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神は絶対に手放さない
31、文化祭
しおりを挟むそして、文化祭当日になった。
登校して、今日は本部として使われる校長室横の小ホールへ入ると、すぐにリサとユミに手を引っ張られて部屋の隅の衝立の向こうで着替えるように指示された。
昨日のうちに差し入れのアイスと共に渡しておいた浴衣は、俺のサイズに直してくれたらしく紐を結ぶだけでいいらしい。
「これ、浴衣の下に着てね。肌着兼ねてるから中に半袖着てるならそっち脱いでから」
リサに渡されたのは、黒い浴衣の上半分だけ、みたいな見慣れない形の肌着だった。帯は外でユミが結んでくれるというので、言う通り衝立の中で制服から浴衣に着替えた。
衝立の外に出ると、ちょうど志摩宮と令慈がホールに入ってくるところだった。
二人が並んでいるのを見て、心が一瞬でチリッと焦れる。俺、嫉妬深い方だったらしい。
「だったら午後は……、おはようございます、静汰」
「おはよう静汰くん」
何か話していた途中らしいのに、俺を見て挨拶を優先させた志摩宮に、嫉妬の炎も即鎮火したが。令慈が俺を見て苦笑してるけど、何がおかしいのか。……令慈ってたまにああいうとこあるよな。
「せい」
「はーいストップー! これからメイクするから終わるまで志摩宮くんはあっち!」
「志摩宮くんと令慈はメイク簡単だから他の仕事してて!」
リサとユミに止められて、志摩宮があからさまに不快げに睨むのに、女子二人は平気そうに志摩宮たちを追いやろうとした。猫を追い払うような手の仕草が癪に障ったのか、志摩宮がリサの手首を掴んで顔を寄せて低い声で恫喝する。
「女だから手ぇ出さねぇって思ってんのか」
「……ちがう。静汰くんが嫌がるから、でしょ」
一瞬顔色を青くしたリサだったが、すぐに無理して笑顔を作って言い返した。度胸がすごい。
俺が口を挟む隙もなく、志摩宮はリサの返事を聞いて手を離した。
「分かってんならいい」
志摩宮は踵を返して、令慈と共にホールの受付机の方へ行ってしまった。その背中を見つめ、志摩宮が周囲から腫れ物扱いされている理由はこれだったか、とやっと思い当たった。
「ごめんな、怖かったろ」
「別に、春よりは怖くないよ。ね、ユミ」
「うん、春より全然。今だって殴る前に言ってくれたし」
「……そのレベルから?」
リサとユミは気を取り直して俺の帯の着付けをし始めたので、それとなく志摩宮について掘り下げて聞いてみることにした。
「あいつ、そんなに怖かったっけ」
「そりゃ静汰くんはいいよ、絶対服従だもん! 始業式から一週間後くらいだっけ、あのスギヤマが殴られたの」
「スギヤマって、生物のスギヤマ先生?」
「そー。今年は進路指導だからって頑張っちゃって、自分の教室に行かない志摩宮くんを引っ張って行こうとして」
「志摩宮くんが振り払った手でビンタみたいに引っ叩いちゃって、スギヤマ、錐揉み回転してたよね」
「してたしてた~」
思い出して語ってくれる二人は、何故か楽しそうにその場を再現するみたいに殴られたスギヤマが回転しながら倒れる様を真似してみせてくれた。
「あー、じゃあ、わざと殴ったとかではない感じだったっけ? 俺あんま覚えてなくて」
「はー? 今年の事なのに!? 静汰マジで物覚え悪過ぎじゃない? 若年性なんちゃらだよたぶん」
「若年性痴呆症?」
「そういうのいいから名前覚えろし」
ユミにツッコミを入れられて、くるりと回された。今度はリサが後ろから帯の形を整えてくれるらしい。保健室の椅子みたいな座面が丸くて背もたれのない椅子に座らされる。
ユミは俺の顔面にメイクを施そうと、メイクポーチ片手にしげしげと俺の顔を見つめてきた。
「うーん、本当に綺麗な顔してんね」
「ども」
「でも可愛いメイク似合わないね、たぶん。人形系かな。マットのこの色持ってないから艶肌系になるけど、まあなんとか頑張ろう。お姉に色々借りてきて良かった」
ぶつぶつと呟くユミに、先に「ごめん」と謝っておいた。
「ごめん? なにが?」
「俺、女装似合わないと思うから」
「そんなの見れば分かるよ。目閉じてて」
スッパリ言い切られて、むしろ安心して言われるがままに目を閉じた。
前髪がクリップで留められて、肌に何かクリームみたいなものが塗られる感触がある。目の上にも塗られたあと、眉を整えるハサミの音がした。そのまま眉周りから顔をカミソリでシャリシャリと剃られている感触がする。
「あの、明日から普通に学校あるんだけど、眉弄って平気?」
「このくらいで注意されてたら誰もメイクしないって! 綺麗に整えてんだから爪切るのと一緒よ」
「そうそう。てか、いっそ前髪も綺麗に切りたいけどいい?」
「もう任せるよ。好きにして」
俺が諦め半分期待半分でそう言うと、二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
「目閉じててってば」と叱られて、再び瞼を下ろす。女の子二人に囲まれた状態で何も見えないって、普通ならエロい事を妄想しそうだ。俺の頭は志摩宮でいっぱいだから、そんなことをする隙も無いのだけれど。
「てか静汰くん、女装した事あるんだ?」
「まあ、何度か。でも毎回『それは無い』『やめてくれ』って言われる」
「あー……それ、メイクする人、絶対可愛くしようとしたでしょ。静汰くん顔小さくて目が大きいから雰囲気で可愛く見えるけど、骨格男だし鼻が鷲鼻気味だから可愛くしようとすると完璧オカマになるよ」
その通りです。
今度は唇に何か塗られている。口紅の感触じゃないけどなんだろう。
「じゃあ可愛い系じゃなければ平気なの? っていうか、可愛いじゃないメイクって時点でよく分かんないんだけど」
「今日のコンセプトは『彼氏を女装させて自慢げに連れ回す男装彼女』」
「……ごめん、もっとよく分かんなくなった」
顔を柔らかいもので満遍なく拭われて、その後、また何かクリーム状のものが塗られていく。顔が塗り終わると、次は首もだ。
「ちょっと睫毛塗るよー」
今度は瞼に何か塗られた。少し重い。
「そういえばさぁ、話戻るけど。志摩宮くん、教師は殴っちゃダメなの分かってたみたいなんだよねぇ。だから割と焦ってたよね。ちゃんと『殴るつもりは無かったんですけど。すいません』って。謝ってるけどスギヤマ気絶してっから! って超ウケた」
「へぇ……」
「あ、でもそうやって手加減してたのは先生相手だけだよ。本人関係無いフリしてガン無視してたけど、志摩宮くんに殴られたって先輩結構いたみたいだし」
瞼が開いてたら遠い目をしていただろう。志摩宮、そりゃ遠巻きにされるよ。令慈、なんでお前志摩宮を顎で使えるんだよ。
「あ、でもね、自分から殴ったっていうのはないかな? なんか先輩達に絡まれて、っていうのばっかりみたいだよ」
「そーそー。だからほんとにそのままの意味で『触らぬ神に祟りなし』って言われてんの、志摩宮くん」
「……」
触らぬ神に、とは。そこまでぴたりと当てはまる諺も珍しい。
「そしたら、次腕と足も塗るからね。少しくすぐったいかもしれないけど我慢して」
「目ぇ閉じたまんまだからね!」
顔が終わったのか、今度は二人にそれぞれ腕を掴まれて肘から先と膝から下にもなにかを塗られていく。
「女の子って、腕まで何か塗ってんの?」
「普段はあんましないよー。ミニスカート履く時に足にハイライト塗るのはたまにするかな」
「私はしないなぁ。そこまでやるのめんどい」
「まー自己満だよねぇ。私、膝汚いから気になっちゃってさ。……よし、そしたら髪やろ。ちょっと整えてアイロンで伸ばそ」
俯き加減に頭を固定されて、前髪が切られるショキショキという音が聞こえてきた。その音が止むと、ふらふわのブラシで顔についた毛を払われた。
「あ、ちょっと落ちた。静汰くん、悪いんだけど顔痒くても掻かないでティッシュとかで押す感じにしてくれる? 色落ちすると目立つから」
「分かった」
また顔にクリームが塗られて、上からポンポンと入念に叩かれた。
髪が何度か引っ張られ、少し熱い。頭を弄り回されて、そしてまたハサミの音がした。
「よしっ」
「あーこれ、本当いい仕事したわうちら」
「もう目ぇ開けていい?」
「「ダメ」」
終わったらしいのに目を開けさせてもらえず、そのまま待たされる。
「志摩宮くーん」
次は志摩宮か。俺はまだリサかユミが片方ずつ担当するのだろうか、と待っていたら、衝立の中に入ってきた志摩宮の足音が俺の横で止まった。
「ど? ど?」
自信満々なリサの声に対し、沈黙が流れる。
志摩宮の沈黙は、おそらくは俺の女装に対しての感想そのもので。
……女子でも駄目だったか。
ガッカリして肩を落とした俺は、急に抱き締められてギョッとして目を開けた。
「な、おい」
「持って帰ります……」
「は?」
「持ち帰ります。俺の部屋に飾ります」
「怖い怖い怖い」
なに言ってんだ。というか、何をしてるんだ。俺に抱き着いて離れない志摩宮を引き剥がそうとするのに、腕で彼を押そうとしたらユミから「ダメッ!!」と鋭い声が掛かった。
「な、なんで」
「色落ちちゃう!」
色? と首を傾げて自分の腕を見下ろすと、そこには褐色の腕があった。確かに今年は日焼けしたが、ここまで黒くは無かった筈だ。志摩宮の肌よりは一段薄いが、日焼けにしても行き過ぎの色である。
塗られていたのは肌の色を変えるクリームだったらしい。白くするのはよく見るが、黒くするのもあるのか。
感心して自分の腕をそっと撫でてみる。指でそっと撫でるぶんにはそこまで色が落ちない。が、まだ着替えていない志摩宮の白シャツと擦れたら、色が移ってしまうだろうというのは容易に予測できた。
だから、志摩宮の方から離してもらう事にしたのだが。
「志摩宮、離して」
「嫌です」
俺が無理に剥がさないと知って志摩宮は更にぎゅうと抱き着いてきた。抱き着くっていうより、もう巻き付いてるって感じだ。
「いや~、こんなに喜んでもらえるとは」
「喜んでくれてるとこ悪いんだけど、志摩宮くんは静汰くんの対だから志摩宮くんも早く仮装しちゃおう」
俺に抱き着く志摩宮を見ても女子二人は当然みたいに流していて、今度は志摩宮の方の準備に取り掛かりたいようだ。
「対?」
「静汰くんは『男装の彼女』、志摩宮くんは『女装の彼氏』。だから静汰くんと志摩宮くん、二人で一組のコスプレなんだよ」
リサが言うと、志摩宮は俺から離れてリサの方へぐっと寄っていった。
まさか何か機嫌を損ねたか!? と慌てて止めようとするが、杞憂に終わる。
志摩宮はリサの手をとって、ぶんぶんと上下に振る。
「最高です。今度この化粧の仕方教えて下さい」
「……えっ」
「静汰が俺の嫁みたいに見えます。このまま式を挙げに行きたいくらいです」
「あ、ああ……うん……」
想像以上に馬鹿になっているらしい志摩宮の言動に、リサはついていけずに生返事だ。
「あのな、志摩宮」
「静汰、キスしていいですか」
志摩宮をどうにか落ち着かせようと声を掛けたら酷い暴投がきた。
「……」
ダメだこれは。
リサとユミに目配せして、先に衝立の向こうに行く事にした。
「静汰っ」
「志摩宮くん、メイクしようねー」
「静汰くんの女装彼氏として綺麗にしてあげるからねー」
後ろから聞こえてくるリサとユミの声が、心なしか保母さんとか介護職のそれに近い気がするが。とにかく俺は、先に衝立の向こうに逃げ延びた。
「あ、静汰く……静汰くん?」
「おう」
受付の机で予備のパンフレットを折っていた令慈が、衝立から出てきた俺を見て眉間に思いきり皺を寄せた。何故だ。志摩宮の反応的には、今回は大成功のはずだ。
「鏡ある?」
まだ自分で見てないから、というと、脇に置いていたスマホで写真を撮って俺に見せてくれた。思わずピースしてしまうのは日本人の性だろうか。
「女装……?」
自分の映った写真を見て、俺も首を傾げた。
肌は予想通り、浴衣から出た素肌は褐色に塗られている。明るい白緑の浴衣から浅黒い手足が伸びているのは、正直言って見慣れない。違和感がある。
しかし、これは志摩宮と二人で一つのコスプレなのだとリサは言っていた。元から褐色肌の志摩宮が文化祭で一人浮かないように考えてくれたのだろう。とても良いと思う。志摩宮に近付けたみたいで俺も嬉しい。
しかし、問題はそこではないのだ。
メイクが、どう見ても、男だ。細めのキリッとした眉に、大袈裟な二重のダブルライン。唇の色は肌色と同化したような褐色だ。よく見れば中心にオレンジが乗っている程度。
なんというか、宝塚の男役のような──と考えて、ようやくリサの言っていたコンセプトの意味に気付いた。
『男装した女子のコスプレ』なのだ、俺は。
「女子ウケ凄そうですね、静汰くん。頑張って」
写真をしげしげと眺めていると、令慈が苦笑と共に俺にもパンフレットの束と、それを入れる蓋のない紙箱を渡してきた。
「これも折ればいい?」
「折ると持ちにくくなるので、そのままがいいと思います。さっき志摩宮くんにも頼んだんですが、今日は午前中は志摩宮くんとリサさんと三人で門扉でお客さんのお出迎えしてもらっていいですか?」
「どこでもいいよ」
俺が安請け合いすると、令慈はあからさまにホッとした表情をした。面倒な仕事なのだろうか。
「助かります。パンフレットを持っていない方が来たら丁寧に訪問帳への記名と身分証の提示をお願いしてください」
これが訪問帳です、と今度は名前と電話番号を記入する枠の印刷された紙が挟まれたバインダーを渡された。
「身内には事前にパンフ配布してる筈だよな?」
「ええ。それでも、忘れただけと言い張って入ろうとする方が毎年居ますので」
「……そういう人って、もしかして暴れたりする?」
「暴れたりはあまりしませんが、叫ばれたり恫喝されたりはしますね」
だから、一度実行委員を経験した人は入口担当だけは嫌がるんですよ、と令慈は涼しい顔で付け加えた。
「なんでそんな皆嫌がるとこの担当が今日決まるの」
「決まったのは昨日ですよ。最後まで決まらなかったので多数決を採ったら、静汰くんと志摩宮くんなら大丈夫だろうと満場一致でした」
完全に嵌められてたじゃん。
遅れて行くという俺のチャットに反応したのがリサユミと令慈だけだったのも頷ける。勝手に決めて気まずかったのだろう。
「令慈って、意外と委員長向いてるよね」
「そうですか? ありがとうございます」
俺の言葉に嫌味が混じっているのを分かっていて、令慈は満面の笑みで答えた。
「ようこそ花月祭へ! パンフレットはお持ちですか?」
「いや、忘れてしまって」
「でしたらこちらに記名をお願いします。身分証の提示、もしくは携帯電話の番号の記載をお願いしておりますが、どちらになさいますか?」
「え? 去年まではそんなの無かっただろう?」
「近年の社会情勢変化に伴うテロ対策として、パンフレットをお持ちでない方全員にお願いしております。お手数お掛けしますが、参加生徒とそのご家族様の為の措置ですので、よろしくお願い致します」
丁寧に腰を折って頭を下げると、面倒そうにしたオジサンがショルダーバッグを漁って、くちゃくちゃになったパンフレットを出してきた。今年の色紙に表紙のイラストも今年のものだ。
「ご提示ありがとうございます! 途中退場の予定がある場合は、こちらでリボンを配布しておりますので、再入場の際にご提示下さい」
「はいはい、ご苦労さん」
面倒そうに門扉前の受付を通り過ぎたオジサンで、長く続いていた入場待ちの行列がやっと途絶えた。
門扉は二列に分かれていて、そこに立つリサがまずパンフレットを持っている客と持っていない客に列を分けて、持っていない客だけが俺の方に流れてきた。記帳をお願いし、聞き入れてもらえない場合は志摩宮がつまみ出す。十時に開場して三時間で、五人ほどにお帰り頂いていた。身分証を提示させられているのを見て列から抜けていく人も数人居たから、実際はもう少し多いだろう。
身内の居ない高校の文化祭に来るというだけなら変わった趣味だなと思うが、身分証を提示出来ないというのは、もう『後ろ暗いことを目的に来ました』と言っているようなものだろう。
開場してしばらくして、俺が男装とはいえ女子だと軽く見て恫喝してきた輩もいたが、志摩宮がすっ飛んできて門の外に投げていた。暴行だーだのと叫んでいたが、周りで見ていた客達もやはり俺を女の子だと思ったらしく、「あんな可愛い子を脅かすなんて恥ずかしくないのか」と非難轟々で、誰にも味方になってもらえなかった輩はすごすごと帰っていった。
それがあってからしばらくは、俺の方に並ぶ列の客達はとても俺に好意的だった。「高校生なのに接客が丁寧だな」「頑張ってね」と、面倒な筈の記帳もスムーズだった。
「お疲れ様です、林先輩」
「おー、やっと交代?」
「はい。リサさんと志摩宮さんも、お昼休憩一時間とっていいそうです」
午後の担当生徒たちが六人も来るのに訝しげにすると、リサが笑った。
「ほんとはねー、毎年各部署二人組でやるんだよ」
「は? なんで俺ら一人でやらされたの」
「だって静汰くんと組んだら志摩宮くんに殺されそうだし、志摩宮くんと組んだら殴られそうだし」
「どんな扱いなの俺ら……」
がっくり肩を落とした俺に、志摩宮が寄ってきて腕を絡ませてきた。
志摩宮は、一昨日と同じ踊り子衣装に銀髪ウィッグの女神コスだ。背中から尻まで殆ど布地が無く、露出が激し過ぎると教師に小言を言われたので、急遽白っぽい透ける素材の布をマントのように羽織っているが、それで更に女神感が増した。
その姿で不審な客を引っ掴んで容赦無く外に引き摺り出すので、志摩宮に逆らおうとする客は一人しか居なかった。
「静汰、ご飯行きましょう。お腹空きました。静汰の好きな物たくさん買いましょう」
「お前ね……」
マイペースが過ぎる志摩宮の言動に、しかしリサも他の委員たちも突っ込むそぶりすらない。……突っ込めないのだろう。誰も好き好んで殴られたくないもんな。うん。
クラスの友達と合流してお昼を食べるというリサと別れ、俺と志摩宮は文化祭を回る事にした。
「そういや、午後の担当聞いてなかったな」
令慈に聞いてみるか、とスマホを出そうとすると、志摩宮が横から俺のスマホをすいっと奪っていった。流れるような動作でそのまま自分の衣装の隠しポケットにしまってしまう。
「おい」
「午後は俺とペアで校内巡視です。南校舎の一階から三階まで見て一階に戻って、連絡通路から北校舎に行って一階二階、そこから本部に戻って、のルートを繰り返すらしいです。問題があれば即本部、もしくは各クラスの教師を呼んでから対応するように言われました。……何があっても殴らないで下さい、って令慈にめちゃくちゃしつこく言われたんですけど、俺最近そんな喧嘩して無いっスよねぇ」
受付と違って、中に入っているという事は確実に身元の割れている生徒の親族な訳だから、暴力沙汰は困るのだろう。それを志摩宮に直接言える令慈は、やっぱりすごい。
「朝リサを殴りかけてた」
「あれは脅しただけです」
「同じだ」
「……同じですか?」
殴ってないのに、としょげる志摩宮の手を繋いでやると、瞬時に背筋が伸びた。
「そういや、今日ずっと姿勢良いなお前」
いつもの猫背じゃないな、と背中を叩きそうになって、前に嫌がられたのを思い出してやめた。
言われた志摩宮は、腰あたりを撫でながら少しだけ顔を顰める。
「静汰の彼氏役だから、堂々と背を伸ばせって言われて……頑張ってますけど、腰と腹筋が死にそうです」
「……彼氏」
ぽ、と顔が熱くなる。
志摩宮が俺の彼氏役(ただし女装)というのもだし、俺の為に無理して背筋を伸ばしてくれているのも、嬉しい。
「でも、あんま無理するなよ。飯買ったらちょっと裏の方で休もうぜ」
去年はクラスの出し物の担当時間以外は寝ていたので、人けがなくて涼しい場所の目星はついている。午後の見回りまで、ゆっくり腰をおろして休憩するのがいいだろう。本部ではひっきりなしに人が来て落ち着かないし、寮は防犯の為に完全施錠されているから戻れないし。
「じゃあ、少しデートですね」
「……」
恥ずかしげもなく言う志摩宮と手を繫いで、食べ物の露店が固まっている北校舎の方へ行く。
焼きそばやお好み焼きなどの火器を使うクラスは、自分たちの教室ではなく南校舎の専門教室を使っている。席が無いので、体育館にブルーシートが敷かれていて客はそちらに移動して食べることになる。
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繫いだ手を軽く上げてみせ、志摩宮は真顔で言い切った。
さいですか。
結局二人で並ぶことになり、複数の露店に並んでいる時間は無いので焼きそばとタコ焼きの二種類をそれぞれ四パックずつ買って旧校舎裏に移動した。
本校舎裏には体育館に座れなかった人が居たが、旧校舎裏には数組の文化部らしきグループだけだった。文化部以外は旧校舎自体に近付かないので、そもそもこちらに来ようという発想が無いのだ。
「あ、林くん、志摩宮くん」
「文芸部の人~、こんちゃ」
こんにちはー、と輪唱が返ってきた。いつもこの人達は仲が良い。
ちょうどベランダは日陰になっていて、文化部の部室前のそこで皆でピクニックシートを敷いてお弁当を広げていた。
「あれ、弁当なの? 屋台で買わないんだ」
「人混み行くの嫌だから、今日はずっとここで過ごすんだよ~」
良かったら一緒にどう? と誘われたので志摩宮を窺うと、無言で頷いたのでシートの端に座らせてもらうことにした。
紙コップに淹れた冷茶を差し出され、礼を言って受け取る。志摩宮にコップを渡すと一息で飲みきっていたので、よほど喉が渇いていたのだろう。午前中ぶっ通しだったのだから当たり前か。俺も一口飲んだつもりが、気が付けば全部飲み干していた。
「てか、よく俺らだって分かったね」
志摩宮は女装姿だし、俺は男装女子のコスプレ姿だ。
お茶のお代わりを入れてくれた子が、半笑いで「それは……」と言葉を濁した。意味有りげな言い方をするので志摩宮が睨むと、慌てて他の子がフォローに入る。
「受付にすっごい美人が二人も居たってめちゃくちゃ話題になってたから、皆で見に行っただけだよ! そしたらほら、林くんと志摩宮くんだったから」
「私ら二人が並んでるの見るの大好きでね!? だから見間違う訳ないっていうか!!」
何故か急に焦り出した文芸部員達を宥め、志摩宮に焼きそばとタコ焼きのパックを渡して食べ始めた。さすがに二パックなら食べきれるだろう。
「文芸部は何も出し物無いの?」
「一応部誌は作ったけど、入り口に無人野菜売り方式で賽銭箱と一緒に置いてあるよ」
「へぇ。いつもお世話になってるし、一部買っていこうかな」
俺が文芸部員達と雑談しながらゆっくり食べていると、先に食べ終わった志摩宮が横から俺の膝を叩いてきた。
「ん。どした」
「少し寝たいので、膝貸して下さい」
「膝?」
貸すってどうやって、と答える前に、志摩宮の頭が俺の胡座の上に乗ってきた。俺の右足の太ももを枕にして、志摩宮は器用に長いウィッグを片方に集めてから寝転がって目を閉じる。
「俺まだ飯食ってんだけど」
「落とさないで下さいね」
「えー、気ぃ遣うなぁこれ」
まだタコ焼きが二パック残ってるんだけど、と肘を志摩宮に当てないように上げ気味で食べることになった。
「「「「…………」」」」
文芸部員達が無言で俺たちを見つめてくる。
「ごめん、狭いよな。志摩宮、さすがに寝るのは」
「あああ、そうじゃないの!」
「違うの! あ、あのね、えっと」
「う、ウィッグ! ウィッグ絡まないように結ってあげてもいいかな!?」
「マジで? ありがと、頼むよ」
絡みやすいウィッグを三つ編みにしてもらった志摩宮は、それでも尚、女神のようだ。いやもう女神そのものでいいんじゃないかな。こいつが女神だ。
見惚れていたら、薄目を開けた志摩宮と目が合った。薄く笑った志摩宮が、安心したみたいに口を微笑ませたまま、また目を閉じた。
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「ご、……ごめん、写真、いい……?」
食べ終わってお茶のお代わりをもらうと、文芸部員が拳を握りしめながら聞いてきた。そんな深刻そうな表情しなくても、写真くらい今までだって撮らせているはずなのに。
「し、志摩宮くんも」
「ああ、そういうことか」
志摩宮なら、勝手に撮っても怒らなそうだけれど、一応揺り起こして確認をとった。
「志摩宮、俺との写真撮っても良いかって」
「……良いっスよ」
瞼を擦りそうになっていた志摩宮の手を掴んで止めると、寝ぼけ眼の彼は浴衣の合わせを掴んで引っ張ってきた。着崩れたら戻せないからやめさせようとしたのに、彼の手の力が強くて、結局大人しく引っ張られる方が乱れないかとされるがままに前屈みになってやった。
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急に発狂してどうした。まさか悪いものでも憑いたんじゃないだろうなと霊視をオンにしてみるが、別段変わったところはない。数人の守護霊らしき人たちが、俺に向かって申し訳無さそうに頭を下げている。
「あの」
「は、林くん、そのまま目線こっちお願いします!」
「目線て……」
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「ああ……尊い……」
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しばらく文芸部員達のオモチャにされ、彼女らの言う通りにポーズをとったりさせられた。
そろそろ昼休憩の時間が終わるから、と言うと、それぞれがクラスの出し物の割引券を出してきた。
「こんなものしか無くて悪いんだけど……」
「いや、また昼寝の時にスペース貸してくれればそれでいいし」
「いつでも来て!」
満面の笑みとサムズアップに見送られ、身支度を整えた俺と志摩宮は校内の巡回パトロールを開始する事にした。
「まずは南校舎の一階からだっけ」
うちの校舎は分かりやすく、南校舎の一階に一年、二階に二年、三階に三年生の教室がある。連絡通路を挟んだ向かいの北校舎は専門教室棟で、理科室や美術室、音楽室はそっちだ。
北校舎の方で出店を出しているクラスは施錠される事になっていて、そこの鍵が閉まっているか、中に誰も居ないかを確認するのも俺たちの仕事らしい。その辺は令慈から聞いた志摩宮がちゃんと覚えていてくれた。三年生は文化祭に参加せず勉強している生徒も半分くらい居るらしいので、教師も常駐していて三階は通り過ぎるだけになりそうだ。
一階を見て回り、階段から二階に上がると、他の場所のざわめきとは違う喧騒が耳に入ってきた。
「ちょっと、あんなの聞いてないんだけど!?」
「本当に出たんだって! 本当に……っ」
「あの、だから、うちにはそんな役居なくてっ」
「じゃあなんだったの? なんか変な液体かけられたんだけど!! 最悪!」
「クリーニング代出してくれなきゃ納得出来ないよっ」
「液体を撒く役も居なくてですね!」
二階の角、三組の出し物はお化け屋敷のようだ。その出口の前で、客らしい私服の女の人のグループが二組、生徒に向かって文句を言っているらしかった。
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