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狡猾な狼は舌の裏に隠した我儘を暴かれたい
我儘⑥ 殺す前のそれを聞かせて
しおりを挟む腕の付け根側からベルトが一本ずつ外されて、少しずつ身体が解放されていく。緩んでいく身体に自然と安堵の息を吐いて、普段の血流が戻ってきて熱くなる腕の先の手を握ったり開いたりした。
「キツくはしてない筈だけど、痺れる?」
「いえ。問題ないです」
完全に自由になった両腕を自分で揉みながら、うつ伏せに転がされて脚の方も外してもらう。
「ねぇ、久斗くん。今回ので分かってくれたとは思うんだけど、一応ちゃんと言葉にして教えておくね」
「はあ」
「久斗くんはさ、論理的(ロジカル)っていうか、湧いた感情をまず抑えて、それがマイナスな感情だと見なかったことにするよね」
ロジカル? 俺が?
そうだろうか、と首を傾げると、尋は「そうなんだよ」と至極真面目な顔で頷いた。
「……そう、ですか……?」
「俺も分かってたはずなんだけど、久斗くんのことは全部分かってる、って思い込んでて最近はちゃんと見れてなかったかも。そこはごめんね」
「はあ……」
何に対して謝られているのか分からず困惑するのに、尋は俺の両脚から拘束具を全て外すと、すぐさまそこを揉み始めた。肌色を見ながら曲げ伸ばしされて、抵抗する気もないがただまっすぐ伸びていただけの脚まで注意深く観察する様に心配性だなと苦笑が浮かぶ。
裏を揉み終えると仰向けにされて、太腿の上をゆっくり撫でられた。
「怒ったり嫉妬したり、自分ではあんまりしたことないと思ってるでしょ?」
「……そうですね」
それは確かに、ある。
直近で怒りが湧いたのはいつだったか、と思い返して、宇都宮支店の支店長が尋にお茶をかけた時はさすがに怒りが湧いたか、と遠い記憶みたいに掘り起こす。嫉妬なんてのもその所為で狂いそうだなんて何度も言い募る尋を見ていると絶対にしたくないと思ってしまう。
「それね、抑えてるだけで、してるからね」
ちら、と一瞬上がってきた尋の視線が、しかし俺のと合う前にまた脚の方へ戻った。
「してないですよ。疲れそうだから面倒ですし」
「じゃあどうして今日ずっと怒ってたの?」
「怒ってた?」
怒ってなんかない。ずっといつも通りだった筈だ。むやみやたらに喚くことも、物に当たることも、無視したり罵声を浴びせたりもしていない。
俺が眉間に皺を寄せると、見上げてきた尋が少し笑ってその皺を伸ばすように撫でてきた。
「さっき、どうして泣いたか自分で分かってる?」
「……」
さっき。なんだっけ、どうして泣いているのか自分でも分かっていなかったのは覚えているけれど、何の話をしていた時かは曖昧だ。なんだかとても不愉快で、感情が膨らんで爆発しそうで、けれどそんなの馬鹿らしいから笑って誤魔化して、なのに勝手に涙が──。
「久斗くんはね、もう少し我儘になるべき」
つぅ、と頬に涙が落ちた感触がして、どうしてまた今? と小首を傾げた俺の目尻へ尋の顔が寄ってくる。涙を吸った彼は「しょっぱい」と小さく笑って、それからぎゅっと俺の頭を抱き締めた。
「感情殺し過ぎなんだよ。俺の浮気を疑って怒りも嫉妬も失望も悲しみも、色んな感情が渦巻いてるはずでしょ。なんでそれを全部無かったことにしちゃうのかな。ぶつけていいんだよ、全部。俺はそれが嬉しいんだから」
そんなに殺しているだろうか。よく分からない。俺はただ自分を『そういう人間』だと思って生きてきただけだ。怒っても何も現状は変わらないし、他人を妬んでもその人に成り代われるわけでもない。泣いたってみっともないだけで誰も助けてくれないし、失望するのはそもそも俺が勝手に信じたからだ。
楽しいとか嬉しいとか、そういう感情さえ表現出来ていれば人間関係はなんの問題もない。どころか、いつでも機嫌の良い人間の方が絶対生きやすい。
デメリットが見当たらない、と俺がイマイチ納得しかねているのを額に口付けながら尋が見つめて、そして大袈裟に溜め息を吐いた。
「あのねぇ。じゃあ、本当に俺が浮気したらどうするの? ああやっぱり、って諦めて、信じてませんでしたし、そういう人ですもんね、って俺を許してくれるの?」
「……」
本当に浮気したら。
「じゃあ、してないんですか」
「してないよ。君と付き合ってから現時点までは、絶対に。何に誓ってもいい」
俺の一番大事なものは久斗くんだから、久斗くんに誓って、と尋が笑う。
見つめる目がいつもの、俺の好きな目だ。若干の怒りが籠もったような、瞳孔の開きかけた本気の目。
だから、少し安心した。いいや、やっと心から安堵出来た。抱えてくれる尋の腕に擦り付けるように頭を預ける。
「で? 俺が浮気したら」
「殺します」
勝手に口から滑り出ていた。
あれ、今の、俺の言葉だろうか。自分で自分の発言が信じられなくて、なんだその痛い台詞、と苦笑しながら訂正しようと開いた唇の上に尋の指が乗る。
「えっと、今のは……」
「うん、本音だね。嬉しい」
にこ、と微笑まれて、慌てて首を横に振った。違う。俺までそんな、尋のような痛々しい恋愛脳にしないでくれ。
「違います、今のはただ勝手に。全然考えて喋ってなくて」
「そういうのを本音って呼ぶんだよ」
知らなかったの? と笑われて、口を閉じるしかない。
本音? 俺がそんな、浮気されたから殺すだなんて、そんな嫉妬深いメンヘラみたいなことするわけない。
どう言い繕えば尋の勘違いを訂正出来るか考えて、『考えずに出てきたのが本音』という今言われたばかりの言葉に思い付くどの言い訳も潰されてしまう。
……尋が、浮気したら。
想像してみる。初めて、想像した。今まで、なんとなくしていそう、だってそういう人だから、と深刻に考えたことなんて無かったけれど。尋が、俺へ言ったのと同じように「愛してるよ」と囁いて、「会えない間は狂いそうだ」と口付ける。俺じゃない人間へ、俺と同じように愛を与えていたら。
「…………」
刺す、かな。
うん、だってそんなの、裏切りだ。俺へあれだけ大言壮語を吐いておいて、他へも同じような愛を配っているなんて、そんなの許されるわけがない。殺さないまでも、何度か刺して痛い思いをさせて、その上で謝罪させなきゃ気が済まない。
そこまで考えて、自分の思考にゾッとした。いやいや、何が『気が済まない』だ。そんなの完全に犯罪だし、たかが浮気でどれだけ怒るのか。
「久斗くん。また殺そうとしてるでしょ」
「……いえ、殺そうとはしてません。刺しましたけど」
「え?」
「え?」
「……自分の感情を、って話だよ?」
尋が堪えきれないみたいに笑い出して、そのコロコロと鈴を転がすような可愛らしい笑い声に妄想でささくれた心が癒されていく。
……ああ、そっか。本当に殺してたんだ。自覚は無かったし、殺すだなんて物騒な言葉は似つかわしくないかもしれない、普通に誰もがしていそうなことだけれど。
自分の中に湧いた感情を、他人から見てどう扱われるかというフィルターにかけてからすり抜けたものだけを表に出しているだけ。痛いとか、我儘とか、不愉快だとか、そういうマイナスのものはフィルターの網目を抜けられずに自分の中で潰してポイ。
「……多かれ少なかれ、誰でもしてるでしょう?」
「うん、してるね。でも普通はちゃんと自覚してるし、無かったことにはならないから後でストレス発散してバランス取ってるんだけどね」
久斗くんは殺しっぱなしで放置でしょ、と言われて肩を竦めるしかない。
「尋だって、怒ったところなんて見たことない」
「えぇ? よく怒ってるじゃない。ぎゃーぎゃー騒いで久斗くんいつもうんざりしてるでしょ?」
「……?」
尋は我儘だけれど、あまり怒っている印象はない。抑え込んでいるからこそ、今日のように爆発してしまったのかと思ったくらいだ。
首を傾げる俺に尋の方も困ったように苦笑して、ぐりぐりと頭を撫で回してくる。
「昨日だって、買い物に一緒に行きたいって駄々こねたでしょ、俺」
「え、あれって怒ってたんですか? そこまでしつこくも無かったし、可愛い我儘言ってるな、としか思ってなかったんですが」
「……久斗くん、ほんとに呆れるくらい許容範囲広いよね」
だから今回も見誤っちゃったんだけど、と尋はぶつぶつ呟いて、それからまたぎゅっと俺の頭を抱き締めた。
「ごめんね。もう少し早く気付いてあげてたら、ちゃんと訂正出来たんだけど。俺も余裕無かったから」
心底から後悔するようなしょぼくれた声音に、俺も尋の身体に腕を回して抱き締める。
「いえ、俺も……、一年も待たせておいて、勝手に決めたのは悪かったです」
「うん。相談して欲しかった」
「……そこなんですか?」
「そこでしょうよ」
辿り着いた結果でなく、相談が無かったことに怒っていたのか。尋の方こそ変なところで許容範囲が広い、と呆れてしまう。
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