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8:断罪姫

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『わるいことしたらいけない
 首狩り姫が来るよ
 わるいことしたらいけない。
 姫様に首を狩られるよ
 斧を持って
 飛び跳ねて
 罪断つ姫がやって来るよ
 でもね?
 いいことしてても、ダメな時はだめなのさ!』

    王国に伝わる童謡

「どう見た姫さん」
 快適な、快適すぎる宿の一隅。
 アルルは謹慎ということで船室の一つに軟禁している。
 夜分に未婚の王族の部屋で男女が二人きりなど事情があっても風評が危険であるため、貸し切り状態であることを生かして一階のホールのテーブルを使って話しているのは姫と船長。
 少し離れたところで立哨している従士には聞きとりにくい大きさの声だ。
「かなり危険ですね」
 端的かつ真剣な回答だが、それだけではさすがに分からない。
「どのへんがだ?」
 この二人、計画の準備段階で意見を戦わせて以降、互いの専門分野は基本的にお任せ。相互の見解を合わせる必要がある時はゴーズが尋ね、シュリーヴィアが考えを整理しながら答えるという形が定着していた。
 海や船以外のことは王族である姫の方が社会情勢など持っている情報が多い。一方で船長には経験と世知がある。その観点から問題があると思えばゴーズが指摘するのだ。
「アルルのせいで、私達への町の住人の印象がかなり悪くなったと思います。おかげで勘所がつかめたので悪いことだけではないのですが、それでもね」
 小さくため息をつく姿にはいささか疲れが見える。宿にはいって一休みする間もなく頭を回転させていたのだろう。
「それは町の連中が脅威になりうるってことか? 戦力的にも」
 たいして大きな町ではない。人口一千人前後としてもその中で戦力になる成人男性は三百人いるかどうか。さらに訓練を受けている者となると中でも十人に一人か二人。
 船員は喧嘩慣れレベルではあるものの武器をとって戦える水準だし、シュリーヴィアが連れている騎士・従士は合わせて五十人。戦闘要員の数では圧倒している。
「分かっていていっていますよね? あの時、この町の衛士達の動きは訓練された兵士のものでした。恰好だけの民兵ものではない。装備も良質です。それに……」
「それに?」
「あの時、彼らの頭上にはかなりの数の魔術陣が展開していました」
 魔術は魔法の存在力の形を再現することで同様の現象を発現させる技術だ。
 帝国式だと円の中に記号・文字・文様をまとめたような図柄になる、この再現された形というのが魔術陣と呼ばれるものだ。
 多くの場合、魔術の発動には精神集中や詠唱などが必要になり、この事前準備によって魔術陣が構成され、即座に発動する場合は完成と同時に解放されて、効果を現す。
 一方発動を遅らせ、待機させる技術も存在する。魔力を一定の形で留め、任意のタイミングで開放するのだ。
 魔術を使う素養―― 一定濃度以上の存在力を感知する才を持つ者は、この魔術陣を見ることができる。即発動でもそうだが遅延発動ならより詳細に観察することも可能だ。
 シュリーヴィアは、それを見た。
「戦闘になっていれば、衛士達が支援魔術で強化されると同時に、弓矢と魔術の同時攻撃が降りそそいでいたでしょう。後衛を含めた戦闘人員はかなりの数になるはずです」
 それはこの町の人口分布が定石の範囲を逸脱しているということであり、先の戦力予測があてにならないということでもある。
「一見平和ボケしてるように見えるのはわざとってことか……」
 いわゆる人類圏の一般的な港町であれば、所属不明の武装したガレオンの入港には警戒をするものだ。相手が海賊なり私掠船なりであった場合、いきなり豹変して砲撃後に兵を送り出して占領、などということもありうる。
 この町は、嵐の領域のことを考えれば海側からの外部との交流はなかったと考えられる。ゆえにそういった常識がなく、無防備だからこそあっさりと寄港の許可を出し、最低限の数の衛士で出迎えたと考えるのが自然であった。
 しかし、実際には見せ札の兵の後ろに大量の魔術士が控えていたらしい。
 魔術士はかなり希少な特殊技能者である。
 まずもって自身の存在を支えて余りある存在力を持ち、これを認識する感覚を備え、魔術として構成するための学習をしなければならない。
 帝国が軍事力として有効な魔術師団を構成するためには莫大な時間と労力と資金が投入された。そのおこぼれを拾っている王国でも、維持には苦労している。それが、在る。
「それに……」
「あの野郎か?」
 二人の脳裏に浮かぶのは金髪の偉丈夫、エル・エンディオス。
 周囲の男達と比べても頭半分以上突き抜けた身長が細身と映らない屈強な体格に、全金属製の精緻な甲冑をまとい、使いこまれた独特の大剣を佩く姿は、力を抜いた自然体でありながら隙がなかった。戦士として総合的に非常に高い能力を持つことがうかがえる。
 なにより。
「魔道騎士あたりであってほしいものですが、『勇者』『英雄』あるいは」
「神代戦士(チャンピオン)か」
 その場で足を踏みしめただけで石畳を砕くような非常識な力を持った戦士は――実はそれなりに存在する。
 魔術士との対比で闘士と呼ばれる彼らは、過剰な存在力を制御してもちいるという点では同類であり、方向性が異なる。
 肉体の強度・出力・反射速度・知覚力・思考速度、その他近接戦闘に必要な能力を存在ごと強化する超常の戦士達。最下級の者でも歩兵一個小隊三十人前後を一人で叩き潰し、上位の者ともなれば軍団と正面から戦うことができる。
 魔道騎士は闘士の中でも魔術を使う騎士という方向性で修練を積んだ存在で、帝国正規騎士団の精鋭に多い。先の基礎的な力の底上げに加え、攻撃属性や耐性突破能力の付与といった高度な魔術に属する技能を修め、集団戦の訓練も受けた強者だ。
 何人かの騎士が身体能力向上ができるていどであるワーズマリー号の戦闘要員なら、一人で皆殺しにできても不思議ではない。
 それをさらに超えるのが「勇者」「英雄」、そして「神代戦士」。
 彼らはなんらかの形で神の力を分け与えられた存在だ。
 それは武装の下賜であったり、加護の付与であったり、血筋の継承であったり、様々な形を取る。
 総じていえるのは、彼らの戦闘能力が常軌を逸しているということ。
 竜を殺す勇者。万軍を滅ぼす英雄。
 神に代わって神と戦う戦士。
 ただの人間がまともに戦うことを考えるのは無駄といいきれる相手である。
 本来なら魔道騎士クラスであると考えるのが常識的な範囲だが、この島に来た過程を考えると最悪の予想もあながちなくはないと思えてしまう。
 加えていうなら、周囲の反応だ。
 彼に対して暴言を吐いた途端、一気に空気が変わった。
 最悪、騙して油断させたうえで始末する気だったとしても、あの場で演技をする価値は見出していたはずの面々がそれをかなぐりすて、その場で抹殺する勢いさえ見せた。エル本人が止めなければ、実行されていただろう。
 それほどに、彼に対する侮辱的な言動が町の人間の逆鱗に触れたことになる。
 とてもではないが中央から派遣された一官吏に対する反応とは思えない。
 彼が何らかの非常に重要な位置にあり、かつあの場を収めようと考える人物であること。
今後の交渉を進めるうえではかなり重要なことが分かったといえる。
 町の住人が内心でどう思っているかは、想像したくもないが。
「困りましたわ……」
 シュリーヴィアは、今度は深々とため息をついた。

「いきなり殲滅体勢にはいるやつがあるか」
 町長の家にある会議室。エルは極力感情を出さないよう自制しながら指摘した。
 不機嫌に叱責すると、直立不動の姿勢から深く深く頭を下げた町長以下が切腹でもするのではないかと不安だったからである。
 口調が偉そうなのは雰囲気の要求であった。対外的な役柄にもとづく演技ならともかく、周囲に身内しかいない場では皆から主上としてあつかわれるのだ。フランクな言葉づかいは自然とはばかられる。
 船の人員を宿の方に通した後、今後のことを話す態勢になった途端、謝罪がおこなわれた。
 ただし、内容は彼らを殲滅しかけたことではなく、あのような暴言を吐かせたことに対してである。
「主上に向けてあのような言を吐く者を近づけるなど、言語道断! 御処分、いかようにも!」
 血を吐くような叫びとはこのことか。町長以下が土下座せんばかりの、というか風習があれば実際やっていただろう勢いで頭を下げてくるのをなだめすかしてようやく席につかせたのだが、放置しておくと今夜の内に暗殺しかねないという嫌な事実に気づき、釘を刺したのが先のセリフである。
「ですが……」
「いまの私は中央から派遣された武官で人間だぞ? 向こうの小娘が少しばかり失礼な態度を取ったくらいで皆殺しは明らかにやりすぎだ。おかしいと思った者もいるだろう」
 実際、向こうの代表であるシュリーヴィア姫は、その後の会話や移動の最中もこちらをうかがっている節があった。
 エルロポスにとって、報告書や記録映像でしか見ていない地上世界について知る上で、彼女らは実に手頃な存在だ。
 現在、知られている範囲では北大陸が面積・資源・人工・文明、様々な面で最大であり、その中で一番の勢力が人間の「帝国」であった。斜陽の気はあるにしても。一部に未確定情報はあるにしても。
 興味は尽きないのだが、種族の守護神格が多数かかわっている帝国の高官と直接接触するのは万神殿と大神殿・神話神群対神話神群という最悪の衝突が発生する危険が存在する。
 一方、紐つきとはいえ帝国から独立してそれなりにたつ王国、その上層部というのは直接的に大神群とつながっているわけではなく、でありながらあるていどの情報は持っている可能性があるという、ワンクッション置いた情報源になりうる。
 あまり警戒されるようでは困るのだ。
「宿の人員などからそれとなく、私が中央の良い家の出で町長も気を使っている、ぐらいの話を流させるか」
 小手先の策だが、真相に早々いたれるものではないことを考えれば、一応納得のいく説明になるだろう。
「承知いたしました。手配します」
サラディの目配せで配下の者が一礼してその場を去る。
 町長ということになっている彼だが、実際は近衛軍情報部の人員だ。ワーズマリー号の受けいれにあたって人間社会に潜入した経験もあるメンバーとして派遣された。翼人というのもこの町の本来の住人の多くや本物の町長がそうであるからとっている姿で、実際は天使である。
 術によって力の放出を抑え、頭上の光輪も消し、細かい部分を変装・化粧・幻術で調整してなりすましているのだ。
「彼らはこの地には予定外に漂着した、と主張しているわけだが」
 これで当面はなんとかなるだろうと、とりあえず本来話し合うべき事柄に話題を向ける。
「実際、漂着というか無理矢理来させられたのは嘘ではありませんな」
 振られた話に乗らないのもまた不敬というところなのかサラディも返してくる。彼の船が海流操作によって無理矢理この島まで引っ張られたことは情報として回っている。そんなことをするのは主神兄妹の姉神くらいしかいないことも暗黙の了解だ。エルとしては恥ずかしい気持ちでいっぱいである。
「その前段階、嵐の領域に向かってきていた理由。これを聞き出さねばならん。神族がらみとなればなおさらな」
 へーオルトールが素直に吐けばこんな苦労はせんでいいものを、といいたいところをグッと抑える。それが原因で身内の神同士が不仲、などという話になったら目も当てられない。
 しかし、ことが帝国大神殿の神々に関わる問題であれば一気に危険性が増すのだ。確認しないわけにはいかない。
「はい。明日の話し合いでは、そのあたり、つついてみましょう」
 乗員を休ませるための寄港許可の願い。今後のことを相談したいために話し合いを。それがワーズメリー号側が偵察隊を通しておこなった申しいれであった。疲労があることだろうからまずは一晩休んでもらい、明日会談を持つというのが既定路線である。
 落ち着いていればいたって有能なサラディの顔を見つつ、エルは鷹揚にうなずいてみせる。
 他、細々としたことを決めて、その日は解散となった。
 翌日に起こる事件は、予想できていなかった。

 明けて昼前といってもいい時間帯。
 ゆっくり休み、ゆったりと朝食を終え、高貴な女性の身支度をすませてからということなので、多少遅いのはやむをえない。
 町長の屋敷の会議室に集まったのはシュリーヴィア姫を筆頭にゴーズ船長、最初に接触した人物ということもあり護衛としてロスランを含む騎士・従士が数人。そして、町側の要望として見張り付きでアラルルラが。
 対するのはサラディとエル。町の役人が一人と護衛の衛士が数人。
 正直なところ護衛は体裁を整えるための飾りに近く、重要なのは双方頭立った二人だ。
 不安要素は部屋にはいる前からうつむいたまま、なにもしようとしないアルル。
 その存在に微妙な沈黙をたたえたまま護衛とアルルは立ったまま、他全員が席につき、外の暑さを考慮してわずかにレモンの果汁と 蜜を落とした冷たい水が用意されたところで、会談が始まった。
「さて、一晩ではありますがゆっくりとお休みいただけましたかな?」
 昨日、明確な怒りよりもある意味危険な冷静な殺意を向けて来たとは思えない穏やかな笑顔で、サラディがまず社交辞令から切り出す。
「はい、おかげさまで久々に熟睡させていただきまし。こちらの宿の水準は国の一流のものと比べられる水準ですわね」
 あえて優劣はつけないが、感心したことはのべておく。実際には南部諸王国連合の中で、技術や国力もあって主導的な位置にある王国の首都、その最上級の宿に勝るとも劣らないレベルであり、彼女からすれば人跡未踏の地にあっていいような代物ではなかったが。
「それはようございました。では、話を始めさせていただきましょう」
 場の雰囲気がわずかに緊張する。
「まずもって、そちらは予定外の漂着ということでしたが、今後はどうなさる御予定ですかな? 難儀なさっている方に手を差し伸べるのはやぶさかではなく、実際御滞在をいただいているわけですが、しょせん仮の宿です。この先ずっとというのはそちらも不便であられるでしょう?」
 負担のなんのとはいわず、そちらが不便だろうといいながら恩に着せて発言をうながす、ともとれる。
 これに対してはシュリーヴィアの方でも考えをまとめてはいた。
「それなのですが、私どもは元々西の大陸の開拓地へ新規の入植をおこなう予定でおりました。こちらへ流れついたのは我々の意思ではありませんでしたが、短い間に把握した範囲では、この地も環境は恵まれており、空いている土地もある様子。
 しばらく滞在させていただいて情報を集め、可能ならば定住も視野にいれたいと思うのですが、問題がありますでしょうか?」
 当初の予定は本当。入植の希望はジャブだ。正直、こんな得体のしれない土地からは早々に逃げ出したいのだが、脱出できる保証はない。むしろ、これをなした神の意図にそわない限り不可能だと思った方がいいだろう。
 町の人間の応答から、彼らが件の神と関係があるのか、いずれだとしてもどう反応するのか、対応を見ようということだ。
「定住ですか……」
 相手が本当にそれを望んでいるのかどうかは謎だ。彼女等の本国には急遽人員を派遣して情報を集めさせているが、必要な話は集まっていない。
 そして、この地は天空の万神殿の飛び地と認識されている。彼らの領土であり、すなわち主神エルロポスの領土である。勝手に差配はできない。
 直接のテレパシーは非常時以外は畏れ多いとしてもちいられない。サラディはちらりとエルをうかがう。
「他国の方の入植となりますと、中央におうかがいを立てねばなりませんね。この地の全域を領土としていますので、許可が出るとしても租借になるかと」
 西大陸は東岸周辺に大きな勢力が存在せず、北大陸などから植民して領土化をおこなっている場所が散在している。
 帝国は斜陽とはいえ南部諸王国がどうにかできる規模ではなく、王国同士は大佐が無いので互いに牽制。
 勢力拡大や資源確保、本当にいざという時の落ちのび先として開発がおこなわれているわけだが、後追いとはいえ開拓団としては小規模な一船に王族が乗っているのも奇妙な話で、それが流れ着いた場所で0から入植を検討するとは、もう無茶などというレベルではない。そういう意味では予想外の提案だ。
 先住者が空いている場所も領土と定めている以上、入植すればこちらのものとはいかず、これも王族がいる以上、普通は帰化という話にはならないわけで、そうなると租借、借りるのが限界となる。
 そのあたりにシュリーヴィアの欲しい情報があるわけだが。
「それは、どなたの許可をいただけばよろしいのでしょうか?」
 これまで微妙にぼかされていた、アタナスおよびグランゲート、ひいてはこの地の統治体制の明確化。それを尋ねるための流れだ。 普通なら町側が牽制も兼ねて○○国の統治下にある、といった話をするはずなのに、それがなされていないため、回り道をして側面からのぞんだ。
「そうですね……」
 できれば先に相手の事情をあるていど把握したかったが、入植したいという希望を断るためにはあるていど出さなければならない話だ。領土・主権の明確化というのは国家間の話としては非常に重要なのだ。なぁなぁでごまかそうとすると後で必ず火を噴く類いである。
 うっかりしたことをいって彼女等が一部の領有宣言などしようものなら侵略行動と判断した上の軍勢がなだれこんで来かねない。実際、先の暴言を魔術で遠見していた上層部の突貫を止めるのには苦労させられたのだ。
 やむなし、と判断したエルはそれでも完全な明言は避ける。
「我らの主は天の神にあらせられますので、どうしてもといわれるなら最終的にはそちらに」
 この世界で神に直談判といったら「無理」の代名詞といっても過言ではない。
 ちょっと機嫌を損ねただけで天災だの呪いだのが飛んできかねない、多神教人格神の神話的横暴がまかり通っているのがこの世界の実情だ。類例を探すならギリシャ神話とか、北欧神話とか、ケルト神話とか。
 来た。天の神。嵐の神? 海流は関係ない? いささか鼻白んだ表情を浮かべつつ脳裏で様々な可能性をシュリーヴィアが検討しだした時、いままでなされるがままでろくに反応がなかったアルルが、突然顔をあげた。
「神?! また神なの! いや、もう嫌! 神なんて呪われてしまえ!」
 錯乱したとしかいいようがない血走った目と暴言。腕をつかんでいた従士があわてて取り押さえるが、吐き出された言葉は戻らない。
 シュリーヴィア達にとってみれば昨日のそれなど比較にもならない致命的な一言に、血の気が下がる。
 サラディにとって許し難い言葉であるのは間違いないが、昨日のそれとて同じこと。そして、当の主上から演技と情報収集が優先といいつかっている。
 結果、恐る恐る町側の顔色をうかがう船側の人間と、昨日の静かな激高とはまた違う、冷徹な顔の町側という図ができあがる。
 シュリーヴィア達にとっては不気味きわまりない。
 十分に間をとってから、サラディが口を開く。
「さて。入植、という話をする前に、そちらのお嬢さんのことですが」
 声が落ち着いていることがさらに不安を煽る。演出ではあるのだろうが効果は覿面だ。
「正直、錯乱しているとしかいいようがない。そのような人物が代表の側近くにすらおられる。これでは隣人として迎えるのは不可能だ」
 厳しいが正論といえる。しかも先の発言の後では無礼などと指摘できたものではない。
「ゆえに、私は彼女の処罰を求めます。あなた方の神、あなた方の法にのっとってね」
(おい、こら)
 エルロポスは内心でつっこむ。
 つまるところ、周囲ごと殲滅はやりすぎにしてもアラルルラの暴言について許していないということだ。
 そこから向こうの現在の統制方法に話を持っていく。
 帝国は皇権神授の国であり、その法は神の愛と正義の下に皇帝によって施行される。その権威の裏付けとなる人間の法の神すらいるのだ。
 そこから派生した諸王国の法も根幹は神の法で、処断のおりには祝詞に近い宣言などもおこなわれる。
 なんらかの神に追われているという彼女等がいま法をどうあつかっているのか。そのままであればそちらサイドの神々はとりあえず関係がないだろう。そうなると外来の可能性があがり、王国側における情報収集の方向性をつけやすくなるかもしれない。
 迂遠な手ではあるが同時に無礼者を片づけられるならそれもよし。真相には少しずつ迫るのでもかまわないだろう。そんな言葉。
 しかし、これには意外な反応が返ってきた。
「法にのっとって、ですか」
 シュリーヴィアの表情が硬い。同情をひくためにつくろっているのかとも考えたが、それにしては様子がおかしい。
 親しい者を処断することをためらっているというよりこれは、恐怖か。
 それも、生理的嫌悪や未知の脅威といった類へのものではない。
 死。
 死への恐れ。
 エルロポスの上村公平であった部分が抱くそれによく似ていたがために、合い響くかのように感じ取れたそれ。
「さよう。あのような言を放った以上、重い罰が下されるべきです」
 変化をつめどころと見たのかサラディがさらに迫る。
「罰。罰を、下す」
 シュリーヴィアの様子がおかしい。同時にアラルルラの顔からいままでよりさらに血の気がひき、もはや顔色が白いといえそうなほどになる。
『みぃつけた』
 それは、空間自体が震えて発したような音だった。
 どこから、というものがない。壁が、天井が、床が。机が、椅子が。自分自身の身体が。
 直接ゆさぶられて発したと錯覚する音。
 強大な存在力を有する、物の在り方の根幹を揺さぶる言霊。
 神の御言葉。
 ほとんどの者が存在の本質を押さえつける圧迫感と不快感、突然の事態に身うごきもできない中、それは現れた。
 突如室内の空中に開いた黒い渦、その中から。
 背は高くない。比較的小柄なシュリーヴィアと同程度。
 闇から伸び出た肌は褐色。前髪に一房だけ赤のまじった銀の長髪をたなびかせ、爛々とした大きな赤の瞳を輝かせる少女。
 身にまとっているのは黒い帯のような布を幾重にも巻き付けた服とはいいがたいような代物。
 腕輪、足輪、ネックレス、ピアス。多くの装飾品が黄金の輝きを放つ。
 そして。
 右手に持った、巨大な斧。
 本人の頭3つ分はあろうかという歪なまでに巨大な刃は分厚く武骨で、無数の傷に古い血がこびりついている。
 持ちにくそうな簡素な柄に巻きつけられた布もまた、乾いた血でところどころがドス黒い。
 見たことのある人間がよく観察すれば、あるいはそれがなんであるのか推測できただろう。
 首切り台、ギロチンの刃に無理矢理に柄をつけた、断頭斧。
 それは本来、武器ではない。
 そして今も、武器ではない。
 これは、処刑具だ。
 で、あるがゆえに。
 空中から獣のような姿勢で飛び出し、そのまま宙を駆けた少女は。
 手に持つ刃で、シュリーヴィアの白い首を。
 一撃のもとに、斬り飛ばした。
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