もっと僕を見て

wannai

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 スマホを握りしめて、「キンコン」という音を待っていた。
 バイトが残業になって行けなくなったとか、具合が悪いから今日はやめにしよう、とか。見え透いた嘘でもなんでもいいから、この場から立ち去っていい、逃げ帰っていい理由が欲しかった。
 約束の時間からはもう三十分以上経っている。馬鹿正直に約束の時間の三分前に着いた僕は、小雨の中、三十三分待ちぼうけしていた。
 鳴らないスマホの画面を点灯させ、意味もなく更新されないメッセージ画面を見つめた。『着いたよ』という自分の文字を最後に、相手からの返信は無い。
 駅の案内板の前は、構内からは出ているけれど雨はこちらまで降ってこない。濃い紫のカーディガンの袖の中に手を引っ込め、肌寒さに身震いした。ロンTにカーディガンを羽織っただけの格好は、十一月も半ばには少し軽装だったかもしれない。すぐにホテルへ移動する予定だったから……と考えて、とうとう我慢していた溜め息を吐き出した。
 出会い系で知り合って、会う筈だった相手にすっぽかされた。
 簡単に言えばそれだけのことだ。よく聞く話。大学の割と軽めの知り合いが、「ブスだったからなんも言わず速攻帰った」とか「飯だけ食ってサヨナラした」とか、会ったはいいが好みでなかった相手をそう言って話の種に馬鹿にするのを聞き流した覚えがある。
 僕ならそんな事は無いだろう、と嫌気がさしている筈の自分の容姿に、それでも漫然と自信を持っていたのが自覚されて恥ずかしくなった。
 灰色の空を見上げて二度目の溜め息を吐くと、少し前からこちらを窺っていた女の子の二人組がオドオドしながら近付いてきた。

「あの~……、もしかして、これから暇だったりしませんか?」

 黒髪ロングの清楚そうな女の子達は、恥ずかしそうに上目遣いで僕を見つめてくる。
 白いブラウスに膝下丈のレースのフレアスカート。流行りのボアカーデに黒いタイツ。色味は少し違うようだが、いわゆる双子コーデというやつなのだろうか。露出も少なく、化粧も派手ではない。声の掛け方も慣れてない風を装っていて、普通の男ならホイホイついていくのかもしれない。

「ごめん、ママが迎えに来てくれるのを待ってるから」
「えっ……。そう、ですか」

 僕がそう断ると、女の子たちは一瞬面食らったような顔をした後、足早に駅の中へ駆けていった。「ママ」「ママだって」とクスクス笑っているのが聞こえる。
 ほら、やっぱり性悪だった。
 俺は、美形だ。割と綺麗な顔の父母に恵まれたおかげで、その遺伝子を受け継いで綺麗な顔で生まれ育ってきた。女の子どころか男だって俺に邪な思いを持ったりする。
 自分が美形扱いされるのに慣れてるから、美形を狩ろうとする奴らのあしらいにも慣れているわけだ。肉食獣のああいう奴らは、気弱でも俺様でも構わず食おうとする。が、こと『マザコン』だけは食わない。だから声を掛けられたらとりあえず「ママが」と口にすることにしていた。前にそう言って断っているのを母さんに目撃されて、爆笑されたのを思い出す。
 顔には自信があった。
 顔にしか自信が無いわけじゃないけれど、僕を評価する誰かはいつだって僕の顔を評価対象に入れるから。努力量なんかより、顔が綺麗な方がずっと有利だ。プロを目指して公募に出したりSNSにあげたりしている写真でだって、結局風景より僕の顔の方が評価されたりする。
 なのに、今日はその顔すら否定されてしまった。
 僕の顔なら、男でも大丈夫だと思ったんだけどなぁ。
 ミストシャワーのように降り続ける雨空をぼぅっと見上げ、次に会う約束をする人には事前に男だと言おうと考えた。
 スマホをつけると、もう約束の時間から五十分が経っていた。いつまで待っていても、来ないものは来ない。
 家に帰って温かい風呂に入ろう。冷えてしまった指を擦り合わせ、ようやく諦めてスマホをポケットにしまい、その場から動こうとした時だった。

 キンコン

 新着メッセージを伝える音に、心臓が早鐘を打った。
 いや、期待してはいけない。もしかしたら、帰ってしまってから罪悪感が湧いての謝罪の言葉かもしれない。いや、それでもいい。ごめんねと一言謝ってもらえれば、少なくとも風呂の中で泣く事は無くなるだろうから。 
 はやる気持ちを落ち着けながら、スマホを出してメッセージを見た。
 差出人は『胡椒コショウ』。今日会う予定だった人だ。同い年で、住んでいる所も近い、大学生。男。そして、経験豊富なサド。
 彼とは、SMの出会い系の掲示板で繋がった。サドの人を募集する掲示板に書き込んでいた僕の連絡先に、『募集の仕方が危ない』と注意してくれたのが始まりだ。
 僕は別にマゾじゃない。昔から男女構わず告白されたりするせいで性別に囚われない方だとは思うけど、誰かを好きになったり、性的な事に溺れた事がそもそも無い。
 僕が熱心になれるのは、風景や動物や植物、それを写真におさめる事だけ。それを放ったらかしてでも好きになれる人なんて今までいなかったし、それでもいいと思っていた。好きになれる人が現れるまで、写真にだけ熱中していればいいと。
 なのに、そんな僕を、僕の写真を、「情熱の無いツマラナイ写真」と馬鹿にされたのだ。
 同じ大学で、僕と同じように写真家を目指しているアイツは、前から知っていた訳じゃなかった。そもそもアイツは人を撮るのが専門らしくて、グラビアとかコスプレイヤーの写真集なんかの撮影をしてるって聞いていた。撮る対象が違うから公募展なんかでも会ったことは無いし、講義も被っていないから今後話す機会もそうそう無かった筈だ。目立つ長身と髭面だから、同じ大学の学生だと知っていただけ。
 ショッピングモール主宰の地元の風景展で最優秀賞を撮って飾られているのを見にそのモールへ行ったら、アイツとその友人達が話しているのを聞いてしまったのだ。
 僕の写真を眺め、肩を竦めて「なんにも感じない」と。

「好きだって情熱を感じない。こいつ、なんとなーく綺麗だなー、とかイイなー、くらいで撮ってるよ。薄っぺらい写真」

 アイツはそう言って、佳作に入っていた、構図も何も無いただ猫が寝ているスマホで撮ったらしい写真を指して「こっちの方が、猫を可愛く撮るぞ! って愛が見えるだろ」と友人に熱弁していた。

「絶対童貞だぜこいつ。危険な恋も、アブノーマルなセックスもなんも知らないまま、お綺麗な風景だけ撮って紅茶飲みながらSNSでイイネもらって喜んでる奴だって」

 それを聞いていた時、僕の頭にあったのは、今まで感じたことのない怒りだった。何も知らない癖に。風景写真の難しさも、誰も好きになれない寂しさも知らない癖に。
 踵を返してその場から逃げ帰って、そしてネットで出会い系サイトを見つけた。誰でもいい、知り合いではなくて、後腐れなければ。出会い系で童貞喪失なら、とりあえずの『普通』ではない。
 そうして相手を募集して、翌朝になって怖くなった頃に、胡椒さんからメッセージが入ったのだ。募集するならメールアドレスは捨て垢じゃないと駄目だとか、生活圏を書くなとか、色々教えてくれた。流れでまだ未体験だとか色々喋ったら、だったら俺が最初になってやろうかと誘ってくれたのだ。
 文面から優しそうな人だと思ったし、何より見ず知らずの僕を心配してアドバイスしてくれるような人なら怖い目には遭わないだろうと思った。彼の話では、今は二人ほど奴隷を飼ってるって言っていた。飼ってるって言っても、本当に家に置いてるわけじゃないぞ、なんて冗談を交えつつ、ド素人の僕にSMについて教えてくれて、SMが怖いなら普通のセックスにするから、という押しに負けてしまった。
 その時点で僕が男だというのを打ち明けていれば良かったのかもしれない。
 男にも好かれるこの顔なら大丈夫だろうとタカを括っていたから、もしかしたら怒りのメッセージかもしれない。
 心の準備をしつつ、メッセージを開けた。
 文面は短く、

『後悔しないか?』

 とだけ書かれていた。
 ざわ、と皮膚の下で血が沸くのを感じた。
 来ている。待ち続ける俺を、どこかで見ているのだ。
 周囲を見回すが、辺りには迎えを待っているらしい学生やバス待ちの老人しか見当たらない。
 駅の中だろうか、と後ろを振り向くと、見知った顔が出てくるのが見えて思わず眉間に皺が寄った。
 アイツだ。僕の写真をボロクソに言った男──潮島しおじま
 百八十ちょっとくらいありそうな長身に、山賊を連想させる濃い顎髭。なのに顔つきは甘くて優しげだから、一部の女にやたらモテるらしい。あのモールでの発言を聞いていなければ、彼に悪い感情を抱くこともなかった。同じ大学の背の高い顔の良い熊、そんな認識だったのに。
 目が合わないよう、スマホに目を落として歩いてくる彼の横を通り過ぎようとした。彼と直接話した事はない。彼も僕の顔くらいは見知っているかもしれないが、話しかけてくる事は無いだろう。
 僕が勝手に嫌っているだけだ。
 すれ違おうとした腕を掴まれて、驚きに一瞬口から言葉が出てこなかった。

「……っ、な、なん、ですか」
「帰るの? 『モルフォ』ちゃん」

 彼から出てきたのが僕の偽名だと気付くのに、数秒かかった。

「え、……え、はっ!?」

 潮島が『胡椒』さんだと察するのにもう数秒かかって、その間に潮島は俺の腕を離して歩き出していた。

「来るならおいで」

 にこ、と優しく微笑まれ、彼が僕を知らないのだと気付いた。
 あれだけボロクソに言っていたのに、その写真の撮影者には興味無しかよ。腹の中で黒いものが渦いたが、それならそれで行為には関係ないだろうとも思った。
 彼のいう『情熱』がセックスにも表れるというなら、それを吸収してもっと良い写真を撮ってやる。そう決めて、こちらを振り向きもしない潮島の後ろを追って駆けた。

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