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さくらねこ
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「大変!おばあちゃん、来てー」
静かな朝もやをつんざくような叫び声がしました。
声のする裏庭へ、芳江が駆けつけると、孫のみなみが顔を引きつらせて立っていました。
そばには、三年生になるみなみが入れるくらいの大きな金網の捕獲器があり、中には目つきのするどい黒猫がいたのです。
昨晩遅く、野良猫を捕獲するため、唐揚げを入れて芳江のグループが置いたものでした。猫は暴れたらしく周りには黒い毛が飛び散っていました。でも、今は諦めたのでしょうか、ぐったり前足に顔を乗せ、芳江を睨んでいます。
「おばあちゃん、黒ねこ! オリに入ってしまったのよ。かわいそう。早く出してやって」
パジャマのままのみなみが、涙のたまった目で芳江を見上げました。
「ごめんね、みなみちゃんに気付かれないようにしようと思ったんだけどね。こんなに早く起きてどうしたの?」
芳江は、その捕獲器にそっと毛布をかけました。
「だって、ものすごい鳴き声が聞こえたんだよ。ルルちゃんの夢見てたから、飛び起きたの。おうちのルルちゃんも真っ黒のねこだもの」
泣きじゃくるみなみの肩を抱えて、芳江は家に入りました。
芳江は近所の主婦と『TNR』の活動をしています。活動といってもごくささやかなものです。Trap(捕獲)Nertur(不妊手術)Retern(元の場所に戻す)という意味です。
こんなとき、芳江もみなみのように泣きたいのです。どうしても慣れることができない辛い捕獲です。でも、野良猫が増えれば殺処分へとつながります。だから何とか増やさないために、ご近所からの寄付や自分たちのお金で細々と活動いています。
昨日から春休みで泊まりに来ていたみなみには、悲しい想いをさせてしまったけれど、今は、きちんと伝えて分かってもらおうと考えました。
涙をぬぐおうともせず、みなみは背中を丸めたまま、両手でマグカップを包みました。ココアの湯気が、少し落ち着かせてくれたようです。
「あの猫ね、今から病院へ連れて行くのよ。手術終えたら入院させて、迎えに行くの。そしたらまたもとのように元気に走り回れるわ」
芳江は、丁寧にやさしい言葉を選んで、そんなことも話しました。
一週間が過ぎ、明日はみなみも新幹線に乗って家に帰ります。二人は手をつないで公園を散歩しました。そばの斜面を、軽やかに茶トラのねこが走って行きました。
「あれっ、あのねこ、左の耳切れてる、怪我してるよ!」
「大丈夫よ、あの猫はね、手術で麻酔がきいてるときにちょっと耳先をカットされたの。左だからメスだよ。『手術すんでます』っていうしるし。血もほとんど出なくて痛くないってお医者さんがおっしゃてたから」
うなずいたみなみが、腕を差し出しました。
「ほら、向こうから来るねこ、あのときの黒ねこだ。元気そうでよかったあ。ルルちゃんとそっくりだ。あの子も耳カットされてる」
「耳が桜の花びらみたいでしょ。だから『さくらねこ』って呼ばれてるの」
二人の横を、あの黒猫がサササーと駆けていきました。
満開の桜の花びらが、そのさくらねこの上に、ひらひらひららと降り注いでいました。
おしまい
静かな朝もやをつんざくような叫び声がしました。
声のする裏庭へ、芳江が駆けつけると、孫のみなみが顔を引きつらせて立っていました。
そばには、三年生になるみなみが入れるくらいの大きな金網の捕獲器があり、中には目つきのするどい黒猫がいたのです。
昨晩遅く、野良猫を捕獲するため、唐揚げを入れて芳江のグループが置いたものでした。猫は暴れたらしく周りには黒い毛が飛び散っていました。でも、今は諦めたのでしょうか、ぐったり前足に顔を乗せ、芳江を睨んでいます。
「おばあちゃん、黒ねこ! オリに入ってしまったのよ。かわいそう。早く出してやって」
パジャマのままのみなみが、涙のたまった目で芳江を見上げました。
「ごめんね、みなみちゃんに気付かれないようにしようと思ったんだけどね。こんなに早く起きてどうしたの?」
芳江は、その捕獲器にそっと毛布をかけました。
「だって、ものすごい鳴き声が聞こえたんだよ。ルルちゃんの夢見てたから、飛び起きたの。おうちのルルちゃんも真っ黒のねこだもの」
泣きじゃくるみなみの肩を抱えて、芳江は家に入りました。
芳江は近所の主婦と『TNR』の活動をしています。活動といってもごくささやかなものです。Trap(捕獲)Nertur(不妊手術)Retern(元の場所に戻す)という意味です。
こんなとき、芳江もみなみのように泣きたいのです。どうしても慣れることができない辛い捕獲です。でも、野良猫が増えれば殺処分へとつながります。だから何とか増やさないために、ご近所からの寄付や自分たちのお金で細々と活動いています。
昨日から春休みで泊まりに来ていたみなみには、悲しい想いをさせてしまったけれど、今は、きちんと伝えて分かってもらおうと考えました。
涙をぬぐおうともせず、みなみは背中を丸めたまま、両手でマグカップを包みました。ココアの湯気が、少し落ち着かせてくれたようです。
「あの猫ね、今から病院へ連れて行くのよ。手術終えたら入院させて、迎えに行くの。そしたらまたもとのように元気に走り回れるわ」
芳江は、丁寧にやさしい言葉を選んで、そんなことも話しました。
一週間が過ぎ、明日はみなみも新幹線に乗って家に帰ります。二人は手をつないで公園を散歩しました。そばの斜面を、軽やかに茶トラのねこが走って行きました。
「あれっ、あのねこ、左の耳切れてる、怪我してるよ!」
「大丈夫よ、あの猫はね、手術で麻酔がきいてるときにちょっと耳先をカットされたの。左だからメスだよ。『手術すんでます』っていうしるし。血もほとんど出なくて痛くないってお医者さんがおっしゃてたから」
うなずいたみなみが、腕を差し出しました。
「ほら、向こうから来るねこ、あのときの黒ねこだ。元気そうでよかったあ。ルルちゃんとそっくりだ。あの子も耳カットされてる」
「耳が桜の花びらみたいでしょ。だから『さくらねこ』って呼ばれてるの」
二人の横を、あの黒猫がサササーと駆けていきました。
満開の桜の花びらが、そのさくらねこの上に、ひらひらひららと降り注いでいました。
おしまい
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