誰そ彼にさだめ

wannai

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18 恋から先の狭間こそ

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なく検査するなら3ヶ月後くらいが良いらしいから、それまでは彼氏(仮)かっこかりってことで」

 俺が他の男とセックスした後でも、由紀さんの態度はそれまでと一切変わらなかった。
 変に冷たくなることも優しくなることもなく、用があろうがなかろうが通話を誘ってくるし、カレンダーは共有のまま。
 唯一、俺以外とのデートの予定が一切追加されなくなったのは変化と呼べるかもしれない。

 変わったのは俺の方だ。
 いや、というのが正確か。
 無理して生活リズムを由紀さんに合わせるのをやめた。
 睡眠時間が少なくなると頭が働かなくなるし、頭が働かないと仕事に支障が出る。
 借金はなくとも裕福とは言い難い今の状況で描けなくなるのは困るから、昼型の生活に戻した。
 最初の数週間は就寝中に本当に寝ているのかと疑うメッセージが入っていたが、既読無視していたら少しずつ由紀さんが俺に時間を合わせるようになってきて、最近は由紀さんも俺と同じ時間に寝ている。

 通話が掛かってきても、集中したい時は断ることにした。
 ずっと会話しているわけでなくとも、微かな物音がするだけで思考が中断してしまうからだ。
 由紀さんに「なら俺の方はミュートにしておく」と言われ、断りきれなかった。
 俺がネームをする時は俺の生活音を由紀さんが聞くだけという謎通話が発生するようになった。

 通話を繋げっぱなしというのが窮屈に感じて昼間に散歩の時間を作った。
 平日の午前中に1時間、ただ家の近くをぐるっと歩くだけ。運動不足の自覚はあったから、ちょうどいい息抜きになるだろうと思った。
 始めて3日目から由紀さんが一緒に歩くようになった。
 俺の選んだコースがちょうど由紀さんのマンションの前を通るルートだったのだ。
 特に何か話すわけではないが、何も話さないわけでもない。
 由紀さんはよく道の脇の茂みでバッタやカエルを見つけると捕まえてしばらく観察した。
 犬が通ると必ず釘付けになっていたが、撫でようとはしなかった。
 猫を見つけると追いかけていくから、何度か途中解散になった。
 
 愛想笑いをやめた。
 由紀さんに気に入られたくて笑ってみても、条件で人を選ぶ由紀さんには無意味だと気付いたからだ。
 由紀さんは気付きもしないのか、何も言わなかった。
 少し気が楽になった。
 
 由紀さんに好かれようとすることを諦めた。
 俺がどんな人間だろうが由紀さんには関係ないからだ。
 由紀さんが「今日寒いね」と言っても、寒くなければ「着込んできたんで寒くないです」と答えた。
 「でも手は冷えるので、繋いでいいですか?」と外でも臆面なく言えるようになった。
 由紀さんの言葉を否定しても肯定しても、由紀さんはどうでもいいみたいだった。
 たまに呆れ顔で「俺らあんま趣味合わないよね」と言われたりするだけだ。
 
 由紀さんはたまに笑うけれど、ほとんどは無表情で口数も少ない。
 でも何も考えてないわけじゃない。
 それが怖かった。
 俺に対して何かしら考えているだろうに、何も望まれないのが悔しかった。
 いっそ失望されたい気もしたが、浮気以上に失望される術が思い付かず断念した。

 夜の店で処女を失った日からきっかり3ヶ月後、クリニックに連れていかれた。
 検査結果はすべて陰性だった。
 まだ正確に結果が出ない項目もあるらしかったが、初めてだったことやゴムをしていたこと、自覚症状がまったく無いことで医師にはだろうと言われた。
 その日の晩、由紀さんは初めて「泊まるから」と事前申告してから俺の家に来た。
 早速セックスするのかな、と思ったが、しなかった。
 由紀さんはひたすら無言で原稿をする俺をスケッチし、俺が寝ると言うと持参した寝袋を床に敷き寝た。

 「ねーちゃんがツテでチケット貰ったから観に行こう」と映画に誘われた。
 鑑賞後はカフェで感想を言いつつタブレットで印象的だったシーンを描いて互いに見せ合った。

 推しキャラのぬいぐるみがプライズになったが壊滅的にクレーンゲームが苦手だから代わりにやってくれ、とゲームセンターに連れていかれた。
 3千円かけて掌に乗るくらいの饅頭みたいなぬいぐるみを取った。
 由紀さんは早速それを公園に持っていって、子どものいない隙を狙って遊具に乗せて写真に撮り帰宅してから絵にしてSNSにアップしていた。

 動物園にクロッキー帳を持ってスケッチに行くというので、長丁場になるのを覚悟して俺もデジタルではなく紙画材で合わせた。
 適当に2人分の弁当を作って行ったら、由紀さんも「俺も作ってきた」と3人分くらいありそうな量のサンドイッチを出してきた。
 結局開園から閉園時間ギリギリまで描いていたので、いつのまにか完食していた。
 由紀さんのサンドイッチは断面が美しく、普通に美味しかった。
 由紀さんからは「次はなんかあの変わった味の昆布のおにぎりもっと増やして」と言われた。

 花鳥園は鳥が紙を食べてしまう危険性があるからと大きな一眼レフカメラを下げてきた。
 餌を持っていると鳥が寄ってくるので、俺は延々餌係で、由紀さんはひたすらシャッターを切っていた。
 くちばしの尖った鳥につつかれると地味に痛く、ヘラサギの攻撃力の無さが沁みるほど可愛らしく感じた。
 後日、由紀さんは半鳥半人の少女の絵を描いてアップしていた。
 鳥好きらしいアカウントが翼の綺麗さを褒めていた。

 由紀さんは根っからの絵描きだった。
 人の多いカフェや繁華街、テーマパークではさすがに写真を撮るだけにしているようだったが、我慢出来ない時はスマホに指で描きだした。
 絵は家で隠れて描くもので、外は息抜きか人間に擬態する場所だと思っていた俺は最初面食らったが、だからこんなに絵が上手いのかと納得もした。
 別に禁止されているわけではないが人目がある場所で由紀さんが1人で描いていると物珍しいもののようにジロジロ見られてしまうので、一緒にいる時は俺も描いた。
 不思議なもので、2人になると『そういうもの』と思うのか、珍奇に見る目が減るのだ。
 俺はずっと漫画絵しか描いてこなかったから風景画や動植物は難しく、好きなモチーフでもないのでしょっちゅうすぐ飽きた。
 すると由紀さんはおもむろに俺の絵に手足を描く。
 由紀さんの好きな太ましい脚だったり、ガリガリの細い腕だったり、はたまた後ろ姿の髪の毛だけだったり。
 だが、描くのはいつも一部だけなのだ。それが気持ち悪くて、とりあえずそのを想像で補完して俺が描く。
 出来上がった絵を見て由紀さんは頷いたり首を傾げたり、たまに目を丸くして絶句したりしてから、写真を撮る。

「俺の絵なんか、由紀さんから見たら上手くもないだろうにさ」

 変わった人だよな、と言いながら画面端の時計表示を見て、前回保存したのがもう3時間前だと気付いて慌てて保存ボタンを押した。

「なんでもそうだけど、上手い人ほど他人が下手かどうかなんて気にしないんだよな」

 大一が相槌を打ってくれた内容がまさにという感じで、「それ」と大きく頷く。

「ここが悪いとか変とか、全然言わないんだよ、由紀さん。けど俺が納得出来なくて悩んでると「俺ならこうするかな」って赤入れてくれんの」
「神じゃん」
「神なんだよ」

 俺が神を讃えるポーズで大袈裟に立ち上がると、大一もタブレットの画面から顔を上げ、疲れを思い出したように大きく伸びをした。

「だったら神に手伝ってもらえば、この原稿もさくっと終わるんじゃないですかねぇ」
「それはルール違反だから」

 12月28日。
 例年通り俺の家に泊まりに来た大一は、けれどいつもと違い愚痴っぽい。
 まあ仕方がない。
 普段は早割常連の俺が今回は予定していた2冊とも極道入稿すら間に合わず、苦肉の策としてコピー本として出すことにしたのにいまだ俺はネームを切っている状態なのだ。
 大一が出来るのは俺が線画を終わらせた後の処理だから、俺の作業が遅れれば遅れるほど大一の負担も増える。
 分かっているのだけど、どうにも描けないのだ。
 いつもなら最後までネームを切ってから下書きを始め、線画と仕上げは気分が乗った所から、という順。
 なのにそのネームで詰まってしまっている。
 ざっくり構想はあるのに、いざ描こうとすると手が動かない。
 真っ白な画面を睨むばかりで自分が一体何をすればいいのか見当がつかなくなってしまう。
 もう冬コミ当日を3日後に控えた今、コピー本ならもう製本に入っていないとキツい。
 それは分かっている。分かっている……。

「駄目だ。少し寝る」
「はあ!? また!?」
「ごめん」
 
 午前中にダメもとでしこたま酒を飲んでみたら3ページほど進められたのだが、アルコールが切れたのか急激に眠くなってきた。
 不調なうえに眠いのを我慢しても何も良いことは無いだろうと、ここ数日仕事部屋に広げっぱなしの毛布の上に倒れこんだ。
 大一は呆れた顔をしつつも、それ以上何か言ってはこない。
 それだけ俺の状態が異常だと理解してくれているからだろう。
 うつ伏せで瞼を閉じた。
 顔に当たる毛がふわふわして気持ちいい。
 買ったのは何年も前なのに、いまだ手触りが変わらない良い毛布だ。安かったのに。
 手を動かして毛の感触を楽しんでいると、だんだん下の硬い床の冷たさが伝わってくる。
 今年は暖冬らしく、例年より暖かい日が続いている。
 とはいえ冬、寒いものは寒い。
 休憩は出来るが、ここで熟睡は出来ない。
 暖房をつけていても床の冷たさはどうにもならない。
 今頃由紀さんは何をしているだろう。
 飽きるほど会っているのにそれでもふと思い出してしまうんだから、恋ってやつはすごい。
 大一が泊まりに来てからは日中の通話を控えてくれているが、日課の散歩は継続している。
 進捗も大一の目も厳しいからここ数日は15分程度の短いものだが、由紀さんの顔を見ると元気が出る。
 由紀さんが俺をどう思っていようが、俺が由紀さんを好きなことに変わりはない。

「なあ」
「ん~……なに……?」
「神様、寝取ってやろうか」

 意識が落ちそうになる寸前にそんなことを言われて、思わず笑ってしまった。

「出来ないよ」
「お前の言う通りなら、条件さえ合えばいいんだろ?」
「2年のながーいオトモダチ期間がある」
「あ~……」
「無理だろ?」

 どうやら大一は俺の不調の理由が毎度お馴染み彼氏によるものだと思っていたらしい。

「今回のスランプは彼氏が原因じゃないよ」

 どちらかといえば今回は、その存在が良い方向に働いているとすらいえる。
 由紀さんと共に時間を過ごすイコール絵を描く、だから半年前に比べて目に見えて画力が向上している自覚がある。
 ……まあ、残念ながらその向上した画力を発揮出来ないから困っているのだけど。

「じゃあ何が原因だよ」
「それが分かればみんなスランプなんかすぐ脱出する」

 好きで描けなくなる絵描きなんかいるもんか、とため息を吐き、毛布の端を抱えて横方向に転がった。
 ふわふわを全身に巻き付け、うっすら自分の匂いがすることに安心する。

「……なら……か」
「ん? なんて?」

 毛布越しで大一の言葉が聞こえず、聞き返すと床がみしりと鳴った。
 みし、みし、と音をさせて寄ってきた大一は俺の横にしゃがみ込むと俺の頭を覆う毛布を捲った。

「ならお前の方を寝取るか、って言ったんだよ」

 いつもうっすら上機嫌な大一だが、俺に笑顔を見せるのは稀だ。
 他人行儀に歯を見せて笑う彼が珍しく、つられ笑いしてしまう。

「マジか、今さらすぎる」
「しゃーないじゃん、他に方法無さそうだし」
「そーかなー。時間が解決すんじゃん?」
「それまでオナ禁しなきゃいけないのキツい」
「セックスしといてオナ禁どうの言うのは反則じゃね?」
「セックスはセックス、オナニーはオナニーだから。……ってわけで、セックスすっか」
「ちょっ、寝たいんだから邪魔すんなってのに」
「別に寝てていいぞ。お前の喘ぎ声とか聞きたくねーし」
「喘ぎませーん」
「下半身だけ脱がせばいいか」
「さっすが、俺のツボ知ってる。頭の方はちゃんと巻き直せよ」

 大一なりの方法で俺のスランプ解消を試そうというのか、冗談混じりに毛布ごとゴロゴロと床を転がされて「もっと乱暴に! やるなら真面目にやれ!」と檄を飛ばす。
 と、スマホの着信音が鳴った。
 次いでパソコンの方からもボイスチャットの着信を知らせる音楽が鳴り出す。

「ん? なに、誰? 由紀さん? なんだろ、緊急かな」

 いつものこの時期ならすわ原稿に何かミスがあったかと印刷所からの電話かと思うところだが、今回に限ってそれはない。
 とすれば由紀さんに違いなく、けれどスマホとパソコン両方に同時に掛けてくるなんて相当だ。
 毛布から這い出しパソコンモニターを見上げればやはり表示名は『お砂糖大好き』で、デスクの端でバイブレーションと共に少しずつ横移動しているスマホの方もきっとそうだろう。

「……やっぱどっかにな……」
「ん? なにが?」
「別に。……緊急なんじゃね、早く出てやれば?」
「あ、だね」

 由紀さんに限ってほぼ無いだろうが、もしかしたら彼も締切がキツくて人手が欲しいという用件かもしれない。
 そうなったら彼を手伝おう。
 俺の方はどうせ、まともに進みやしないし。
 立ち上がってデスクチェアに座り、パソコンから通話の応答ボタンを押した。

「どうしました?」
『このちゃん、もうご飯食べた?』
 
 きっと急いでいるだろうからとこちらから切り出したのに、返ってきたのは内容も言い方ものんびりとしたものだった。

「ご飯……ですか?」
『そう、ご飯。食事。この時間だとだいぶ遅いお昼かだいぶ早いお夕飯』
「昼は食べましたが、夕飯はまだです」

 一緒に食べようというお誘いだろうか。
 大一に目を向けると、彼はそんな時間あるかよとばかりに肩を竦めて顔を横に振る。

「あの、申し訳ないんですが、実は今回、進捗が本当にヤバくてですね……」
『んじゃついでに手伝うよ。俺もねーちゃんもお歳暮でハム大量に貰っちゃってさ、処分に困ってんの。ハム焼きパーティしよ』
「え、いやあの、だから原稿が」
『だ、か、ら、手伝う、って言ってるだろ』
「ハムを焼きながら?」
『焼いて食いながら。デジタルだろ? タブレット持ってく。林檎? 泥?』
「クリスタ入ってればどちらでも……あ、いやその、手は足りてて」
『ホットプレートある?』
「小さいのならありますけど……」
『おっけ。じゃ今から行くわ。台所に用意よろしく』
「えっ、…………切れた」

 断ろうとしたのに由紀さんのマイペースさに押し切られ、大一を見るとまあ呆れた表情をしていた。

「いつもそんな感じなん?」
「まあ……いや、俺が本気で困るようなこと言う人じゃないし」
「今は困ってないと?」
「由紀さんが来るから困るってわけでもないだろ。それ以前の問題なんだし」

 原稿が真っ白なのは由紀さんが来ようと来まいと変わりはない。
 だったら美味しいハムをご相伴に預かろうぜ、とパソコンの電源を切ると、大一は「やっぱ彼氏が原因じゃん」とぶつくさ言いながらもタブレットを充電コードに繋げた。









 由紀さんが到着したのは着信から30分ほど経ってからだった。
 いつもより遅いなと思っていたら、パンパンに膨らんだエコバッグを両脇に抱えて現れた。

「男3人でハムパするって言ったら、ねーちゃん達があれも持ってけこれも持ってけって詰めだしてさ。大一くんアレルギーとかあります? エビカニ入ってるんですけど」

 片方のバッグから由紀さんが取り出したのは5段のプラスチック重箱で、閉まりきらず輪ゴムで留められた隙間からエビの頭と尻尾が豪快にはみ出していた。

「え、すっげ! 伊勢エビ!?」
「たぶん」
「いいのこんなの貰っちゃって!?」
「酔っ払い達が悪ノリした結果なんで、奴らが後から後悔しようが自業自得です」

 由紀さんは実家から泊まりに来ていた両親と姉、姉の友人とお節の仕込みをしていたそうだ。
 だが、途中から酒盛りを始めた呑兵衛たちから逃げる口実に俺を思い出し、「余ったハムを持っていく」と言ったら「お節も持ってけ」となり、「男の子2人? なら野菜も入れましょう」「お肉がハムだけなんて足りるわけないわよ。チャーシューと唐揚げも入れてあげましょ」「主食が必要だろ。お稲荷さんも入れよう」と────結果、どこの大家族の年末だ、という量になってしまったという。
 げんなり顔の由紀さんには悪いが、その状況で頭を抱える彼を想像すると微笑ましくて嬉しくなってしまう。

「なんでニコニコなの、このちゃん」
「由紀さんのご家族はいい方ばかりなんだな、と思いまして」
「酔いが覚めたら「俺のエビ~~~~!!」って泣きながらまた漁港行くだろうアホな父だよ」

 伊勢エビを入れてくれたのはどうやら父君らしい。
 「お礼を言っておいて下さい」と言うと、「そういやサイン欲しいって言ってたよ」と恐ろしいことを言われ聞かなかったことにした。
 ハムの賞味期限を確認するとまだ間があったので、用意しておいたホットプレートは一旦仕舞いお重を開けることにする。
 お重を並べると小さな折りたたみテーブルはいっぱいだ。
 かろうじて小皿を置けるスペースをそれぞれ目の前に作り、隙間に箸とコップを置く。
 由紀さん用の座布団が無いので俺のを彼に貸して、俺は枕にバスタオルを巻いて使うことにした。
 台所はクッションフローリングだが、暖房をつけてもさすがに直床は冷えるのだ。

「あ~、この煮物いい味」
「ほんとだ、美味し……はんぺん?」
「え、はんぺん入れない?」
「おでんには入れますが、普通の煮物にはそういえば入れてないですね」
「美味いしよくね」
「ですね」
「はんぺんって普通入ってないんだ……」

 磊川家のお節は新旧混ぜこぜという感じで、伊勢エビに始まり紅白なますやかずのこ、黒豆やちょろぎが詰まっているかと思えば、唐揚げやエビチリ、エビフライやフライドポテト、チャーシューの並ぶ一番最初に空になりそうな段もあった。
 ちなみに下2段は1段が筑前煮、もう1段は伊達巻だった。
 
「市販の伊達巻は甘すぎる! っつって自作すんのはいいんだけど、量がおかしんだよな。3分の1の甘さで5倍量作るってどういう計算してんだよっての」
「いやいや、でも美味しいですよ。俺、伊達巻苦手ですけどこれならたくさん食べられます」
「うはっ、やば! さくらんぼだ! 正月にしか見れないツヤツヤのクソ甘いさくらんぼ! 俺大好きなんだー食べていい?」
「「どうぞどうぞ」」

 由紀さんの家族の話を肴に、他家のお節という珍しい料理に舌鼓を打った。
 途中で大一が冷蔵庫から缶ビールを出してきたが、由紀さんは「自転車なんで」と断った。

「そういえば、大一と由紀さんってやけに親しげですよね」

 俺の記憶が正しければ、彼らがここで顔を合わせるのは2度目のはずだ。
 けれど、彼らの雰囲気にはおよそ初対面に近いよそよそしさがない。

「何度か話してるからな」
「このマンションの他の部屋に配達来た時とか、会うと必ず声掛けてくれるんだよ、大一くん」

 なるほど。
 必要無いと念押ししておいたのに、どうやら大一は前々から必要とあれば由紀さんも毒牙にかける気でいたらしい。
 それとなく睨むが、大一は素知らぬ顔でビールを飲んだ。
 俺も呑みたくなったが、客の由紀さんだけシラフにするわけにもいかないので我慢していると、ビールの缶を見る目線で由紀さんに悟られてしまったのか「このちゃんも呑んでいいよ?」と気遣われてしまう。

「いえ……原稿、詰まってるので」
「あ、そっか。実際どんな感じ? 背景真っ白とか?」
「…………」

 背景どころか、と苦笑で濁すも、大一が缶を置いて大げさにため息を吐いて由紀さんの視線を自分に誘導した。

「真っ白も真っ白だよ。なあ?」
「……」
「え、そんなに?」
「読んで字の如く、ってやつ」
「……え」
「……」
「……」
「……」
「……このちゃん」
「はい」
「下書きも終わってないの?」
「……」
「……」
「……」
「このちゃん」
「ネームも終わってません」

 大一の手前愛想笑いを浮かべていた由紀さんが段々と表情を厳しくしていくのから目を逸らし、俺は明後日の方を見ながら答えるしかない。
 ちくしょう、大一め。
 大一に恨む目を向けるとすぐに由紀さんに察知され、「大一くんは何も悪くないよな」と叱られてしまった。

「印刷所は?」
「諦めてキャンセルしてあります。コピー本にしようと思ったんですが……」
「いまだに後半が真っ白白スケ純白よ」

 驚きの白さ、と大一がビール缶を煽りながら言うのを苦々しく思いながら、嘘は言っていないし由紀さんの言う通り大一は何も悪くない。
 悪いのは俺だ。俺が全部悪いのだ。

「じゃ、ネームからやろっか。そろそろお腹いっぱいになったでしょ?」
「え……」
「前半出来てるってことはネタが無いわけでもないんだろうから、だったらてっとり早くどう畳むかから考えよう。出来てるところまで見せて」

 自責して勝手に拗ねていたら由紀さんはなんでもない顔をしてタブレットを寄越せと言ってきて、本当に手伝ってくれる気でいると分かり自分が情けなくなった。

「あの、すいません、なんとか頑張るので……由紀さんにそこまでご迷惑をお掛けするわけには……」

 さすがに申し訳がない、と遠慮するが、由紀さんはきゅっと眉間に皺を寄せて首を傾げた。

「迷惑じゃないって。俺、仕事余裕あるから年末年始休むつもりだったし」
「お休みはちゃんと休んだ方が……」
「俺が息抜きに絵描く人間だって知ってるだろ?」
「それはそうですが、俺のを手伝わせるのは違うかと……」
「別に何も違わないよ。このちゃんの作風は俺の漫画じゃ描かないような構図ばっかだから練習になるし」
「いや、でも……」
「なんでそんな遠慮すんの? 俺、彼氏じゃん。頼りなよ」

 由紀さんが好意で言ってくれているのは痛いほど分かる。
 が、だからこそ素直に頼む気にはならない。
 彼氏がどうのというなら、それこそ頼みたくないのだ。
 歪んだ性癖を架空の女性にぶつけるなんて大恥でしかない作業を、好きな人に理詰めで考察されて嬉しい人なぞいないだろう。
 どう言えば諦めてくれるだろうかと悩んでいると、大一が余計な茶々を入れてきた。

「そーだそーだ、頼るなら彼氏を頼れー! 俺にばっか迷惑かけんな~~!」
「……いや、お前にはいくら迷惑かけても1ミリも良心痛まないけど、由紀さんは別じゃん」
「はあ~ん!? 特別枠か俺は!」
「特別、特別。特別に迷惑かけ放題」
「なんでだよ!」

 いつものノリで大一とじゃれていたら、由紀さんが立ち上がった。
 トイレだろうか、と目で追って視線を上げると、目の前に拳が見えた。

「……っ!!」

 次に感じたのは痛みだった。
 頬、それから後頭部。
 そして首の後ろと肩と背中、右の肘も。
 殴られたのだと気付いたのは、顔の横に床があるのが見えてから。
 頬が急激に熱くなって、ジンジンと痛みだした。
 何度か瞬きしてから、視線を巡らせると目を丸くする大一と目が合った。
 もう少し動かしたら、由紀さんの足がこちらに向かって動いてくるのが見えた。
 大股で寄ってきた由紀さんはしゃがみ込むと俺の襟首を掴み、軽く持ち上げて「なにそれ?」と言う。

「な、……なに……? なにが」
「俺より大一くんのが特別なんだ?」
「そ、それは、だから」

 言い訳の途中でまた殴られた。
 襟を掴まれていると逃げ場がなく、さっきよりも痛みを鮮明に感じた。
 ミ゛ッ、と首のスジが伸び千切れかけたような嫌な音が聞こえた気がした。

「彼氏より特別なんだ?」

 自分が今暴力を受けているというのがまだ夢みたいで、何度も瞬きした。
 間近の由紀さんの顔はいつも通りにつまらなそうな無表情で、けれど俺を見る目は瞳孔の開きかけた真っ黒い瞳をしている。
 怒っているのだろうか。怒らせてしまったのか、俺が。
 ようやくそう気付いて、けれどその理由に思い当たらない。

「あ、あの……、め、迷惑を、掛けてもいいって、そういう意味で」
「俺もかけろ、って言ったんだけど。なんで俺より大一くんを優先すんの?」

 3発目もまともに受けて、至近距離から殴られるとほとんど効果音ないんだな、とズレた感想が浮かぶ。
 鼻の奥から何かが垂れてくる気がして鼻水だろうかと啜ったらツンと痛んで錆味が喉奥に流れていった。鼻血だったらしい。

「ちょ、待って待って。落ち着いて、由紀くん」

 ようやく大一が止めに入ってくれるが、由紀さんは俺を睨みつけたまま一切視線を揺らさない。

「落ち着いてます」
「いやぶん殴ってるし」
「手加減してます」
「加減してればいいって問題でもないからさ……」

 落ち着いて、と大一が俺の肩に手を置こうとして、由紀さんがぐるりと目だけ動かしてそこを見る。

「……っと。触ってないよ~。殴らないでね~」
「大一くんは賢明で助かります」

 すぐさま手を引っ込めた大一に由紀さんは黙礼するように長い瞬きをして、そしてまた俺に視線を戻した。



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