もと思うと食べる前から飽きがきそうなのだ。だけど、食べるとやっぱり美味しい。
 食べながら、あたしは気になった事を尋ねてみる。
「リドルさんてどんな方だったんですか?」
「リドルは私の憧れた人よ。リドルが居たから私は冒険者になったの」
 それからミクーナはリドルについて色々話してくれた。どれだけ強かったか、どれだけ皆に慕われていたか、どれだけ自分が慕っていたか、店を継ぐように頼まれた時にどれだけ嬉しかったかなどだ。
「そして本当に仲のいい夫婦だったわ。旦那さんが亡くなって残されたものを整理した後、旦那さんの後を追うように亡くなってしまう程にね」
「まさか自分で?」
 ミクーナは首を横に振る。
「そんな筈ないじゃない。少し前から持病を患っていてね、旦那さんが亡くなって気落ちしたのか、一気に持病が悪化してそのままね。でももしかすると、旦那さんが寂しくないようにできるだけ急いだのかも知れないわね」
「愛情深い方だったんですね」
「ええ。リドルが亡くなった時は葬送の鐘が一日中鳴り響いていたわ。葬送の鐘は町の有名人が亡くなると鳴らされるのだけど、普通は一時間ほどだけだわ。長く鳴らされるのは、特に有名な人で葬儀の参列者も多い場合ね」
 その後は言葉も無く天ぷらセットを口に運んだ。
 そして食べ終わると気になるのが喉の渇きだ。
「あの、水を持っていませんか?」
「そう言えば、あなたは飲み水の魔法を使えないのだったわね。教えるから自分で出してみなさい」
「そんな魔法が有るんですか?」
「勿論よ。冒険者や旅商人には必須の魔法よ。追々他の魔法も教えてあげるわ」
「ありがとうございます」
 それから小一時間練習してあたしは飲み水の魔法を使えるようになった。
 早い内にカップを用意せねばなるまい。
 その後は薬草探しだ。目的の薬草を念じるようにして周りを見回すと、ちらほらと光って見える草が有る。その草を確認すると探している薬草だった。
 そうして一単位分の薬草は簡単に集まった。
 ミクーナが苦笑いをする。
「これじゃ制限されるはずよね」
 薬草採集は一日に三単位までに制限されているらしい。昔、根刮ぎ薬草を採集した冒険者が居たからだと言う。

  ◆

 翌日、葬送の鐘が鳴り響いた。ランク2の冒険者を送るための鐘は夜遅くまで鳴り響いた。
 鐘の音が聞こえる間、あたしは溢れる涙を止められなかった。
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