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君の運命と僕の結婚記念日
新たな人生の始まり
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Side-大牙
散々BMWのドアを力いっぱい蹴り散らかしても気持ちは収まらない。
ガチャガチャガチャと、キーロックがかかっているドアレバーを何度も引き上げて「開けろーーーー!!!」
と叫んだ。
こんなに怒りを露わにしたのはいつ以来だろうか?
梨々花と伊藤の不貞を知ったのは、つい数時間前。
高校の同級生である千葉夏帆と江藤美登里によって、その忌々しい事実は告げられた。
観念したのか、伊藤は恐怖におののいた顔でドアを開けた。
梨々花はこちらから目を反らして、弁明の一つもしようとしない。
ドスっと伊藤の腰辺りに蹴りを入れ、助手席に移動させる。
梨々花は、察したのか、逃げるように車から降りた。
その態度に心臓がズタズタ引き裂かれるような痛みを覚える。
しかし、心頭した怒りはすぐにその痛みをかき消して感情を上書きする。
今は、このクソ野郎を彼女の元に届けなければ。
こんなクソ野郎でも彼女の愛した人なのだ。
一番、会いたいはずだ。
空いた運転席に乗り込んで、シートベルトを嵌めながら
「保坂芙美が……死んだぞ」
そう告げた僕の声は震えていた。
ふーみんではなく、保坂芙美と呼んだのはわざとだ。
彼女はもうお前のモノじゃない。
ギアをバックに入れて急発進すると
「は? マジか」
伊藤は驚きも悲しみもせず、めんどくさそうにそれだけ言い、シートベルトを締めた。
梨々花が寒そうに自分を抱きしめる姿を目の端で確認し、バックに入れた車のアクセルを踏み込んだ。
伊藤を力づくで家に連れて帰る。
芙美の無残な姿を目に焼き付けさせてやるために。
千葉さんと江藤さんによって、芙美の訃報を知らされたのは、レポック・カシェで前菜を一口食べた時だった。
残り10皿の料理をキャンセルして、店を出ようと決めた僕と岡崎。
支払いをしようと会計カウンターに行くと、ギャルソンがこう言った。
『本日ご予約のお料理はまだご提供できておりませんので、お会計を頂くわけにはいきません。急用でしたら、どうぞいってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております』
『けど、戻ってこれないかも……』
戸惑う僕の袖を引いたのは岡崎。
『泉、急ごう』
『あ、ああ』
終始、崩す事のない一定水準を保った笑顔のギャルソンは、完璧な角度で丁寧にお辞儀をした。
『す、すいません。ありがとうございます』
絶対に戻れない。
そう思いつつ、伊藤を探す事を優先した。
駅前で彼女らと合流し、手分けして探そうと提案したのだが、千葉さんはこう言った。
『泉君の奥さんと一緒にいると思うの』
『え? 梨々花と? どうして?』
千葉さんは震える手でスマホの画面をこちらに向けた。
そこには、伊藤の隣で楽し気に笑う梨々花の姿があった。
『芙美の妹からメッセージをもらったの。芙美のスマホのパスワードは誕生日で、簡単に解除されたらしく、こういう隠し撮りしたみたいな写真がたくさん保存されていたらしいの。私に送ってくれて。この人と一緒にいるんじゃないかって』
『まさか。梨々花は確か以前のモデル仲間と……』
ようやく事態を飲み込んだ僕は、念のため梨々花に電話をしてみたが繋がらない。コールバックもない。
最終手段でモデル仲間で今日一緒に飲むんだと言っていた紀香のSNSを開いた。
DMで
“至急梨々花に連絡を取りたいのですが。一緒にいるならこちらに連絡するよう伝えてもらえませんか?”
と送った。
返信はすぐに返ってきて
“リリちゃんとはもう3年ぐらい逢ってませんけど?”
案の定だった。
そのメッセージは、単なる嫌な予感を確信に変えた。
伊藤と梨々花は浮気している。
それも年単位で――。
芙美のスマホから抽出したという写真に写っていた梨々花の服や髪型で、いつ頃の物なのか察しがついた。
一番古い写真は、結婚する前だった。
芙美はこの事実を知りながら、どれほど辛い思いを隠したままこれまで生きてきたのかと思うと、腹立たしくて仕方がない。
運転しながらも、信号待ちの度に伊藤の脇腹に蹴りをぶち込んだ。
およそ二時間車を走らせて到着した伊藤の実家。
既に白と黒の幕が張られていて、広々とした敷地内には車が数台停まっている。
その様子に
「……マジか……、芙美、ほんとに?」
伊藤はようやく事態を飲み込んだらしく、緩慢な動作で車を降りた。
その首根っこを掴み、引きずるように家に上がった。
「あら、優作。遅かったじゃないか」
日焼けで黒くなった顔の、がさつそうなおばさんは、伊藤の母親らしい。
「全く、最後まで迷惑かけて、とんでもない嫁だったわ」
「ごめん、母さん」
「明日は朝一番で芙美名義の口座からお金を全て引き出して、保険金の請求の手続きしておかないとね」
そのおばさんからは、悲しみや申し訳なさは微塵も感じられない。
吐き気を催すほどの汚い物を見せつけられたようで、不快感を隠しきれない。
「そんな言い方……」
怒りに支配された脳では、歯痒い事に、巧い言葉すら出て来ない。
「有機野菜農家の嫁が、癌だなんてだけでも恥さらしなのに、自殺だなんて、これからどんな顔して外を歩いたらいいやら。全く」
そう言って忙しなく奥の方へと消えて行った。
僕は、再び伊藤の首根っこを掴み、線香の煙の向こうで眠る芙美の元へと引きずった。
千葉さんによると、芙美は癌である事を隠して、ろくに治療も受けて来なかったそうだ。
痛みに腹をおさえ、顔を歪めながら農作業をする芙美の姿を思い出して、千葉さんは涙を流していた。
姑に虐げられ、逃げ場であるはずの夫は浮気していて頼りにならない。
休日の農作業は嫁に任せっぱなし。
「よく見とけ。苦しみぬいて自ら死を選んだのは、お前が死ぬほど好きだった保坂芙美だぞ。こんな変わり果てた姿にしやがって……殺したのはお前だ!」
マグマのように吹き出した感情はもう抑えきれない。
掴んだ首根っこを、線香が置いてある台に思いきり叩きつけた。
ガシャーーンと派手な音を鳴らして、ろうそくが倒れ、線香の灰が飛び散った。
「うううーーー」
顔面をおさえ、うずくまる伊藤。
「このクソ野郎がぁーーーーーーーーー!!!」
僕は咆哮しながら伊藤に掴みかかり、壁際にそやった。
首元にグリグリと拳をめり込ませる。
殺してやろうと思った。
「ううう……、やめろ!!」
伊藤が叫んだ瞬間、体が重力に逆らって吹っ飛んだ。
ガシャーーーーンと更に激しい音がして、全身に得体の知れない痛みが走る。
伊藤が、僕を突き飛ばしたのだ。
「ううっ……」
周囲に散らばるガラスの破片を見て、部屋を仕切る襖の下半分にすりガラスが嵌まっていたのを思い出した。
ぬるぬると生ぬるい液体が背中を覆う。
痛みより息苦しさに、手を首に当てると、大きな破片が喉元に刺さっていた。
遠のく意識の中で、死という物が現実味を帯びる。
視界が歪み。クロスフラッシュする。
そうか。これは死の予兆だったか……
徐々に薄れゆく意識の中で、「泉、泉ーーー」
伊藤の狼狽える声が聞こえた。
直後――。
「ううううわああああーーーー」
喉の詰まりが取れたように、スカッと気持ちよく声が出た。
「はぁ、はぁ、はぁ……。え? あれ?」
なんだか懐かしいJーPopが耳に流れ込む。
ちゅうけまちゅうけまちゅけまちゅげ♪
「泉! どうした?」
「へ? だれ?」
白いシャツに黒いベスト。
腰には革製のシザーケース。
時代遅れのツイストパーマをかけた、しゅっとした男が僕の背中を突然叩いた。
「あああーーーーーー!!! 山内先輩!」
昔、アルバイトしていた美容室の先輩!
目の前の鏡を見ると、同じ格好をしてる自分がいた。
正社員の証の制服?
「は? は??? へ???」
何だ?
なんでこんな事になってる??
「また寝ぼけてたな。仕事中に立ったまま昼寝するなってあれだけ言っただろ!」
「は? へ?」
「そんな事より、梨々花ちゃん。またお前をシャンプー指名だってよ。苑田《そのだ》様の大事なご息女だ。頑張れよ」
辺りを見回すと、そこには懐かしいサロンの風景が広がっていて、待合のソファには――。
15歳の梨々花が、大人向けのファッション誌を広げて座っていた。
散々BMWのドアを力いっぱい蹴り散らかしても気持ちは収まらない。
ガチャガチャガチャと、キーロックがかかっているドアレバーを何度も引き上げて「開けろーーーー!!!」
と叫んだ。
こんなに怒りを露わにしたのはいつ以来だろうか?
梨々花と伊藤の不貞を知ったのは、つい数時間前。
高校の同級生である千葉夏帆と江藤美登里によって、その忌々しい事実は告げられた。
観念したのか、伊藤は恐怖におののいた顔でドアを開けた。
梨々花はこちらから目を反らして、弁明の一つもしようとしない。
ドスっと伊藤の腰辺りに蹴りを入れ、助手席に移動させる。
梨々花は、察したのか、逃げるように車から降りた。
その態度に心臓がズタズタ引き裂かれるような痛みを覚える。
しかし、心頭した怒りはすぐにその痛みをかき消して感情を上書きする。
今は、このクソ野郎を彼女の元に届けなければ。
こんなクソ野郎でも彼女の愛した人なのだ。
一番、会いたいはずだ。
空いた運転席に乗り込んで、シートベルトを嵌めながら
「保坂芙美が……死んだぞ」
そう告げた僕の声は震えていた。
ふーみんではなく、保坂芙美と呼んだのはわざとだ。
彼女はもうお前のモノじゃない。
ギアをバックに入れて急発進すると
「は? マジか」
伊藤は驚きも悲しみもせず、めんどくさそうにそれだけ言い、シートベルトを締めた。
梨々花が寒そうに自分を抱きしめる姿を目の端で確認し、バックに入れた車のアクセルを踏み込んだ。
伊藤を力づくで家に連れて帰る。
芙美の無残な姿を目に焼き付けさせてやるために。
千葉さんと江藤さんによって、芙美の訃報を知らされたのは、レポック・カシェで前菜を一口食べた時だった。
残り10皿の料理をキャンセルして、店を出ようと決めた僕と岡崎。
支払いをしようと会計カウンターに行くと、ギャルソンがこう言った。
『本日ご予約のお料理はまだご提供できておりませんので、お会計を頂くわけにはいきません。急用でしたら、どうぞいってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております』
『けど、戻ってこれないかも……』
戸惑う僕の袖を引いたのは岡崎。
『泉、急ごう』
『あ、ああ』
終始、崩す事のない一定水準を保った笑顔のギャルソンは、完璧な角度で丁寧にお辞儀をした。
『す、すいません。ありがとうございます』
絶対に戻れない。
そう思いつつ、伊藤を探す事を優先した。
駅前で彼女らと合流し、手分けして探そうと提案したのだが、千葉さんはこう言った。
『泉君の奥さんと一緒にいると思うの』
『え? 梨々花と? どうして?』
千葉さんは震える手でスマホの画面をこちらに向けた。
そこには、伊藤の隣で楽し気に笑う梨々花の姿があった。
『芙美の妹からメッセージをもらったの。芙美のスマホのパスワードは誕生日で、簡単に解除されたらしく、こういう隠し撮りしたみたいな写真がたくさん保存されていたらしいの。私に送ってくれて。この人と一緒にいるんじゃないかって』
『まさか。梨々花は確か以前のモデル仲間と……』
ようやく事態を飲み込んだ僕は、念のため梨々花に電話をしてみたが繋がらない。コールバックもない。
最終手段でモデル仲間で今日一緒に飲むんだと言っていた紀香のSNSを開いた。
DMで
“至急梨々花に連絡を取りたいのですが。一緒にいるならこちらに連絡するよう伝えてもらえませんか?”
と送った。
返信はすぐに返ってきて
“リリちゃんとはもう3年ぐらい逢ってませんけど?”
案の定だった。
そのメッセージは、単なる嫌な予感を確信に変えた。
伊藤と梨々花は浮気している。
それも年単位で――。
芙美のスマホから抽出したという写真に写っていた梨々花の服や髪型で、いつ頃の物なのか察しがついた。
一番古い写真は、結婚する前だった。
芙美はこの事実を知りながら、どれほど辛い思いを隠したままこれまで生きてきたのかと思うと、腹立たしくて仕方がない。
運転しながらも、信号待ちの度に伊藤の脇腹に蹴りをぶち込んだ。
およそ二時間車を走らせて到着した伊藤の実家。
既に白と黒の幕が張られていて、広々とした敷地内には車が数台停まっている。
その様子に
「……マジか……、芙美、ほんとに?」
伊藤はようやく事態を飲み込んだらしく、緩慢な動作で車を降りた。
その首根っこを掴み、引きずるように家に上がった。
「あら、優作。遅かったじゃないか」
日焼けで黒くなった顔の、がさつそうなおばさんは、伊藤の母親らしい。
「全く、最後まで迷惑かけて、とんでもない嫁だったわ」
「ごめん、母さん」
「明日は朝一番で芙美名義の口座からお金を全て引き出して、保険金の請求の手続きしておかないとね」
そのおばさんからは、悲しみや申し訳なさは微塵も感じられない。
吐き気を催すほどの汚い物を見せつけられたようで、不快感を隠しきれない。
「そんな言い方……」
怒りに支配された脳では、歯痒い事に、巧い言葉すら出て来ない。
「有機野菜農家の嫁が、癌だなんてだけでも恥さらしなのに、自殺だなんて、これからどんな顔して外を歩いたらいいやら。全く」
そう言って忙しなく奥の方へと消えて行った。
僕は、再び伊藤の首根っこを掴み、線香の煙の向こうで眠る芙美の元へと引きずった。
千葉さんによると、芙美は癌である事を隠して、ろくに治療も受けて来なかったそうだ。
痛みに腹をおさえ、顔を歪めながら農作業をする芙美の姿を思い出して、千葉さんは涙を流していた。
姑に虐げられ、逃げ場であるはずの夫は浮気していて頼りにならない。
休日の農作業は嫁に任せっぱなし。
「よく見とけ。苦しみぬいて自ら死を選んだのは、お前が死ぬほど好きだった保坂芙美だぞ。こんな変わり果てた姿にしやがって……殺したのはお前だ!」
マグマのように吹き出した感情はもう抑えきれない。
掴んだ首根っこを、線香が置いてある台に思いきり叩きつけた。
ガシャーーンと派手な音を鳴らして、ろうそくが倒れ、線香の灰が飛び散った。
「うううーーー」
顔面をおさえ、うずくまる伊藤。
「このクソ野郎がぁーーーーーーーーー!!!」
僕は咆哮しながら伊藤に掴みかかり、壁際にそやった。
首元にグリグリと拳をめり込ませる。
殺してやろうと思った。
「ううう……、やめろ!!」
伊藤が叫んだ瞬間、体が重力に逆らって吹っ飛んだ。
ガシャーーーーンと更に激しい音がして、全身に得体の知れない痛みが走る。
伊藤が、僕を突き飛ばしたのだ。
「ううっ……」
周囲に散らばるガラスの破片を見て、部屋を仕切る襖の下半分にすりガラスが嵌まっていたのを思い出した。
ぬるぬると生ぬるい液体が背中を覆う。
痛みより息苦しさに、手を首に当てると、大きな破片が喉元に刺さっていた。
遠のく意識の中で、死という物が現実味を帯びる。
視界が歪み。クロスフラッシュする。
そうか。これは死の予兆だったか……
徐々に薄れゆく意識の中で、「泉、泉ーーー」
伊藤の狼狽える声が聞こえた。
直後――。
「ううううわああああーーーー」
喉の詰まりが取れたように、スカッと気持ちよく声が出た。
「はぁ、はぁ、はぁ……。え? あれ?」
なんだか懐かしいJーPopが耳に流れ込む。
ちゅうけまちゅうけまちゅけまちゅげ♪
「泉! どうした?」
「へ? だれ?」
白いシャツに黒いベスト。
腰には革製のシザーケース。
時代遅れのツイストパーマをかけた、しゅっとした男が僕の背中を突然叩いた。
「あああーーーーーー!!! 山内先輩!」
昔、アルバイトしていた美容室の先輩!
目の前の鏡を見ると、同じ格好をしてる自分がいた。
正社員の証の制服?
「は? は??? へ???」
何だ?
なんでこんな事になってる??
「また寝ぼけてたな。仕事中に立ったまま昼寝するなってあれだけ言っただろ!」
「は? へ?」
「そんな事より、梨々花ちゃん。またお前をシャンプー指名だってよ。苑田《そのだ》様の大事なご息女だ。頑張れよ」
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15歳の梨々花が、大人向けのファッション誌を広げて座っていた。
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