20 / 46
第二十話 俊豪の字
しおりを挟む
そこには不揃いで迫力のある文字が並んでいた。
騒ぎに気付いた他の面首たちも、その書を目にしてクスクス笑い始める。俊豪は頬を染め、目を剥き、悔しそうに唇を噛んでいる。本当なら、自慢の腕っぷしで殴りつけるところだろうが、私が目の前にいるからできないようだ。
「このような教養の欠片もない男が蓮花様の側に侍るなんて、思い上がりも甚だしい」
秀英がせせら笑うと、仲間らしき面首も深く頷く。
「初日に図々しく宮に押しかけるほど、礼儀も常識もない奴だからなぁ」
ここぞとばかりに俊豪をこき下ろす彼らを見て、私はかつての自分たちの立場を思い出した。あぁ、こうして他の后妃たちと足を引っ張り合ったものだと。そして私も先帝の前で恥をかかされ、布団をかぶって泣いた日もあったと。
(なるほど)
まったく洗練されていない文字を見て、私は理解した。散歩に誘われたあの日、俊豪はそれまで猟師だったと言っていた。
「俊豪」
「……はい」
「文字を習い始めたのはいつじゃ」
「ここへ来てからにございます」
(やはりのぅ)
私は俊豪の書を高く掲げている面首に、こちらへ渡すよう手を差し出す。手渡されたそれへ、私はざっと目を通した。字こそ下手くそだが、それなりに説明文になっている。
「ここでの勉強は三月ほどであったの」
「はい」
「それでここまで書けたのであれば、大したものじゃ」
私の言葉に、囃し声がスッと収まった。俊豪も驚いたように目を見開いている。
「秀英」
「はっ、はい!」
「そちは何歳から文字を学んだ」
「六歳にてございます」
先程までの勢いはすっかり消え失せ、秀英は肩をすぼめて下を向いている。お仲間も同様だ。
(別に叱るつもりはないのじゃが)
おかしみを感じつつ書を持ち主へ返し、秀英へと向き直った。
「十年以上学んだのであれば、さぞかし教養溢れる見事な記録をしてくれようのぅ。他人を揶揄っている暇があるなら、文字で妾の心を惹きつけてみよ」
「はっ、はい!」
秀英と取り巻きは、慌てて自分の席へと戻る。
振り返れば俊豪は、失敗を叱られた子どものような表情をしていた。
「どうした。前に院子で迫ってきた時の勢いはどうした」
「いえ、その……」
俊豪は気恥ずかし気に私から目を逸らす。
「ありがとうございます。その節は、失礼いたしました」
(ふふ)
こうして見てみれば、可愛いものだと思う。図体は大きくとも、まだまだ子どもじゃ。
「そちの字、悪くないぞ。たった三月でここまで出来たのであれば、他の者に追いつくのもあっという間であろうよ」
立ち去ろうとした私の背を、俊豪の声が追いかけてくる。
「蓮花様、文字はこのように拙い俺ですが」
「うん?」
「房中術に関しては、蓮花様に不快な思いをさせぬよう、しっかり身につけておきますので!」
この期に及んで言い出すことがこれかと、俊豪に少し呆れる。しかし彼の瞳は真剣そのものだった。
「期待しておこう」
そんな日は来ないのだが。
また別の片隅に、一人黙々と書き続けている小柄な人影を見つけた。
(小龍か)
掃除の手伝いをすると言って、まんまと宮へ潜り込んだはしっこい男だ。無邪気を装っているが、油断ならぬ男と私は見ている。
そっと背後に回り手元を覗き込む。
「ほぅ」
こちらは細やかな字で丁寧に書きつけられていた。私に気付いた小龍は、嬉しそうに振り返る。
「いかがでしょうか?」
彼は、織物についての記述をしていた。内容に目を通せば、肌触りや染料等について、実に詳しく記されている。
「これはすごいな。我ら後宮の女が気にする点を見事に押さえてある」
「ありがとうございます!」
彼は、少年のような屈託のない笑顔を浮かべた。
「使用人同様にこき使われていたことが、ここに来て生きました」
「と言うと?」
「帳簿など記録をつけるのは僕の仕事でしたので、字は書き慣れております。それに兄や、その家族の衣服を用意するのも僕でした。気に入らなければ棒で打たれるので、良いものを見抜く目は鍛えられたようです」
(なんと……)
まだ子どもらしさを残した華奢な体を、棒で打つ人間がいるのが信じられない。私は思わず小龍のあごに手を掛け、こちらを向かせた。
「蓮花様?」
戸惑った様子の小龍に構わず、私は顔をいろんな角度から観察し、髪をかき上げて肌を確認する。
「あの、蓮花様……」
「傷痕は残っておらぬようだな、良かった」
私がほっと息をつくと、小龍は悪戯っぽく笑った。
「まだ、服の下がございます」
(ぬっ)
「傷痕が残ってないか、今宵改められませんか?」
無邪気な微笑みに艶を滲ませた小龍の額を、私は絹扇で軽く小突く。
「馬鹿者。そなたの体など既に見ておるわ」
「そうでした」
悪びれることなく、小龍は愛らしく笑う。
(まったく)
騒ぎに気付いた他の面首たちも、その書を目にしてクスクス笑い始める。俊豪は頬を染め、目を剥き、悔しそうに唇を噛んでいる。本当なら、自慢の腕っぷしで殴りつけるところだろうが、私が目の前にいるからできないようだ。
「このような教養の欠片もない男が蓮花様の側に侍るなんて、思い上がりも甚だしい」
秀英がせせら笑うと、仲間らしき面首も深く頷く。
「初日に図々しく宮に押しかけるほど、礼儀も常識もない奴だからなぁ」
ここぞとばかりに俊豪をこき下ろす彼らを見て、私はかつての自分たちの立場を思い出した。あぁ、こうして他の后妃たちと足を引っ張り合ったものだと。そして私も先帝の前で恥をかかされ、布団をかぶって泣いた日もあったと。
(なるほど)
まったく洗練されていない文字を見て、私は理解した。散歩に誘われたあの日、俊豪はそれまで猟師だったと言っていた。
「俊豪」
「……はい」
「文字を習い始めたのはいつじゃ」
「ここへ来てからにございます」
(やはりのぅ)
私は俊豪の書を高く掲げている面首に、こちらへ渡すよう手を差し出す。手渡されたそれへ、私はざっと目を通した。字こそ下手くそだが、それなりに説明文になっている。
「ここでの勉強は三月ほどであったの」
「はい」
「それでここまで書けたのであれば、大したものじゃ」
私の言葉に、囃し声がスッと収まった。俊豪も驚いたように目を見開いている。
「秀英」
「はっ、はい!」
「そちは何歳から文字を学んだ」
「六歳にてございます」
先程までの勢いはすっかり消え失せ、秀英は肩をすぼめて下を向いている。お仲間も同様だ。
(別に叱るつもりはないのじゃが)
おかしみを感じつつ書を持ち主へ返し、秀英へと向き直った。
「十年以上学んだのであれば、さぞかし教養溢れる見事な記録をしてくれようのぅ。他人を揶揄っている暇があるなら、文字で妾の心を惹きつけてみよ」
「はっ、はい!」
秀英と取り巻きは、慌てて自分の席へと戻る。
振り返れば俊豪は、失敗を叱られた子どものような表情をしていた。
「どうした。前に院子で迫ってきた時の勢いはどうした」
「いえ、その……」
俊豪は気恥ずかし気に私から目を逸らす。
「ありがとうございます。その節は、失礼いたしました」
(ふふ)
こうして見てみれば、可愛いものだと思う。図体は大きくとも、まだまだ子どもじゃ。
「そちの字、悪くないぞ。たった三月でここまで出来たのであれば、他の者に追いつくのもあっという間であろうよ」
立ち去ろうとした私の背を、俊豪の声が追いかけてくる。
「蓮花様、文字はこのように拙い俺ですが」
「うん?」
「房中術に関しては、蓮花様に不快な思いをさせぬよう、しっかり身につけておきますので!」
この期に及んで言い出すことがこれかと、俊豪に少し呆れる。しかし彼の瞳は真剣そのものだった。
「期待しておこう」
そんな日は来ないのだが。
また別の片隅に、一人黙々と書き続けている小柄な人影を見つけた。
(小龍か)
掃除の手伝いをすると言って、まんまと宮へ潜り込んだはしっこい男だ。無邪気を装っているが、油断ならぬ男と私は見ている。
そっと背後に回り手元を覗き込む。
「ほぅ」
こちらは細やかな字で丁寧に書きつけられていた。私に気付いた小龍は、嬉しそうに振り返る。
「いかがでしょうか?」
彼は、織物についての記述をしていた。内容に目を通せば、肌触りや染料等について、実に詳しく記されている。
「これはすごいな。我ら後宮の女が気にする点を見事に押さえてある」
「ありがとうございます!」
彼は、少年のような屈託のない笑顔を浮かべた。
「使用人同様にこき使われていたことが、ここに来て生きました」
「と言うと?」
「帳簿など記録をつけるのは僕の仕事でしたので、字は書き慣れております。それに兄や、その家族の衣服を用意するのも僕でした。気に入らなければ棒で打たれるので、良いものを見抜く目は鍛えられたようです」
(なんと……)
まだ子どもらしさを残した華奢な体を、棒で打つ人間がいるのが信じられない。私は思わず小龍のあごに手を掛け、こちらを向かせた。
「蓮花様?」
戸惑った様子の小龍に構わず、私は顔をいろんな角度から観察し、髪をかき上げて肌を確認する。
「あの、蓮花様……」
「傷痕は残っておらぬようだな、良かった」
私がほっと息をつくと、小龍は悪戯っぽく笑った。
「まだ、服の下がございます」
(ぬっ)
「傷痕が残ってないか、今宵改められませんか?」
無邪気な微笑みに艶を滲ませた小龍の額を、私は絹扇で軽く小突く。
「馬鹿者。そなたの体など既に見ておるわ」
「そうでした」
悪びれることなく、小龍は愛らしく笑う。
(まったく)
31
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる