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【1―秘密の魔力供給】前編
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夜の窓を、雨が伝い落ちている。オフィスビルの仮眠室にしては上等なセミダブルベッドも、三人で身を寄せ合うには少し心許なかった。
向かい合うアリシアの右手を握ったまま、王子は長い金のまつげを伏せて彼女へと口づける。まるで壊れものを扱う時の慎重さで、しかし深くまで絡められる舌は、目覚めたばかりで曖昧なアリシアの意識を再び甘く溶かした。
唇が離れる。いつもは人懐っこい笑みを浮かべている彼の青い瞳が、熱を孕んでいた。
「アリシア……待っていて。ちゃんと満たしてあげるから」
彼は気が急くのを堪えたように切ない顔をして、スラックス越しにアリシアの太ももをなでた。
それよりも大きな手が、後ろから彼女の左手を握る。上背のある義兄がうつむき、彫りの深い顔を寄せると、いつもは後ろへ撫でつけている漆黒の髪が落ちて彼女の耳をかすめた。
静かに響いてきたのは、低くわずかに掠れた声。息づかいからは、そのひどく整った顔の眉間に、深いしわが刻まれていそうな苦悩が垣間見える。
「……今は何も考えるな。俺たちに全てゆだねてくれ」
薄い唇で首筋をやわく吸われるのと同時に、筋張った手がブラウスの表面をすべりアリシアの胸のふくらみを包み込む。
触れるわずかな刺激すら、とろけそうなほどの心地よさに変わる。けれど、服をゆるめて火照る体をさらされ、二人の男に愛撫されて、生来真面目な彼女は戸惑わずにはいられなかった。
(ああ、そんな……。一人で仕事をしてたはずなのに……どうして、こんな――)
どこかで間違えたのか。なるべくしてなったのか。今は何も分からない。
ただ、全ての始まりは、この街に来ることが決まったあの日だった。
* * *
国立大学の講堂で、教授が世界史の一端を熱弁する。
「このようにして、各地にあった神聖樹は戦火に巻き込まれその数を極端に減らしたといわれています。今は魔法適性がある人間もずいぶんと減りましたが、神聖樹が魔素を大量に放出していた時代は、電力ではなく魔力であらゆるエネルギーがまかなわれていた……! まさにロマン!」
それに半分だけ意識を割きながら、アリシアは整然とまとめたノートの隅に『自立』と書いて丸で囲った。
肩の辺りで切りそろえた濃紺の艶髪に、涼やかな目元、楚々とした出で立ち――絵に描いたような優等生の彼女には、大きな悩みがあった。
(私も、聖女の末裔とは言っても軽い回復魔法が使えるだけ。精霊なんて、声も聞いたことないし……。代々王族に仕えてる家系だから、ユリウスと一緒にいるだけで給料が発生してるけど)
ちらりと、左隣に座っている青年に目をやる。
ユリウス・フォン・エアハルト――二十歳になったばかりの、この国の第三王子。爽やかで健やかという形容がよく似合う彼は、綺麗な青い瞳を興味深そうに輝かせて講義に聞き入っていた。
右に流した前髪の下に見え隠れする傷跡は、八年前、アリシアがお目付け役に任命されたばかりの頃に怪我をした痕跡だ。命に別状はなかったが、まだ十四歳だった彼女の魔法では綺麗に治しきれなかった。
(もう、子猫を助けようとして木から落ちるような年齢じゃないし)
額からだらだらと血を流すユリウスを見て、アリシアの方が顔面蒼白で震えていたからか。活発で無邪気な王子様は、あの時から比較的大人しくなった。
(となれば、役に立てないのにそばにいるのは、もはや給料泥棒と同じ……!)
アリシアの長所は真面目なところ。短所も真面目なところ。
教授が「あっ、今日はここまでね」と時計を確認すると同時に、彼女はノートをぱたんと閉じた。
(離れよう! ユリウスから!)
幸い、大学卒業後の進路は好きにして良いと王家から通達されている。
静かに決意した彼女が筆記用具を片付けていると、右後ろに座っていた男性が「あのっ」と声をあげた。
なんだろうと振り向いた直後、ユリウスからばっと抱き着かれる。
「アリシア、帰ろう!」
「っわ――」
どちらも細身ながら、歳を重ねるごとにたくましくなってきたユリウスの体。軽い衝撃だったが、彼女の手からペンが離れて床に転がる。
「あっ、ごめん……!」
拾いに行こうと、ユリウスが一歩を踏み出す。仮に取って来いと投げれば喜んで走って行きそうな懐き具合だが、一応はあちらが主だ。
アリシアはそれ以上の隙を与えず、手早くペンを回収して彼を向き直った。
「いえ。帰りましょうか」
「え、あ、うん! それじゃあみんな、またね」
周りの友人たち、そして先ほど声をあげた男性にもにこやかに手を振ると、ユリウスは片付けを終えたアリシアにぴったり寄り添って歩き出す。
(近いな……)
いつものことだった。
明るく開放的な廊下で、彼は多種多様な生徒たちから「あっ、王子だ」「ユリウス様ー!」と注目されて同じように笑顔で応える。昔から気さくで親しみやすい人柄だ。王位継承の予定はなく、親からも放任に近い扱いを受けているが、政府に国政を任せてからお飾りと揶揄されがちな王家のイメージアップに一役買っている。
(あ、留学生の王女様、また話しに来てる。今日も大人気だな……一部の女生徒からの熱視線で、私が焼かれそうだけど)
ユリウスの隣を狙う人間は、やはりいる。彼と同様に華があり勤勉で人柄も良い、お似合いの人間もちらほらといる。
それが、ちょっとだけ、悔しい。結婚して王族になりたいなんて思ったことはないけれど、彼の信頼を頂く人間として相応しくありたい。
(付き人としては無理だったけど、私も、いつか胸を張ってユリウスと会えるようになれたらな)
彼が足を止めてファンの対応をしているあいだ、なんとなく二歩、後ろへ下がる。すると、講堂にいた例の男性が、寂しそうにこちらを見ながら歩いて行った。
そして、はたと思う。これだけ慕われているユリウスなのに、いつも帰りは自分と二人きりなのが前々から不思議だったのだ。
「あの……さっきの男性、あなたと一緒に帰りたかったんじゃないでしょうか。なにか駄目な理由でも?」
お待たせ、と言って再び隣に並んだユリウスに尋ねてみる。すると彼は、日頃から童顔ではと気にしている大きな目をぱちりと瞬かせた。
「あれ。彼、なにか言っていた? 気付かなかったな、今度会えたら聞いてみるよ」
教えてくれてありがとう、と言って小さく首を傾ける彼は、はじめて会った時と同じように温かく笑っていた。
さほど変わらなかった背丈はすっかり追い越されて、その眼差しはちょうどアリシアの頭の上から注がれている。二人で重ねてきた何気ない日々に感じ入りながらも、彼女は自らの選択を告げるために彼をじっと見つめた。
「ユリウス様。もうひとつ、お伝えしたいことがあります」
「うん? どうしたんだい、改まって」
ユリウスが立ち止まる。いつも彼ばかりが話しているが、アリシアが何か言いたげにすればしっかりと耳を傾けてくれる、そんな人だ。
彼の作る、居心地の良いこの関係から抜け出すのには勇気が要った。しかし、優しくのぞき込まれ、なんでも言ってと促され、アリシアは思い切って宣言する。
「私、卒業したら普通の企業に就職します! 今まで、お世話になりました……っ!」
「っ!!? ッッッ!!!!!!! ダメだけど!!?!!??」
「えっ、」
この世の終わりみたいな顔で叫ばれた。
突然の騒ぎに、なんだなんだと通行人がひそひそ話をしている。衆人環視の中、ユリウスは両膝をつき、雨に濡れた捨て犬のような顔でアリシアの手を握った。
「そんな……オレが不甲斐ないから、とうとう愛想が尽きちゃった……?」
「え、いや、ではなくて……。ただ、王族の恩恵に与らず、自分の力で稼げるようになろうかと」
「ウチはきみを保護してるわけじゃないんだけど……??」
名目上はそうでも、実態はさほど変わらない。アリシアが決意を崩さないままでいると、ユリウスは観念したのか真剣な面持ちでうなずいた。
「わかった……。それなら、オレも一緒に就職するよ!」
「んっ?」
夏の日差しがまぶしい。ユリウスに連れられて電車に小一時間揺られたアリシアは、三階建てのオフィスビルの前にいた。
(来ちゃった……面接……)
取り立てて天才肌でもないのに、すでに二年分飛び級してまでアリシアに合わせている彼の行動力をなめていた。
(この人もいい加減、私離れした方がいいと思うけど。体ばっかり大きくなっちゃったような……)
隣でスマホを耳に当て「到着しました!」と元気に報告したユリウスは、なんとも言えない表情のアリシアに屈託なく笑いかける。
「もう入って良いって。ここなら、政府にも王族にも与しない完全独立機関だから、上もオレたちを特別扱いしないよ」
「……お気遣いありがとうございます。私の義兄がいるところを選んでくださったことも」
でも、と思いながら、彼の後について緑豊かな植栽の合間を行き、自動ドアをくぐる。元々、街の端にあるそう騒がしくないエリアで、広々としたエントランスホールは静寂に包まれていた。階段から、茶色いくせっ毛の少々くたびれた風貌をした中年男性が、ばたばた降りてくるまでは。
「あっ、やー、よく来たね!」
彼はアリシアたちの前で止まると、大仰に両手を広げて言った。
「ようこそ、魔法管理局ディオール支部へ!」
(――魔法。得意じゃなくても、大丈夫なのかな)
アリシアが気がかりなのは、そこだった。
『支部長 フランツ・ブラウン』と書かれた名刺を渡してから、彼は二人を二階へと案内する。へらへらと締まりのない笑みを浮かべながら。
「簡単な面接を受けてもらいますけどね、まあ~大丈夫だと思うよ。事務処理だけでも助かるし、ココ、僕を入れても三人しかいないから。喉から手が出るほど欲しいなぁ、人材」
(あっち側が大丈夫じゃなさそうだな……)
アリシアの笑みは引きつりそうだが、ユリウスはいつも通りだった。貴公子スマイルで爽やかに話をつなげる。
「魔法を活用しての問題解決がお仕事ですよね。需要に対して、働き手が圧倒的に少ないと聞きました」
「そうなんだよぉ、ぶっちゃけ魔力持ちは全員入ってほしいくらい。管理局ってそういう側面もあるし。まぁ強制はできないけどねぇ」
(それなら……事務と、軽い治療くらいなら、私にもできるかな)
ほんの少し、アリシアの胸に希望が灯る。
応接室に通されてすぐ、フランツのスマホから着信音が鳴った。
「おっと失礼――うわ本部長だ。あの人、話長いんですよ~。十分で切り上げるから、座って待っててね」
二人を残して部屋の外に出た彼は、扉を閉める前にこう言い残した。
「あっ、ごめん忘れてた! 一応、魔力量の検査もするからそのつもりで!」
ばたん。扉が閉まって、足音が遠ざかる。面接しか事前情報のなかったアリシアは、すっとユリウスを見た。
「どうやら私はここまでのようです……」
「あーッ……きみ、常にうっすらしか魔力がないんだったね」
「はい。確実に落ちます」
幼い頃からどれだけ頑張っても、目を見張る成果が上がらなかった原因がそれだ。いくら技術を磨いても、エネルギーがなければ大したことはできない。
(体質だから仕方ないんだよね……)
けれど、胸の奥がきゅっと痛んだ。
(……? 今さらなのに)
しかも、何やら考え込んでいるユリウスを見ると切なさが増す。それで、ようやく気が付いた。
(あ……私、まだユリウスと一緒にいられるかもしれないって、期待してたんだ。往生際が悪いなぁ……)
苦笑してから、仮にも年長者として背筋を伸ばす。
「それじゃあ、ユリウス様。試験、がんばってくださいね。応援してます」
「いや、まだ諦めるのは早い。きみ、ひょっとすると魔力生成が追い付いていないだけで、受け皿はあるのかもしれないよ」
まっすぐに見つめ返される。部屋には冷房が効いているのに、アリシアの額を汗が伝った。冷や汗だ。
嫌な予感の通り、ユリウスが両肩に手を置いて真剣に説得してくる。
「魔力ならオレがたくさん持っているから、あらかじめ渡しておくとか」
魔力供給。アリシアにも知識ならあるが。
「あの……え、でも、皮膚の接触だと時間がかかりすぎて……今から急ぎでとなると、粘膜接触とか、体液とか……そういう方法になりますけど……」
「大丈夫だよ、人工呼吸と同じだからね」
「同じではないですね」
つい、バッサリと切り捨ててしまった。
必要なのは、口づけだ。こんなところで。しかも、人との交際経験すらないアリシアには、そもそもハードルが高い。
(だって、今それで乗り切ったとしても、魔力が必要になる度に……)
鼓動が速まる。嫌悪感ではないが、確実に過ちのたぐいだ。みんなの王子様に手を付けて、きっと、そこから何かがおかしくなる。
「…………」
反応が思わしくないのを見て、彼は、アリシアの肩からゆっくりと手を離した。珍しいことに力なく笑いながら、行き場のない視線をさまよわせている。
「あ……ごめん、きみがそばにいないのなんて、今さら考えられなくて……。突っ走っちゃった」
それから、落ち着かない様子で前髪をくしゃりとつかんで、遠慮がちにこちらをうかがう。
「……やっぱり、嫌、だよね……?」
乱れた前髪から、傷跡があらわになる。
それを見て、アリシアの脳裏に数年前の夏がよぎった。
向かい合うアリシアの右手を握ったまま、王子は長い金のまつげを伏せて彼女へと口づける。まるで壊れものを扱う時の慎重さで、しかし深くまで絡められる舌は、目覚めたばかりで曖昧なアリシアの意識を再び甘く溶かした。
唇が離れる。いつもは人懐っこい笑みを浮かべている彼の青い瞳が、熱を孕んでいた。
「アリシア……待っていて。ちゃんと満たしてあげるから」
彼は気が急くのを堪えたように切ない顔をして、スラックス越しにアリシアの太ももをなでた。
それよりも大きな手が、後ろから彼女の左手を握る。上背のある義兄がうつむき、彫りの深い顔を寄せると、いつもは後ろへ撫でつけている漆黒の髪が落ちて彼女の耳をかすめた。
静かに響いてきたのは、低くわずかに掠れた声。息づかいからは、そのひどく整った顔の眉間に、深いしわが刻まれていそうな苦悩が垣間見える。
「……今は何も考えるな。俺たちに全てゆだねてくれ」
薄い唇で首筋をやわく吸われるのと同時に、筋張った手がブラウスの表面をすべりアリシアの胸のふくらみを包み込む。
触れるわずかな刺激すら、とろけそうなほどの心地よさに変わる。けれど、服をゆるめて火照る体をさらされ、二人の男に愛撫されて、生来真面目な彼女は戸惑わずにはいられなかった。
(ああ、そんな……。一人で仕事をしてたはずなのに……どうして、こんな――)
どこかで間違えたのか。なるべくしてなったのか。今は何も分からない。
ただ、全ての始まりは、この街に来ることが決まったあの日だった。
* * *
国立大学の講堂で、教授が世界史の一端を熱弁する。
「このようにして、各地にあった神聖樹は戦火に巻き込まれその数を極端に減らしたといわれています。今は魔法適性がある人間もずいぶんと減りましたが、神聖樹が魔素を大量に放出していた時代は、電力ではなく魔力であらゆるエネルギーがまかなわれていた……! まさにロマン!」
それに半分だけ意識を割きながら、アリシアは整然とまとめたノートの隅に『自立』と書いて丸で囲った。
肩の辺りで切りそろえた濃紺の艶髪に、涼やかな目元、楚々とした出で立ち――絵に描いたような優等生の彼女には、大きな悩みがあった。
(私も、聖女の末裔とは言っても軽い回復魔法が使えるだけ。精霊なんて、声も聞いたことないし……。代々王族に仕えてる家系だから、ユリウスと一緒にいるだけで給料が発生してるけど)
ちらりと、左隣に座っている青年に目をやる。
ユリウス・フォン・エアハルト――二十歳になったばかりの、この国の第三王子。爽やかで健やかという形容がよく似合う彼は、綺麗な青い瞳を興味深そうに輝かせて講義に聞き入っていた。
右に流した前髪の下に見え隠れする傷跡は、八年前、アリシアがお目付け役に任命されたばかりの頃に怪我をした痕跡だ。命に別状はなかったが、まだ十四歳だった彼女の魔法では綺麗に治しきれなかった。
(もう、子猫を助けようとして木から落ちるような年齢じゃないし)
額からだらだらと血を流すユリウスを見て、アリシアの方が顔面蒼白で震えていたからか。活発で無邪気な王子様は、あの時から比較的大人しくなった。
(となれば、役に立てないのにそばにいるのは、もはや給料泥棒と同じ……!)
アリシアの長所は真面目なところ。短所も真面目なところ。
教授が「あっ、今日はここまでね」と時計を確認すると同時に、彼女はノートをぱたんと閉じた。
(離れよう! ユリウスから!)
幸い、大学卒業後の進路は好きにして良いと王家から通達されている。
静かに決意した彼女が筆記用具を片付けていると、右後ろに座っていた男性が「あのっ」と声をあげた。
なんだろうと振り向いた直後、ユリウスからばっと抱き着かれる。
「アリシア、帰ろう!」
「っわ――」
どちらも細身ながら、歳を重ねるごとにたくましくなってきたユリウスの体。軽い衝撃だったが、彼女の手からペンが離れて床に転がる。
「あっ、ごめん……!」
拾いに行こうと、ユリウスが一歩を踏み出す。仮に取って来いと投げれば喜んで走って行きそうな懐き具合だが、一応はあちらが主だ。
アリシアはそれ以上の隙を与えず、手早くペンを回収して彼を向き直った。
「いえ。帰りましょうか」
「え、あ、うん! それじゃあみんな、またね」
周りの友人たち、そして先ほど声をあげた男性にもにこやかに手を振ると、ユリウスは片付けを終えたアリシアにぴったり寄り添って歩き出す。
(近いな……)
いつものことだった。
明るく開放的な廊下で、彼は多種多様な生徒たちから「あっ、王子だ」「ユリウス様ー!」と注目されて同じように笑顔で応える。昔から気さくで親しみやすい人柄だ。王位継承の予定はなく、親からも放任に近い扱いを受けているが、政府に国政を任せてからお飾りと揶揄されがちな王家のイメージアップに一役買っている。
(あ、留学生の王女様、また話しに来てる。今日も大人気だな……一部の女生徒からの熱視線で、私が焼かれそうだけど)
ユリウスの隣を狙う人間は、やはりいる。彼と同様に華があり勤勉で人柄も良い、お似合いの人間もちらほらといる。
それが、ちょっとだけ、悔しい。結婚して王族になりたいなんて思ったことはないけれど、彼の信頼を頂く人間として相応しくありたい。
(付き人としては無理だったけど、私も、いつか胸を張ってユリウスと会えるようになれたらな)
彼が足を止めてファンの対応をしているあいだ、なんとなく二歩、後ろへ下がる。すると、講堂にいた例の男性が、寂しそうにこちらを見ながら歩いて行った。
そして、はたと思う。これだけ慕われているユリウスなのに、いつも帰りは自分と二人きりなのが前々から不思議だったのだ。
「あの……さっきの男性、あなたと一緒に帰りたかったんじゃないでしょうか。なにか駄目な理由でも?」
お待たせ、と言って再び隣に並んだユリウスに尋ねてみる。すると彼は、日頃から童顔ではと気にしている大きな目をぱちりと瞬かせた。
「あれ。彼、なにか言っていた? 気付かなかったな、今度会えたら聞いてみるよ」
教えてくれてありがとう、と言って小さく首を傾ける彼は、はじめて会った時と同じように温かく笑っていた。
さほど変わらなかった背丈はすっかり追い越されて、その眼差しはちょうどアリシアの頭の上から注がれている。二人で重ねてきた何気ない日々に感じ入りながらも、彼女は自らの選択を告げるために彼をじっと見つめた。
「ユリウス様。もうひとつ、お伝えしたいことがあります」
「うん? どうしたんだい、改まって」
ユリウスが立ち止まる。いつも彼ばかりが話しているが、アリシアが何か言いたげにすればしっかりと耳を傾けてくれる、そんな人だ。
彼の作る、居心地の良いこの関係から抜け出すのには勇気が要った。しかし、優しくのぞき込まれ、なんでも言ってと促され、アリシアは思い切って宣言する。
「私、卒業したら普通の企業に就職します! 今まで、お世話になりました……っ!」
「っ!!? ッッッ!!!!!!! ダメだけど!!?!!??」
「えっ、」
この世の終わりみたいな顔で叫ばれた。
突然の騒ぎに、なんだなんだと通行人がひそひそ話をしている。衆人環視の中、ユリウスは両膝をつき、雨に濡れた捨て犬のような顔でアリシアの手を握った。
「そんな……オレが不甲斐ないから、とうとう愛想が尽きちゃった……?」
「え、いや、ではなくて……。ただ、王族の恩恵に与らず、自分の力で稼げるようになろうかと」
「ウチはきみを保護してるわけじゃないんだけど……??」
名目上はそうでも、実態はさほど変わらない。アリシアが決意を崩さないままでいると、ユリウスは観念したのか真剣な面持ちでうなずいた。
「わかった……。それなら、オレも一緒に就職するよ!」
「んっ?」
夏の日差しがまぶしい。ユリウスに連れられて電車に小一時間揺られたアリシアは、三階建てのオフィスビルの前にいた。
(来ちゃった……面接……)
取り立てて天才肌でもないのに、すでに二年分飛び級してまでアリシアに合わせている彼の行動力をなめていた。
(この人もいい加減、私離れした方がいいと思うけど。体ばっかり大きくなっちゃったような……)
隣でスマホを耳に当て「到着しました!」と元気に報告したユリウスは、なんとも言えない表情のアリシアに屈託なく笑いかける。
「もう入って良いって。ここなら、政府にも王族にも与しない完全独立機関だから、上もオレたちを特別扱いしないよ」
「……お気遣いありがとうございます。私の義兄がいるところを選んでくださったことも」
でも、と思いながら、彼の後について緑豊かな植栽の合間を行き、自動ドアをくぐる。元々、街の端にあるそう騒がしくないエリアで、広々としたエントランスホールは静寂に包まれていた。階段から、茶色いくせっ毛の少々くたびれた風貌をした中年男性が、ばたばた降りてくるまでは。
「あっ、やー、よく来たね!」
彼はアリシアたちの前で止まると、大仰に両手を広げて言った。
「ようこそ、魔法管理局ディオール支部へ!」
(――魔法。得意じゃなくても、大丈夫なのかな)
アリシアが気がかりなのは、そこだった。
『支部長 フランツ・ブラウン』と書かれた名刺を渡してから、彼は二人を二階へと案内する。へらへらと締まりのない笑みを浮かべながら。
「簡単な面接を受けてもらいますけどね、まあ~大丈夫だと思うよ。事務処理だけでも助かるし、ココ、僕を入れても三人しかいないから。喉から手が出るほど欲しいなぁ、人材」
(あっち側が大丈夫じゃなさそうだな……)
アリシアの笑みは引きつりそうだが、ユリウスはいつも通りだった。貴公子スマイルで爽やかに話をつなげる。
「魔法を活用しての問題解決がお仕事ですよね。需要に対して、働き手が圧倒的に少ないと聞きました」
「そうなんだよぉ、ぶっちゃけ魔力持ちは全員入ってほしいくらい。管理局ってそういう側面もあるし。まぁ強制はできないけどねぇ」
(それなら……事務と、軽い治療くらいなら、私にもできるかな)
ほんの少し、アリシアの胸に希望が灯る。
応接室に通されてすぐ、フランツのスマホから着信音が鳴った。
「おっと失礼――うわ本部長だ。あの人、話長いんですよ~。十分で切り上げるから、座って待っててね」
二人を残して部屋の外に出た彼は、扉を閉める前にこう言い残した。
「あっ、ごめん忘れてた! 一応、魔力量の検査もするからそのつもりで!」
ばたん。扉が閉まって、足音が遠ざかる。面接しか事前情報のなかったアリシアは、すっとユリウスを見た。
「どうやら私はここまでのようです……」
「あーッ……きみ、常にうっすらしか魔力がないんだったね」
「はい。確実に落ちます」
幼い頃からどれだけ頑張っても、目を見張る成果が上がらなかった原因がそれだ。いくら技術を磨いても、エネルギーがなければ大したことはできない。
(体質だから仕方ないんだよね……)
けれど、胸の奥がきゅっと痛んだ。
(……? 今さらなのに)
しかも、何やら考え込んでいるユリウスを見ると切なさが増す。それで、ようやく気が付いた。
(あ……私、まだユリウスと一緒にいられるかもしれないって、期待してたんだ。往生際が悪いなぁ……)
苦笑してから、仮にも年長者として背筋を伸ばす。
「それじゃあ、ユリウス様。試験、がんばってくださいね。応援してます」
「いや、まだ諦めるのは早い。きみ、ひょっとすると魔力生成が追い付いていないだけで、受け皿はあるのかもしれないよ」
まっすぐに見つめ返される。部屋には冷房が効いているのに、アリシアの額を汗が伝った。冷や汗だ。
嫌な予感の通り、ユリウスが両肩に手を置いて真剣に説得してくる。
「魔力ならオレがたくさん持っているから、あらかじめ渡しておくとか」
魔力供給。アリシアにも知識ならあるが。
「あの……え、でも、皮膚の接触だと時間がかかりすぎて……今から急ぎでとなると、粘膜接触とか、体液とか……そういう方法になりますけど……」
「大丈夫だよ、人工呼吸と同じだからね」
「同じではないですね」
つい、バッサリと切り捨ててしまった。
必要なのは、口づけだ。こんなところで。しかも、人との交際経験すらないアリシアには、そもそもハードルが高い。
(だって、今それで乗り切ったとしても、魔力が必要になる度に……)
鼓動が速まる。嫌悪感ではないが、確実に過ちのたぐいだ。みんなの王子様に手を付けて、きっと、そこから何かがおかしくなる。
「…………」
反応が思わしくないのを見て、彼は、アリシアの肩からゆっくりと手を離した。珍しいことに力なく笑いながら、行き場のない視線をさまよわせている。
「あ……ごめん、きみがそばにいないのなんて、今さら考えられなくて……。突っ走っちゃった」
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