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4:神の憂鬱

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『虚空より生じた主は自らの大地と共にソラを渡り、世界にたどりついた。
 世界は常に激しい嵐が荒れ狂い、すべての存在が苦悶していた。
 主は嵐を起こしている一匹の龍に、なぜこのようなことをするのかと問われた。
 竜の答えていわく「我が内には常に荒れ狂おうとする力がある。ならばそれをふるうことは天命である」と。
 主は大気の理を説き「強大な力もやがて収まるべきところへ収まる。それが汝の力であるならなおのこと、御して初めて己のものとなる。野放図にふるうことは必ずしも天命ではない」と諭した。
 龍は自らに比べて大人しげな神を一瞥し「ならばその言葉が真実であると力で証明してみせよ」と迫った。
 主は普段は自らの内に向けている力を解放し、天空から巨大な光の柱を落とした。
 主を侮っていた龍は相手が己の想像を超えた存在であることを認めて無礼を詫び、力を無意味にふるうことを止め、万神殿に侍ることとなった。
 穏やかになった世界で、天地が始まった」

       古き神話の一節

 天空の大地には多くの民が住む
 天使・翼人・鳥人。いくつかの少数種族。ドラゴン。
 人が集まり問題なく生活するためには秩序と組織が必要で、彼らの社会・行政の中心を占めるのは天使であった。もっともそれは能力を考慮した適材適所の配置にすぎず、役目として命令を発することはあっても、私人として権利は全ての種へ平等に認められている。
 肌の色どころか種が明らかに異なる人々のあいだでそれが可能であるのは、創世神にインスピレーションを与えてこの大地を創造した主神の前では、自分達が等しく大差ない存在であるという考えがあるためだった。いずれも住まわせてもらっている立場でどちらが上の下のという争いを起こしたなら、不興を買う。少なくとも好意を持たれることはない。主神自身が姿を現さなくとも、その眷族の神々で十分に自分達とは隔絶しているのだ。ましてや本尊をや。
 神にとって自分達は必須の存在ではないという事実も、その認識を後押ししている。この世界において、神は世界の力の源であって、一部の物語のように人々の信仰の力など必要とはしていない。むしろ人々の方が神の庇護を必要としている。それはもうエルロポスの前世の世界より切実に。
 他の神の暴虐から民を守れるのは神だけなのだ。見放されたくはない。
 天使達が強力なテレパシー能力と光に情報を乗せる通信手段を持ち、全体としてまとまりが強いことも大きい。彼らは本来の性質に加えて意思疎通が容易で教育が行き届いているために、個の利益は求めるが、それを全体の利益の下に置くことを当然と考える、非常に社会性の高い種族なのだ。
 強大な力を持つ上がそんななものだから、他の種族も大なり小なり影響を受け、我欲の発散は無害な方向に向けられることがほとんどになり、治安も良い。
 最初の騒動を華麗にスルーというかできるだけ考えないようにし、目覚めてまずは現状を把握したいと提出させた社会関係の概略資料を流し読みしたエルロポスは、とりあえず現状に安堵した。
幸いにして言語についても知識はあった。というか、この地で使われている言葉は漢字を簡略化した日本語に近く、口の形状が異なる知的種族が複数存在する関係上、生得能力である思念会話=テレパシーや、魔法使用時の存在力の働きを解析して作り出された魔術による思考翻訳技術も整っていたため、さほど苦労せずに内容を把握できたのだ。
 謁見の間での様子から抱いた、狂信的な信者に近いのかという懸念も、多少は払拭された。
 主神は創世神とともに大地と種を創造した親であり、主である。また強大な力を持って一族を保護してくれる存在でもある。ならばこれを崇め奉るのは当然、という考えが基本らしい。
 個人で差はあるだろうが、全体的に主神が全知全能だと妄信したり、その名の下におこなわれるなら虐殺も是である絶対正義だ、などとは思っていないようだ。
 このあたり、信仰という非常にデリケートな問題なのでヒアリングには慎重を期したため「そうなんじゃないかな」という程度の確信度ではある。あの熱狂ぶりや、側仕えや近衛軍の忠実さを見ると、いまいち自身がもてないが。
あえていうなら、国家統合の象徴兼特定非常事態用最終兵器といところか。
 上村公平としての認識が強いエルロポスとしては、前者も旧母国を考えれば畏れ多いが、後者もできれば勘弁願いたかったことだろう。
 それでも結果として、彼は天空の万神殿における社会運営において諸事判断をする必要はほぼなく、人格としてはしがないサラリーマンのまま、国家中枢で奔走しなければならないというブラック人事を避けられた。
 ただ、だからといってなにもしなくてよいというわけではない。
 復活した主神を一目見たいという民衆の求めを上奏してきた政府からの招きに応じないというのも問題だろう。要請にそって市街地上空を飛行し、パレードもどきもやった。申し訳ていどに笑みを浮かべて手を振ったらものすごい歓声が地を轟かせたのに少しビビったのは隠し通せたはずである。神の肉体でも神経性胃炎はおこるのだろうか。
 様々な設備・道具・能力を確認しておく必要もあった。ゲームでの知識は参考資料程度にしかならないのだから、今後のことを考えればおろそかにはできない。収めているアイテムの一覧が出て、選択して取り出すというスタイルだったアイテムボックスが、下手をすると迷いかねない巨大な倉庫になっていたため、いまだに全てを確認できたわけではない。
 そしてなによりも、強大な力を持つ他の神々への対処を考えなければならない。
 この世界において、神は脅威だ。圧倒的な存在力で他のほとんどから傷つけられることがなく、ていどの差はあれど完全とはいいがたい知識を持って生まれ、親の背中も教育も躾もなく世界に在る。
 強大な力を持ちながら、その動向は特に鍛える必要のない本人の自制心に頼るしかない。
 くりかえそう。神は脅威だ。
 そう。いま目の前にいる二人のように。
「書類仕事ばっかりっていうのもどうなの? 兄さん」
 机の向こう側。客用の椅子に長い脚を組んで退屈そうに座るのはアルディナ。
「軍団長の天使達とは何度か模擬戦をなされたそうですよ、兄様は」
 こちらは上体を伸ばして手元をのぞきこんでくるカラカル。
 絶賛姉妹が押し掛け中。スルー? 残念ながら女神からは逃げられないようです。
 関係者の内、もう二柱。特に姉の方が来ていないだけマシである。
 もっとも下の妹の発言を聞いて露骨に美しい眉間に皺をよせた上の妹の顔を視界の端に認めた段階で、良かったなどとは思えなくなるのだが。
「なによー、誘いなさいよそういうのはー。軍神なめてんのー?」
 思いっきりすねて見せるところはかわいらしいといえなくもない。しかし、室温がいささかならずあがったように感じるところは決してかわいくない。
 暁と炎、戦。そして鍛冶の神でもあるアルディナの存在力――神であり聖属性と称されるベクトルを持つので神力と呼ばれる――は炎熱という形に変換されやすい。戦神系種族で炎属性の攻撃能力を持ち、オリジナルの武具製作をおこなうために鍛冶系スキルを習得させていた影響だろう。
そして、半ばわざとやっているはずだが、感情が高ぶるだけで周囲に影響が出る。
 これが神だ。
 ぶっちゃけ、エルロポスはこのクラスといきなり模擬戦などしたくなかった。
 ゲームのデータがそのまま能力になっているわけではないまでも、かつての知識が参考資料ていどにはなることは、自分の力を試して分かっている。
 ならば、フィールドに出て稼ぐためにそれなりにガチビルドでスキルや能力を揃えたメインキャラに対し、そちらで取ると限られたスキル習得リソースが圧迫されるため、生産系スキルなども習得させたサブキャラは戦闘能力という点ではいささか劣るはずではある。
 しかしながらレベルはカンスト。性別や属性の条件がつくフィールドへ行くためにそれなりの能力は持たせ、サービス終了時に投げ売りされたアイテムなどで理想に近い武装をさせた彼女らは、状況によってはこちらを凌駕する可能性を持っている。
 ならば明確に大きな差があるはずの格下から、と考えたのは臆病というには酷だろう。なにせ相手がこちらに絶対的な好意や忠誠を持っているわけではなく、自分にとっての常識がどこまで共有されているのかも分からないのだ。言葉が通じる異星人といきなり共同生活をしつつ距離をはかるようなものである。
 まぁ相手をしてもらった軍団長、戦闘の実力的にも近衛軍二十万の頂点に立つ七大天使も十分にアレだったので、本当に安全だったのかは微妙だが。
 軍団の長に必要とされるのは指揮能力や事務能力であって個人戦闘能力ではない。しかしながら、この世界では部隊を粉砕するレベルの強者が斬首戦術――司令官をピンポイントで殺害することにより指揮系統を崩壊させる――をとってくることがままあり、対処を考えるのは当然で、長命かつ強大な地力を持つ最高位の天使・熾天使は、軍団の運営能力と個人戦能力を高水準で両立することが可能な種族だった。
 無駄に設定に凝り、与えたアイテムの説明文に神話などから拾った逸話が添付されていた結果ともいう。
「ウルリスと魔術研究もなさったそうですわね。……わたくしに黙って」
 最後に付け加えられた一言は、音は小さいのに不自然なほどはっきりと聞こえた。
 穏やかな笑みを浮かべる妹から、姉がわずかに身を引く。
 知識のウルリス 叡智のクリス 知性のアル二ウス。
 至智聖殿と名付けられた、ゲーム内で得たアイテムや倒した敵などのデータが更新登録される図鑑の閲覧・自キャラのプレイ実績・過去に得たクエスト関係や公式の資料などを検索することができる資料庫の、検索端末役として置いてあったPCである。
智慧の聖杯と呼ばれる巨大な金属器の前に立つ三人の女神。アクセスして情報を見るだけのオブジェクトに近かった存在が各個に人格を持つ下位神として存在し、神器の管理をしていた事実は、なかなかに衝撃であった。
 うっかり冗談もいえない的な意味で。
 それでも知識神であり問いに答えることを喜ぶ存在がいるとなれば、現状確認に必死な身としては幸運を喜ぶしかない。ついつい話しこみ、半ばゲーマーとして魔術関係の話題で盛りあがって実地の運用試験にまでもつれこんだのは当然の帰結だろう。本人はそれで理論武装したつもりだった。
 当然ながら三女神の上司であり、本職の魔術神であり、妹で嫁が、そんな理由で納得してくださるわけがない。
 エルロポスは可能な限り彼女らを避けていた。朝食と夕食は二人の希望があって可能な限り一緒にとることになっており、食後のお茶で歓談することもあったが、昼食は仕事の都合がつかないこともあるためはずしていた。
 風呂への突撃は回避したし、閨のことはなんのかんのと理由をつけて逃げ回った。
 途中でチラッと桜色のなにかが見えたりとか、うっかり柔らかいものに触ってしまったりとかはしていない。
 していないのだ。
 前世では女性と付き合ったことはほぼなく、今生において「嫁である」というゲームでの設定をいいことにいただいてしまうなどという選択ができるほど、飢えてもいなければ視野狭窄でもなかったのである。単に根性がないとか開き直りが足りないとかいってはいけない。
 それは結構真剣な悩みでもあった。
 なにせかつて相当に手をかけて作り上げた容姿が、世界創造級の最高技術でブラッシュアップされて現実化した正に女神。その圧倒的な美貌と存在感は前世で見たTVの向こうの美女達と比べても、感想をのべるのがはばかられる領域だ。
 それが手の届く場所にいる。触れなば落ちん風情で。
 正直、惜しい。手を出したい。出したいのだが、同時に恐ろしくもあった。
 彼女達はこちらに好意を持っているように見える。
 しかしはたしてそれはなにを根拠にしているのか。
 生まれながらの刷りこみでもアレだが、役柄を与えられているために仕方なく演技をしているだけで、内心では現在の境遇を嫌っていたら? あるいはなにか勘違いなどがあったら?
 相手が極上であるだけに、齟齬があった場合のしっぺ返しが怖い。
 女性経験のなさからくる恐れもある。あまりにも美しい女性が、しかも二人。
 一度はまったら快楽から抜け出せないのではないか?
 最初に二人からそれとなく誘われた時、彼はまず硬直し、数秒後に強烈な懊悩に襲われた。
 あえて文章に起こすなら
(確かに嬉しい。めっちゃ嬉しい。こんな美人にというか趣味満載で作ったキャラクターが美化1000%されたような美女にのりのりで迫られるとか御褒美以外のなにものでもない。飛ぶ、理性が飛ぶ。
 だがまて、はやまるな。一度飛ばしたら再構築は至難の業。もどってこない、理性。見える。ありありと見える。肉欲におぼれてあっぱらぱーになる見境のない自分がはっきりと――!)
 といった具合。
 万神殿の設定を作る時はギリシャ神話なども参考にしたが、正直逸話を探るほどにクズ野郎という感想しか出てこない主神のゼウスとかの領域には堕ちたくないのだ。
 創世神との契約によって眠りにつく前に関して、エルロポスにはまさに設定というしかない記憶というのもおこがましい情報しか存在しない。実際にはつい先日生まれたばかりなのだから仕方ないといえばそうなのだが、神の誕生がいかに不可思議かつ理不尽な代物かを実感するところでもある。
 この情報の中で妹達とは夫婦ということになってはいるものの、別段華燭の典をあげたわけでも、初夜をすごしたわけでもなく、ただ生まれながらにしてそのようなものであると認識しているにすぎなかった。
 この神話的にはありそうな話で、かつて人間として生活していた記憶がある身としては非常に納得のいかない状況が、踏み切れない理由の一つなのは間違いない。
 まして、中身は自分なのだ。
 偉大な主神などではなく、人格的には一介の平サラリーマンでしかない自分。
 それが半ば騙すような形で、話してみれば性格も良く、慕ってくれる女性をいただいてしまう。
(転生で新生だ。誰だって生まれは選べない。与えられた環境の中で選択する。問題は、そこでなにをするかだ。
 生れつきで好意を向けてくれる彼女達を騙して傷つける。
 それが、俺のやりたいことなのか?)
 自分がどうしたいのか。
 それが定まっていない。
 まじめに悩んだ。悩んだ上でどうしたかといえば――もちろんごまかして逃げたのである。
 その上で、色恋沙汰でないとはいえ他の女神と長時間一緒にいたという。
 向こうから見たら心穏やかでいられるわけがない。
 闇夜と魔術を司る女神の怒りは、美しい笑みを浮かべたその周囲の光度を少しずつ下げはじめる。
 さながら部屋の様子を写したモニターの明るさを調整したかのように変化する視界。これがリアルなのだから恐ろしい。
 ことここにいたって、ようやくエルロポスも腹をくくった。
 幸いにして能力・技能・装備・戦術といった重要事項の確認はすんでいる。どこまでがゲームと同じで、どこが違うのか、現状を把握したうえでの運用法まで考えたのだ。できる範囲でだが。
 あとは、実践してみなければ分かるまい。
 半ばやけっぱちでも試合をする覚悟を決めた。
 色の方は思考の外にうっちゃって。
 しかし、世の中なかなかうまくいかないものである。
「失礼いたします、主上」
 ノックからさほど間を置かず、執務室の扉が開かれる。
 普段は許可を得てからでなければ入室する者はいない。ただし非常事態時には静止の声がかからなければ即扉を開けてよいという規定がある。つまり、なにかあった。
 はいってきたのは七大天使の一人であるサマエル。近衛軍の司令官の一人であり、諜報・防諜を司る情報部の長だ。
 まずは状況を知ろうと抑えてはいるものの、なかなか剣呑な空気を発している二女神を前にしてもまったく気にした風もなく、ぬめるような艶を持つ赤髪をゆいあげた頭を軽く下げ、眼鏡の向こうの金色の蛇眼でエルロポスのみをまっすぐに見つめる。
「下の島へ人間の船が近づいているとの報告がはいりました」
 下の島とは、広い意味での天空の万神殿――静止軌道上の小惑星――の下に位置する四国ていどもあろうかという島のことだ。中央の山と沿岸の一部に出先拠点が築かれ、地上世界の情報収集などをおこなう人員が滞在し、亜熱帯の気候を生かした特産品の生産などもおこなわれている。
 以前は大嵐龍の起こす嵐の障壁と深淵の魔神の海流操作によって完全に閉ざされていたが、エルロポスの覚醒によって今後の方針を定めるべく地上の情報収集を強化する決定なされたため、結界を定期的に解除することになった。転移ですら大規模な神力行使の中では安定性が損なわれる。まして飛行となると嵐が建材では厳しいからだ。
 それは、ここに近寄る船など皆無に近いからでもあったのだが。
「どういうことだ? まぎれこんだのか、なにか目的があるのか」
 エルロポスは意識してゆっくりと言葉を発する。焦ったやつは早口でよくしゃべる。裏で素早く思考をめぐらせている風に呟けば、まだしもごまかせる、かも。
 完全万能だとは思われていない。しかし尊崇はされている。失望されればどうなるか分かったものではない。ならばできるだけ無様なところは見せないに限る。
 無駄な努力に終わるかもしれないが、やらないよりマシ。そんな心境の主神である。
「詳細については現在情報収集中です。指揮所の方においでいただければと。それから……」
 幸い、気づかれてはいないようだ。スルーしただけかもしれないが。
 サマエルの設定は前世の伝承を基にいろいろと曲折しつつまとめたものだ。古き聖なる書の記述における別名はサタン。人間が楽園を追放される原因となった赤い蛇である。凡人にその思考を読むなどは望むべくもない。
 その彼女がいいよどむ、というよりは呆れて息をつく、といった感じで間を置いた。
 視線でうながすと再度口を開く。
「本来なら嵐のある海域までふみこんできた時点でウルラトラテク様が海流を操り、島へ引きずりこんでいるようです」
 三人の神が深く、深く息を吐いた。
「「「あの姉ぇ……」」」
 先の謁見の間での騒動は部屋が頑丈なのをいいことに乱闘騒ぎに発展。頃合いを見てティシスが上空の結界を解除し、低気圧を発生させて外へフッ飛ばすことでお開きにした。それ以後、ウルラトラテクは万神殿に顔を出していない。
 誰一人として諦めたとは思っていなかったのだが、なにをやっているのか。
「分かった。指揮所にいく。情報収集を継続してくれ」
「承りました」
 淡々と無表情で職務を遂行する体のサマエル。いっそうらやましい落ち着きぶりである。
 エルロポスも外面は動揺していないように見える。内心は色々だ。
 書類を置いて立ちあがると、彼の腰のあたりが輝き、一本の刀が佩かれた。
 神刀クルト。
 神の中には神器と呼ばれる装備を所有する者がいる。
 本人の権能の一部で、最大の特徴は神に匹敵する存在力を有していることだ。
 ぶっちゃけた話、神には十分な存在力を持つナニカをもちいなければ、損害を与えることができない。武器だろうが毒だろうが病だろうが、まず存在力の多寡が問われる。
 つまり、戦闘にもちいることができる権能や武器として使える神器を有していない神が他の神と戦う手段は素手しかなくなる。
 存在力にろくに傷もつかないほど大きな差があれば素手の方が勝つ可能性もあるが、普通なら厳しい勝負になるのは間違いないだろう。強大な豊穣神と、弱小ながら戦に特化した英雄神がガチバトルした場合、後者が勝ちかねないという話だ。
 エルロポスはゲーム時代、当然ながら多くの武器を所有していた。
 中でも愛用していたのが神刀クルト。刃渡り1m 最大刃幅30cm 全長140cmの片刃長柄長剣。日本の大太刀や中国の長刀に似て非なる、ゲーム内ではバスターブレードと呼ばれていたタイプの刀の一つだ。
 鍛冶スキルなどをもちいて装備を独自にカスタマイズすることができたため、基礎性能が優秀なこれをいくつかそろえ、狩りたい敵の弱点属性や特定の防御に対する貫通性能を付与するなどして、必要に応じて使い分けるスタイルを取っていたのだ。
 この世界でクルトが出現するにあたり、武器庫においてあまたのクルトは一つとなった。
 そこそこやりこんでいれば複数揃えられるとはいえカンストキャラの普段使いにするレア武器。固有の説明文もそれなりのものだった。「人格こそないが意思を持ち、自ら主を定める剣神」。
 神器ではない。
「刀の神」クルト。
 自らの意思で己を統合し、唯一の剣神として主の腰に侍ることを望んだ存在。
 もちろん、エルロポスにとっては青天の霹靂である。
 まぁかつての愛用の武器が自ら従いに来てくれたわけで、悪い気がするはずもなく、模擬戦などでも使用して、手になじんでいる。
 ゆえに、その重みにどこか安心するのだ。
 一部護符などの装備も整え、待っていた妹二人を後ろに従えて彼は執務室を出た。
 廊下は高いアーチを持つ回廊。右手には浮遊島の高台にある神殿からのぞむ幻想的な景色が広がっている。
 はるかかなたの大空洞の青い岩壁がかすむ空を背景に、雲とも霧ともつかぬ塊が、眼下の西欧風石造りの街並みの屋根をかすめるように流れ、その狭間を天使や天馬がゆきかう。
 もっとも、いまはその絶景に目を止めている場合ではない。早足に進む三人の姿を目にとめた要所の衛兵や女官・執事が礼をする間を抜けて、指揮所へ向かう。
 ゲームでは部屋とそれをつなぐ通路と外の景色ていどしかなかった拠点だが、現在は背景設定や人員の規模に応じて、矛盾がないように拡張されている。つまり、数千万の超常の民が信奉する主神の御座所兼各神の関連施設に対外戦争用の指揮司令所まで集まっているのだ。当然、広い。
 その大神殿の指揮所。元々は拠点のメインコンソールがあった場所だった。
 運営の公式インフォメーションから登録した狩り場の現在情報、特定地域に配置したNPCへの指示出し、撮影したスクリーンショットの閲覧や加工、過去に取得したゲーム内外の各種情報の閲覧、といった情報管制機能が集中していた。
至智聖殿との違いはリアルタイムの情報の比重が大きいことだ。後者が集積・検索・閲覧なら、前者は収集・分析・発信というところか。
 普通なら執務室にでも置きそうなものだが、機能のカテゴリーごとに専用のオブジェクトを置いて拡張する形式であったため、専用の広い部屋を用意しなければならなかった。
 三階建ての家がまるまるおさまるドーム内。中央にたつ巨大な永久氷柱には運用席について感応球に手を置いたオペレーターの指示に従い、光精霊によって様々な文字情報・グラフ・投影映像などが映しだされている。
 周囲に配置された幾何学文様が刻まれた金属柱が精霊によって運ばれた情報を整理して表示し、聖殿の大聖杯と連動する小聖杯が関連情報を添付。大天使を象った像の機能が地図と各地に配置された天使達の位置を表す。
 道具立てはファンタジーだが、やっていることは現代的な情報集積と指揮管制。
 せっかく作るのだからなにか一本筋の通ったものにしたいとレイアウトや設定を考えた結果、CICもどきができあがった。かつては一人でそれらをいじっていたものだ。
 多数の天使オペレーターや智天使の参謀がいきかう様はもちろん想定外である。
「状況は?」
 部屋の最奥に位置し、全体を見渡せる専用席についたエルロポスは先行していたサマエルに声をかける。
「近づいているのは大型のガレオン。識別旗はありません。発見位置と航路から推測するに北大陸から下ってきたものと考えらます」
 この地の情報は重要なものの概略把握優先なので、あまり細かいことまでは理解していないエルロポスだが、さすがに地上の大陸と、そのおおよその状況くらいは分かっている。
 下の島を中心とした視点でも、国際的な認識でも北大陸と称される地は、この星最大の面積を持ち、人口も多く、技術力も高い。
 かつては人間=ヒューマンの種族神、簡略には人間神と称される神格が君臨する「帝国」が、その九割までを支配していた。
彼らは人間至上主義を唱えて他種族を圧迫し、ついには御前会議において人間以外の知的種族を絶滅させる決定を下す。
 しかしその承認がおこなわれた瞬間、帝城へ創世神による豪雷が降りそそぎ、人間神が封印されるという未曾有の事態が発生した。
 これによって主神を失い、国力にも大打撃を受けた帝国は勢力が衰え、地方を抑えていた辺境伯等の独立が相次ぐ。
特に大陸北方から生じた帝国の南部は距離的な問題もあって中央からの統制が弱く、大半が公国や王国を名乗って離れてしまう。
 もっとも彼らとて帝国と完全に敵対してしまえば色々な意味でまずいことは理解しており朝貢――定期的に献上品を収める代わりに地位を公認してもらう――をおこなうことで帝国の下にあるという体裁を作る。
 帝国側としても衰えた勢威で無謀な遠征をおこなうよりは最低限の形式を維持した方がよいとの判断からこれに乗った。
 つまり北大陸から南下してくる船というのは、この独立国家群のいずれかから発したものである可能性が高いことになる。
「はーい、そこでへオルちゃん情報でっす☆」
 うざい。まことにうざい登場である。
 金の髪に黒い瞳の少女と見まごう愛くるしい美貌。それがわざとらしいウィンクと、表面だけだということがありありと分かる、分かるようにしている媚びた声音で、とどめに珍妙なポーズを付けて迫られると、色々と台無しになる。
 へーオルトール。光の伝令神。正しく天の使い。天使神。
 アルターロードはオープンフィールドタイプのゲームであった。つまり、特定のものが採れる場所へゆくためには、移動しなければならない。初期は当然ながら徒歩で、次いで騎馬などの移動手段が手にはいるようになるのだが、アップデートを重ねてマップが広大になるにつれ、より高速なものが必要になってくる。
 さらにいえば時間経過やプレイヤーの活動・イベントなどでも変化する現地の情報を把握していなければ、手間暇かけて移動しても無駄に終わる可能性がある。先にあげた特定地域――大きな都市にある商業組合の商館に設けた連絡要員用の部屋など――においたPCから連絡させるという設定のアクセスを確保して現地情報を入手するのも情報収集手段の一つだ。
 そして、有力な移動の方法として、そちらに能力を特化させたサブキャラクターを作り、現地でメインキャラクターと相互転移で入れ替わる、という手段があった。プレイヤ―キャラクターのビルドリソースというプレイヤーにとって価値の高いものを消費させるだけあって、こちらを専門に伸ばした場合の移動能力は他の手段より頭一つ抜けている。なにしろ、最終的にはマーキング条件さえ満たせば特定のポータルなどではなく、どこにでも瞬間移動ができるのだ。
 現地情報についても自分でおもむいて収集するのだから精度は高い。移動特化キャラならいってみてだめならすぐに戻ることもできる。
 この移動用キャラであったへーオルトール。万神殿での役割は神々の情報伝達役。天使が神の意志を人間に伝える存在であるなら、神々の間の情報伝達や必要な情報の収集であるとした。
 その人格を悪戯好きのキューピッドあたりを参考にして遊んだのは、いまとなっては痛恨事である。
 エルロポスが内心に抱いた後悔など知ったことではなく、少年は嬉々として厄ネタを暴露する。
「あの船、アルフレフト王国の王女が乗ってるね。どうも神族から逃げてきたらしーよ?」
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