悪役令嬢の慟哭

浜柔

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悪役令嬢の慟哭

第1話 生まれるもの

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「重いものが持ち上がらないから工夫が必要ですわね」
 そんな事を呟きながらエカテリーナはハイデンの町を彷徨っていた。行く当てなど無い。だから時折彼女が呟く「迷ってるわけじゃないんだからねっ」と言う言葉は正しい。だが呟く毎に寂しくもなる。生前であれば誰かしらの反応が有ったが今は無い。それは笑われたり怒られたりの不愉快な反応の方が多かったが、今となってはそれすらも懐かしい。
 だが、幸か不幸かある場面に出くわした。ハイデルフト侯爵領に攻め込んで来た隣接領ボナレスの兵士が商店で代金を払わず品物を持ち去ろうとして揉めている。そして代金を貰おうと縋り付く店主を蹴り飛ばして言い放つ。
「お前らは俺らが統治してやってんだ。温和しく商品を寄越せばいいんだよ」
「そ、そんなっ! 代金を支払っていただけなければ明日には首を括らなければならなくなってしまいます」
 店主は泣いて支払を懇願するが兵士はあくまで冷酷だった。
「へっ! だったら首を括りなよ。なんなら俺が今ここで殺してやろうか?」
 店主は顔面蒼白になって恐怖に顔を歪めた。店主が何も言わなくなった事に気をよくした兵士は、いつの間にか集まっていた野次馬に「おら、何見てやがんだ! 退きやがれ!」と剣を振り回して追いやると、悠々とその場を立ち去った。
「次は彼奴ですわね」
 エカテリーナは呟くと兵士の後を追った。

 何故こんなことがまかり通るのか、それは半年余り前に遡る。
 ハイデルフト侯爵は反乱の折、侯爵領の兵士の大半を王都攻略に振り向けていた。領地に残るのは治安をギリギリ維持できる程度の兵力だった。
 だが、その隙を突くようにして、味方だったはずの隣接領からハイデルフト侯爵領は攻撃を受けた。ハイデルフト領に残った兵士達は勇敢に戦ったが多勢に無勢、次々に討ち取られて敢え無く壊滅した。
 その結果として治安の維持すらままならなくなり、隣接領領主達は治安の維持を名目にして軍をそのまま駐屯させるに至った。
 そして、名目だった治安の維持は何処吹く風、次第次第に略奪目的の本性を現し始めているのが現状である。

   ◆

 レミアはハイデンの酒場兼宿屋「猫の留まり木亭」の女給である。
 元は王都のハイデルフト侯爵邸でエカテリーナ付きのメイドをしていたが、ある日突然暇を出された。幾何かの現金を持たされただけで、屋敷だけでなく王都からも追い出されるようにして故郷のハイデンへと戻ってきた。その事を当初は恨みもしたが、旅の途中でハイデルフト侯爵が反乱を起こした事を知り、侯爵が自分たちに咎が及ばないように配慮したのだと悟った。
 しかしである。ハイデンに帰郷しても隣接領の軍に荒らされてしまっていて失業者が溢れており、まともな仕事など見つからない。仕方なく、この意味の分からない名前の実体が娼館である酒場に務め始めた。既に娼婦としての収入の方が多いが、店主によるピンハネが酷く生活は苦しい。ピンハネの酷さに店主を絞め殺してやりたいとさえ思うが、そうすれば直ぐに生活に困るのだと自らを戒めた。短気に事を運ばないだけの自制心は取りあえず健在だった。

 その日も女給としてレミアは忙しく働いていた。女給の仕事は忙しくても給料は雀の涙だ。ただ働きみたいなものである。その上に、店の真ん中で飲んだくれているボナレス兵は散々飲み食いして毎度毎度支払を踏み倒すのだ。ところが店主ときたら「お前が支払を受け取れないのが悪い」などと言ってレミアの給与から料金を天引きする始末である。ほんとに店主を絞め殺したくなる。
「領主の野郎、給料を支払いやしねー」
 今日も今日とてボナレス兵はそんな愚痴を喚いているが、レミアとしては「お前に給料なんていらねーよ」と品のない言葉で罵ってやりたくなる。いや、叩き殺してやりたい。こいつらの所為でみんな生活に困窮しているのだ。死んで貰って当然だ。
 そんな事を沸々と考えている最中、レミアは見知った顔を見た気がした。見回してみたが居ない。こんな場所に来るような人物でもなく、処刑されたとも聞くから居るはずがない。何を考えているんだと自分に言い聞かせて仕事に戻ろうとすると、何やら騒がしい。ボナレス兵が他の客に絡み始めたのだ。
 ほんとに叩き殺してやりたい。
 レミアが憎しみを込めてボナレス兵の方を見ると、不思議な光景を見た。一人の女がボナレス兵の後ろにしゃがみ込んでいる。何故あんな所にしゃがんでいるのか判らない。だが誰もその事を言わない。他の者にはあの女が見えてないのだろうか。見えていて無視しているのだろうか。それとも自分が夢を見ているのだろうか。レミアは何が間違っているのかを必死に考えた。

 考えに没頭する中、事態は進む。しゃがんでいる女がボナレス兵の足下に瓶を転がした。ボナレス兵はその瓶に足を取られて後ろ向きに倒れる。その倒れる先に女が短剣を上に向けて立てている。そしてボナレス兵はその短剣の上へと倒れていった。
 赤い染みが床に広がる中、周りは悲鳴を上げることすら忘れて静まりかえっている。レミアが女の姿を追うと、静まりかえった中でガッツポーズを決めている。その後、女は戸口の方へとスキップして行った。
 レミアにはその姿に見覚えがある。間違えようもない、かつての主であるエカテリーナ・ハイデルフトその人だ。エカテリーナは極稀にだがご機嫌な時にガッツポーズやスキップをする事が有った。多分エカテリーナ本人さえ気付いていない癖だ。ある時スキップしていたのを見て「何か良いことがあったのですか?」と尋ねたところ「どうして判ったの?」とびっくりされた事がある。だが何故だろう、あんなに目立つ行動をしているのに誰も気付いていないようだ。そんな事をレミアが考えていると漸く周りが騒がしくなってきた。
「おい、見たか?」
「お、おう。短剣が勝手に立ち上がりやがった」
「やっぱ、あれか?」
「間違いねぇ、呪いだ」
 そんな話が店内を満たしている。
 レミアははたと思い出してエカテリーナの姿を探したが、扉が開く音も無いまま何処にも見あたらない。やはり消えてしまったのだろう。そこでレミアは確信する。エカテリーナは未だ彷徨って復讐しているのだと。自分にだけエカテリーナが見えたのは、きっと自分は特別だからなのだと。
 レミアは行動に移す。まずはボナレス兵を介抱する振りをして兵士の懐から所持金をスリ取ってしまう。今まで散々立て替えさせられたのだからこれ位は当然だと言い訳しつつ金目の物を探す。そして改めて兵士が死んでいる事を確認すると、店から抜け出した。

 レミアはささやかながら開放感を感じていた。明日の食事を気にするのは止めだ。必要があればボナレスを始めとする隣接領の連中から奪えばいいのだ。奴らがやっていた事だ、やり返して何が悪い。エカテリーナが復讐しているのだから自分もそれに続くのだ。そうだ反乱だ。これはハイデルフトを荒らした者達への反乱なのだ。
 そんな都合の良いことを考えつつレミアは叫ぶ。
「お嬢様、私はやりますわよ!」
 ただ、ボナレス兵の懐具合は愚痴っていた通りだったようで、スリ取ったのは一回分の飲み代にも足りない金額だった。最初から踏み倒す気満々だったのだ。レミアは改めて絞め殺してやりたくなった。
 既に死んでいるのだけれど。

 そうして、一人の女盗賊が生まれた。
 レミアの想いがどうであるかに関わらず、人々の認識は盗賊でしかないのである。
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