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第三三話 雨上がりに
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朝食の時間、ルゼにはどことなく違和感が有った。落ち着かないのではない。逆だ。落ち着き過ぎるのだ。そのため、今一つ活力に欠けている気がする。
最初、その理由がさっぱり判らなかったが、累造を見ていて気が付いた。無いのだ。今まで痛いほどに胸に突き刺さっていた熱い視線が無い。累造の熱い視線を感じる度、微かな羞恥心と共に仄かに熱と歓喜が湧き起こり、それが活力にもなっていた。だが、今日はその視線に熱を感じられず、どこか物足りない。その物足りなさが無気力に繋がっている。
若い男の熱い視線が女に活力を与えてくれるものなのかとも思ったのだが、街中で累造と同じ位の歳だろう少年に不躾な視線を送られても、むしろ嫌悪が強い。やはり累造が特別なのだ。
不思議なのは、累造に見られたいと思っても男女の仲になりたい感じはしない。求められれば受け入れてしまうだろうが、自分から求める感じではないのだ。何故そんな矛盾したような感情を抱いてしまうのか、自問しても答えが見つからない。判るのは、どちらかと言うと「見られたい」より「見ていて欲しい」と感じていると言う事だけだ。
チーナも食卓の変化に気付いていた。累造のギラギラと熱の籠もった視線が無くなっている。その視線に熱が無い理由は、昨日と今日の違いから明らかである。そう、ブラジャーの有無だ。累造の視線はチーナの胸にも注がれる事が多くなっているが、視線を向ける先を探しているだけのようにも見える。小さな布切れ一つでこうも違うのかと感心すらしてしまう。
少々気になるのはルゼに覇気が感じられない事だ。こんなのは累造が来るより前に見たっきりである。それでも以前のように酷い様子ではない。以前のルゼは、雑貨店の維持に必死なだけで、いつも憂鬱そうにしていた。そんな憂鬱さは感じられない。
思えば、累造を連れてきた日、ルゼが累造の衣類等の為に大金を使ってしまったのには頭を抱えた。生活資金も仕入資金も、その殆どを使ってしまったのだ。その影響で食生活が随分と質素になってしまった。それでも、ルゼが楽しそうにしていたので我慢できた。累造も見れば結構可愛い。そして、資金繰りは未だ回復途上である。
ついつい回想してしまったが、今の問題はルゼの様子である。
「あの、店長? 乳バンドの具合が良くなかったりしますか?」
「いや、少し変な感じだけど、悪くはないよ」
尋ねても、ルゼに覇気を感じられない理由がさっぱり判らなかった。
◆
豪雨は未だ続いている。
「よく降るねぇ」
ルゼは呑気に外の様子を覗う。豪雨でも虹の橋雑貨店への影響と言えば、客が来ない事と中庭がぬかるんでいる事くらいである。そのため、危機感などは無い。チーナやショウも同様だ。
そんな中で累造がただ一人、難しい顔で外を見ていた。累造自身が水害に遭ったことは無いが、ニュースでよく見た状況に近い。
「どうした、累造?」
「随分と降り過ぎだと思うんですよね」
しかし、ルゼは難しい顔をする累造の横顔をただ見詰めるだけだった。
同じ頃、テンダーも外の様子を見て渋い顔をしていた。
「三〇年前を思い出しちまう」
そんな呟きが口から漏れた。
雨は昼過ぎに漸く上がった。
「嬢ちゃん! 小僧! 居るか!?」
雨が上がると直ぐにテンダーの大声が雑貨店に響き渡った。
「何だい、おっちゃん? そんなに大声出さなくても聞こえるよ」
ルゼが耳を指で押さえながら答えた。
「嬢ちゃん、ちょっと拙い事になってんだ」
「拙い事?」
「大雨のせいで水道が使えなくなった。水車がぶっ壊れた上に、水道管に泥が詰まってやがる」
「どう言う事だい?」
予想外の話にルゼは目を見開いた。
「川の増水がひでぇ。濁流になって溢れやがったんだ。水車の様子を見に行ってみたが、水が治まるまで危なくて近寄れもしねぇ」
「大変じゃないか。だけど、それを何であたしに?」
「水だ。水道が復旧するのがいつになるか判らねぇ。幾つかの井戸も泥が入って使えねぇらしい。だから、町の連中の雨水を溜めた分が無くなった後が拙い」
ルゼは首を傾げる。
「つまりだな、水を求める連中が、井戸を持っている家と、この店に押し掛けて来やがる」
「それは困りますね」
そこまで、ただ聞いていた累造が口を開いた。しかし内容とは裏腹に、口調には困った感がまるで無い。
「今まで通りに売ると手が回らない上に阿漕に思われ、値段を下げると今後に差し障り、水を出しっぱなしにすると水の出所を疑われるって感じですか」
「まあ、そう言うこったな」
その話にルゼが苦い顔をする。
「だからと言って、売らない訳にもいかないね」
「ケメンの小僧も直ぐに来るから、詳しい話はそれからにしようや」
そして、雨の中を畑の様子を見に行った農夫が帰ってこない、などと言うテンダーが聞いてきた話を聞きながらケメンを待った。
「やあ、ルゼ、今日も君は美しい」
ポーズを取りながらケメンが雑貨店を訪れた。だが、靴やズボンの裾が泥まみれなために全てが台無しになっている。
「お前にしちゃ足下が疎かじゃないか?」
「よく聞いてくれたね、ルゼ。今、新市街の方はてんやわんやなんだよ。坂の上から泥水が流れ込んで来ていてね、道は泥まみれで馬車も動かせないのさ」
「何でそんな事になってんだい?」
「それは、水を止める塀や壕が新市街の方には無いからだな」
ルゼの問いにはテンダーが答えた。
レザンタの町は、緩い斜面の途中と言う立地故に水捌けが良い。そのため、水害対策は為されていなかったのだが、三〇年余り前に豪雨による水害が起きた。川の上流が決壊したのか、濁流が町へと流れ込んでしまったのだ。濁流は家屋へも入り込み、当時としては甚大な被害となった。
「それが有って、上側には壁と壕をみんなで作ったんだがよ、昔の事だから古い市街の分だけだ。新市街を作る時にはもう水害なんてみんな忘れちまってたから、壁も壕も作らなかった訳だ」
「僕の家のように少し土を盛った上に建ててる家は被害は無いんだけどね、そうじゃない家は大変な事になってるよ」
水害以前から町に住んでいて新市街へと引っ越した住民は、洪水の経験から盛り土をして家を建てていた。ゴッツイ商会もそんな家の一つである。
「そんな事になってたのかい」
二人の話にルゼは驚きを隠せなかった。自分たちは随分呑気にしていたのだとも思う。
「それで、本題の水の事だ」
ケメンが話を区切り、皆を見回した。
「町と掛け合って、ゴッツイ商会で掘った井戸から水を水道に流すと言う名目で、月額二〇〇万ツウカで契約する事で話を纏めてきた。勿論井戸は掘っていないので、水は累造君の魔法頼みだ。累造君に魔法の板を提供して貰う事で月額一〇〇万ツウカを虹の橋雑貨店に支払おう。その他の維持や警備はゴッツイ商会が請け負う。そう言う事でいいかな?」
「もうそこまで話を進めて来たのかい。全く驚いたね」
ルゼが呆れるように言うと、ケメンは軽く肩を竦めた。
「前から腹案として考えていたんだよ」
「あたしは、ケメンの話でいいと思うけど、みんなはどうだい?」
累造、ショウ、チーナ共に賛成した。
「ケメン、それで頼むよ」
「任せておいてくれ」
ケメンがキリリと笑った。
最初、その理由がさっぱり判らなかったが、累造を見ていて気が付いた。無いのだ。今まで痛いほどに胸に突き刺さっていた熱い視線が無い。累造の熱い視線を感じる度、微かな羞恥心と共に仄かに熱と歓喜が湧き起こり、それが活力にもなっていた。だが、今日はその視線に熱を感じられず、どこか物足りない。その物足りなさが無気力に繋がっている。
若い男の熱い視線が女に活力を与えてくれるものなのかとも思ったのだが、街中で累造と同じ位の歳だろう少年に不躾な視線を送られても、むしろ嫌悪が強い。やはり累造が特別なのだ。
不思議なのは、累造に見られたいと思っても男女の仲になりたい感じはしない。求められれば受け入れてしまうだろうが、自分から求める感じではないのだ。何故そんな矛盾したような感情を抱いてしまうのか、自問しても答えが見つからない。判るのは、どちらかと言うと「見られたい」より「見ていて欲しい」と感じていると言う事だけだ。
チーナも食卓の変化に気付いていた。累造のギラギラと熱の籠もった視線が無くなっている。その視線に熱が無い理由は、昨日と今日の違いから明らかである。そう、ブラジャーの有無だ。累造の視線はチーナの胸にも注がれる事が多くなっているが、視線を向ける先を探しているだけのようにも見える。小さな布切れ一つでこうも違うのかと感心すらしてしまう。
少々気になるのはルゼに覇気が感じられない事だ。こんなのは累造が来るより前に見たっきりである。それでも以前のように酷い様子ではない。以前のルゼは、雑貨店の維持に必死なだけで、いつも憂鬱そうにしていた。そんな憂鬱さは感じられない。
思えば、累造を連れてきた日、ルゼが累造の衣類等の為に大金を使ってしまったのには頭を抱えた。生活資金も仕入資金も、その殆どを使ってしまったのだ。その影響で食生活が随分と質素になってしまった。それでも、ルゼが楽しそうにしていたので我慢できた。累造も見れば結構可愛い。そして、資金繰りは未だ回復途上である。
ついつい回想してしまったが、今の問題はルゼの様子である。
「あの、店長? 乳バンドの具合が良くなかったりしますか?」
「いや、少し変な感じだけど、悪くはないよ」
尋ねても、ルゼに覇気を感じられない理由がさっぱり判らなかった。
◆
豪雨は未だ続いている。
「よく降るねぇ」
ルゼは呑気に外の様子を覗う。豪雨でも虹の橋雑貨店への影響と言えば、客が来ない事と中庭がぬかるんでいる事くらいである。そのため、危機感などは無い。チーナやショウも同様だ。
そんな中で累造がただ一人、難しい顔で外を見ていた。累造自身が水害に遭ったことは無いが、ニュースでよく見た状況に近い。
「どうした、累造?」
「随分と降り過ぎだと思うんですよね」
しかし、ルゼは難しい顔をする累造の横顔をただ見詰めるだけだった。
同じ頃、テンダーも外の様子を見て渋い顔をしていた。
「三〇年前を思い出しちまう」
そんな呟きが口から漏れた。
雨は昼過ぎに漸く上がった。
「嬢ちゃん! 小僧! 居るか!?」
雨が上がると直ぐにテンダーの大声が雑貨店に響き渡った。
「何だい、おっちゃん? そんなに大声出さなくても聞こえるよ」
ルゼが耳を指で押さえながら答えた。
「嬢ちゃん、ちょっと拙い事になってんだ」
「拙い事?」
「大雨のせいで水道が使えなくなった。水車がぶっ壊れた上に、水道管に泥が詰まってやがる」
「どう言う事だい?」
予想外の話にルゼは目を見開いた。
「川の増水がひでぇ。濁流になって溢れやがったんだ。水車の様子を見に行ってみたが、水が治まるまで危なくて近寄れもしねぇ」
「大変じゃないか。だけど、それを何であたしに?」
「水だ。水道が復旧するのがいつになるか判らねぇ。幾つかの井戸も泥が入って使えねぇらしい。だから、町の連中の雨水を溜めた分が無くなった後が拙い」
ルゼは首を傾げる。
「つまりだな、水を求める連中が、井戸を持っている家と、この店に押し掛けて来やがる」
「それは困りますね」
そこまで、ただ聞いていた累造が口を開いた。しかし内容とは裏腹に、口調には困った感がまるで無い。
「今まで通りに売ると手が回らない上に阿漕に思われ、値段を下げると今後に差し障り、水を出しっぱなしにすると水の出所を疑われるって感じですか」
「まあ、そう言うこったな」
その話にルゼが苦い顔をする。
「だからと言って、売らない訳にもいかないね」
「ケメンの小僧も直ぐに来るから、詳しい話はそれからにしようや」
そして、雨の中を畑の様子を見に行った農夫が帰ってこない、などと言うテンダーが聞いてきた話を聞きながらケメンを待った。
「やあ、ルゼ、今日も君は美しい」
ポーズを取りながらケメンが雑貨店を訪れた。だが、靴やズボンの裾が泥まみれなために全てが台無しになっている。
「お前にしちゃ足下が疎かじゃないか?」
「よく聞いてくれたね、ルゼ。今、新市街の方はてんやわんやなんだよ。坂の上から泥水が流れ込んで来ていてね、道は泥まみれで馬車も動かせないのさ」
「何でそんな事になってんだい?」
「それは、水を止める塀や壕が新市街の方には無いからだな」
ルゼの問いにはテンダーが答えた。
レザンタの町は、緩い斜面の途中と言う立地故に水捌けが良い。そのため、水害対策は為されていなかったのだが、三〇年余り前に豪雨による水害が起きた。川の上流が決壊したのか、濁流が町へと流れ込んでしまったのだ。濁流は家屋へも入り込み、当時としては甚大な被害となった。
「それが有って、上側には壁と壕をみんなで作ったんだがよ、昔の事だから古い市街の分だけだ。新市街を作る時にはもう水害なんてみんな忘れちまってたから、壁も壕も作らなかった訳だ」
「僕の家のように少し土を盛った上に建ててる家は被害は無いんだけどね、そうじゃない家は大変な事になってるよ」
水害以前から町に住んでいて新市街へと引っ越した住民は、洪水の経験から盛り土をして家を建てていた。ゴッツイ商会もそんな家の一つである。
「そんな事になってたのかい」
二人の話にルゼは驚きを隠せなかった。自分たちは随分呑気にしていたのだとも思う。
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