狡猾な狼は微笑みに牙を隠す

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 翌日、俺は言われた通りに彼が予約した店舗前に並んでいた。
 開店と同時に、ソフト購入権が当たった番号が貼り出されるらしい。転売屋はこの場で当たり番号を他のハズレた人に売るらしく、現地転売ヤーはネット転売ヤーより良心的な値段で売ってくれるから、なんて矢造が言っていた。そもそも転売屋が嫌いな俺は気が重い。
 朝の六時から並んで、今やっと九時だ。俺の位置からは店舗の入り口が見えるけれど、店舗前のスペースで四重に折り曲げられた列の最後尾は、今はもう店舗の外周をぐるりと廻って戻ってきていた。
 ダウンロード販売もあるのだけれど、おそらくはサーバーが混み合ってソフトをダウンロードするまでに二日くらいかかるから、と矢造に却下された。
 どうしても発売日にプレイしたいらしく、今日も既に何通か並んでいるかどうか確認するメッセージが届いている。
 まだ酒が残っているのか、怠い頭を振ってスマホに目を落とした。
 ネットでは、昼からのサービス開始を待ち切れない人たちが先行公開されていたキャラクリエイトソフトでネタキャラを作って遊び出していた。
 『いつぱ』はアニメ感が強く、瞳の中をキラキラさせたりハートを埋め込んだり、あとは『ぱらどり』では出来なかった腰まで届く爆乳なんかも作れるらしい。
 体型の全ての数値をMAXに振り切った溶けかけの肉塊みたいなアバターを見て、さすがにこれは抱けないかな、なんて苦笑する。
 俺のアバターは矢造がとっくに作り終えていたとかで、儚げな美青年に仕上がったアバターのスクリーンショットが今も追加で矢造からメッセージで送られてきていた。

『あとはチンチンの大きさだけが悩み所なんだよねー。久斗くんってどれくらい? このアバターより大きい? 小さい?』
「……」

 仕事では頼れる上司なのに、どうしてゲームとなるとセクハラ親父になってしまうのだろう。
 普通サイズのそれをチラリと確認して、『それくらいです』と返した。

『ほんとに? 違ったら怒るよ?』

 どうして。怒り所が分からない。『これだけ可愛い外見なら、小さい方が良いんじゃないですか』と返すと、即座に『分かってないなー』と返ってきて、イラッとしてスマホの画面を消した。
 続け様に何度も着信を知らせるスマホをポケットに仕舞って、ぼんやり待つ。
 しばらくすると出入り口の自動ドアが中から手動で開かれて、複数の店員が壁に番号の書かれた紙を掲示し始めた。

「……おお」

 スマホを出して確認して、『8756』が書かれているのを見て驚いた。並んではいたけれど、転売屋から買うものとばかり思っていたのに。

「当選された方はこちらにお並び下さーい! 予約番号の確認の後、商品引換券をお渡ししますので店舗の中の専用レジでお会計をお願い致しまーす!」

 当選番号を確認しようと動き出した大量の待機列から抜け出して、声を張る店員に声を掛けて引換券を受け取った。
 店の中には『いつぱ』の会計専用のレジが隔離されていて、そこではもう公式サイトからの事前予約組が列を作っていた。

「あ」
「うっそ、岩瀬じゃん。久しぶり」

 見知った顔があるな、と視線が寄って、それが大学のサークルの先輩だったと気付いた。俺にVR機器を売ってくれた、野里だ。

「お久しぶりです、先輩」
「お前、抽選当たったの?」
「先輩は事前予約ですか」
「当ったり前よ。なんせこれの為にハード周り全部買い直したからな」

 事前予約で手に入るのが確定しているからか、野里は列を抜けて俺の後ろに並び直してきた。上下スウェット姿の野里は、さっき起きて自転車で来たばかりだという。

「俺、予約忘れてたんで六時から並んでました」
「六時からで当たったならすげーラッキーじゃん。SNSで、先頭は昨日の夜中から並んでるって書いてあったぜ」

 どんなに早く並んでも結局抽選なのにな、と言う野里に同意しつつ、「彼女はいいんですか?」と聞くと肘鉄を喰らった。

「ここに並んでる時点で察しろ。てか、察してわざと言ったろお前」
「あは、バレた」
「いいけどよ。なぁ岩瀬、フレンドなろうぜ」
「え」
「乱交ん時呼ぶし。お前、のんびりしてっからどんなセックスすんのかちょー気になる」
「……普通ですよ」

 メッセージアプリのIDを交換して、心の中でどうしようかと焦る。サブアバターだけストレートサーバーに入るとか出来るのかな。野里と別れたらすぐに検索してみよう、と思っていたら、レジが自分の番になった。
 引換券を出し、会計を済ませて物を受け取って、少し離れた所で次の野里が会計してくるのを待つ。

「岩瀬ってどこ住みだっけ?」
「鶴ヶ島です。ここから三駅くらい」
「あー、じゃあインして自分のID分かったらメッセして。アバターは作ってあるんだろ?」
「いや、まずそこから」
「マジか」
「というか、今日は無理かも。先約あって……」
「おっけー。じゃあ暇んなったらで」

 アッサリ引いてくれた野里は、じゃあなー、と自転車に乗って去っていった。
 帰りの電車に乗ってから、矢造に『買えました』と報告すると、待っていたみたいにすぐ返事がくる。『えらい』とだけ書かれたそれに、なんか偉そう、とやはり反抗心が湧き上がってくる。
 あとは、帰宅して十二時のサービス開始までにヘッドギアの設定を終わらせるだけだ。
 途中でスーパーに寄って数日分の食料を買って、それからアパートに帰った。カン、カン、と高く鳴く錆びた鉄階段を登ると、俺の部屋の前に人影があるのに気が付いた。

「やあ」
「……なんで居るんですか」

 長袖Tシャツに年季の入った色の緩いデニム姿で俺の家の前で待っていた矢造は、軽く手を上げてから玄関ドアをコンコンと叩いた。

「ヘッドギアの設定とかしてあげようと思ってね。昼前には帰りたいから早く開けて」
「自分で出来ますけど」
「俺はもう終わらせてるんだよ。一回一通り全部終わった俺と初めてやる君、どっちが早いと思う?」

 結局俺の言う言葉を聞くつもりは無いんだな。
 段々この横暴さにも慣れてきた。鍵を開けてドアを開くと、俺の後ろから矢造も入ってきた。

「お邪魔しまーす」
「設定終わったらすぐ帰って下さいよ」

 1Kの賃貸アパートは大学の頃から住んでいて、四年以上も住んでいればそれなりに生活感がある。ハッキリ言えばあまり片付いていないのだけど、買い置きのペットボトルが詰まった段ボールが積み重なる狭い台所を抜けて襖を開けて、矢造は勝手に俺のベッドに座って横の戸棚の上からヘッドギアを手に取った。

「認証するからスマホ貸して」

 俺が無言でスマホを投げたのを危なげなく受け取った矢造は、俺のヘッドギアにそれを繋いで、それから自分のスマホを取り出して何やら色々操作し始めた。
 買い物袋から買ってきた食料品を冷蔵庫に移し、ウインナーと卵だけ出して小さなシンクの上にまな板を渡した。起きてすぐ支度して並びに行ったから、腹が減った。
 昨日の朝から保温しっ放しだった炊飯器からご飯をフライパンに直接入れて、その上から油を垂らしてコンロの火にかけた。ウインナーを細かく切ってそれに投入し、卵も割ってそのまま入れてしまう。調味料で適当に味付けをして、混ぜながら炒めてウインナーがカリカリに焼けたら完成。
 大皿にそれを盛ってから使い終えたフライパンを洗っていたら、いつの間にか俺の後ろに矢造が立っていた。

「……うわ。なんですか」
「いや、すごい雑だなーと思って」
「一人暮らしの料理なんて、こんなもんじゃないですか」
「俺は全く作らないから」

 作らない癖に駄目出しはするのか。洗い終えたフライパンを水切りラックに置いて、箸入れからスプーンを取って皿に置くと、それを掴んで矢造が一口食べた。

「あんたねぇ」
「ん? 不思議、あんなに雑だったのに不味くない。ね、俺の分もちょうだい。俺もまだ朝食べてないんだよ」
「自分の家に帰って食って下さい」

 スプーンを取り返して、皿を持って隣の部屋に移動してちゃぶ台に置いた。台所にペットボトルのお茶を取りに行っている間に矢造が俺のチャーハンを半分ほど掻っ込んでいて、よっぽど張り倒してやろうか、と拳が震えた。

「こっ、この……!」
「この、何? 上司にその態度は良くないよ?」
「……お願いですから、昨日の昼間までの『尊敬出来る上司』に戻ってくれませんか」
「えー、俺、そんなに良い上司だった? 照れるー」
「おおいに照れてくれていいんで戻って下さい」
「やーだ♡」

 枕を掴んで床に投げ付けた。ぼす、と床を叩いたふかふかのそれを抱えて、矢造がスンスンと匂いを嗅いだのを見て怖気が走る。

「何してるんですか。気色悪いですよ」
「うん、なんかねぇ……リアル久斗くん、すごいいい匂いするよね?」

 この枕もいい感じ、と顔を埋められて、引っ張って取り返そうとするのにガッチリ掴んで離してくれない。
 なんだこの人。なんでこんな事するんだ。普通なら好意を向けられているかと思うようなこんな言動も、しかし矢造が相手だとどんな裏があるのかと勘繰ってしまう。

「あの、設定は終わったんですか? 時間までに帰るんでしょ?」
「んー、今俺のスマホからアバター情報移してるー。進み具合どう?」

 ヘッドギアに繋いだ矢造のスマホを見ると、転送ゲージは98%ほどまで進んでいた。そろそろ終わりそうですよ、と声を掛けようとしたところでポップアップでメッセージが入って、見るつもりでもなく読んでしまう。

『今日からだね♡ ヤジさんとえっちするの久々だから楽しみ~♪』
「……」 

 なんだ、俺以外とも約束してるんじゃないか。あれだけ俺じゃないと、みたいなことを言っていたくせに。腹にモヤが溜まるような感覚に、細く息を吐いて視線を逸らした。

「もう終わりますよ」
「そっか、じゃあ貸して」

 またもや勝手に俺の持ってきたペットボトルを開けてお茶を飲んでいた矢造に、もうツッコミ疲れて何も言わず座ってチャーハンを食べた。
 矢造はデータの転送が終わると自分のスマホからコードを外し、今度は俺のスマホを繋いでヘッドギアを弄り始めた。

「よし。これでオッケー」

 はい、とヘッドギアを渡されて、食事中なのでそのまま床に置いた。
 終わったならもう帰ってくれればいいのに、矢造はそのままその場でメッセージの返事を書き始めたのか、俺の枕を抱えたままスマホを操作し始める。

「……そうだ。あの、サブアバってストレートサバにも作れるんですか?」

 野里と約束した手前、適当なアバターを作っておかないといざ誘われた時に面倒になる。
 矢造ならその辺りも知っているだろうと訊いたのだけれど、スマホから目を上げた彼は睨むような目をしていた。

「なんでストレート?」
「えっと、今日ソフト買う時に知り合いに会って、ゲーム内で会う約束をしちゃったんで」
「久斗くん、女抱けるの?」
「まあ、普通に。というか、ゲイサバにいるのも最初の設定間違ったからで、もともとストレートなので」

 チッ、と低く舌打ちした矢造は、小さな声で「出来るよ」と答えてまたスマホに視線を戻した。
 感じ悪いなぁ。そういえば、矢造は『美少年・美青年好き』なんだっけ。だとすれば、女性は性的対象じゃないのか。だいぶ少なくなってしまった朝食を食べながら、女にもモテそうなのに、と穏やかそうな上っ面を盗み見る。

「……設定、やっとく?」
「え、いいんですか?」
「サバ違いのサブアバは少しプレイヤー情報が別になるから、少し面倒なんだよ。やれって言うならやっとくけど」

 矢造は床に置いたヘッドギアを掴んで、俺が頼む前に操作し始めた。
 チャーハンを食べ終えて、皿を持って台所に戻って食器を洗った。居間兼寝室に戻ってくると、矢造は俺のスマホを繋いでアバターの設定まで入っていた。

「あの、アバターは自分で作るんで」
「……」
「矢造さん?」
「……ストサバに居着かないように、めちゃくちゃ不細工に作っといてあげる」
「何の縛りプレイですか。俺の性癖疑われるんでやめて下さい」

 普通に無難なイケメンで良いんですよ、とヘッドギアをひったくると、矢造は唇を尖らせてから、また俺の枕に顔を埋めた。インする前に枕カバーは交換しよう。

「女にモテるのなんて現実だけで十分じゃん」

 拗ねたような声音に、やっぱり彼もモテるのか、とハイハイと頷いた。聞きようによっては嫌味だけれど、ゲイの彼にとっては嬉しくもないことなんだろう。
 ヘッドギアのサブディスプレイでアバターの数値を弄り直して、平均身長くらいの甘い顔立ちのイケメンを作る。髭も体毛も無し、筋肉はうっすら線が見えるくらい。
 こんなもんかな、と適当に作ったそれを横から覗いた矢造が、某アイドルっぽい、と目を細める。

「俺もたまにはストサバ行こうかな」
「え、矢造さんこそ女の人と出来るんですか?」
「いや、ストサバでイサトくん犯したら面白いだろうなって」
「絶対来ないで下さい」

 周囲からどんな目で見られるか想像してゾッとする。専用サーバーがあるくらいには抵抗のある人が多いってことなのに、というか、どうして異性愛サーバーで同性とセックスが出来るんだ。わざわざサーバーを分けるなら、不可にしてしまえばいいのに。
 俺のそんな疑問が顔に出ていたのか、矢造はスマホで時刻を確認してから、俺のお茶をまた飲んだ。

「NGにすると乱交の時に同性アバター同士の接触が性行為判定されちゃうから、らしいよ。女2対男1で女二人に百合プレイさせるの、結構メジャーなプレイでしょ? ……あ、ねぇ、乱交で思い付いたんだけど、俺とイサトくんと景で3Pしてみない?」

 ケイ、ケイ……、と頭の中で反芻して、『ぱらどり』の時に何度かプレイしたことのある美少年だと思い出した。まだ彼とも繋がってるのか、とモヤモヤする。なんだこの感じ。よく分からないけど不愉快な気がする。

「景が良いなら構いませんけど」
「オッケー、じゃあそう伝えとく」

 景について悪い感情は無いので、おそらくは矢造の軽薄な態度に苛立っているんだろうと結論付けて、そう返事をした。
 お茶を飲んで外出着から寝巻きに着替えると、矢造の視線が刺さっている気がしたけれど気付いていないフリで無視した。歯磨きして、トイレに行って小用を足してから戻ってくると、矢造はまた俺のヘッドギアの設定を触っていた。

「まだ何かあったんですか?」
「アバターの確認。ちゃんと転送出来てるか、数値確認してる」

 もう帰るから横になってていいよ、と言われ、枕を取り返してそのカバーを剥いで新しいものと交換してから、剥いだ方を洗面所の洗濯籠に入れてきた。布団に潜って横になると、「久斗くんはお布団被る派なんだね」と横目で見ながら言われた。はあ、と生返事をした俺に、ヘッドギアを持った矢造が寄ってきて、それを胸の上に置いてくる。
 そろそろ帰ってくれるだろうかと、ぼんやり見上げた矢造の微かに微笑んだようなデフォルト顔が寄ってきて、そして唇が重なった。

「……、ん!?」

 頭の上と顎を掴まれて、逃げようともがく俺の唇を割って矢造の舌が入ってくる。下唇を甘噛みされて、小さな痛みに力の抜けた歯列を舌で舐められる。ちゅ、ちゅる、と吸ったり舐められたりして、逃げられもせず矢造の舌技に晒された。

「……っ、は……」
「ご馳走さまー」

 設定の手間賃ね、と顔を離した矢造に濡れた唇を舐められて、ほんの十数秒で息が上がるほど感じさせられたのが悔しくて睨み上げた。

「続きはゲームの中でね?」

 布団の上から熱を持った股間の辺りをトントン叩かれて、身震いして顔を逸らすとまた矢造が寄ってきて耳を噛まれた。

「もっ……、やめ」
「あ~~、この外見じゃなかったら速攻犯すのに」

 心底残念そうに言われて、腕で矢造を押して「さっさと帰れ」と唸った。

「ハイハイ。じゃ、向こうで」

 矢造はスマホで時刻を確認するとスッと立ち上がり、俺の頭を撫でてから「あ、鍵、ちゃんと締めなよ」と思い出したみたいに付け加えた。そうだった、と起き上がって、帰る彼を玄関まで送り出すような形になって渋々見送った。









 連休中のほとんどの時間を、俺はゲーム内で過ごした。
 『いつぱ』では三時間に一度、警告が出てログアウトを促され、ログアウトすると三十分ほどイン出来なくなるように変更されていた。『ぱらどり』の時はダウンタイムは五分で、その代わりに一日にイン出来る上限時間が決まっていたのだけれど。
 体を動かすついでにトイレや水分補給を済ませて、時間が経ったらまたインして、ヤジとセックスして。ごねるヤジを無視して夜はいつも通り二十二時には寝ていたけれど、それ以外の時間はほぼずっとインしていた。
 矢造が初日インに拘っていたのは、初日だけに配布される特別衣装の為だったらしく、『運営からのプレゼント』というそれを開いて着てみたら、逆バニー衣装だった。
 腕と足はピッタリと肌に吸い付くような伸縮性のある黒い布で肩と脚の付け根まで覆われているのに、肝心の胴体部分は素っ裸だ。二十禁ゲームだからか性器を隠す気のさらさら無い露出衣装で、裸より恥ずかしい。自分好みに作成したアバターがそのキワモノ衣装を着ているのを、ヤジは俺の周囲をぐるぐる周りながらスクリーンショットを撮りまくっていた。
 ヤジにポーズを指定され、渋々従っているうちに気が付けば後ろに挿入されていて、そのままそれすら何枚も撮られた。久々の行為に気が逸っていたのか、ヤジはやけに無口で、最初の三時間はぶっ続けで没頭していた。
 『ぱらどり』の会社が作っただけあって、それまでプレイしていた代替ソフトとは雲泥の仕上がりで、休憩中にSNSを覗くと絶賛の嵐だった。
 今年のゴールデンウィークは祝日の関係で九連休で、七日目にもなると流石に疲れてきて、久々に開けたカーテンから現実の朝日を浴びながら矢造に『今日はインしないので他の人としてて下さい』とメッセージを送った。すぐに既読がつくけれど、返信は無い。ヤれない俺に返事を書く時間も惜しいんだろう。
 『ぱらどり』の頃から矢造は毎日インしていたけれど、衰え知らずの性欲オバケだ。スマホをベッドに投げて伸びをした。
 着替えて洗濯機を回してから、手早く掃除機を掛ける。マトモな飯が食いたいな、と冷蔵庫を見てから食料の買い出しついでにどこかで外食してこようと思い立った。
 洗った洗濯物を風呂場のロープに干して、さて出掛けようか、と財布を掴んだところで玄関のチャイムが鳴る。上手く断れないから勧誘は無視する事に決めていて、だからそっと足音を消してドアに近付いて覗き窓から外を窺った。

「……」

 薄ら笑いの矢造が見えて、勧誘より面倒なものが来た、と頭を抱えてしまう。
 無視してしまおうそうしよう、とドアから離れようとすると、外から矢造の声が響いた。

「久斗くーん。『いつぱ』のIDとキャラ名叫ばれたくなかったら早く開けてー」

 ガチャ、と即座に鍵を開けてドアを開けると、ぶつけてやるつもりだったのに矢造は予想していたみたいにそれを避けてニヤッと笑った。

「おはよ、久斗くん」
「……俺、これから用事あるんで外出するんですけど」
「俺もたまには体動かそうと思って。どっか買い物? それともご飯?」
「両方です」
「いいね。俺、今無性に中華が食べたい気分」
「一人で行けばいいでしょう……」
「えー、やだやだ、久斗くんと行くー」

 ニコニコと愛想笑いの張り付いたいつもの顔で我儘を言われて、溜め息を吐いて「ちょっと待ってて下さい」と諦めて財布とスマホを取りに戻った。
 この人はきっと拒否しても傷付かないだろうけれど、それでも俺の性根ゆえにハッキリ断るのは難しい。どうしても嫌な時は拒否もできるけれど、そうでもない、という時が一番厄介だ。
 中華がいいと駄々を捏ねられ、うちの近所には無いのでラーメン屋で妥協してもらった。天津飯を頼んだ矢造は「割とイケる」と喜んで、「ちょくちょく来ようかな」なんて呟くので、「来るとしても俺の家には寄らなくていいですからね」と念押しした。
 遅い朝飯のような早い昼飯のような中途半端な時間の食事を終えてスーパーで食料品と買うと、一緒についてきた矢造が勝手にカゴにお菓子を入れてきた。幼児を連れ歩いてるんじゃないんだから、と呆れて嫌味ついでに年齢を聞くと、予想より少し上の答えが返ってきた。

「矢造さん、あなた何歳ですか」
「ん? さんじゅうに」
「俺より一回り上の人が、そんな子供じみた事しないで下さい」
「えー? 一緒に会計した方が効率いいじゃん?」

 てっきりまだ二十代かと思っていたのだけど、十歳年上と聞いて軽く驚いた。
 仕方ないなぁ、と呟いた矢造は、レジに並ぶと財布を出して札を出してくる。さっさと店員に金を払って、困惑する俺に「袋に入れて」と会計済みのカゴを押し付けてきた。

「いや、九割俺の買い物なんですけど」
「年上っぽいことして欲しかったんじゃないの?」
「そういう意味じゃないんで。家に帰ったら自分の分払います」

 ここだと人目が気になるから、と買った物を袋詰めすると、矢造が不思議そうに首を傾げた。

「別にいいよ」
「矢造さんに貸しを作るの、怖いんで」
「俺、そんな器小さくないよー?」

 心底意味が分からないみたいにトボけた表情をされて、普通はこれくらい気にしないのか? と不安になる。しかし、相手は矢造だ。彼の感覚の方が変わっているに違いない。だって矢造だから。
 うんうん、と納得して、彼の菓子だけ別の袋に分けて渡した。
 帰宅して食料品を冷蔵庫に仕舞うと、当然のように上がり込んできた矢造が「お茶もらうねー」と買い置きのペットボトルを出してベッドを背凭れにするように腰を下ろした。

「そういえば、ストサバのお友達とはもうヤッたの?」

 ここまで連日俺を拘束しておいて、そんな暇が無かったと知っているくせに。俺が首を振ると、薄く微笑んで「今行っておいでよ」と言ってくる。

「今?」
「俺、ここで待ってるから。どうせ満足出来なくてこっちに戻ってきてから抜くでしょ?」

 勝手に決めないで欲しいのに、矢造はそう言って俺にヘッドギアを差し出してきた。

「ほら、ちゃっちゃと終わらせてきて」
「いや、なんで待ってて貰わなきゃならないんですか」
「だから、女としたって満足出来ないでしょ? てか俺とじゃなきゃ満足出来ないでしょ? 俺は優しいから、そんな久斗くんが戻ってきたら気持ちよくしてあげよう、って言ってるの」
「すごく余計なお世話です。別にあなたとじゃなくても満足出来ますし」

 さっきの買い物のレシートを出して財布から自分の分をちゃぶ台に置いて、ヘッドギアは戸棚の上の定位置に戻した。
 矢造はちゃぶ台の上の札と小銭には目もくれず、手を伸ばして俺の尻をつついてくる。

「ひどーい久斗くん。俺を久斗くん無しじゃ生きられない体にしておいてー」
「あーはいはい」

 俺が寝ている間に他の美少年たちとプレイしているのは知っているし、矢造も俺がそれを知っていると分かっていて言っている。重度の嘘吐きに付き合っているのも面倒で、さっさと帰ってくれ、と再度金を彼の方に押しやった。

「帰って下さい」
「久……」
「いくら俺がお人好しだからって、意識の無い間、他人を家に置いたりしません」

 俺が言い切ると、矢造は片眉だけを釣り上げて嘲るように口元を歪ませた。

「どうかな。俺が、絶対ここから動かなーい! って言ったら諦めるんじゃない?」
「……」

 本当にそれをされたら、たぶん、そうなるだろう。さすがに寝る時間になったら帰ってもらうけれど、それまでは好き勝手させてしまう気がするし、うたた寝くらいならしてしまうかもしれない。
 ガリガリ頭を掻き毟ってベッドに転がると、矢造が「だよねー」なんて言いながらのんびりお茶を飲んだ。

「久斗くん、隙だらけだから付け入るのに何も考える必要なくて楽でいいよ」
「……さすがに、そこまで馬鹿にするなら追い出そうかなって気になります」
「悪い意味じゃなくて。好き放題言いたいこと言っても受け入れてくれるから、安心して甘えたくなっちゃうんだよね」
「受け入れた記憶は無いんですけど」
「こうやって部屋に上げてる時点で説得力ゼロ」

 はあ、と溜め息を吐いて、寝転がったまま瞼を閉じた。

「ん、寝るの?」
「寝ません」

 父のようにはなりたくないのに、矢造の言う通り、俺は押しに弱すぎる。相手が矢造でなく女性だったら、気が付いたら結婚していた、なんて事になりかねない。

「帰って下さい……」
「うん? 悪足掻きする? いいよ。俺のお願い聞いてくれるなら、すぐ帰ってあげる」

 目を開けてじろりと睨むと、ニヤけ面の矢造が寄ってきて、俺の頬に唇を付けてきた。

「次からさー、俺に会ったらまず抱き着いてちゅーして」
「あざといのは嫌いなんじゃ?」
「『イサトくん』は最近ちょっと愛想が無さすぎるから、あざといくらいでもいいかな? って」

 愛想を失くさせている原因が自分の言動にあると気付いていながらの我儘に、呆れ返って頷いた。

「分かりました。やりますから、今日はもう帰って下さい」
「何か用事でもあるの?」
「いえ、別に……。じゃなくて、お願い聞いたら帰ってくれるんじゃないんですか」
「だってイサトくんがインしないなら暇なんだもん。帰りたくない」
「……」

 暖簾に腕押し、糠に釘、馬の耳に念仏、カエルの面に水。
 他に何かあったっけ、とこの無駄な会話を形容する言葉を探して、また目を閉じる。今日はもう疲れた。何もしたくない。
 矢造に背を向けるように横向きに転がると、「ちょっとー無視しないでー」と俺の腰あたりを掴んで揺らされた。

「あ、ねぇ、久斗くんのお願いも聞いてあげるから」

 だから起きて相手して、と言われて、目を閉じたまま「じゃあ帰って下さい」と呟いた。

「ひーさーとーくーん」
「矢造さんの相手するの疲れるんで嫌です」

 ぐらぐら揺さ振られて、振り払って壁の方を向いていたら、それから急に矢造が静かになった。無言で、しかし俺の後ろからは気配が消えない。
 どうかしたのか、と後ろを振り向くと、矢造はぐっと唇を噛んで俺を睨んでいた。

「……なんですか、その顔。子供じゃないんだから」
「なんで久斗くんは、俺にだけ冷たいの」

 自分の胸に手を当てて、じっくりと言動を思い返してみてほしい。蹴り出していないだけ優しいと思う。優しくしてほしいなら常に仕事モードでいて下さい。
 脳内に巡るそんな言葉たちを飲み込んで、仕方なく起き上がって彼の方を向いた。

「どんな相手をすれば満足ですか、ご主人様」
「え、俺がご主人様? そういうプレイしたいの?」
「奴隷気分で居ればあなたの我儘にも苛立たないかなって」
「いいよー、じゃあ俺がご主人様ね。俺今ね、久斗くんの二体目のサブアバ作ってるから君の意見が欲しくてさー」
「はあ」

 スマホを出して俺のヘッドギアと繋いだ矢造は、作りかけのアバター情報を読み込んでそれを俺に見せた。
 それから日が暮れて夕飯の時間になるまで居座って、袋ラーメンを煮ただけの夕飯を食べてやっと矢造は帰ってくれた。

「じゃーねー、また明日ー」

 バイバイ、と手を振って帰っていく上機嫌な後ろ姿に、十歳上には見えないよな、と思う。迷惑だったけれど、慣れればそれほど気疲れはしなかった。

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