高尚とサプリ

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「……壱衣も入って下さい」

 アパート前に着くと俺と壱衣、玲さんだけが降りて、運転主の男はまたそこで待機するようだった。
 部屋の前のドアまで来ると壱衣は当然みたいな顔で立ち止まって俺の手を離してそこで待とうとしていて、だから服の裾を掴んで引っ張った。

「いいの?」

 壱衣は無表情に玲さんを見てから首を傾げて、「嫌なら別に無理しなくていいんだよ」と見慣れた薄ら笑いを作る。

「良くなかったら言いません」

 そう返事をすると壱衣は一瞬目を丸くしてから破顔して、わしゃわしゃと乱暴に俺の頭を撫で回してきた。

「それ僕の真似? 可愛いなぁ、もう」
「……」

 今の壱衣に効果音を付けるなら『にっこにこ』だ。いつもと違う様子に戸惑うけれど、ここまであからさまに上機嫌だと悪い気もしない。
 あとはこれから聞く話を聞いて俺を軽蔑しないでくれたらいいんだけど、と一抹の不安を抱えつつ、玄関の鍵を開けて二人を部屋の中へ招き入れた。

「わー、動画で見た通り綺麗にしてるねぇ」

 さっさと靴を脱いで室内に入った玲さんは勝手に部屋の電気を点けると、モデルルームみたい、と言いながら遠慮なくスマホのカメラで室内を撮り出した。
 その様子を見て壱衣が首を傾げ、しかし俺はそれになにも答えられない。

「……動画って?」
「なっちゃん、あとお尻の写真」

 一通り撮った玲さんは玄関横の小さな台所で立ったままの俺の所へ戻ってくると、「ちょい失礼すんね」と言ってからぐいと下着ごとズボンの尻側を引き下ろした。細身のスキニーだったからベルトしなくていいかと思ったのが仇となって、腰骨で止まらず不格好に股間が露わにされて大慌てで前の方を隠す。

「ちょ、玲さんっ!」
「んーっと……、あ、コレか」

 しゃがんだ玲さんは俺の尻たぶを指先でつつくとまたカシャリとシャッターを切った。
 やはりまだ消えていなかったか、と唇を噛むと、壱衣が俺と玲さんの間に割り入ってきて俺のズボンを引き上げた。

「さっきから、何をしてるんだ? これ、一体どんな意味があるの?」

 壱衣は俺と玲さんを交互に見て眉間に深い皺を寄せる。彼の疑問はもっともで、だけれどどう説明したものかと唇をもごもごと曖昧に動かした。

「言いたくないって言ってんだから聞いてやんなよ。余裕の無ぇ男は嫌われんぞ?」

 スマホで撮った写真を確認しながら玲さんがそう壱衣を揶揄って、壱衣が小さく舌打ちする。

「……終わり? あとは何をするの」
「まあこれで終わりでもいいんだけど、なっちゃんが頑張れるんならもう少しあるといいかな」

 写真を撮るだけという話だったのに、玲さんは追加で何かして欲しそうな雰囲気を出してきて警戒心露わに睨んだ。彼は肩を竦めて軽く微笑みを浮かべながら居間の方へ行くと、そこへどっかと座り込んだ。

「これ」

 玲さんがスラックスのポケットから出した黒い物体に息を呑んで反射的に後退ると、壱衣にぶつかった。触れた先の壱衣の腕に思わず縋り付いて、あの晩の痛みを思い出してぎゅっと目を瞑る。

「違うよ、なっちゃん。これただのボイスレコーダー」
「……レコーダー?」
「うん。ごめん、無神経だったね」

 申し訳無さそうな玲さんの声にゆるゆると瞼を開くと、彼は黒くて四角いプラスチック製のそれをちゃぶ台の上に置いた。
 どうやら藍沢に使われたようなスタンガンでは無かったらしく、早とちりだと知って壱衣の腕を掴んでいたのを離そうとすると握ってていいよとでもいうように壱衣の手が俺の手の甲を撫でた。

「三つだけ聞かせて。それが終わったらお金渡すから」
「……金?」

 壱衣が聞き咎めて玲さんを睨むのを首を振って押し留めて、彼を伴って居間へ入ってちゃぶ台を挟んで玲さんの対面に腰を下ろす。

「三つでいいんですね」
「うん」

 返事をした玲さんはレコーダーの●と描いてあるボタンに指を乗せて、それから壱衣に視線を移した。

「なっちゃんに何度も嫌な話させたくねぇから、良いって言うまでオッサンは喋んないでくれよ」

 言われた壱衣は眉間に寄せた皺をもっと深くしながらも俺を見て黙って頷いて、それで玲さんは録音開始のボタンを押した。

「藍沢拓也との関係は?」

 真っ先に聞かれたのはそれで、隣に壱衣が居て言い辛いけれど彼の腕を握ってその体温で心を落ち着けて、静かに一度深呼吸してから答える。

「元彼です」
「付き合ってたんだね」

 玲さんは俺の返事に次の言葉を被せるようにしてきて、性急な様子に訝しむけれどどうやら表情を見るに彼自身もあまり聞きたくないという様子が見てとれた。やっぱり悪い人では無さそうだ、とホッとして、だけどヤクザなんだよな、と微妙な気持ちになる。

「そうです」
「あの夜はなんでああいう事になった? 喧嘩でもした?」
「ちゃんと別れ話をしたいっていうので家に上げました」
「別れ話?」
「一ヶ月くらい連絡取れなくなって、それなのに誕生日に急にバイト先に来て……」
「え、待って。あの日誕生日だったの?」

 驚いたような玲さんの言葉に頷いて、それから録音しているんだったらちゃんと言葉で答えないと記録の意味が無いかと「はい」と答えた。

「誕生日に強姦されて、それからすぐ錘に来たの?」
「……いえ」

 強姦、の単語が出た瞬間に隣の壱衣の身体が僅かに震えた。動揺しているみたいに俺の手を撫でて、俺の方を見ているのを横目に入れつつ視線を合わせられなくて俯くしかない。

「玲さんと錘で会ったのは次の日です。ヤられてからどうしたらいいか分かんなくてとりあえず寝て、で起きたらまたあいつが来て、またスタンガン当てられてやっぱり中出ししないととか意味分かんない事言ってまた身体が動かなくなって」
「ストップストップ。いい、思い出さなくていいから。纏めるよ。『藍沢拓也は元カレ』。『誕生日に強姦された』。……で、『翌日も来て二度目の強姦をした』?」
「はい」

 俺が頷くと玲さんは顔を歪めて「予想以上にヒデェな」と呟いてからレコーダーの停止ボタンを押した。

「……質問、三つじゃないんですか?」

 二つしかされていないけど、と首を傾げると玲さんは緩く首を横に振ってため息を吐いた。

「いい、十分」

 スーツの上着の、今度は腹の辺りに手を突っ込んでごそごそと動かした玲さんは分厚い封筒を取り出してきて、手ぶらに見えて色んな物が出てくるなぁ、と驚く。

「これ、情報料ね。さっさとこんなとこ引越して、全部忘れちゃいな」
「そうしたいのはやまやまなんですけど、親が借りてる所なんで俺がどうこうは出来ないんですよ」

 ちゃぶ台に置かれた茶封筒の中身はおそらく札束なんだろう。見た事の無い厚みに臆して手を出せないでいると、壱衣が急に生き返ったみたいに俺の手を握った。

「棗」
「はい」

 男に強姦された男なんて汚くて嫌だとか、そういう事を言う人じゃないだろう。けど、変に慰めの言葉を吐かれるのも居心地が悪い。スルーしてくれないかな、と膝に目線を落としたまま返事をすると、壱衣は何か言おうとして、けれど躊躇うような息が何度か聞こえた後に俺の頭を胸の中に抱え込んだ。
 何も言わず、ただゆっくり掌に後頭部を撫でられて、ああやっぱり壱衣は最高に優しい、と胸を撫で下ろす。
 いつも、欲しいものをくれる。そりゃモテるよなぁ、と久々の温かい掌の感触を堪能しながら、そのモテ男が自分に惚れているなんて何の冗談だろう、とも思ってしまう。
 彼の背中に腕を回して遠慮がちにそこを撫でると、つむじに唇を落とされた感触がした。

「はーい、ラブラブな雰囲気のとこ壊すみたいで悪いんだけど。なっちゃんの本命、動画のデータに関しての話はまだだよ?」

 ……は?
 思わず頭を上げると思いきり壱衣の顎とぶつかって、痛みに呻きながら信じられない思いで玲さんを見る。
 まさか、ここまできて玲さんが悪い人だった、というのは予想外過ぎる。
 嘘だろ、と見つめると彼はニヤァッと口角を上げて、片手の指を丸に、もう片手の人差し指をその丸の中に突っ込んだ。

「俺をなっちゃんの『初めての男』にしてくれたら、動画のデータも消したげる」
「はい?」

 言われた意味が分からなすぎて呆気に取られると、先んじて壱衣が「どういう意味?」と低い声で玲さんに訊いた。

「俺は強姦なんて犬に噛まれたようなもんだろって思っちゃうんだけどさー、当人はやっぱそうじゃないっしょ? だから、俺と『初めて』をやり直そ?」
「……?」
「俺とのセックスが初めてのセックス、って記憶をなっちゃんに上書きしてあげたいの」

 重ねて説明されても意味が分からず、顔を顰めて首を傾げると玲さんは俺から壱衣の方に視線を移した。

「ついでにあんたも混ざれよ。強姦なんかより好きな人混ぜた3Pの方が絶対印象強いだろ。初体験イコール俺らとのセックスを思い出せるようにすれば、なっちゃんは嫌な事思い出さなくて済むし、あんたも俺もなっちゃんの初めての男になれる。悪い話じゃないだろ?」
「……」

 待って待って。さ、3P? え? 何言ってんの?
 俺がついて行けずに狼狽えるのに、壱衣は玲さんの言葉を聞いて口元に手を当てて考えるような素振りを見せている。

「……僕が『先』でいいのかな」
「ん、いーよいーよ、数分違いなんて俺気にしなーい」
「それなら……」
「いやいや何言ってんですか」

 まさか壱衣がそんな馬鹿げた提案を飲む訳無いと思って笑い飛ばしてしまおうと思ったのに、彼は俺の頭を撫でてにっこりとお手本みたいな笑顔を作った。
「悪い話じゃないよね」
「は……」

 あんぐり口を開けて硬直する俺から視線を移した壱衣はぐるりと部屋を見回して、「ここでするの?」と小首を傾げた。
 それに応えるように玲さんも部屋の隅の畳まれた布団を見て顎髭を撫で、「狭ぇし音も気になるねぇ」と笑みを返した。

「じゃあ僕の家に行こうか」
「俺んとこの店でもいいけど?」
「どこにカメラが仕込まれてるか分からない所は嫌だな」
「オッサン意外と独占欲強い系かよ。なっちゃんこれから大変そ~」
「普通の感覚だと思うけどね」
「普通の奴は3P了承しねーから」

 最初に立ち上がったのはやはり玲さんで、彼が玄関へ歩いて行くのを追い掛けるように壱衣も俺の腕を引いて立ち上がった。行くよとばかりに引き摺られていって、ブンブンと首を振って壱衣の腕を叩く。

「ちょっ、やだ、やですっ! 壱衣、俺そんなのっ」
「棗。もう遅い時間なんだから騒いだらご近所迷惑だよ」

 嗜めるみたいに静かな声で壱衣に叱られて、一瞬黙るけれどやっぱり抵抗しない訳にいかないだろうとバシバシ壱衣の手の甲を叩いた。

「棗。優しくするから」
「いやいやいや、そういう問題じゃないですし!」
「……あー、うっさいな。オッサン、なっちゃんちょっと静かにさせて。先に『イチャイチャ』していいから」
「は? あの、っ!」

 俺が玄関先で靴を履くのを拒否して暴れていると玲さんが面倒くさそうに言って、それを聞いた壱衣がいきなりキスしてきた。
 目を白黒させて逃げようとするのに首の後ろと腰に片手ずつ回ってきて抱き寄せられる。唇の隙間から舌を捻じ込まれて、歯の先を舐めてから中に潜り込んでくる。

「ん……っ、ぅ」
「棗。飲んで」

 べろりと舌の表面を舐められたと思ったらそこに唾液を垂らされて、俺の後頭部の髪を掴んだ壱衣はそこをぐっと軽く引いて上向かせた。彼の視線は俺の口の中、舌の上に乗った彼の唾液に向いている。
 唇を薄く開いたまま喉を締めて嚥下すると、壱衣の目が満足そうに弧を描く。その表情に背中にゾクゾクとしたものが駆け抜けて、こんな事で喜んでもらえるなら、と舌を出して次を強請った。
 壱衣はちゅう、と俺の下唇を甘噛みして舐めて湿らせてからほんの少しだけ唾液を移してきた。
 生温くて、少し甘い。軽く触れ合っただけだと垂れてしまいそうで俺から吸い付くと壱衣がふふっと笑って、それから腰に回した手で背中を撫でる。

「もっと欲しいなら、僕の家に行こうね」
「…………」

 大人、ずるい。
 たったそれだけのキスで俺の身体をほんのり火照らせた当の本人は涼しい顔で薄ら笑いを浮かべ、俺の腰の後ろを押して靴を履くよう促してきた。
 気付けば玲さんの姿はもうそこに無く、アパート前で待っている車が早くしろとでも言いたげに二回パッシングしてきた。

「壱衣は、嫌じゃないんですか。……いや、嫌じゃないから玲さんの提案に乗るんだろうけど」

 どんな理由があったって、好きな人と他の人を交えてセックスするなんて俺からしたら冗談じゃないのだけど。
 嫌悪感というか、拒否して当然だと思うのに、やっぱりSMとかする人は感覚が違うのかな、と窺うと彼は怒った時みたいに目を丸くして口角だけを上げた。

「嫌だよ。こんな事するのはこれっきり。……悔しいけど、僕だけじゃきっと君に気を遣って優しくて無難なセックスしか出来ない。あの人は紫に聞いた限りかなり男を抱くのに慣れてるみたいだし、僕も君が嫌がらないなら遠慮なく責められる。どんな記憶だか知らないけど、全部僕で上書きしてあげるから安心して」

 ね、と目を細めて微笑まれて、違う意味で怖くて逃げ出したくなった。


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