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オンジャン
「アン、はよ黒板消さんと四時間目になるで」
「あっ、忘れとった」
そう言われて、安藤久美子は、慌てて黒板消しを持った。
(この板書、ほんまいやになるなあ)
心の中で文句を言いながらせっせと拭いていった。
今日は日直だ。二人組だが、もう一人は全くあてにならない。『ボス』と怖がられている不良の男子だ。三年十組の教室、黒板いっぱいに書かれた因数分解の式を消しながら、
(なんも分からんかった。まあこんなもん役に立たんし、かまへんけど。受験の子はこれが分かるんか)
ため息をつきながら、窓のところで黒板消しを棒でたたく。
校舎二階の窓からは、大小の工場の煙突がよく見える。今は風もあまりなく、たくさんの煙が競うようにまっすぐに上って行く。大きな戦争が終わった頃は、遠浅の海で貝を拾ったり泳いだりしていたと聞いたことがあるが、昭和三十八年の今は、そんな風景はもう全くない。目を下に向けると、広い校庭の隅に植えられたアカシアが白い花を咲かせている。ほわんと甘い香りがするので、久美子はこの樹の下が好きだ。
この中学もどんどん生徒が増える。三年生は十一クラスだ。いわゆる『荒れた中学』として有名だ。窓も割れて修理が追い付かずベニヤ板をはってあるところが三か所ほどある。五月も終わりだから窓を開けていて、特に困らないけれど。先の数学教師は、ボソボソと言いながら板書だけして、チャイムと同時に教室を出て行った。どうせ騒がしくて教師の声が聞こえないのだから同じだ。
授業中『月刊明星』の雑誌が回ってくる。
(うちもちょっと読みたいなあ。舟木一夫と皇太子妃美智子様の写真みたい。家ではぜったい買うてくれへん。テレビもないんやもんな)
そう思う久美子を素通りして、仲良しグループの子に回っていく。
休み時間の今は、しゃべっている子、運動場へ出ている子、雑誌を見てる子、早弁してる子など、五十人以上いるけれど、だれも久美子を手伝ってくれない。久美子は特にいじめられているわけではないが、親しい友達もいない。 チリチリの茶色がかった髪の毛でよくからかわれる。「アン」というのも、安藤のアンに掛けているように聞こえるが、本当は流行っている童話『赤毛のアン』から取ったものだ。
次はオンジャンの社会だ。オンジャンは、クラスの担任だが、誰も名前を呼ばない。先輩から伝わって来たあだ名だけど、それ以外は考えられない、正に「オンジャン」であった。
オンジャンは、声を荒げることなく伏し目がちで、すり減ったスリッパで静かに歩いた。髪がもしゃもしゃで、古びた長い紺のコートを常に着ていた。真夏には、さすがに白の半そでカッターシャツになったけれど、ほとんどの季節を、そのコートで過ごした。
四月の初めての授業で、久美子はびっくりした。
「巻末を開けてください」
オンジャンは、そう言うと静かな声で『日本国憲法前文』を読みだした。『日本国民は、正当に選挙された国会における……この憲法を確定する』
クラスのみんなは顔を見合わせた。久美子も巻末を開けてはいたが、文字も小さいし、訳が分からない。第一難しくてお経のようだ。一語づつ板書して説明しながら、一文だけ繰り返し読んだ。終わりのチャイムが鳴る直前、
「私は憲法の条文に沿って授業を進めます。皆さん何度も読んでください」
そう言って又、褪せた紺色のコートの背中を見せて出て行った。
久美子は授業というものは、教科書の一ページ目から進めるものだと、固く信じていた。ところがオンジャンは静かに、でも、きっぱりとそう言ったのだ。
それからも、オンジャンは、前文にたくさんの時間を費やした。久美子は繰り返し読んで
(難しいけど美しい力強い文だなあ)
なんとなく憲法が好きになった。その後も一条から順に一語も漏らさず説明していった。何度も何度も読みながら。不思議なことに、どの授業も騒がしいだけなのに、オンジャンの時間は静かだった。
ある時、いつも一番後ろの席で足を机に投げ出し、腕を組んでむすっと座っている『ボス』が言った。
「先生、俺、頭悪いしそんな難しいこと分からへん」
いつも温和なオンジャンが、目を見開き黒板を手のひらで叩きつけた。
「君たちは中学を出たら社会に出て行く。今憲法や労働基準法を知らなくてどうするんだ。自分を守るためにしっかり学びなさい」
初めて聞く大きな声に、教室はシーンとなった。久美子は、オンジャンの目に涙がたまっているのを見てしまった。『ボス』は、机から脚を下ろし教科書を開いた。
あるとき、廊下でオンジャンを呼び止めるクラスの三人の女子がいた。受験するかしこ組の明るい子たちだ。久美子とは、特に関わりなく過ごしている。その中の成績トップの子が言った。
「先生、条文ばかり勉強していて高校入試問題は解けるのですか?」
オンジャンはにっこり笑うと、彼女たちを見つめた。
「問題集を解いてごらん。絶対大丈夫だから。しっかり勉強するんだよ」
オンジャンの眼鏡の中のまつ毛は、長くて影ができるほどだった。そのまつ毛を伏せてゆっくりと歩いて行った。 三人はそのままそっとしゃべっていた。
「帰ったら、問題集解いてみるわ」
「うん、そうしよう。でも、オンジャンって、あのぼろコートではなく平安時代の狩衣(かりぎぬ)着せて、釣殿(つりどの)歩いたら似合うんちゃう」
「ええー、いや、でも、そうかも」
三人は笑いながら階段を下りて行った。久美子はその後ろ姿を見ながら、
(高校生かあ、ええなあ。あーでも無理無理。勉強嫌いやし、うちは、紡績工場で働いてお母ちゃん助けたらんと。クラブあるって言ってたもん。洋裁習って、妹に服縫ってやるんや)
心の中でつぶやいた。
それでも、昼休み、一人で図書室で問題集を借りて、入試問題を解いてみた。ウソみたいに社会の政治の問題が解けたのだ。
(いやーこのうちが!後の問題はなんも分からへんけどな)
くすっと笑って、すぐに返却した。
二学期になり制服が冬用になった頃、久美子は、学校の帰りに駅前の小さな本屋へ寄った。買うお小遣いなど持っていなかったけれど、雑誌の立ち読みがしたかったのだ。『月刊明星』を手に取った。表紙は大好きな『舟木一夫』だ。ずっとながめてると、なんか頭がぼーっとなって、それを手提げかばんに入れてしまった。胸が爆発するほどばくばくして、背中に汗が流れた。急いで出ようとすると、店のおじさんが、
「ちょっと待ち」
怖い顔をして久美子の手提げかばんをつかんだ。それから、後ろの狭い部屋に連れて行った。
(お母ちゃん、怒るなあ。泣くなあ。警察に連れて行かれるんや。もう学校へも行かれへん。就職もでけへん)
周りが真っ暗になって、ぐらぐら揺れた。涙があふれたけれどもう遅い。住所を聞かれ、連絡すると言われたが、父親はいないし、母親は夜遅くまで働いている。電話もない。学校へ連絡が行ったようだった。久美子が泣きながら座っていると、息を切らしたオンジャンがやってきた。
「まことに申し訳ございません。よく言って聞かせますので」
オンジャンは、深く何度も頭を下げて謝った。
「いや、この子は初めてのことやし、警察に通報しようとも思ってません。安藤さんか、あんた先生に約束しいや。絶対もうしませんと。こんなええ先生悲しましたらあかん」
「もうしません。ごめんなさい。ごめんなさい」
久美子は泣きながら、それでも心から謝った。
「安藤さん、店の横で待っていなさい」
オンジャンは怖い顔をしていたが、静かに言った。しばらくして、出てきたオンジャンは
「いいかい、万引きは犯罪だよ。今回は許してもらえたけど、絶対二度としてはいけないよ。お母さんを悲しませてはいけない。約束できるね」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
小さな声で繰り返す久美子に、オンジャンは紙袋を渡した。驚いて顔をあげると、
「これは先生からのプレゼントだ。お母さんにきちんと話そう」
久美子は、その紙包みを胸に抱きしめて、オンジャンに付き添われて帰った。
卒業式、オンジャンはやはりオンジャンコートを着ていた。小さな花束を手に静かに微笑んでいた。アカシアの木の下で、たくさんの生徒に囲まれていたけれど、不良集団も目を赤くしてその中にいた。結局、久美子は、クラスでも、同じ紡績工場に就職が決まった子以外と話をすることもほとんどなかった。でも、オンジャンのクラスだというだけで、心はいつも温かだった。
それから十年が経った。久美子は結婚して二人の子の母になった。少し離れたところに住んでいたが、母の体調が思わしくなく、去年、中学の近くのアパートに引っ越して来た。
今日は、おんぶした子どもをあやしながら上の子の手を引いて、中学校へ行った。選挙投票日で、投票場になっていたのだ。
五月も終わり、アカシアの白い花が塀から花を揺らしている。
(なんかなつかしいなあ。時々知った顔見かけるけど、声かけへんもんな。成人式にも行かんかったし、去年の同窓会も行かんかった)
オンジャンに会いたくて出席に丸を付けたけれど、その前の年に亡くなったと聞いて、行かなかったのだ。
初夏の甘い風が下りて来る空に向かって、久美子はそっと話しかけた。
「オンジャン、まだあのコート着てるん?うち、ちゃんと投票に来たよ。『投票には絶対行くんだぞ。この選挙権を得るために数多くの人々が血と汗を流し勝ち取ったものなんだからね』って言われてたこと忘れてへんよ。うち、元気で幸せだよ。このチリチリの赤毛は、今はな、おしゃれなんよ」
アカシアの葉がさわさわ鳴った。
「オンジャン、うち勉強はずっと嫌いやったけど、まだ憲法前文かなり空で言えるよ。『この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ』ってとこ大好きやもん。オンジャン、ありがとうございました」
そのとき、背中の子どもが、両手を空に向けてキャツキャと笑った。
おしまい
「あっ、忘れとった」
そう言われて、安藤久美子は、慌てて黒板消しを持った。
(この板書、ほんまいやになるなあ)
心の中で文句を言いながらせっせと拭いていった。
今日は日直だ。二人組だが、もう一人は全くあてにならない。『ボス』と怖がられている不良の男子だ。三年十組の教室、黒板いっぱいに書かれた因数分解の式を消しながら、
(なんも分からんかった。まあこんなもん役に立たんし、かまへんけど。受験の子はこれが分かるんか)
ため息をつきながら、窓のところで黒板消しを棒でたたく。
校舎二階の窓からは、大小の工場の煙突がよく見える。今は風もあまりなく、たくさんの煙が競うようにまっすぐに上って行く。大きな戦争が終わった頃は、遠浅の海で貝を拾ったり泳いだりしていたと聞いたことがあるが、昭和三十八年の今は、そんな風景はもう全くない。目を下に向けると、広い校庭の隅に植えられたアカシアが白い花を咲かせている。ほわんと甘い香りがするので、久美子はこの樹の下が好きだ。
この中学もどんどん生徒が増える。三年生は十一クラスだ。いわゆる『荒れた中学』として有名だ。窓も割れて修理が追い付かずベニヤ板をはってあるところが三か所ほどある。五月も終わりだから窓を開けていて、特に困らないけれど。先の数学教師は、ボソボソと言いながら板書だけして、チャイムと同時に教室を出て行った。どうせ騒がしくて教師の声が聞こえないのだから同じだ。
授業中『月刊明星』の雑誌が回ってくる。
(うちもちょっと読みたいなあ。舟木一夫と皇太子妃美智子様の写真みたい。家ではぜったい買うてくれへん。テレビもないんやもんな)
そう思う久美子を素通りして、仲良しグループの子に回っていく。
休み時間の今は、しゃべっている子、運動場へ出ている子、雑誌を見てる子、早弁してる子など、五十人以上いるけれど、だれも久美子を手伝ってくれない。久美子は特にいじめられているわけではないが、親しい友達もいない。 チリチリの茶色がかった髪の毛でよくからかわれる。「アン」というのも、安藤のアンに掛けているように聞こえるが、本当は流行っている童話『赤毛のアン』から取ったものだ。
次はオンジャンの社会だ。オンジャンは、クラスの担任だが、誰も名前を呼ばない。先輩から伝わって来たあだ名だけど、それ以外は考えられない、正に「オンジャン」であった。
オンジャンは、声を荒げることなく伏し目がちで、すり減ったスリッパで静かに歩いた。髪がもしゃもしゃで、古びた長い紺のコートを常に着ていた。真夏には、さすがに白の半そでカッターシャツになったけれど、ほとんどの季節を、そのコートで過ごした。
四月の初めての授業で、久美子はびっくりした。
「巻末を開けてください」
オンジャンは、そう言うと静かな声で『日本国憲法前文』を読みだした。『日本国民は、正当に選挙された国会における……この憲法を確定する』
クラスのみんなは顔を見合わせた。久美子も巻末を開けてはいたが、文字も小さいし、訳が分からない。第一難しくてお経のようだ。一語づつ板書して説明しながら、一文だけ繰り返し読んだ。終わりのチャイムが鳴る直前、
「私は憲法の条文に沿って授業を進めます。皆さん何度も読んでください」
そう言って又、褪せた紺色のコートの背中を見せて出て行った。
久美子は授業というものは、教科書の一ページ目から進めるものだと、固く信じていた。ところがオンジャンは静かに、でも、きっぱりとそう言ったのだ。
それからも、オンジャンは、前文にたくさんの時間を費やした。久美子は繰り返し読んで
(難しいけど美しい力強い文だなあ)
なんとなく憲法が好きになった。その後も一条から順に一語も漏らさず説明していった。何度も何度も読みながら。不思議なことに、どの授業も騒がしいだけなのに、オンジャンの時間は静かだった。
ある時、いつも一番後ろの席で足を机に投げ出し、腕を組んでむすっと座っている『ボス』が言った。
「先生、俺、頭悪いしそんな難しいこと分からへん」
いつも温和なオンジャンが、目を見開き黒板を手のひらで叩きつけた。
「君たちは中学を出たら社会に出て行く。今憲法や労働基準法を知らなくてどうするんだ。自分を守るためにしっかり学びなさい」
初めて聞く大きな声に、教室はシーンとなった。久美子は、オンジャンの目に涙がたまっているのを見てしまった。『ボス』は、机から脚を下ろし教科書を開いた。
あるとき、廊下でオンジャンを呼び止めるクラスの三人の女子がいた。受験するかしこ組の明るい子たちだ。久美子とは、特に関わりなく過ごしている。その中の成績トップの子が言った。
「先生、条文ばかり勉強していて高校入試問題は解けるのですか?」
オンジャンはにっこり笑うと、彼女たちを見つめた。
「問題集を解いてごらん。絶対大丈夫だから。しっかり勉強するんだよ」
オンジャンの眼鏡の中のまつ毛は、長くて影ができるほどだった。そのまつ毛を伏せてゆっくりと歩いて行った。 三人はそのままそっとしゃべっていた。
「帰ったら、問題集解いてみるわ」
「うん、そうしよう。でも、オンジャンって、あのぼろコートではなく平安時代の狩衣(かりぎぬ)着せて、釣殿(つりどの)歩いたら似合うんちゃう」
「ええー、いや、でも、そうかも」
三人は笑いながら階段を下りて行った。久美子はその後ろ姿を見ながら、
(高校生かあ、ええなあ。あーでも無理無理。勉強嫌いやし、うちは、紡績工場で働いてお母ちゃん助けたらんと。クラブあるって言ってたもん。洋裁習って、妹に服縫ってやるんや)
心の中でつぶやいた。
それでも、昼休み、一人で図書室で問題集を借りて、入試問題を解いてみた。ウソみたいに社会の政治の問題が解けたのだ。
(いやーこのうちが!後の問題はなんも分からへんけどな)
くすっと笑って、すぐに返却した。
二学期になり制服が冬用になった頃、久美子は、学校の帰りに駅前の小さな本屋へ寄った。買うお小遣いなど持っていなかったけれど、雑誌の立ち読みがしたかったのだ。『月刊明星』を手に取った。表紙は大好きな『舟木一夫』だ。ずっとながめてると、なんか頭がぼーっとなって、それを手提げかばんに入れてしまった。胸が爆発するほどばくばくして、背中に汗が流れた。急いで出ようとすると、店のおじさんが、
「ちょっと待ち」
怖い顔をして久美子の手提げかばんをつかんだ。それから、後ろの狭い部屋に連れて行った。
(お母ちゃん、怒るなあ。泣くなあ。警察に連れて行かれるんや。もう学校へも行かれへん。就職もでけへん)
周りが真っ暗になって、ぐらぐら揺れた。涙があふれたけれどもう遅い。住所を聞かれ、連絡すると言われたが、父親はいないし、母親は夜遅くまで働いている。電話もない。学校へ連絡が行ったようだった。久美子が泣きながら座っていると、息を切らしたオンジャンがやってきた。
「まことに申し訳ございません。よく言って聞かせますので」
オンジャンは、深く何度も頭を下げて謝った。
「いや、この子は初めてのことやし、警察に通報しようとも思ってません。安藤さんか、あんた先生に約束しいや。絶対もうしませんと。こんなええ先生悲しましたらあかん」
「もうしません。ごめんなさい。ごめんなさい」
久美子は泣きながら、それでも心から謝った。
「安藤さん、店の横で待っていなさい」
オンジャンは怖い顔をしていたが、静かに言った。しばらくして、出てきたオンジャンは
「いいかい、万引きは犯罪だよ。今回は許してもらえたけど、絶対二度としてはいけないよ。お母さんを悲しませてはいけない。約束できるね」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
小さな声で繰り返す久美子に、オンジャンは紙袋を渡した。驚いて顔をあげると、
「これは先生からのプレゼントだ。お母さんにきちんと話そう」
久美子は、その紙包みを胸に抱きしめて、オンジャンに付き添われて帰った。
卒業式、オンジャンはやはりオンジャンコートを着ていた。小さな花束を手に静かに微笑んでいた。アカシアの木の下で、たくさんの生徒に囲まれていたけれど、不良集団も目を赤くしてその中にいた。結局、久美子は、クラスでも、同じ紡績工場に就職が決まった子以外と話をすることもほとんどなかった。でも、オンジャンのクラスだというだけで、心はいつも温かだった。
それから十年が経った。久美子は結婚して二人の子の母になった。少し離れたところに住んでいたが、母の体調が思わしくなく、去年、中学の近くのアパートに引っ越して来た。
今日は、おんぶした子どもをあやしながら上の子の手を引いて、中学校へ行った。選挙投票日で、投票場になっていたのだ。
五月も終わり、アカシアの白い花が塀から花を揺らしている。
(なんかなつかしいなあ。時々知った顔見かけるけど、声かけへんもんな。成人式にも行かんかったし、去年の同窓会も行かんかった)
オンジャンに会いたくて出席に丸を付けたけれど、その前の年に亡くなったと聞いて、行かなかったのだ。
初夏の甘い風が下りて来る空に向かって、久美子はそっと話しかけた。
「オンジャン、まだあのコート着てるん?うち、ちゃんと投票に来たよ。『投票には絶対行くんだぞ。この選挙権を得るために数多くの人々が血と汗を流し勝ち取ったものなんだからね』って言われてたこと忘れてへんよ。うち、元気で幸せだよ。このチリチリの赤毛は、今はな、おしゃれなんよ」
アカシアの葉がさわさわ鳴った。
「オンジャン、うち勉強はずっと嫌いやったけど、まだ憲法前文かなり空で言えるよ。『この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ』ってとこ大好きやもん。オンジャン、ありがとうございました」
そのとき、背中の子どもが、両手を空に向けてキャツキャと笑った。
おしまい
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