魔法陣は世界をこえて

浜柔

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第三話 野営地の朝(二日目)

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「累造。累造、そろそろ起きな」
 累造は遠くに自分を起こす声を聞いた。まだ殆ど夢の中に居る。
「累造、起きないとおはようのチューをしちゃうぞ?」
 累造は頬を撫でられているような感触に気付いた。だが、前日の疲れのせいか覚醒からは程遠い。
「累造、もっとイケナイ事をしたいのかい? 累造は悪い子だね」
 累造はカッと目を見開いた。
「貞操の危機を感じました」
「危機ってなんだい。こんな美人のおねーさんの手解きなんてそうそう体験できるもんじゃないよ」
 片肘突いて起き上がろうとしている累造の横に座ったまま、ルゼは口を尖らせて言った。
「それは否定しません」
「え? な!? 何言ってんだい!」
 ルゼは顔を真っ赤にしてアウアウと狼狽えてしまう。
「自分で言ってて、照れないでください」
 ルゼは湯気を出しそうにして俯いてしまった。
 そんな様子を見て、「なんて可愛い人なんだ」と累造は思うが口にはしない。女性とは言え年上の人にいきなり「可愛い」なんて言うのは失礼だろう。ただ、不思議な親近感と信頼感には内心で首を傾げた。
「累造、また水を出してくれないか? 馬にも水をやっておきたいんだ」
 赤面から復活したルゼの頼みを、累造は快く了承した。

 板切れの魔法陣から噴き出す水の勢いは相変わらずだ。二人ともかなり濡れた。ただ、全身ぐしょ濡れまでには至っていない。
「もう、なんだよこれー」
 朝の光の中、楽しげに笑うルゼは美しい。累造はついついルゼに見惚れてしまう。軽く胸が高鳴った。
 それはそうと、はしゃぎ気味なルゼの方が濡れ方が酷い。
「あまり濡れるとまた服を乾かすのに時間を取られますよ」
「あはは、そんときゃそん時だよ」
 累造は肩を竦めた。

 朝食の時間もルゼはご機嫌だ。鼻歌交じりに堅パンや干し肉を切り分けている。
 そのルゼの座る位置の妙な近さが、累造には気になって仕方ない。ルゼの甘い体臭が鼻をくすぐる。身体の一部が危険な事になりそうで気が気でない。これからの生活での最大の難敵は、この誘惑に耐える事なのかも知れない。
「この世界では魔法ってどんな扱いなんですか?」
 累造はルゼが魔法の規模に驚いてはいたものの、魔法そのものには驚きも疑いも持ってなかったのが気になっていた。
 ルゼは人差し指の第二関節でこめかみを押さえながら考える。
「そうだねぇ、有れば便利って感じかねぇ」
「便利?」
「ああ、あたしは火口ほくちに火を点ける程度しかできないんだけど、火打ち石よりは重宝するからね」
「なるほど」
「大抵の人がその程度の魔法を一つか二つ使えるくらいでね、累造みたいに凄いのは初めて見たよ」
「ああ、それで驚いていたんですね」
「そうさ、水を出せる奴も居るがコップ一杯出すのに気絶しそうになっていたからね、こんなに綺麗な水を好きなだけ使えるなんて、この目で見なきゃ信じられないよ」
 そう言いつつルゼは汲み置いていた水をコップで掬うと、ゴクゴクと飲み干した。
「そういや、累造は水を出した板切れに何を描いてたんだい?」
「あれは魔法陣です」
「どう言うもんなんだい?」
「魔法の本体みたいなものです?」
 累造は言いながら首を傾げた。
 小説や漫画で出てくる魔法陣は魔法の補助であったり特殊効果であったりと作品毎に扱いは違う。累造の描く魔法陣はそれだけで魔法が完結していて、唱えている言葉は起動のためでしかない。異世界転移の時に唱えたのも単なる演出だった。突っ込みが一瞬で入ってしまう程に残念なものだったのは、累造が手抜きしていたからに他ならない。
「それじゃ、あたしにも使えたりするかい?」
「試してみますか?」
「頼むよ」

 朝食後、二人は直ぐに魔法の実験だ。
「それじゃ、魔法陣に指が掛かるように板切れを持ってください」
「こうかい?」
 累造はルゼが持っている板切れを覗き込むようにして確認した。
「はい、それで大丈夫です」
 累造はルゼの横へと移動する。茶色のショートヘアが風にさらさら揺れるルゼの横顔は美しい。少し大きめで切れ長の目には吸い込まれそうな感じさえ覚える。そして横に立つと一七〇センチメートルの累造よりルゼが若干だけ背が高いのが判る。それ以上に腰の位置が違う事に累造は若干落ち込んだ。
「では、起動の言葉を唱えてください。『アラホラサ』」
『アラホララ』
 ルゼが言葉を唱えても何も起きない。
「では、もう一度。『アラホラサ』」
『アラホララ』
 やはり何も起きない。ルゼは若干落ち込んでいる。
 累造はルゼが微妙に間違えているのに気付いたので自分で試してみる。
「ちょっと板切れを貸して貰えますか」
「ああ」
 累造は板切れを受け取ると、ルゼと同じに唱えてみる。
『アラホララ』
 ドシャーッと水が噴き出した。
「やっぱり累造じゃないと駄目なんだねぇ」
「はあ……」
 微妙に不満そうなルゼに累造は返す言葉が見つからない。今の実験で判った事と言えば、起動の言葉には特に意味が無いと言う事だけだった。

「そんじゃ、レザンタに戻るとするかーっ」
 ルゼは伸びをしつつ気合いを入れ、出発の準備を整えた。魔法が使えなかった事など忘れてしまったようだ。
 その切替の速さに累造はちょっとだけ憧れた。累造は火を消した後は、ルゼが馬車を用意するのを馬の繋ぎ方を教わりつつ見ているだけだった。
 ただその途中、ルゼの馬が頭を擦り付けてくる事に累造は困惑した。
「懐かれたようだね」
 ルゼは楽しそうに笑うが、馬の力が強い為に累造の体力がごっそりと持って行かれる。出発前から疲れ果ててしまいそうだった。

 馬車は動き出す。累造は荷物と一緒に荷台だ。
「レザンタに着いたら累造の住民登録もしなきゃいけないけど、まずは服をあつらえなきゃね。その奇妙な服は目立つし、着替えは無いんだろ?」
「はい。あれ? でもルゼさん、この服の事は気にならなかったんですか?」
「ん? そういや、何でだろうね。夜だったし、魔法の方が気になったからかな? あはは、判んないや」
 気になって当然な事を気にも留めてなかった自分が可笑しくなったのか、ルゼはクスクスと笑った。
「そうだ、服もですが、靴もお願いします」
 累造は草履もどきを弄びながら言った。
「あれ? その変なのは好きで履いてたんじゃないんだ?」
「いやいやいや、さすがにこれは単なる間に合わせです」
 あっけらかんとしたルゼの問いを累造は即否定した。
「まあ、そりゃそうか」
 ケタケタとルゼは笑う。
 ルゼはよく笑う。箸が転んでもおかしい年頃はとっくに過ぎているだろうにとも累造は思うが、笑うルゼは魅力的だ。
 そんなルゼが未だ独身だと聞いて、不思議な気分になった。
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